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盗賊退治 下

 翌朝、冷たい空気に眠気を払われた。エマは図太いものでぐっすり眠っている。

抱きついている姉を蹴り飛ばそうとしたが、少し離れただけで隙間に冷気が流れ込んで来た。冷気に抱かれるよりは姉に抱かれた方がマシかと思い、くっつき直す。

 控えめなノックの音。こんな丁寧な盗賊はひとりしかいない。

 名残惜しいが湯たんぽから離れる。エマの腹を押すと「ふぎゅう……」と情けない音が鳴った。目をこすっている姉を置き、扉に向かう。

「はい」

 答えると、ニックが入って来た。

「二人とも、下に来てくれる?」

「どうしたの?」

 エマがルイーザの背に覆いかぶさりながら聞いてきた。さっきまでは眠そうにしていたのに、人が来た途端にしゃきっとなる。

「みんなが君と試合したいって聞かなくてね」

「私と?」

 エマが首を傾げると、ニックが説明をはじめる。

 昨日、エマが大男を倒した後、仲間たちはその話をさかなに酒を飲んでいた。煽りに煽られた大男はぶち切れ、「お前ら俺にだって勝てないくせに! そんなに言うならお前らもあの女と戦ってみろ!」と言い放った。酔った勢いのままに話は進み、勝ったやつがエマを抱けるということになった。

ある者は性欲のため、またある者は純粋に腕比べのため、エマとの対決を望んだ。

「ふーん。バッカみたい。ま、試合は大いに結構だけど」

 かくして三百人組手がはじまる。盗賊たちにもプライドはあるのか、あくまで一対一での対決だ。しかし連戦であることに変わりなく、いくら強いと言ってもエマの不利。……のはずだった。

 ルイーザはニックと朝食をつつきながら、目の前の惨状を見ていた。

 男がエマに襲いかかると、あっというまに顎を殴られ気絶する。男が完全に倒れるのもまたずに次の男が挑戦。これも木剣で鳩尾を突かれて沈んだ。うずくまる敗者たちの山、すでに五十人を超えている。

「なんだ、あの化け物」

 ルイーザはドン引きしていた。

 十五年間一緒に過ごし、強いのは嫌というほど知っている。だが人間なのだから体力に限りはあるだろう。けれど、エマはすまし顔。

 最小限の動きで倒しているので体力の消耗は少ない。それにしても五十人である。いや、考えている間にも六十人目が倒れた。

 前世でも強い女性はいた。空挺唯一の女性隊員なんて勝てるイメージすらわかない。

 しかし、エマの強さは性別云々ではなく人間として異常だった。

 もしかしたら妖怪の類かもしれない。

 姉の異常性について頭を抱えていると、肩に手を置かれた。振り返るとデーニャだ。

「やあ、今、少しいいk…」

 言い終わるより早く、視界の隅に閃光が走った。

 反応できたのはニックだけ。目にも止まらぬ速さで飛び出し、デーニャの顔に迫っていたナイフを払い落とす。

 ナイフの飛んできたほうを見ると、エマが鬼のような形相で睨んでいた。対戦相手も呆然としている。

 静寂。それを切り裂いたのは人をおちょくるような声音。

「君、ブラコンってやつ?」

 それを皮切りに賊たちが歓声をあげる。ボスを殺されそうになった怒りではなく、二人の魅せた妙技にテンションが上がっていた。

「少しルイーザくんを借りるよ。なあに、ちょっと基地を案内するだけだ。君も来るかい?」

 エマは答えず、鋭くデーニャを睨みつける。ルイーザはけっこう怖いのだが、デーニャはどこ吹く風。

「おやおやおや、そんなに弟のことを信用してないのかな? 常に自分の手元に置いておかないと不安? ……それは愛じゃない、ただの執着だ。ルイーザだって、守られてばかりじゃ嫌だろう?」

