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武術経験者アピールに意味はあるのか?

作者: JEDI_tkms1984

 読んでますか?


 書いてますか?


 僕は最近、忙しくて書けていません。


 人付き合いも上手ではないので、SNSも交流よりも投稿する、人のを読む――という一方向的な利用が多いです。


 SNSですよ。


 創作界隈っていつも誰かケンカしてますよね。


 僕はそういうのには関わりたくないのでミュートするか、せいぜい遠くから眺める程度にしています。


 ふと、あることに気付きました。


 攻撃的な発言をしている人、しょっちゅうケンカをしているような人の中に、たまに「私は武術(格闘技)の経験がある」とアピールする人がいます。


 発言を見るに、ボクシングとかプロレスではなさそうなのですよね。


 柔道とか空手のような、道着をつけてするような武術なのです。


 これって何の意味があるのかな、と気になりまして。


 だって直接相対するワケじゃないんですよ?


 あくまでSNSでドンパチやっているのであって、使う武器は文字のみで、他にあるとすれば音声や画像なのです。


 拳でどうこうできるものでもなければ、竹刀で打ちに行くこともできないワケです。


 つまり武術の経験は何の役にも立たないんですよ。


 これならまだ、「私のバックには○○ザがついてるんだぞ!」とか言ってるほうがまだ効果があるでしょう。


 相手が畏怖するかもしれませんからね。


 というか武術ってケンカに使っていいんですか?


 僕のイメージでは武術をケンカに使うとむしろデメリットのほうが大きいのですが……。


 もっとも、上記のような発言をしている人はあくまで”経験がある”のであって、現役のプロ格闘家ではない様子です。


 ならば破門やライセンス剥奪といったマイナス要素はない、ということなのでしょうか?




 この「武術の経験がある」という発言。


 もうひとつ不思議なことがあります。


 どうも彼らはちょっとかじった程度ではなく、そこそこのレベルまで達しているようなんですね。


 空手でいえば黒帯とか、そんなレベルです。


 ここで浮かぶのがこの疑問。


 『武術って精神の鍛練もするんじゃないの?』


 ……ということです。


 すべての武術・格闘技がそうだとは言いませんが、多くの場合、


 "心技体を鍛錬して人格を磨き、礼節や作法を身につけ、もって人として心身ともに成長すること"を目的として掲げてませんか?


 たとえば公益財団法人 全日本空手道連盟のホームページでは次のように書かれています。



 --以下引用--


 (前略)

 我々はたんなる技術の習得のみに偏らず、武道の精神を基とする空手道の真髄を忘れることなく、高い倫理観をもって日本の伝統文化の維持・発展に寄与するとともに、

 日本国民として礼と節を重んじ、社会のルールを守り、社会に貢献し、社会から尊敬される有為な人材の育成に努力しなければならない。

 第一条(目的)

 空手道は、日々の心身の練磨を通じて強靭な身体を鍛え、人格を陶冶し、心身ともに有為な人物を育成することを目的とする。

 第二条(心構え)

 空手道の修行を志す者は、空手道の品位と威厳を保つため、礼節、正義感、道徳心、克己、勇気からなる資質(倫理的規範)の涵養に努めなければならない。


 --引用終わり--



 ――って、しっかり書かれてあるじゃありませんか!


 上記は空手ですが、柔道や剣道でも同様の目的と理念が掲げられています。


 なのに……なのにですよ?


 SNSでの醜いレスバは、それはもう人格攻撃、誹謗中傷、赤口毒舌、罵詈讒謗の嵐……。


 全然まったく精神の鍛練ができてないじゃないですか(涙)


 礼節はどこにいったんですか(涙)


 陶冶したハズの人格はどこに置いてきたんですか(涙)


 それなりのレベルに達するくらいに武術に打ち込んできたのに、どうして二言目には暴言を吐くのですか。


 なぜ自分と異なる意見に我慢ができず、初手からケンカを売りにいくのですか。


 なぜ”相手の意見に対して反論する”ことができず、”相手の人格を攻撃する”のですか。




 と、言いたくなるような醜悪なやりとりを何度か見ました。


 本当に精神の鍛錬ができたのであれば、自分と異なる意見を受け入れられないとしても、わざわざ攻撃する必要はないでしょう。


 (もちろん相手から直接、文句を言われたのであれば毅然と言い返す必要はあります。しかしここでいう攻撃する、というのは自分に対して言われたワケではない”つぶやき”に対してです)


 ああ、この人はこういう考えなんだな。でも私はそうではないけどな……で終わる話なんですよ。


 SNS(特にX)は、つぶやきが飛び交っていて、特定の誰かに宛てていない声が無数にあります。


 にもかかわらず、「こいつは私にこんなことを言いやがった! 我慢できない! 攻撃してやる!」となぜか自分を名指しして言われたような気分になってしまう人がいるのは事実です。


 そこでいったん深呼吸してグッと堪えられるのが、武術が是としている精神の鍛練ではないでしょうか?




 余談ですが、武術経験者でめちゃくちゃケンカっ早い人が以下のように言っているのを見たことがあります。


「(武道は自制心を鍛えるためにするのではないのか、という意見に対して)お前、マジで頭悪いな。武道はそんなことのために学ぶものじゃねえんだよ」




 ……黒帯返したほうがいいんじゃないですか……?








 最初に人付き合いが上手ではないと言いましたが、こんな僕にも呆れずに付き合ってくれるフォロワーさんがたくさんいらっしゃいます。


 いろんなことを教えてもらったり、逆に僕の知識が誰かの役に立ったり。


 そういう輪を大切にしているので、僕はSNSでは極力ネガティブなことを言わないようにしています。


 愚痴さえ年に2回するかしないか、というくらいです。


 攻撃的・差別的な発言はしません。


 過激なことも言いません。


 暴言も吐きません。


 (……と言いつつ、もしかしたら自覚していないだけでそういう発言をしているかもしれませんが……)


 何も益がないからです。


 もしかしたらそれを発した直後、一時的にはスッキリするかもしれません。


 が、言われた相手は傷つくでしょう。


 それ以上に、大切なフォロワーさんが離れていってしまうかもしれません。


 ”あんなことを言う奴だったのか”と思われたくないですからね。


 これってある意味、僕がフォロワーさんを裏切っていることになるんですよね。


 彼らが僕をフォローしてくれた理由はさまざまでしょうが、少なくとも”暴言を吐かない僕”に対してフォローしてくれてるワケですから。


 人間というのは社会的動物ですから、やはり自分が他人の目にどう映っているかは気になります。


 同時に僕への評価が少なからずフォロワーさんにも悪い影響を与えるのであれば、それを避けるのもまた責任というものです。


(フォロワーさんが、"あいつはJEDI_tkms1984という問題児と付き合ってるぞ。ならあいつも同類にちがいない"なんて言われたら嫌ですからね……)





 


 皮肉っぽくなってしまいましたが、誰が見ているか分からないSNS。


 攻撃的な発言やケンカをしないほうがいいですよね、というお話でした。





   終


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