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「断罪2:盗まれた遺産」

 玉座の間には重苦しい空気が漂っていた。高い天井から吊るされた燭台の炎が揺れ、壁に映る影は不安を煽るように震えている。民や臣下たちが左右に列をなし、誰もが固唾を呑んで玉座の前に進み出る兄弟を見つめていた。


 弟はやせ細った体を震わせながら進み出た。涙で濡れた目をこすり、必死に声を張り上げる。

「お許しください……陛下! 私の兄は、父が遺した遺産をすべて独り占めにしております! 父は、私にも等しく分け与えると約束してくださったのです……!」


 弟の声は哀願に満ち、震えながらも必死だった。群衆の間にどよめきが走り、互いに顔を見合わせる者もいた。父の遺産――その言葉の響きは、人々の関心を強く引きつけた。


 それに対し、兄は堂々と胸を張り、冷ややかな目で弟を見下ろした。豊かな衣をまとったその姿は、弟のやせ細った影と対照的であった。

「陛下、この者の言葉は戯言にすぎませぬ。弟は怠惰で、父の遺したものを継ぐに値しません。父も私にこそ信を寄せ、すべてを任せると告げておられたのです」


 その声には揺るぎない自信が込められていた。群衆は再びざわめき、どちらの言葉が真実かを測りかねていた。


 弟はなおも涙をこぼし、膝をつきながら叫ぶ。

「違います! 私は父と共に畑を耕し、汗を流しました! 兄は父に背を向け、贅沢ばかりを求めていたのです!」


 兄は鼻で笑い、弟を見下した。

「貧しい畑仕事をしたからといって、父の信頼が得られるものか。真の価値を理解していたのは、この私だけだ」


 兄弟の言葉が交錯し、群衆のざわめきは次第に大きくなっていく。正義はどちらにあるのか――誰もが裁きを待ち望んでいた。


 私は玉座の上で静かに微笑んだ。その微笑は慈悲に満ちたものに見えただろう。だが心の奥底では、燃えるような黒い愉悦が広がっていた。


「よい……真実は必ず語られるもの。今ここで、それを明らかにいたしましょう」


 私の声が玉座の間に響き渡ると、群衆はざわめきを止め、固唾を呑んで次の言葉を待った。裁きの舞台が、静かに整えられていく。


 玉座の間に静寂が広がった。私は視線を兄弟に向け、ゆるやかに口を開いた。


「そなたらの父を思い起こせ。何を遺したのか、何を愛したのか……その記憶こそが真実を照らすだろう」


 弟は涙を拭い、深く息を吸い込んで語り始めた。

「父は……よく私に畑を耕す鍬を渡してくれました。『これを使って土を耕せば、家族の糧になる』と……。父は私に、汗を流し働くことの尊さを教えてくれました。共に汗をかき、泥にまみれ……その笑顔が、何よりの宝でした」


 弟の声は震えていたが、その記憶には確かな温かさが込められていた。群衆の間に静かな感嘆が広がり、老臣たちはうなずき合った。


「くだらぬ」  

 兄が嘲笑を浮かべ、胸を張って言葉を続けた。

「父は私に、黄金の杯を与えてくださったのだ。王侯貴族の饗宴にも劣らぬ輝きを持つ杯を、私にだけ……『お前こそ、この家を継ぐ者だ』と示されたのだ!」


 その言葉に群衆がざわめいた。ある農夫が声を上げる。

「そんなもの、見たことがないぞ!」


 別の者も続いた。

「あの家に黄金の杯など、なかったはずだ!」


 群衆の声は次第に大きくなり、兄の顔色がみるみる赤く染まっていく。彼は必死に言葉を重ねた。

「ある! 確かにあったのだ! 父は……私にだけ……!」


 私は玉座から立ち上がり、冷ややかな声を放った。


「存在しない宝を記憶に混ぜ、虚偽で飾るか。父の誓いさえ、己の欲で歪めるつもりか」


 その一言は鋭い刃のように響き渡り、玉座の間の空気を切り裂いた。群衆は一斉に沈黙し、兄の視線は私の冷たい瞳に釘付けにされた。


 玉座の間は騒然となっていた。群衆のあちこちから「そんな黄金の杯はなかった!」「作り話だ!」と声が飛び交い、そのざわめきが石造りの天井に反響していた。嘲笑と怒りが混ざり合う空気の中、兄は顔を紅潮させ、必死に叫んだ。