 突然水を向けられ、考えるより先に首肯してしまった。

「これで、俺とルイーザの間に諒解が得られた。これ以上引き留めるのはおせっかいってものだぜ」

 デーニャはルイーザの背を押して広間から出る。エマは釈然としないながらも、それを見送った。

 連れてこられたのは地下牢だ。暗い廊下に松明が並び、鉄格子の中にはちらほらと人がいる。

「それは裏切り者、それは政府の送り込んだスパイ」

 デーニャは説明しながら歩く。ルイーザがついていくと、一つの牢の前でとまった。

 それは女ばかりの牢だ。中学から大学生くらいの年齢層の女たちが詰め込まれている。

「で、これが他の楽しみ」

 ルイーザが固まっていると、肩に手を置かれる。デーニャは息がかかるほどの距離でささやきかけてくる。

「君は……これを見てどう思う? 義憤にかられる? 哀れな少女たちに同情? それとも、別のことでも想像しているかな?」

 デーニャはルイーザの手を両手で包んだ。何かを渡される。

 鍵だ。おそらくは、牢の鍵。

「好きにしろ。前にも言った通り、ここでは何も我慢することはない……。欲望を解放するんだ。好みに合うのがいなけりゃ言ってくれ。在庫はまだまだある」

「……姉ちゃんに怒られる」

 考えた末、ようやく絞り出した答えがそれだった。デーニャはくっくと笑い、ルイーザの背中を叩く。

「なあ、なにか勘違いしてないか? 俺たちはべつにさらってきたんじゃない。こいつらは、売られてたんだ。金がなくて困った親が、彼女たちを売った。ひどいことするよなあ、金欲しさに自分の子供を売るなんて。ま、ここにいればメシには困らない。飢え死にするよりマシだろうさ。……っふっふっふ、はっはっは、あーっはっはっはっ!」

