「断罪1:花嫁の訴え――誓いは嘘となり、虚偽の舌は炎に沈む」
玉座の間は緊張とざわめきに包まれていた。高い天井から吊るされた燭台が炎を揺らし、壁に飾られた豪奢な織り模様のタペストリーが重々しい光を放つ。群衆は列を成し、息を潜めながら裁きの舞台を見つめていた。
玉座に腰掛ける私は、静かに群衆を見渡した。前に進み出たのは、まだ幼さを残す若い娘。涙に濡れた瞳を伏せ、震える声で訴えを始めた。
「お、お許しください……陛下。私の婚約者が……他の女と……浮気をしているのです」
娘の声は細く、けれど必死に響いた。彼女は拳を胸に当て、震える唇を噛みしめながら続ける。
「ですが……彼は誓って否定するのです。私の心が弱いだけだと……私を狂人のように扱うのです……」
群衆の間にざわめきが広がる。人々は互いに顔を見合わせ、娘の言葉に耳を傾けた。
次に進み出たのは、背筋を伸ばした若い男。娘の婚約者だ。彼は堂々とした態度を取り、視線を逸らさずに私へと頭を垂れた。
「陛下、この者は思い込みで騒いでいるだけにございます。浮気など、証拠もなくただの妄言です。私は潔白にございます」
彼の声は自信に満ち、群衆の中に「なるほど」と頷く者も現れる。だが娘は必死に首を振った。
「違います! あの人は嘘をついています! 私にはわかるのです……!」
嗚咽混じりの声が玉座の間に響き、空気は一層重くなった。人々の間から「どちらが真実なのか」「婚約者の誓いを疑うのか」と囁きが広がる。
私は慈愛の微笑を浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
「泣かなくてよい、娘よ。真実は必ず明らかになる」
その声に群衆のざわめきが静まった。私はゆっくりと立ち上がり、娘と男を見下ろす。
「この場は、偽りを暴き、真実を照らすためにある。……さあ、あなたたちの心に隠されたものを、ここで明らかにしましょう」
その言葉は穏やかでありながら、玉座の間に張り詰めた緊張をさらに強めていった。
玉座の間に静寂が訪れた。私は娘に向かって手を差し伸べ、優しく促した。
「娘よ……心に残るその時を、ここで語ってみなさい」
娘は涙に濡れた瞳で私を仰ぎ、震える声で口を開いた。 「最初に……あの人が花冠を贈ってくれた夜のことを、私は忘れておりません。村の祭りの夜、皆の前で……『お前だけを生涯愛す』と、そう誓ってくださったのです」
その言葉に群衆の間からどよめきが広がった。娘の震える声には切実さと真実が宿り、その姿は哀れでありながらも人々の心を揺さぶった。侍女の一人が思わず涙を拭い、老臣が眉をひそめてうなずいた。
私はその姿を見つめながら、胸の奥でひそかに苦笑を浮かべた。花冠、愛の誓い、裏切り――すべてが三百年前の自分と重なる。だが彼女は火あぶりにされることなく、こうして訴えを口にできている。それだけでも救いがあるのかもしれない、と冷ややかに思う。
「嘘だ!」 男が声を荒らげ、拳を握りしめた。「そんな約束をした覚えはない!」
その瞬間、群衆の中から声が上がる。「私は見たぞ! 祭りの夜、殿が彼女に花冠をかぶせたのを! 皆の前で誓ったではないか!」
ざわめきが広がり、男の顔色が揺らぐ。だが彼はなおも強弁した。「花冠など贈った覚えはない!」
私はゆっくりと片手を上げた。その合図に従い、女官長セラフィナが進み出る。彼女は布に包まれたものを恭しく差し出し、布を開いた。そこには、枯れながらも形を残す花冠が収められていた。それは私がセラフィナに作らせた花冠。だが断罪劇を望む民衆達に本物かどうか見極める目を持ってはいない。
「これは……」 娘が息を呑み、手を震わせて口元を押さえた。「まさしく……あの夜にいただいた花冠……!」
群衆は騒然となり、嘘を重ねる男に疑念の視線を注ぐ。ざわめきの中で私は静かに立ち上がり、冷ややかな眼差しで男を見下ろした。
「誓いを立て、花冠を贈り、それを虚偽と塗り替えたのか。愛の言葉を弄んだ者よ、真実の光の下でなお言い逃れができるのか」
私の言葉に、玉座の間は再び静まり返った。娘のすすり泣きと、男の荒い息遣いだけが響いていた。
玉座の間に漂う空気が一変した。私はゆるやかに腰を上げ、慈愛を装った笑みを消し、冷えた声をさらに響かせる。
「婚約者に誓った甘い言葉……それを嘘で塗り固め、なおも否定するのか」
