表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

「亡国の王子と断罪女王」

 座の間には重々しい静寂が満ちていた。高い天井から垂れる燭台の炎が揺れ、赤く染まった影を壁に落とす。左右に並ぶ廷臣と兵士たちは一様に息を潜め、玉座に座る私の視線の先を注視していた。


 石畳を踏みしめ、一人の青年が進み出る。旅装の外套を纏い、煤にまみれた裾を引きずりながらも、その背筋は真っすぐに伸びていた。炎に照らされた顔には疲労の影が残るが、瞳には消えぬ光が宿っている。彼は私の前にひざまずき、深く頭を垂れた。


「……アルトリス王国の王子、ルシアン=アルトリスにございます。祖国を失い、帰る場所を持たぬ身……どうか、女王陛下の御許に亡命を許されたい」


 その声は低く震えていたが、揺るがぬ芯を持っていた。玉座の間にいた廷臣たちの間から、ざわめきが一斉に広がる。


「亡国の王子だと……?」  

「アルトリスは滅んだはず……生き残りがいたとは……」  

「亡霊が女王に救いを乞うとは、滑稽ではないか」


 囁きは嘲笑と驚愕を織り交ぜ、石壁に反響した。私は玉座からその光景を冷然と見下ろした。群衆の憶測も、廷臣の疑念も、すべては私にとって取るに足らぬ雑音にすぎない。だが、ひざまずくその男の瞳だけは、なぜか目を逸らすことができなかった。


(亡国の王子……炎の断罪を見届けた夜の、あの旅人か。何を求めて私の前に跪くのか……)


 私はゆるやかに片手を動かし、ざわめきを抑える。群衆は息を呑み、玉座の間に再び静寂が戻る。目の前に跪く青年の背を、炎の女王としての冷たい視線で射抜いた。


 玉座の間には燭台の炎が揺らめき、重苦しい沈黙が垂れ込めていた。私は玉座に腰を下ろし、その視線をひざまずく青年に注いでいた。煤に汚れた旅装の裾、荒れた手、だが瞳だけは鋭く冴えている。彼が口を開いた瞬間、その声は広間の空気を震わせた。


「……アルトリス王国は、帝国の聖王サンクティウス=ベリオルによって『異端の国』と断じられました」


 セラフィナは膝を折り、静かな声で語った。

「陛下、ルクス・デイ教の教義は神の光こそ唯一の真理でございます。光に従わぬ者は異端とされ、審問にかけられます」


 彼女の瞳は冷ややかに光り、淡々と続けた。

「審問所では、証拠など求められません。告発ひとつで人は拘束され、祈りを拒めば魔女と断じられる。処刑の儀は必ず火刑――炎で肉体を焼くことで魂を清めると説かれております」


 私は唇を吊り上げた。

「私と同じではないか……清める、だと……ただ恐怖で民を縛るための見せしめにすぎぬものを」


 セラフィナは頷き、さらに言葉を重ねた。

「レガリアもかつてはその権威に従っておりました。前王は帝国と懇意にし、宮廷にはルクス・デイ教の聖像が掲げられていたほど。ですが……陛下が玉座にお就きになってから、断罪の象徴は教会ではなく、女王の御手にあります」


 その声には微かに誇りが滲んでいた。

「ゆえに聖王にとって陛下の御存在は、ルシアンの処遇いかんによっては新たな火種になり得るかと存じます」


 広間に走ったざわめきは一瞬にして膨れ上がった。廷臣たちは互いに顔を見合わせ、誰もがその名に怯えと憤りを浮かべた。聖王――神の代行者を名乗る者。その存在は帝国の剣よりもなお恐ろしく、忌まわしい象徴として私の耳に届いた。玉座の間を包む空気の緊張を、私は冷ややかに見下ろしていた。


 ルシアンは続ける。声は震えながらも、言葉は刃となって人々の胸に突き刺さる。


「帝国軍は数万の軍勢で我が国を侵略してきました。ですが、帝国の剣が我が国を滅ぼしたのではありません。滅ぼされた理由は聖王の異端審問でした。神の名を盾に、民を焼き、王城を血に沈めたのです」


 その光景を思い描いたのか、廷臣の顔は硬直し、兵士の一人は唇を噛みしめた。広間にはすすり泣きが混じり始め、重苦しい緊張がさらに深まっていく。


「父も、母も、兄弟も……異端の血として広場で処刑されました」


 言葉は刃のように鋭く、空気を切り裂いた。青年の拳は固く握りしめられ、その目尻からは涙がひとすじ流れ落ちた。それを拭うこともせず、彼はなおも前を見据える。弱さを曝け出しながら、それでも必死に誇りを繋ごうとする姿があった。