 デーニャは笑いながらその場を去っていく。

 残されたルイーザは鍵と、牢の少女たちの間に視線をさまよわせた。

 薄暗い照明がみずみずしい肢体を照らしている、陰りを帯びた表情の少女たちは抵抗の意思すら見えない。

 ルイーザは鍵穴に手を伸ばした。


 部屋に戻ると、先にエマがいた。普段は背中に流した髪を、ひもで縛って上げている。施錠の音を聞くと服をぬいで汗を拭き始めた。さすがに疲れたらしい。

「姉上って、ちゃんと人間だったんだな」

「ん? なにが?」

 部屋には服も用意されているので、エマは適当に着替える。するとさっそく弟の隣に来た。

「あの男、デーニャにどこ連れてかれてたの?」

「……別に」

 言って、ルイーザはベッドで横になった。目をつぶってさっきのことを思い出す。

 あの後、牢の鍵を開けて逃げ道を教えた。だが彼女たちは首を横に振ったのだ。

女の一人が言った、見張りがいるし、どうせ帰る場所もない、うまく逃げ延びても野垂れ死ぬだけ、ならここで大人しくしている方が安全だ、と。

 鍵は開けたままだが、あの様子だと逃げることはないだろう。

 目をつぶっていると、すぐ後ろに姉が座った。体温が伝わってくる。

「汗くせえ」

「なっ!? 貴様、乙女に向かってなんてことを!?」

 さすがにショックだったらしい。

 エマは「むー」とうなりながらベッドの端による。

「ねえ、ルイーザ」

「なに?」

「えーっと、なんていうのかなー……。デーニャのことどう思ってる?」

「いろいろぶっ飛んでんなって思う」

「はは、まあ、それはそうなんだけどさ」

 一度は離れたエマだが、すぐに我慢できなくなったらしい。ルイーザに抱き着いてくる。

「正しいと思う?」

「どういった基準で?」

「ルイーザの感性」

「……まあ、あの生き方はできませんね、俺には」

 あれはあれで、ある意味自由を極めているのかもしれない。真似したいかは別だが、ああいう風に生きれたら悩み事は減るだろうなとは思う。

 姉にほおをぺたぺた触られるが、だんだん無視して考え事に集中できるようになってきた。

 ひとしきりほっぺたを触って満足したのか、姉は「うん」とうなずく。

「ま、まちがってるって思うならよし。自分の感覚は信じなね」

「この世でもっとも信じられないものですね、それ」

「そうかなー? 私は信じてるよー。ルイーザ大好き」

「それは信頼っていうんですか?」

 言っても聞いちゃいない。諦めて眠りにつこうとしたときだ。

「そうだ!」

「うお、びっくりした」

「自信がないならつければいいじゃない」

「なにーアントワネットさまだよ」

「盗賊たちをカタギになるよう説得してみなさい」

 また無茶なことを。

 意味が分からないので全力で断ったのだが、なんだかんだ言いくるめられてやることになった。実の姉にすら言い負けているのに見ず知らずの盗賊に勝てる気がしない。

 翌日、朝食が済んだ時間帯にエマが賊たちを呼び集めた。

「姉御、今日はどうなすったんで?」

 大男が跪いて尋ねる。

「お前、姉御って呼ばれてんのかよ」

「あはは、ちょっと恥ずかしいかも」

 エマはぽりぽりと頬をかき、ルイーザの背を押す。

 ルイーザは目の前の賊たちを見て、唇をもじもじと動かす。

 どう切り出したものか悩む。Youカタギになっちゃいなよ、とか言えばいいんだろうか。

「あー、えー……あなたは今の生活に満足していますか?」

 なんか新興宗教の勧誘みたいになった。

 賊たちは顔を見合わせ、ルイーザに向き直る。

「ああ、別に不満はないな」

「好きな時に食って好きな時に寝て、女にも困らない。楽園だぜ、ここは」

「だな。前に軍隊を追い払ってからは国からも手出しされない。汗水たらして畑を耕してたときよりずっと気楽だ」

 初手で完封された。ルイーザは「なるほど」と笑顔でうなずく。

「それは素晴らしいですね」

「いや、もっと粘りなさいよ」

 すべてを諦めて部屋に戻ろうとすると、姉に引き戻された。

 しぶしぶ賊に向き直る。

 それから一時間ほど話したが、最後には賊たちは飽きて眠ってしまった。

 翌日も同じようなことをして、だんだんと論戦が張れるようになってくる。少し慣れたと思ったら今度は広間にいる全員の前で演説めいたことをさせられた。

 ルイーザが話していると、何人かがうとうとと船をこぎ始める。それを見たエマは転がっていた酒瓶を投げつけた。

「いでっ! なにすんでさあ」

「ルイーザが話してるでしょ! ちゃんと聞きなさい」

「んなこと言ったって姉御、俺たちゃここを出るつもりはないですし、聞いても仕方ないですだ」

「あらそう。残念。私たちがここを出たらあんたら全員縛り首にしてやるつもりだから、今の内に更生しておくほうが身のためだと思うけど」

 あまりに挑発的な内容。

 ルイーザはエマの口をとめようとするも、賊たちは怒るでもなくげらげらと笑う。

「そりゃいくら姉御でも無理ってもんですぜ。俺たちゃ泣く子も黙るフィルツ義勇軍」

「んだんだ。まあ、やりたいならやってみるがええ」

 盗賊たちの反応を示し、エマは「ね」とルイーザにウインクする。

「これくらいのほうがウケがいいのよ。遠慮なく相手の言うこと否定しなさい」

 この破天荒さを見ていると、緊張しているのがバカらしくなってくる。

 笑いが静まるのを待ち、ルイーザは今一度口を開いた。

「えー……ろくでなしで飲んだっくれの諸君!」

 思い切って言うと、本当にウケた。

 それからはディスりや軽口も交え、真向から相手を非難することも覚えた。

 身代金が届いたのは囚われの身となってから三十八日後のこと。最終日には演説も弁論も慣れたものだった。


 最期に二人はデーニャの部屋に通される。

 デーニャはすごい勢いでルイーザに飛び掛かって来た。顔に触る寸前、エマが割って入る。デーニャは行き場をなくした両手をわなわなと震わせ、自分の顔を触り、涙をふくような仕草をした。

「ルイーザ! ルイーザ、ルイーザ、ルイーザ! かなしいね、俺は今、とても悲しい。せっかくできた友達なのに」

「一期一会ってやつだな。あと、別に友達じゃないな」

 ルイーザに袖にされたデーニャは「ううん?」と首をかしげる。動物をなだめるように、ちっちっと舌を打ち鳴らし、姉弟の間に視線を往復させた。

 ピンと人差し指を立て、エマの顔を覗き込む。

「ときにお嬢さん。俺たちを縛り首にするっていうのは、本当かな?」

「ええ。心配なら今ここで殺しておく?」

「まさか! 何度も言うけど、僕たちはそんな悪党じゃない。ただみんなで仲良くしたいだけなんだよ。法律にしたがっていたら楽しいのは貴族だけ。そんなのは、不公平だ。聡明な王女殿下ならわかるはず」

「民衆にだって、悪党はいるわ。あなたみたいにね」

「かなしいね、結局君とはわかりあえなかった。けどいつかパーティを開くよ。みんなが参加できるパーティを。そのときは、ダンスのお相手でも願おうかな?」

「せっかくのお誘いですけど、私、戦い以外の理由で弟以外の殿方に触れたくないの」

「相変わらず仲がいい。ルイーザ、お姉さんを大切にね」

 飛び切りの笑顔でルイーザに手を振る。

 二人が屋敷から出ると、出口までミケが迎えに来ていた。馬に乗り、フィルツへと鞭を入れた。


 フィルツは貴族ではなく、国から派遣された役人が統治する街だ。行政の長を含む役人たちは庁舎に努めている。

 庁舎の最上階、賓客を迎えるための部屋に、三人はいた。

「王女と王子の帰還のわりにそっけないな」

 金はミケーネがひとりで持ってくる約束だが、街に入るまで迎えもなかった。して欲しいわけではないが、王族ならそういったものがあるのと想像していたのだ。

「母上や陛下たちはどうだった?」

「クーリオ妃はお怒りでした。すぐに討伐軍を差し向けるよう、王に要請しました。しかし陛下は先だっての失敗を引き合いに、金で済むなら金でと」

「そこで揉めたわけだ」

 ミケーネはうなずいてから続ける。

「ここからさらに王太子も加わったので余計にこじれました。自ら討伐軍を率いると進言したのですが、陛下がこれに反発。クーリオ妃は早々に説得されたのですが、王太子は陛下に食い下がったために一月もかかってしまいました」

