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「愛は炎となり、誓いは裏切りへと変わり、花冠は灰に散る――魔女と呼ばれた娘」

 麦畑の風はやわらかく、陽に透けた黄金色の穂が揺れていた。私――リディアは籠いっぱいに摘んだ花を胸に抱え、農夫の青年トマスに笑みを向けた。


「今日はこんなにたくさん咲いていたの。ほら、あなたの好きな色の花も見つけたわ」


 トマスはごつごつとした指で花を受け取り、少し照れたように頭を掻いた。


「リディア、お前は本当に花の妖精みたいだ。俺が育てる小麦なんかより、ずっときれいだ」


「そんなことないわ。あなたの小麦畑があるから、私の花も輝くのよ」


 夜ごとふたりは小川のほとりに腰を下ろし、未来の夢を語り合った。私は野に咲く花冠を編み、彼は不器用にそれを頭へと載せる。花の冠がずれて落ちそうになると、彼は笑いながら私の額を指でそっと押さえた。


「リディア、俺たちはずっと一緒にいるんだ。お前となら、貧しくても笑って暮らしていける」


「ええ、私もよ。あなたがそばにいるなら、それで幸せ」


 その言葉を信じて疑わなかった。私の胸は、あふれるような恋の甘さで満たされていた。


 しかし、季節が巡るごとにトマスの眼差しは冷えはじめた。村に新しく来た娘と、ひそやかに視線を交わし、やがて声を潜めて逢瀬を重ねるようになった。私は気づかず、以前と同じように彼を想い続けていた。だが、彼はもう違う未来を夢見ていたのだ。


 ある日、彼は決断する。愛を誓ったはずの私を遠ざけるために、村に広がり始めていた“魔女狩り”の狂気を利用しようと。焼き討ちの炎が恐怖と歓喜をもって迎えられる時代。彼は囁いた。


「リディアは夜な夜な森に消え、呪いの草を摘んでいる。あの娘は魔女だ」


 人々は噂を喜んで広げ、恐怖と偏見は瞬く間に私を魔女へと仕立て上げた。無実の叫びは届かず、縄で縛られ、広場の杭に立たされる。

 群衆の中に、トマスの姿があった。かつて愛を語ったその唇は、今や他の娘に微笑みを向けている。


 縄で縛られた両手は血が滲むほど強く締め付けられ、杭に背を押しつけられた。足元には薪が積まれ、乾いた枝や藁が無造作に差し込まれている。人々のざわめきが渦のように広場を満たし、子どもさえ好奇の眼で私を見上げていた。


 空は澄み渡り、雲ひとつない青。風が黄金の麦を揺らし、季節は豊穣を謳歌していた。だが私にとって、その美しさは残酷な舞台装置に過ぎなかった。焚き木に火が移される瞬間、陽光と炎の輝きが一つになり、世界は赤と金に塗り潰されていく。


 最初の熱が足元を舐め、布の裾を焦がす。煙が目に刺さり、咳と涙が止まらない。肌はすぐに焼けるような痛みに覆われ、肉が弾ける匂いが鼻を突いた。群衆は歓声をあげ、「魔女を焼け」と叫びながら、炎に手を伸ばす者さえいた。


「違う! 私は魔女なんかじゃない! 愛しただけなの!」  私は声を振り絞る。しかしその声は、炎の轟きと群衆の嘲りにかき消されるばかりだった。


「見ろ、あれが魔女の最期だ!」 「この村を呪った女だ!」  人々は罵声を浴びせ、子どもたちでさえ石を投げた。痛みよりも、その冷酷さが胸を裂いた。


 視線を巡らせた先に、トマスの姿があった。彼は新しい娘の肩を抱き、安堵のような笑みを浮かべている。私を見もしない。かつての愛を語ったその唇は、今や別の女に寄せられていた。


「トマス……どうして……」  声は涙と煙に濁り、炎の熱に震えた。思い出すのは、花冠を編ぎ合った夜。未来を語り、笑い合った時間。だが、その全てが裏切りに塗り潰されていく。


 髪が焼け落ち、皮膚が裂ける。視界は赤と黒に揺れ、耳の奥で肉の焼ける音が響く。痛みを超え、もはや感覚は薄れていく。残るのはただ一つ、憎悪だけだった。


「……私を焼いたこの国よ……愛を裏切った者たちよ……」  炎に呑まれながら、私は低く呟いた。声はかすれていたが、確かに届くはずだ。


「――私の魂は呪いとなり、永遠にお前たちを滅ぼす」


 炎は天へと立ち昇り、私の体を灰に変えながら、その呪詛を風に乗せて広げていった。



 重いまぶたを押し上げると、目に飛び込んできたのは豪奢な天井模様だった。白い絹の天蓋がゆるやかに揺れ、薄布越しに燭台の光がぼんやりと滲む。甘く苦い薬草の匂いが鼻を刺し、喉は砂漠のように乾いていた。体は鉛のように重く、汗で湿った寝衣が肌に貼り付いている。


