「断罪女王、即位の刻 PART1」
王都レガリアの大聖堂には、重厚な鐘の音が幾重にも響き渡っていた。石造りの高い天井から吊り下げられたシャンデリアが無数の光を放ち、荘厳な赤い絨毯の上を私はゆっくりと歩む。群衆は両脇に押し寄せ、息を呑んで私の姿を見つめていた。
肩にかかるのは金糸を織り込んだ深紅のマント。胸元には漆黒の宝石が輝き、髪には白銀の冠が差し込まれている。豪奢な衣装が私を包むたびに、かつての農夫の娘であった自分が幻であったかのように錯覚させる。だが、胸の奥で燃える炎は、あの日と変わらず私を突き動かしていた。
私は王冠に手を触れる。その冷たい金属の感触が、記憶の奥底に眠る柔らかな花冠を呼び覚ます。かつて麦畑の中で、愛を信じて頭に載せられた小さな花冠。陽光に透けた花びらは儚く、指先で触れれば散ってしまうほどに脆かった。だが今、私の頭を飾るのは、血と呪いに塗れた冠。愛の証は灰となり、代わりに復讐の象徴が私を締め付ける。
聖堂の中央、玉座が鎮座する段上へと進み出ると、司祭が威厳ある声で告げた。 「この日より、モルガーナ=ヴェスペリアを我らが新たなる女王と仰ぐ!」
王冠が私の頭上に置かれた瞬間、轟くような歓声が大聖堂を揺らした。「女王万歳!」「新しき時代を!」という叫びが、まるで嵐のように押し寄せる。群衆は涙を流し、祈りを捧げ、誰もが希望に満ちた表情を浮かべていた。
――だが、私は知っている。この歓声は過去の叫びと裏表であることを。三百年前、杭に縛られた私を取り囲んだ人々は「魔女を焼け!」と声を揃え、炎を歓喜と共に煽った。あの時の熱狂も、この時の熱狂も、何ひとつ変わらない。群衆はただその時々の支配者に酔い、歓声を上げる獣の群れにすぎないのだ。
その熱狂の中で、私は冷たい瞳を伏せた。彼らが知らぬ真実を、私だけが胸に抱いている。王子は甘言と陰謀で堕とし、老王は毒と讒言で葬った。王妃は孤立の果てに自ら命を絶った。王家はもはや存在しない。すべて、私が手を下したのだ。
(王家は滅びた。花冠を捨てた私に残されたのは、この呪いの冠。今日からこの国の掟は、私の裁き)
群衆に向けて慈愛の微笑を浮かべながら、心の奥では暗く嗤う。三百年の時を越え、ようやくこの瞬間が訪れたのだ。
■
一年前の夜会。王都レガリアの宮廷は、光と音と匂いが渦を巻いていた。大広間の天井から吊るされたシャンデリアは幾千もの炎を映し、磨かれた床に踊る影を落としている。香水と葡萄酒の匂いが入り混じり、絹の裾がすれ違うたびに囁き声と笑いが飛び交った。
王子レオンは、その中心で笑っていた。誇らしげに杯を掲げ、集う女たちの手を一人ひとり取っては口づけていく。私がその隣にいることなど、意にも介さないように。彼の傲慢な笑みと軽々しい振る舞いに、視線を交わした貴族たちは小さく眉をひそめていた。
「殿下、もうお飲みすぎですわ」
侍女が恐る恐る声をかけると、レオンは豪快に笑ってその肩を抱き寄せた。
「何を言う。未来の王が杯を重ねて何が悪い。お前も飲め」
侍女の顔が羞恥に赤く染まり、周囲の視線がざわめきを帯びる。その光景を、私は微笑を浮かべて見守っていた。止めるどころか、わざと一歩退き、あえてその場面を際立たせるようにしたのだ。
「殿下のお姿こそ、この国の未来を照らす光……」
私はそっと囁いた。声は甘く、しかし意図は冷酷だった。レオンはその言葉にさらに気を良くし、杯を干して笑い声を広げる。女たちは彼に手を引かれ、踊りの輪に加わっていく。王妃の前で侍女や他家の娘を抱き寄せるその姿は、節操のなさそのものだった。
(いいわ……。これで誰の目にも明らかになる。王子は軽薄で女好き、権力を笠に着た放蕩者だと)
広間の片隅では、忠臣たちが目を伏せ、互いに重苦しい沈黙を交わしていた。誰もが口には出さないが、心の中では同じ言葉を呟いているのだろう。
「この男に国を任せてよいのか」と。
私は杯を口に運びながら、瞳の奥で静かに笑った。甘言と快楽ほど、男を滅ぼす毒はない。その毒を注ぐのは、この私なのだから。