「へえ。あのお兄様が俺たちのこと助けようとしてくれるとはな」

「軍事的な功績が欲しかったようです。というか、この機会にお二人を暗殺することまで企んでいたようです」

「やっぱクソだな、あいつ……。それで、結局は金で落ち着いたわけか」

 なんともバラバラな王家である。

「じゃ、兄上の悲願は私たちが果たすとしますか」

「どういうことです?」

 エマの言葉に、ミケーネはきょとんと首を傾げる。

「盗賊団を叩くのよ」

「え……」

 ミケーネが固まった。

 言葉を失ったミケーネをよそに、エマは部屋の本棚から地図を取り出してきて机に広げた。ボードゲームの駒を使い、黒い駒を三つ、敵の基地がある場所に置く。

「これが盗賊の基地ね。で、フィルツに駐屯してる部隊は歩兵四百と騎兵が二百。ちょうど倍だ」

 白い駒を五つと、馬の形の駒をひとつ置く。

「さて、ルイーザ。どう攻める?」

「俺ですか? ……そうですね。とりあえず、兵力をこの十倍用意します」

「ふむ。理由は?」

「すでに構築された陣地に攻撃するなら、最低でも三倍は兵力が必要とされてますし、マントイフェルなんかは十倍から十五倍欲しいと自伝で書いています。二倍じゃ話にならない。相手は地形だって知り尽くしてるでしょうし、またぞろゲリラされたらろくに戦うこともできず撤退するしかなくなります」

「僕もルイーザ殿下が正しいと思います。実際、前回はそれで敗北しました」

「ほら、ミケーネだってこう言ってるし。準備不足だよ。出直そう」

「二人とも慎重だね」

「姉上が無鉄砲すぎなんですよ」

「そうかな? こっちが準備するってことは相手にも準備する時間を与えるってことだし、たとえ準備不足でも素早く行動する方が大事な局面もあると思うよ」

「理由は?」

「まず、情報。情報は生物だからね。鮮度が命なんだよ。私は今、盗賊団についてすべて知ってる。けど時間がたてば構成員も、基地の作りだって変わるかもしれない。金貨を手に入れた賊たちは兵力を増そうとするだろうしね。

 もうひとつは立場。私たちは本来、軍権なんて持ってない。けど、今この街にいる王族は私たち二人だけ。軍は王家に忠誠を誓うから、陛下や兄上が来ない限りは私たちが自由に軍を使える。私たちが行動を起こして、それが王都に伝わるまで三日。さらに王都からなんらかの反応が返ってくるまでに三日。それまでの六日間、指揮系統は私たちのもとに一本化される」

「たしかに情報や指揮系統は大事ですけど、戦力が足りないならどうしようもないでしょう」

「仮にルイーザはこれだけの戦力で戦うならどうするつもり?」

 あくまで仮定の話、そう念押しされ、ルイーザは渋々考える。

 ため息ひとつ、白い駒をとって地図上に置いた。

「絶対に必要なのは隠密性。相手に気取られたら森の中に逃げられますからね。夜中に出発して、錯雑地を通ってぎりぎりまで接近します」

 基地の東にある丘の、東側の斜面に駒を置く。

「ここならわかりやすいし、影になってるから相手にも見えにくい。この丘を最初の集結地にして、半分はこのまま待機。もう半分は歩兵だけで北に迂回させます」

 基地の南側には川が流れている。基地の北側、川と並行になるように歩兵二百人を横隊に展開。

「夜明けとともに丘に残した兵も、丘の西側で横隊に展開。そのあと、二方向から圧迫します。南は川があるので逃げにくいですし、西側も足場が悪くて素早くは逃げれない。うまくいけば気づかれずに基地まで押して包囲できます。気づかれても行動は同じですね。二方面から進んで、逃げそびれた相手だけでも包囲。そのまま殲滅します。隠密行動がうまくいって基地ごと包囲できたら、騎兵は周囲の孤立化、歩兵だけで建物にエントリーして内部をクリアリングします」

