「断罪女王、即位の刻 PART2」
秋の森は黄金色に染まり、朝霧が漂う湖畔は冷たい光を反射していた。角笛が鳴り響き、騎馬の群れがざわめきを上げながら進んでいく。王都の恒例行事――狩猟祭。貴族たちは華やかな衣装をまとい、笑い声と共に獲物を追っていた。
「見よ! 今日も獲物はすべて俺のものだ!」
王子レオンは馬上で誇らしげに叫び、杯を掲げるかのように弓を持ち上げた。その頬は紅潮し、目は虚勢を張ったように輝いている。
「殿下、どうかご無理はなさらず……」
一人の侍従が声をかけると、レオンは豪快に笑い、侍従の言葉を払いのけた。
「黙れ! 俺は未来の王だぞ。誰が俺を止められる!」
周囲の貴族たちは目を逸らし、ささやき声を交わした。
「また始まった……」
「酔っているのではないか……」
私は天幕の奥からその光景を眺めていた。薄い幕越しに、湖畔の揺らめきとレオンの昂った声が重なる。隣にはガレスが控え、無言のまま視線を湖に落とす。
「時が来たわね」
私が囁くと、ガレスはただ一度頷き、森の影へと歩み去った。
その瞬間、鹿の群れが木々の間から姿を現した。群衆が息を呑み、レオンは得意げに弓を引き絞った。
「見ていろ! これが王の矢だ!」
だが、彼が矢を放つより先に、別の矢が空を裂いた。鋭い音と共に、毒を仕込んだ矢羽がレオンの胸を貫いた。
「ぐっ……! な、何だ……!」
赤い染みが衣に広がり、レオンは鞍からずり落ちる。湖畔の水面が波打ち、彼の体がずぶりと沈んだ。
「殿下!」
「殿下が……!」
人々が駆け寄る中、最初に飛び込んだのはガレスだった。彼は声を張り上げる。
「下がれ! 私が助ける!」
そう叫ぶと、彼はレオンの体を抱きかかえ、水面へと引き寄せた。胸の矢を抜こうとする振りをしながら、その顔を冷たい水に押し込む。
「ごぼっ……! はっ……! た、助け……」
水面が激しく泡立ち、レオンのもがく声が水中に溶けていく。群衆は叫び声を上げたが、誰も彼を助ける勇気を持たなかった。
「殿下が……湖に……!」
「事故だ! 湖に落ちて……!」
やがて水は静まり、ガレスは力なく崩れたレオンの体を引き上げた。顔色を失った王子の姿に、群衆は絶望と困惑のざわめきを広げる。
私は幕の奥で、ひとり冷ややかに微笑んだ。
(冠を載せてくれたあの手が、今は泥に沈む……。お前は最初の供物。王家を滅ぼす道は、ここから始まる)
王子を失った後の王城は、重苦しい空気に包まれていた。玉座の間に響く老王の声は、かつての威厳を失い、掠れた叫びとなってこだましていた。
「なぜだ……! なぜ私から息子を奪ったのだ!」
玉座に崩れるように座り込む王の顔は紅潮し、額からは汗が滴っていた。臣下たちは互いに目を伏せ、誰ひとり声をかけようとはしない。かつては威厳と冷静さを誇った王が、今は怒りと恐怖に支配されている。その姿を前に、彼らの胸に芽生えるのは忠誠ではなく、深い不安だった。
「陛下……どうかお心をお鎮めください」 老臣の一人が進み出て言葉を投げかける。しかし王はその声を遮った。
「黙れ! お前たちが息子を守れなかったのだ! 皆、裏切り者だ!」
その怒号に臣下たちはひれ伏し、玉座の間は沈黙に包まれた。私は背後からその光景を見つめ、唇にわずかな微笑を刻む。王はすでに弱っている――私が望む方向に傾いていた。
夜更け、私はセラフィナを自室に呼び寄せた。重い扉を閉めると、彼女は跪いて声を潜める。
「……お呼びでしょうか、奥さま」
「ええ、セラフィナ。王の食事に薬草を混ぜなさい。ほんの少しでいいわ。体を癒すように見せかけて、じわじわと蝕むものを」
セラフィナはわずかに表情を曇らせたが、すぐに忠誠の色を瞳に宿し、静かに頷いた。
「御意にございます」
彼女の細い指が震えながらも迷いなく誓う姿を見て、私は確信した。王の命運はもう私の手の内にあると。
さらに私はガレスを呼び寄せた。回廊の薄暗がりに佇む彼の影は、剣のように鋭い気配を纏っていた。
「ガレス……臣下にささやきなさい。『王は判断を誤り続けている』と」
彼は寡黙に頷き、低い声で応えた。
「承知いたしました」
数日のうちに噂は広まり、臣下たちの間に動揺が走った。王の言葉は次第に乱れ、玉座で意味を成さぬ命令を繰り返すようになった。民もまた、広場で囁き合うようになった。「王は老い衰え、狂気に囚われた」と。
「なぜ皆、私の言葉を信じぬのだ! 私は王だぞ!」
王の叫びは虚しく響き、臣下は怯え、民は背を向けた。苛立ちに駆られた王は、忠臣に暴言を吐き、時には杖を振り上げて追い払うことさえあった。その姿はやがて「暴君」としての印象を植え付け、人々の心に恐怖と嫌悪を残すこととなった。