 視界の端に、一人の女の姿があった。深緑の衣をまとい、黒髪をきちんと結い上げた気品ある女。彼女は濡らした布で私の額を拭きながら、安堵の息を吐いた。その瞳は涙に潤んでいる。


「奥さま! 本当に……お目覚めになられたのですね!」


 声は震え、長い間、私の傍らで看病していたことを雄弁に物語っていた。私は唇を震わせ、かすれた声で問いかけた。


「……あなたは、誰?」


 女は驚いたように目を瞬かせたが、すぐに背筋を伸ばして答えた。 「セラフィナと申します。長らく奥さまにお仕えしている女官長にございます」


「セラフィナ……」その名をゆっくりと口に転がす。記憶には存在しない響きだった。だが彼女の眼差しには確かな忠誠の光が宿っている。


 私はしばし黙した後、弱った声で続けた。 「……病のせいかしら。記憶が、あまりはっきりしないの」


 セラフィナはわずかに目を見開いた。けれどすぐに落ち着きを取り戻し、静かに頷いた。 「ご無理もありません。高熱にうなされて数日、皆が最悪を覚悟していたのですから……。ここは王都レガリア。奥さまは、この国の王妃であられます」


「……王妃……」私はその言葉を繰り返した。心臓が大きく打ち、頭の奥に焼け焦げるような記憶がよみがえる。杭に縛られ、炎に呑まれ、裏切りに晒された私。あの時、確かに死んだはず。なのに今、絹の寝台に横たわり、王妃と呼ばれている。


(私は……焼かれて死んだはず。それなのに、なぜ……?)


 疑念と混乱が胸を満たす。だがその奥底で、小さな炎が確かに再び灯った。消えぬ怨念の種火が、黒い光を放ちながら息を吹き返そうとしていた。


 額に張り付いた汗が冷たく流れ落ちるのを感じながら、私は必死に言葉を探していた。真実を告げることはできない。火刑に処された過去も、燃え盛る炎に呑まれて絶命した記憶も、決して口にするわけにはいかない。ここで必要なのは嘘――それも自然に繕える嘘だ。


「……そう、だからかしら。記憶があまり……はっきりしないの」


 掠れた声でそう告げると、目の前の女官の瞳がわずかに揺れた。だがすぐに彼女は微笑みを整え、その声を落ち着かせた。


「それも無理のないこと。どうぞご安心を、奥さま。私が常に傍らでお支えいたします」


 その穏やかな言葉は確かに安堵を与える。けれど私は彼女の忠誠を確かめるため、鋭く視線を注いだ。問いを重ねる。


「……あなたの名を、もう一度」


 女官は姿勢を正し、胸に手を添えて答えた。 「セラフィナ。女官長にございます」


「セラフィナ……」私はその名を低く繰り返した。聞き慣れぬ響き。しかし、その瞳の奥に宿る忠誠の色は、たとえ病に揺れる私の目でも見逃せなかった。


 ふと、部屋の奥に重苦しい気配を感じた。燭台の光に浮かび上がる、大柄な男の影。背筋をぴんと伸ばし、鎧に包まれた体からは鋼のような冷気が漂っていた。人ではなく、ただ命令を待つ刃の化身――そう思わせる佇まい。


 鋭い瞳は揺らぐことなく、私を射抜いている。血の匂いを孕んだ無表情。その男を指して、私は低く問うた。


「……あの者は?」


 セラフィナが迷いなく答える。 「ガレス殿にございます。近衛兵長として奥さまをお守りする方。冷酷無骨と言われておりますが忠義があり、命を賭してでも裏切りを許さぬお方です」


 ガレスは沈黙のまま、ゆっくりと頭を垂れた。その仕草には揺るぎない忠誠が滲んでいたが、そこには同時に、鉄と血の匂いが確かに漂っていた。


(……王都レガリア。王妃。近衛兵長……。だが私は――炎に呑まれ、確かに死んだはず)


 胸の奥でざわめく記憶が疼く。赤黒い炎、群衆の罵声、そしてトマスの冷たい背中。あの瞬間からどれほどの時が経ったのか……私はわからなかった。だが、壁にかけられた織物の意匠も、窓の外に広がる街並みも、私の知るものではない。耳に届く人々の言葉も、わずかに響きが異なっている。


 セラフィナが言葉を続けた。 「……王都は今、建国三百年祭の準備で大忙しにございます。奥さまがご快復なさって、皆どれほど喜ぶことでしょう」


(……建国三百年……。いつからこの国が建国されたのか、農夫の娘であった私には分からない。だが少なくとも、あの時からかなりの時が経っている……)


 私は息を潜め、胸の奥に問いを投げた。 (……三百年。神か悪魔かは知らない。だが確かに私は甦った。この国がまだ存続しているのなら――)


 喉奥に熱が込み上げる。唇の端がゆっくりと歪む。セラフィナにはそれが安堵の微笑みに見えただろう。しかし私の心の奥では、かすかな炎が黒く渦を巻き始めていた。


 「……三百年だとか、そんなことはどうでもいい。重要なのは事実――理不尽な理由で私を魔女として火あぶりにした、この国の末裔たちに復讐し、恨みを晴らし、呪いを与えること。それだけよ」  

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