 仮定の話なので、深く考えずに立てた動きだが、そこまで悪くはないはずだ。だがエマもミケーネも微妙な反応。

 エマが考えながらゆっくりと口を開く。

「えっと、これだけの距離で展開させたら縦深が薄過ぎないかな? 敵がどこか一点に集中してきたら突破されると思う」

「縦深って、ファランクスじゃないんだから」

 言ってから気づく。ファランクスが有効な文明水準だった。

そもそも、散兵戦術は機関銃が登場したことで発明されたものだ。銃火器がない時代なら当然、横隊戦術が基本になる。前の兵士が倒れれば後ろの兵士が戦闘を継続する、縦深がそのまま継戦能力となる戦い方。

「それと、部隊を二つに分けるのはいいけど、あの地形だと意思疎通が難しい。かなり木が茂ってて伝令も走らせにくいし、それに……」

 そこまで言って、エマはふむと頷く。

「ミケーネ、悪いんだけどしばらく二人にしてくれない?」

「? わかりました」

 ミケーネが部屋から出ると、エマはルイーザに向き直る。

 ルイーザは悔しそうに爪を噛んでいた。バカなことをした。当たり前のように無線機を使うつもりでいた。もうこの世界で生きて十五年も経つのに。

 弟の神経を逆撫でしないよう、エマは慎重にさっきの話を続ける。

「ルイーザってさ、やっぱり人生二回目だったりする?」

「……………………は?」

 思考が停止した。

「で、前の人生はこの国じゃない……それどころかこの世界でもない、もっと別の世界。そこではここより技術が進んでて、速射性でも威力でも優れるバリスタみたいな武器が主流。そうなると剣や槍は廃れるか、まったく使われなくなったりもするのかな? あと、離れていても会話ができる。それは大声とかじゃなくて、もっと別のなにか。敵にバレずに遠い距離の相手に意思を伝えられるようなものがある。…………どう? 当たり?」

「な、な、なにを根拠に」

「だって、この作戦ってそういう技術を前提にしてるとしか考えられないもの。たとえば超高性能なバリスタみたいな武器を主に使うなら、横隊の部隊に対して三百人の賊が向かってきても的になるだけ。それに、縦深を深くしても前の兵士が邪魔になって飛び道具を使いにくいから、一列にしたほうが戦力を活用できる。完全包囲じゃなくて二方面から圧迫するのも、味方にあてないため。あとは意思疎通の手段さえあればこの作戦は機能する。この国の装備を前提として考えるなら成立しえない作戦だけど。ルイーザは頭がいいから、ずさんな作戦なんて立てるはずない。違う?」

「ちが、ちがわなくは、ない、ような……」

「それに、人生二回目っていうなら年齢に似合わない大人びた口調とか、考え方にも説明つくし。むしろそういった疑問があったから気づいたんだけどさ。ま、早めに気付けてよかったよ。もしこの状態で初陣してたら死んでたかもしれないし」