(よい……その名が広がれば広がるほど、王家は自ら崩れていく。私はただ、その糸を操るだけでいいのだ)
私は静かに瞳を伏せ、王の崩壊を見届けることに、確かな愉悦を覚えていた。
深夜の王城は、不吉な静けさに包まれていた。王の寝室には香油と薬草の匂いが濃く漂い、重苦しい空気が張り詰めている。燭台の炎が揺れ、床に映る影は歪み、病に倒れた老王の荒い息遣いが室内を支配していた。
「皆が……皆が私を裏切る……!」
王は寝台の上で汗にまみれ、虚ろな目を天井に向けて呻いた。布団を握り締める指先は白く、体は震え、時折、狂気じみた叫びを上げる。その声に侍従たちは怯え、互いに視線を交わしては首を振るばかりだった。
「陛下……どうかお静まりくださいませ」 侍従の一人が震える声で言うと、王は血走った目で睨みつけ、掠れた声で怒鳴った。 「黙れ! お前も私を裏切るつもりだろう!」
侍従は蒼白になり、床にひれ伏した。私はその光景を背後から見つめ、わざと目に涙を浮かべた。静かに歩み寄り、王の寝台の脇に跪く。
「陛下……どうかご安心ください。私は、私はどこまでもお傍におります……。お命を守らねば……」
その声に、侍従たちの目には慈悲深き妃の姿が映った。彼らは胸を撫で下ろし、安堵のため息を漏らす。私は嗚咽を装いながらも、心の奥底では冷笑を押し殺していた。
裏ではすでに手が回っていた。ガレスは王に仕えていた側近たちをひとりずつ排除し、逆らう者を遠ざけ、沈黙を強いた。セラフィナは薬に混ぜる成分を増やし、王の体を内側から削り取る。老王は日ごとに衰え、言葉は乱れ、心は壊れていった。
「誰も……信じられぬ……皆、敵だ……」
虚ろな声を最後に、王の体から力が抜けた。侍従たちの悲鳴が上がり、部屋は混乱に包まれる。私は両手で顔を覆い、涙に震える声を絞り出した。
「なんということ……陛下が……!」
翌朝、王の死は「病死」として公に発表された。民は悲しみ、臣下は沈痛な面持ちを装った。しかし真実を知る者は、私の側にいる者たちだけだった。毒と疑心暗鬼に追い詰められた末の暗殺――それが真実だ。
私は喪に服する衣を纏い、玉座の前で深く頭を垂れた。人々の前では涙を流し、慈愛に満ちた未亡人を演じる。だがその胸の奥では、炎のような笑みが広がっていた。
(王家の柱は折れた……残るは、この国そのものを私の裁きで塗り替えるだけ)
鐘の音が重々しく鳴り響く大聖堂。その音は石造りの天井に反響し、群衆の胸を震わせていた。花で飾られた柱の間を埋め尽くす民衆は、熱に浮かされたような表情で祭壇を見上げている。私の頭上には白銀の冠が置かれ、その重みが額に食い込んでいた。
「女王陛下万歳!」
誰かの叫びが合図となり、歓声が嵐のように押し寄せる。涙を流す者、祈りを捧げる者、抱き合い喜ぶ者。彼らの瞳は希望に満ち、私を慈愛の女王として崇めている。その視線の温かさに、私は穏やかな微笑みを浮かべ、手を広げて応じた。
「皆の者、聞きなさい」
声は澄み渡り、大聖堂の隅々まで響いた。群衆は一斉に静まり返り、私の次の言葉を待っている。
「私はこの国を導く女王として、慈悲と正義をもって汝らを守ろう」
群衆は再び歓声を上げ、「女王万歳!」と叫んだ。祈りの声が天へと昇り、涙と歓喜が渦を巻く。だがその熱狂の中で、私は心の奥で冷たく嗤っていた。
(慈悲と正義……笑わせる。三百年の恨みを、今こそこの手で晴らす。王家は滅びた。残るは、この国に生きる者一人一人を断罪するだけ)
私の視線は群衆を見渡しながら、彼らの背後に潜む影を探していた。裏切り、嫉妬、欲望、欺瞞――そのすべてが私の糧。人々はそれを知らず、歓喜の渦に身を投じている。無垢な笑顔ほど、裁きの炎にくべるに相応しいものはない。
「陛下……お慕い申し上げます!」 最前列にいた若い娘が声を張り上げた。その目は純粋な敬愛に輝いていた。私は微笑を返し、頷いた。だが胸の奥で呟くのは別の言葉だった。
(いいわ……まずはその純粋さから壊してあげる。甘い恋も、誓いも、すべて呪いに変えてやる)
群衆の熱狂に隠れ、私はひそかに過去を思い出す。前王妃――表向きには悲嘆のあまり自死したとされた。だが真実は、ガレスに命じて首を吊らせた。王を失い孤独に沈んだ女は、静かに涙と共に歴史から消えたのだ。人々は「悲劇の妃」と語るだろう。しかし私にとって彼女は、ただの獲物にすぎなかった。
私は群衆に向かい、再び声を上げた。 「この国の掟は、今より私の裁きによって刻まれる!」
轟くような喝采が大聖堂を揺らした。群衆は涙に濡れた顔で「女王陛下万歳!」と叫ぶ。その熱狂を浴びながら、私は冷ややかに心の奥で嗤った。
(これより先、誰ひとり逃れられぬ。私は断罪女王――この国に生きる者すべてを、罪の名のもとに裁き、滅ぼすのだから)