王宮の回廊は、昼の華やかさを失い、静寂に包まれていた。月明かりが長い石畳を照らし、壁に並ぶ燭台の炎がほのかに揺れている。遠くから舞踏会の余韻の笑い声がかすかに届くが、ここには誰一人として姿はなかった。
私はマントを纏い、回廊の影に立つ大柄な男を見つめた。近衛兵長ガレス。彼は無言で片膝をつき、硬い眼差しを私に向けている。
「ガレス……」
私は囁くように声を落とし、彼の耳元に近づいた。
「王子の乱行を正すには、新たな忠誠を示す者が必要。いずれ近衛兵団を再編するわ。その時は、あなたに全権を」
ガレスは短く息を吐き、言葉を返さぬまま深く頷いた。わずかに目を細めたその顔には、冷たい決意が浮かんでいた。感情を隠しながらも、心の奥に硬質な忠誠の火が燃えているのが見て取れる。その頷きに、私は確信した。この男は私の意志を遂行する刃となる、と。
王子を皆に暴君と意図的に思わせるまでの道筋は意外と予想通りに進んだ。皆は私が仕組んだ罠に簡単に騙され続けたから。
最初は囁きから始めた。私は臣下たちにささやき、王子の決断に疑念を抱かせた。舞踏会での振る舞い、狩猟祭での軽薄な姿――それらを誇張し、彼の評判を貶める言葉を広めた。
「殿下は夜ごと酒に溺れ、侍女を側に侍らせて夜を過ごしていると噂されております」 「お優しい王子だと思っていたが……」
臣下たちの目に、レオンは次第に軽薄な男として映るようになった。私はその反応を陰で見守りながら、唇に冷たい笑みを浮かべていた。
次に仕掛けたのは、忠臣を遠ざける策だった。密かに偽りの密告を流し、王子の周囲に疑念を植え付けたのだ。
「殿下、あの家臣は裏で他の貴族と通じているようです」 「なに……? 許せぬ!」
疑心暗鬼に囚われたレオンは、自らの手で忠臣を遠ざけた。やがて臣下は次々と宮廷を去り、残ったのは己の欲望に従う者たちばかり。彼は孤立し、苛立ちを募らせ、やがて私にさえ荒々しい声を投げかけるようになった。
「なぜだ! なぜ皆、俺を避ける!」
私は伏し目がちに微笑み、静かに答えた。 「殿下は何も悪くございません。悪いのは、裏切る者たちなのです」
その一言は、炎に油を注ぐようなものだった。レオンはますます人を疑い、冷酷に命を奪うようになった。臣下たちは恐れ、彼を「暴君」と呼び始めた。だがその暴君の影を作り出したのは、他ならぬこの私自身。
(いい……その名こそ、王家を地に堕とす印。私の手で滅びへと導くための舞台装置)
そして私は今も覚えている。群衆が囁くその声を。 「王子は狂った……暴君だ」
その声を背に、私は静かに微笑み、己の陰謀が実を結んでいくのを楽しんでいた。
やがて、王子の周囲から忠臣たちが次々と離れていった。放蕩の噂と女遊びに失望しただけでなく、彼自身が疑心暗鬼に陥り、自分を避ける者を次々に処刑するという暴挙に出たからだ。信頼していたはずの臣下を断罪し、血に塗れた王子の手は、やがて誰からも差し伸べられなくなっていった。残されたのは、快楽と利得に群がる取り巻きばかり。彼の足元は、気づかぬうちに腐り落ちていた。
「なぜ皆、俺を避けるのだ!」
レオンは苛立ちを募らせ、私の前でも拳を振り上げるような勢いで荒々しく叫んだ。
「お前まで俺を馬鹿にしているのか、王妃!」
その声には焦燥と恐怖が滲んでいた。私は瞳を伏せ、あえてため息をひとつ吐き、静かに言葉を投げかけた。
「殿下は何も悪くありませんわ。悪いのは、裏切る者たち……殿下に背を向ける愚か者たちなのです」
火に油を注ぐその一言に、レオンの目がぎらりと光る。怒りと自尊心に突き動かされ、彼はさらに多くの者を疑い、遠ざけるだろう。それこそが、私が望んでいる道筋だった。
私はただ静かに彼を見返した。その姿を映す彼の目に、自らの影が映り込む。沈黙と微笑が、彼を追い詰める鎖となる。
(最期の幕が近い。王子はもう駒にすぎない)
私は唇に微笑を浮かべ、言葉を重ねなかった。ただ、その微笑の奥に潜む意思が、確実に彼を奈落へと誘っていた。