「別に、……初陣の年まで宮廷にいる気もないし」

「そっかそっか。ま、でもこの機会に、この世界の水準の部隊の使い方も覚えようか。それに、作戦も相手の気持ちになってかんがえてみよう」

「相手の気持ちって……。主観が入る余地が大きすぎませんか? 期待をもとに作戦立てて、相手が予想と違うことしてきたら詰みますよ」

「そうだね。けど、今回は大丈夫だよ」

「なんで?」

「盗賊団は342人。全員の名前も性格も覚えてる。どう動くかは予想がつくからね。もちろん、柔軟さは発揮できるよう、予備も置くけど……」

「もう姉上ひとりで全部やればよくないですか?」

「なーに言ってんの。いつだって二人でやってきたでしょ」

「二人でぶつかりあって来た記憶しかないですよ」

「そうだっけ? 私は仲良くしてたつもりなんだけどなー。それに、ルイーザが一緒の方が心強いし。手伝ってくれるとお姉ちゃん嬉しいなー」

「……わかりましたよ。もうここまで来たら最後まで付き合います」

「やった! じゃ、改めて作戦会議といきますか。ミケ呼んでくれる?」

 もうお手上げだ。ルイーザは黙ってドアに向かう。その背後から、エマがなんでもないことのように付け足す。

「私さ、書庫の本は全部覚えてるんだけど、マントイフェルなんて名前の将軍の自伝はないよ」

「……ほんと、あんたには敵わんよ」

 それからはミケーネも加え、三人で計画を作成する。

 夕方まで議論し尽くし、ようやく準備が整った。すぐ長官に命じて兵を集めさせる。

 夜、集まった兵たちを前にしてルイーザは演壇に立った。

 総司令官はルイーザだ。軍の呼集も第二王子の名のものとに行われている。なぜ姉でなくルイーザなのかというと、いつものように言いくるめられたからだった。

 庁舎の広い中庭に、六百人の男たちが整然と並んでいる。暗いおかげでひとりひとりの顔までは見えない。おかげで緊張もマシだ。

 ルイーザは深く呼吸し、話し始める。

「兵士諸君。われわれはこれから、この街を略奪して憚らないかの盗賊団を壊滅する。傲慢にも義勇軍などと自称する悪党どもに、本物の軍人である諸君の強さを見せつけるときだ。数年前に四個軍団が敗北したなどという話に臆病風を吹かれるものはいないだろう。あの盗賊どものせいで、この街の治安は乱れ、娘をさらわれ、友人を殺された者もいるだろう。今こそ屈辱を果たす時だ。この私ルイーザ・ユーグと姉、エマは潜入により、敵の構成員、地形をすべて偵察してきた。敵は今、我らの手中にある。あとは諸君らが戦闘力を発揮するだけで勝利は得られる。戦神の祝福を」

 沈黙。といっても、冷ややかな視線ではない。事前に隠密性の重要さを説き、作戦が終わるまでは私語を慎むように言ってあるから反応がないだけ。そう信じたい。でないと恥ずかしさで死んじゃう。

 ルイーザが冷や汗を流しながら演壇から降りると、エマに肩を叩かれた。

「おつかれ。いい演説だったじゃない」

「そりゃどうも」

 すぐに隊長たちを集合させ、細部の命令を補足し、前進を開始した。

 部隊は隠密に終結地である丘まで移動。

 夜の間に斥候を出して地形を調べ、戦術指導を徹底する。

 払暁の空、突撃のラッパが鳴らされた。


 屋敷で戦闘が開始される数刻前。

 ニックは精鋭のみを率い、フィルツの庁舎周辺に潜んでいた。

 デーニャの読みが正しければ、戦闘がはじまるのは明け方。政府軍はすでに屋敷の近くにまで移動を終えているだろう。

 つまり今、街の守りは手薄。

 すでに民衆たちへの根回しは終わり、蜂起の準備は整っている。

 朝日が網膜を焼く。一番鶏を合図に、街の住人達が飛び出してきた。包丁や農具、棒きれ、持てる武器を持ち、王家の圧政や、貴族の専横に怨嗟の声をあげながら庁舎へと殺到する。役人たちは城門を閉めるが、その時にはすでにニックたちが侵入していた。

 手下は五十人。うち十五人を門に向かわせ、残りで建物内へと突入する。

 庁舎は石造りの建物だ。周囲を高い城壁に囲まれている。

常駐する官僚は200人ほど。警備の兵は50人足らず。それも屋敷への攻撃に向かっているから減っているだろう。

中庭はもぬけの殻。ニックたちは突っ切り、裏口から入る。二階へ上がるため、階段のあるホールに出た。

「放て!!」

 そのとき、号令。言下に矢が雨あられと降り注いでくる。

 吹き抜けになった二階の廊下には兵士がずらりと並び、ニックたちを待ち構えていた。

 指揮をとるのは盗賊たちにとって見慣れた少年。つい先日解放したばかりの人質、ルイーザ・ユーグだった。


 ルイーザは階下に現れた賊たちを見るや号令を出した。

 待ち伏せは成功したが、すべてエマの策なのが癪に障る。攻撃に向かった部隊もしばらくすれば敵を壊滅させて戻ってくるだろう。

 昨夜、攻撃計画を完成させたあと、エマは言った。

「ま、軍事作戦としてはこれでいいかもね」

「あ? どういうこと?」

「私がデーニャの立場ならね」

 にやりと笑い、姉は話し始める。

 討伐軍が向かったということは、街の兵はいなくなる。そこで一部の部隊をもって庁舎の制圧に向かわせる。同時に民衆をあおって暴動でも起こさせれば官軍はさらに対処が難しくなる。

 そして実際、フィルツの役人のリストから怪しい人物を見つけた。盗賊団の送り込んだ間者だ。彼らが内側から城門を開ければ、庁舎は簡単に落とせる。

 だからルイーザは最低限の兵力を持って庁舎の守りにあたっていた。さらに早馬を飛ばし、周囲の政府軍や領主に援軍を頼む。明け方には間に合わないが、一両日中には来るだろう。中核となる盗賊団を討った上に十分な兵力で威嚇すれば暴徒は降伏するしかない。