男は蒼白になり、慌てて頭を下げた。 「い、いいえ陛下! 私は……本当に浮気などしておりません!」
その声は必死だったが、震えと狼狽が隠せない。群衆の中から「嘘だ」「誓いを破ったのか」と怒りのざわめきが広がる。私は片手を掲げ、背後に控えるガレスに目をやった。
「真実を引き出してやりなさい」
近衛兵長ガレスが前に進み出た。長身の影が男に覆いかぶさり、冷たい鉄の手が肩を掴む。男の体は小刻みに震え、逃げようと足を後ずさるが、がっしりとした腕に逃げ場を奪われた。
「やめろ! 本当に何もしていない! 私は――」
言葉は悲鳴に変わった。ガレスが鋼の手袋をはめ直し、低い声で囁いた。 「名を吐け。でなければ舌を引き裂く」
男の目に恐怖が広がり、やがて崩れるように叫んだ。 「わ、わかった! ミリア……村の女だ! 何度か会った! だが、だがそれだけで……!」
その瞬間、群衆の中に怒号が轟いた。「裏切り者だ!」「誓いを嘲ったのか!」人々の憤りは炎のように広がり、娘はすすり泣きながら顔を覆った。
私は玉座の上から男を見下ろし、冷然と告げた。
「誓いを嘲る者に、舌は不要」
その宣告は鋭い刃のように響き渡り、玉座の間を震わせた。群衆の怒声は嵐となり、男の絶望の瞳がその波に飲まれていった。
玉座の間に重苦しい沈黙が降りた。群衆の息遣いすら凍りつく中、男は必死にもがいていた。汗と血で濡れた顔を歪め、縄に縛られた身体を震わせながら、意味をなさぬ声を必死に吐き出す。
「ひっ……ひぃ……! ゆ、許してくれ……私は……!」
だがその声はもはや誰の心にも届かない。私は玉座からゆるやかに立ち上がり、冷ややかに告げた。
「虚偽の誓いを吐く舌は、もはや不要」
私の言葉に従い、ガレスが一歩前に出る。鎧がきしむ音と共に、彼は鉄製の器具を手に取った。口をこじ開けるための鉤爪が、蝋燭の炎に鈍く光る。群衆の中から小さな悲鳴が漏れ、娘は両手で顔を覆ったが、その指の隙間からは固く目を見開いた視線が覗いていた。
「や、やめろ……! 私は……! ひぃっ!」
男の口に器具が押し込まれ、顎がこじ開けられる。呻きと涎が溢れ、必死に首を振るが、ガレスの腕は岩のように揺るがない。鋼の鉗子が舌を捕らえた瞬間、群衆は息を呑んだ。
「うぐぅぅ……っ! んがぁぁぁ!」
次の刹那、肉が裂ける鈍い音と共に、鮮血が飛び散った。男の断末魔の叫びが響き渡り、群衆の悲鳴と怒号が重なって玉座の間を揺るがした。抜き取られた舌は床に叩きつけられ、赤黒い痕を残して転がる。
「これが誓いを嘲った者の末路」
私は冷然と宣言し、群衆を見渡した。誰もが恐怖に支配され、同時に正義の執行に喝采を送りたい衝動に駆られている。その矛盾した感情が渦巻く空間こそ、私の支配する舞台だった。
舌を失い絶叫を繰り返す男は、断罪のために事前に用意された広場へと引き立てられた。玉座の間の裁きは終わり、ここから先は民衆の眼前での公開刑だ。夜風が冷たく吹き抜け、火刑台の杭にはすでに縄が垂らされ、周囲には積み上げられた薪が待ち構えていた。
「虚偽の誓いは、炎で浄めなさい」
私の宣告が広場に響き渡ると、群衆の喉からどよめきが漏れた。火打ち石の乾いた音が続き、次の瞬間には薪に火が移った。ぱちぱちと爆ぜる音と共に炎が立ち上り、瞬く間に男を包んでいく。赤橙の舌が宙を舞い、夜空を背景にして群衆の顔を赤々と照らし出した。
「ひっ……ぁぁ……! うぐぅぅ!」
血と涎にまみれた叫びはもはや言葉にならず、炎に焼かれた肉の匂いが広場全体を覆った。人々の目は恐怖と陶酔に揺れ、嗚咽や悲鳴があちこちから上がる。だがその場を支配していたのは、燃え上がる炎と、断罪の絶叫だった。
杭に縛られた男の身体が必死にのたうち、鎖の軋む音が耳を刺す。群衆はそのたびに肩を震わせ、誰もが自分の喉元に冷たい刃を突きつけられたかのように息を詰めていた。
その中で、ひとりの娘が震える唇を開いた。涙に濡れた頬を押さえ、胸に手を当てながら小さな声で呟く。
「ありがとう……陛下……」
その声は炎と悲鳴にかき消されそうでありながら、確かに私の耳に届いた。私はゆるやかに視線を娘に向け、そしてわずかに唇の端を歪めた。
(愛は毒、誓いは呪い。すべては私の断罪で滅ぶのだ)
炎はますます勢いを増し、断罪の舞台を照らし出す。群衆の瞳に映るのは、慈悲の女王ではなく、冷酷に微笑む裁きの女王――私、モルガーナの姿だった。