「嘘ではない! 父は確かに私に託したのだ! あの杯こそ、我が家の証なのだ!」


 だがその声は焦りに濁り、群衆の怒りを静めるどころか、さらに煽るばかりだった。人々の視線は冷たく、弟でさえも兄を見据える目に疑念と悲しみを宿していた。


 私は玉座の上から静かにその様子を見つめていた。長い沈黙の後、ゆるやかに片手を上げ、言葉を落とす。


「真実を暴け」


 その瞬間、重苦しい鎧の音を響かせてガレスが前に進み出た。彼の靴音が石畳に響くたび、群衆の息は浅くなり、ざわめきは収束していった。ガレスの手には鉄の光を放つ拷問器具が握られている。口をこじ開ける鉤爪、指を締め上げる鉄環……見る者の背筋を凍らせるものばかりだ。


「や、やめろ……! 私は、私は父に託されたのだ!」


 兄は必死に後ずさるが、兵たちに肩を押さえられ、逃げ場はなかった。額には玉のような汗が浮かび、唇は震え、目は恐怖に見開かれていた。ガレスが器具を鳴らし、低く告げる。


「吐け。今ここで真実を。でなければ肉ごと削り取る」


「ひっ……!」


 兄の顔は蒼白になり、声にならない呻きが喉奥で絡まった。群衆は固唾を呑み、静寂の中でその一瞬を見守る。耐え切れぬ沈黙が続いた後、兄は突如として崩れ落ちるように叫んだ。


「わ、私が……隠した! 父の宝を、すべて……!」


 その告白は玉座の間を震わせ、群衆から一斉に怒号が上がった。

「血を裏切った!」

「恥知らずめ!」と罵声が飛び、怒りの渦が兄を飲み込んでいった。


 兄の口からさらなる自白が漏れた。汗と涙で濡れた顔を歪ませ、絞り出すように声を上げる。 「父は……兄弟仲良く分け合えと、そう言ったのだ……! だが、私は……すべてを独り占めにしたかった……!」


 その告白は玉座の間を鋭く切り裂いた。群衆の間に怒号が響き渡る。

「血を裏切った!」

「恥を知れ!」


 民衆の罵声が石壁に反響し、空気そのものが憤怒で震えていた。弟は顔をくしゃくしゃにして膝をつき、嗚咽混じりに叫ぶ。

「父上の思いを……どうして……! どうして裏切ったのです、兄上!」


 兄は顔を覆い、歯を食いしばりながらも涙声でうめく。

「私は……どうしても、すべてを自分のものにしたかった……弟よ、お前には渡したくなかったのだ……!」


 そのとき、静かに進み出たのは女官長セラフィナだった。長衣を揺らしながら恭しく一礼し、手にした帳簿と木箱を玉座に掲げる。その声は揺るぎなく澄み切っていた。

「これこそ、陛下がお疑いになった証にございます。帳簿には兄が隠した金の流れが、そしてこの箱には奪われた宝が収められております」


 実際のところ、貧しい農民の家にそもそも遺産などない。あるのは痩せた土地だけ、売ったところで銀貨数枚。それさえも弟と分け合う事が出来ない兄の強欲……ガレスの恐怖によって虚偽を自白するシナリオ通りに進み私は満足した。遺産は私の私物なのだから……。


 布が取り払われ、煌めきを失ったはずの宝が晒された瞬間、群衆は一気に爆ぜた。

「裏切り者!」「家の恥さらし!」と罵声が飛び交い、誰もが拳を振り上げる。弟はその場に崩れ落ち、涙に濡れた目を父の名を呼ぶように天へと向けた。

「父上……どうか見ていてください……兄は、もう……」


 兄は震える手で床を叩きながら、掠れ声で呻いた。

「違う……私は……ただ……金の力で……認められたかった……!」


 私は玉座からゆるやかに立ち上がり、長衣の裾が石床を擦る音が広間に静かに響いた。その瞬間、ざわめきは収まり、空気が張り詰める。私の視線は冷たく、逃れられぬ刃のように兄を射抜いた。