 ルイーザは舌打ち。姉の思惑通りすぎて腹が立つ。

 とはいえ、楽な役割をもらったことはラッキーだった。罠にはめた敵に矢を振らせるだけの簡単なお仕事。

 すでに半数が倒れている。

 これで終わりだ。そう思い、最後に階下を見下ろすと、逃げ込んできた敵の中にニックもいた。見知った顔が目の前で死ぬのは忍びない。ルイーザは後ろに下がった。

 直後、悲鳴があがる。どたどたと物音。兵たちのどよめき。

「なんだ?」

 様子がおかしい。戻ってくると、兵たちは倒れ、血だまりができていた。


 一斉射撃がはじまった瞬間、ニックは仲間を盾にして身を守った。

 普段の陰気さは消え、豹のような身のこなしで矢の届かない場所を走り抜ける。階段に到達。一気に駆け上がる。端にいた兵士が抜刀しようとすると同時、左手に持っていた剣を投げた。

 まずひとり、兵士が倒れた。どよめく敵の真っただ中に、ニックは単身切り込む。

 二人目の首を切り裂いた、三人目は目を貫いた。四人目の腹に突き刺したところで敵の剣を奪い、戦い続ける。

 狭い階段、狭い廊下。ボルジア兵は数の多さがかえって不利となった。押し合いへし合いして身動きが取れず、パニックになる。動きの鈍ったところへ容赦なく斬撃を浴びせる。

 三十人も倒しただろうか。見知った顔が出てきた。

 昨日まで手中にあった王子は剣を構え、ニックに対峙する。

 安堵した。もし、相手がエマだったらここで終わっていただろう。

 ニックが切りかかり、ルイーザが受ける。階下では生き残った盗賊たちが立ち直り、射撃が途切れた隙を見て攻め上ってきた。兵たちがそれを迎え撃つ。

 ルイーザは相手を蹴りつけ、距離を取る。

「自首してくんねえかな、知り合いと戦いたくねえんだけど」

「こっちにもいろいろ事情があるんだ、すまないね」

 かくして、最終決戦がはじまった。

 ニックは勝ちを確信しているものの、油断はしていない。正眼に構え、ルイーザの動きを観察している。

 ルイーザは後の先を取る気でいた。相手は格上、闇雲に突っ込んでも勝ち目はない。技量で勝てないなら反射神経と動体視力にすべてをかけ、相手の攻撃をかわしてからカウンターを入れるしかない。

 ルイーザもまた、正眼に構えたまま動かない。両者とも同じ姿勢。それでも表情は雲泥の差がある。

 ルイーザは額に脂汗をかき、心臓がうるさいくらいに脈打っている。一撃、かわせなければ死ぬ。かわしたところで勝てるとも限らない。フェイントに引っかかれば一発で死ぬ。

 それに対してニックは涼やかですらあった。肩の力は抜け、下丹田だけを軽く締め、あとはリラックスしている。相手がどう動こうと対応できる、その自信がある。自信を裏付ける技量と経験がある。

 対峙していて、削られるのはルイーザだ。一秒経つごとに精神が摩耗し、集中力は不安定になる。

 だが、この時間は永遠に続くわけではない。主力は今頃敵を包囲しているはずだ。勝敗が決すればミケーネかエマが来てくれる。それまで時間を稼げればいい。

 ふと、自分の考えに疑問を抱く。人を頼りにしている時点で、負けを認めているようなものじゃないのか、自分じゃ勝てないからそんなことを考えるのじゃないか。

 自由とは、孤独だ。だれにも頼れない、だれにも縛られない。それを望んでいた。だからひとりでも生きていけるくらい強くなろうとした。

 結局、強くなんてなれなかったけれど。

 今まで一度だって勝てず、練習しても、手ごたえを感じても、いざ人とぶつかれば簡単に打ち砕かれる。怖かった。練習して、負けるのが。だから人とぶつかることも避けるようになって、余計に勝てなくなった。そんな自分が嫌いだ。

 だから、弱い自分にむかつくから、強くなることにこだわっていたのだと思う。自由になるなんて建前で、本当は、勝ちたかったんだ。負けるのは悔しくて、みじめで、だから、覆したかった。

 だから自分より強いとわかってる姉にたてついた。

 だから今こうして、戦場に出ている。姉に説得されたのだって、心の底では自分自身が勝ちたいと思っていたからだ。

 勝ちたい。

 剣を握る手に力がこもる。

 エマやミケーネが来るのを待つんじゃない。その前に、自分の力で、自分だけの力でこいつに勝つ。

 悩み、考え、覚悟を決める。そのときルイーザの意識は完全に内へ向いている。外からの情報に鈍くなる。

 その隙を、ニックは見逃さなかった。

 踏み込み、胴を薙ぐ。ルイーザはそれを意識できなかった。だが体が反応した。今まで何万回、何十万回と練習してきた動きが自然と出た。

 ルイーザが受けると、ニックは感心したように眉を動かす。思考から現実に引き戻されたルイーザは相手の力を逃がそうと左前に踏み出す。それを待ち受けていたようにニックが足払い。ルイーザはつまずき、バランスを失い、倒れる。