 私は玉座の上から、その姿を黙して見下ろした。涙に濡れた顔、声を震わせる言葉。だがそこに宿る光は、裏切りに焼かれたあの日の私自身の姿を思い出させた。あの時、私も信じていた。花冠に込められた誓いを――。だが誓いは裏切りとなり、炎は私を焼き尽くした。


(誓いは裏切りの種子。だが……この青年の涙に宿るものは、果たして偽りなのか)


 私は心中で呟き、目を細めた。冷酷な女王の貌を崩すことなく、ただその姿を見極めようと瞳を凝らした。


 ルシアンの声は燭火を揺らす風のように、しかし玉座の間全体を震わせる力を持って響いた。


「ですが今――帝国と聖王を討つ剣となるなら、この命すべてを陛下に捧げます」


 その言葉と共に、広間の空気は張り詰め、民も廷臣も息を呑んだ。誰もがその誓いの真偽を見極めようと、ひざまずく青年の背に視線を注いでいた。燭台の炎が揺れ、石壁に落ちる影が伸び縮みする。まるでこの場そのものが一つの審判の舞台であるかのようだった。


 私は玉座に腰を下ろしたまま、冷ややかな眼差しを彼に注いだ。亡命を許せば、帝国は必ず動く。ヴァルガンの皇帝は血を欲し、聖王は異端の名を掲げて侵攻の大義を唱えるだろう。レガリアの地に戦乱が押し寄せ、炎と血が溢れるのは避けられぬ。だが――それもまた、この国に流れる呪いにふさわしい道ではないか。


(私が復讐の炎を燃やす存在であるように、この国もまた戦火に焼かれてこそ、生の意味を持つのだ)


 冷酷な思考が胸の奥に根を張る。しかし、その一方で、青年の誓いに宿る純粋な響きが心を揺らすのを私は感じていた。己の無力と臆病を曝け出しながら、それでもなお「剣となる」と言い切るその瞳――そこに、かつて花冠を信じた頃の私が見ていたものと似た光があった。


(亡国の王子よ……お前の誓いが裏切りに終わるのか、それとも炎の中で真実を示すのか)


 私は目を細め、冷徹な女王の貌を崩さぬまま、その姿を心に刻んだ。


(いずれにせよ、お前は我が断罪の舞台に立つことになるだろう)


 私は玉座から身を乗り出し、ひざまずく青年を冷たく見下ろした。彼の掌から滴る血は石床に落ち、黒い染みを広げている。その血は誓いの証か、それとも新たな裏切りの兆しか。判断を下すのは、私自身だ。


「よかろう、ルシアン=アルトリス。我が王国に膝を折り、我が剣となれ。だが誓いを違えた時は、その舌を抜き、骨を灰に変えよう」


 その宣告が広間に響いた瞬間、群衆は一斉に息を呑んだ。重苦しい沈黙がわずかに流れ、やがてざわめきが波のように広がる。廷臣たちは互いに顔を見交わし、兵士たちは槍を握る手を強くした。だが誰も私の言葉に逆らうことはなかった。


 ルシアンは立ち上がらず、血に濡れた掌を胸に当てた。その瞳は炎に照らされ、決意を宿して揺るぎない。声は震えず、静かに、しかし力強く告げられた。


「この命は、すべて陛下のために」


 その誓いは、血よりも鮮烈に空気を震わせた。民の間からは嗚咽と安堵の吐息が混じり、ある者は祈りを捧げ、ある者は拳を握って「万歳」と叫んだ。だが私は群衆の声を意にも介さず、ただ目の前の青年の姿を冷徹に見据えていた。


(また誓いの言葉……だが、今回は果たして裏切りに終わるのか。それとも――)


 私の胸中には黒い炎が渦巻いていた。誓いは常に裏切りを孕む。かつて私が信じた花冠のように、甘美な約束ほど容易く崩れる。しかし、彼の瞳の奥に燃える光は、過去の裏切りとは異なる何かを宿しているようにも見えた。


 断罪の女王としての私が求めるのは、ただ罪と裏切りを焼き尽くす炎だ。

 だが今、ひとりの亡国の王子の誓いが、その炎に新たな形を与えようとしている。戦火の匂いが近づく中、私の胸の奥底にわずかな揺らぎが生まれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