「家族を欺いた罪は、王国を欺いた罪に等しい」


 その声は低く抑えられながらも、まるで大聖堂の鐘のごとく玉座の間全体を震わせた。群衆は息を呑み、誰もがその響きを胸に刻んだ。


 私はさらに一歩前へ進み、冷酷な微笑を浮かべながら言葉を重ねた。

「お前の血と家は、炎によって裁かれるのだ」


 兄は蒼白な顔で口を開きかけたが、声は震えて言葉にならない。群衆は喝采と怒声を同時に上げ、断罪の熱狂は広間を揺らし、兄の運命は炎の裁きに委ねられた。



 広場には不吉な夕暮れの赤が降り注ぎ、石畳は血のように染まっていた。風が吹き抜け、屋敷の前に積まれた薪をかすかに揺らす。その音は、これから訪れる炎の咆哮を予感させるようであった。縄で縛られた兄は、兵に両脇を抱えられ、死の舞台へと引き立てられていく。群衆は押し寄せ、息を呑み、目を逸らせぬままその光景を凝視していた。


「陛下……どうか……!」  弟が前に進み出て、涙に濡れた顔を上げた。声は震え、必死に私へと縋る。 「兄は酷い男でした……父の遺志を裏切り、私を欺きました……ですが、それでも……父の血を分けた兄なのです。どうか……どうかご慈悲を……!」


 その声には、まだ兄弟の情を捨てきれぬ痛切な響きがあった。群衆の中には嗚咽を漏らす者もいたが、大半は「許すな」と怒りに燃えている。弟はそれでも必死に、最後の望みを私に託していた。


 私はゆるやかに歩み出て、彼に近づいた。群衆は一斉に息を飲み、慈悲深き女王の姿をそこに見た。私は微笑みを浮かべ、弟の瞳を優しく覗き込んだ。 「よく言ったな、弟よ。血の情を忘れぬその心は、美しい」


 その瞬間、弟の顔にわずかな希望の光が差した。声にならぬ安堵が彼の喉から漏れ、肩の震えが小さく収まっていく。


 だが私は、次の瞬間、冷たく視線を逸らした。弟の願いは虚空に投げ捨てられ、私はそのまま彼の傍らを通り過ぎる。希望の光は残酷に断たれ、弟の瞳は絶望の色に染まった。声を上げることさえできず、ただ押し殺した嗚咽が彼の胸から漏れた。


(……この王国に住む者たちは皆、かつて私を火あぶりにした者どもの末裔。血の情など、私にとって何の意味もない)


 私の内心に宿る炎は、弟の祈りを一瞬で灰に変えた。


 兵が松明を掲げ、薪に火が放たれた。乾いた木がぱちりと爆ぜ、次の瞬間にはぼうっと炎が立ち上がる。赤橙の舌が闇を裂き、屋敷の壁に這い登っていく。木造の梁が軋みを上げ、轟音と共に炎が屋敷全体を包み込んだ。


「やめろおおお! 助けてくれ!」  兄は縄で縛られたまま、必死に身をよじった。だが炎は容赦なく迫り、熱風が肌を焼き、髪を焦がす。瞬く間に衣が燃え上がり、焦げた匂いと絶叫が広場に満ちた。肉が焼ける音が混じり、群衆は恐怖に凍りつきながらも、その断罪の光景から目を逸らせなかった。


 屋敷の窓が爆ぜ、炎が獣のように吹き出す。兄は火柱の中で暴れ、縄に擦れた腕の皮膚が裂け、黒く焦げていく。声は次第に言葉を失い、ただ獣の悲鳴のような咆哮が夜空に響いた。


 火の粉が宙に舞い、夜空の闇に散った。群衆の顔は赤く照らされ、恐怖と熱狂の狭間で揺れていた。誰もが胸の奥に震えを抱えながらも、この裁きの瞬間を「正義」として目に焼き付けようとしていた。


 弟は涙に濡れた顔で両手を胸に当て、声を震わせて呟いた。 「これが……父の裁きなのですね……」


 私はその言葉を背に受け、唇の端に冷たい嗤いを浮かべた。 (血の絆さえ、私の炎の前では灰に帰すのだ)


 燃え落ちる屋敷の炎に照らされ、群衆の瞳に映っていたのは、慈悲深き女王の姿ではなかった。そこにあったのは、断罪の炎を操り、人々の魂を焼き尽くす女王――私、モルガーナの姿であった。

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