 ニックは追い打ちをかけるように切りかかる。ルイーザは半分パニックになりながらも唯一動かせる足を出す。足裏が相手の剣にあたった。加速する前だったので深くは切れず、そのまま外側に流した。反動で距離を取りながら立ち上がる。

「器用な王子だ」

 ニックは鼻で笑う。ルイーザが構えるのも待たず、喉をついた。なんとかよけるも、防戦一方。

 あれだけ覚悟を決めながら、結局は最初に考えた通りただの時間稼ぎになっている。守ることで精いっぱい。攻撃を仕掛ける余裕なんてない。

 ルイーザがニックの猛攻を受けている間、兵たちもまた劣勢に立たされていた。

 盗賊たちは疲弊しているはずだが、追い詰められたがゆえにかえって必死になって戦っていた。ボルジア兵は最初こそ優性だったものの、徐々に数が減っていく。エマたちが来るのが先か、全滅するのが先か。

 戦いは盗賊たちの有利に傾く。

 だが不思議と、ルイーザには落ち着きが出てきていた。それは目の前の戦いに精いっぱいで全体を見る余裕などなかったのもあるが、それよりもニックの動きが見えるようになってきたことが大きい。

 動きが見える、いや、どう動くかわかる。

 戦っているうちに、少しずつだが相手の癖がわかってきた。突きはジャブ感覚なのか、それほど強くない。小手はあまり狙ってこない。深入りすると左側に入って間合いを取り直す。

 三手先、四手先、もっと先まで、もっと深く、動きを読む。

 エマの動きを読むのには五年かかった。けれどニックは、ルイーザよりは強いが、エマに比べれば劣る。動きのパターンもエマよりはずっと単調。

 ルイーザの剣がはじかれる。ニックは袈裟に切り込むも、ルイーザはするりとわずかな隙に入り込み、フリーになった左腕でボディフックを入れた。

 ニックが驚きに目を見開く。距離をとるためルイーザの左側に入ろうとするも、一歩出したところで膝をけりぬかれた。がくりと態勢が崩れる。ルイーザは首を一閃。ニックはそれを受ける。相手の力で弾き飛ばされるようにして後ろに下がった。痛めた膝をかばいながら立ち上がる。

 ルイーザの反撃がはじまった。もう完全に相手の動きは読んでいる。主導権は渡さない。

 脳内麻薬が疲労を消し飛ばし、流れた血が目に入ったのにも気づかない。ほんのわずかな隙でも見逃さずに確実にダメージを入れていく。

 右腕の筋を切った。ニックの腕がだらりと下がる。

 ルイーザは今度こそ、ニックの首を切り落とした。

 極限の集中力の中、コマ送りになっていた時間が速度を取り戻す。

 だるい。腕に力が入らない。剣先が地面にあたって高い金属音を鳴らす。

 全力で三千メートル走をしたあとのような、荒い息遣い。心臓が痛い。視界の隅が黒くぼやけている。ゆっくりと視線をあげると、盗賊のひとりと目が合った。

 囲まれていた。すでに兵たちは全滅。残った賊は八人。

 ニックを殺され、激高した部下たちが襲い掛かってくる。ニックの腰から短剣を奪い、左右から迫りくる刃を同時に受けた。

 一瞬で体を入れ替え、右側の男と一対一を作る。袈裟に切ろうとすると受けられ、すぐに左手に持った短剣でがら空きになった脇下を刺す。

 残り七人。

 賊たちは息を合わせ、一斉にかかってくる。致命部位だけは守ったが、左肩を切られた。すぐに移動し、一人殺すも、出血は止まらない。

 左手は使えず、意識が朦朧としてくる。おぼつかない足取りでさらに二人殺し、右大腿部を刺され、膝をついた。

「死ね、クソガキが!!」

 残った賊が剣を振り下ろす。

 しかしルイーザの首には届かない。賊は飛んできた矢に喉元を貫かれ、倒れる。

「ルイーザ!」

 エマの声。賊は慌ててとどめをさそうとするも、ルイーザは残る力を振り絞り、手すりを飛び越えた。一階の床に激突。もはや痛みも感じない。

 ルイーザが落ちるのと同時、兵を率いたミケーネが階段を駆け上がり、残った賊を掃討した。

 エマは傷だらけの弟のもとへと駆け寄る。

「ルイーザ!? 大丈夫!?」

 抱き上げると、ルイーザは気丈に笑って見せた。

「どう見ても大丈夫だよ。死んでないだろ?」

「うん、うん……」

「いっでえよ」

 抱きしめられ、ルイーザは身もだえする。エマは慌てて力を緩め、傷の具合を確かめる。服を破ると、出血している箇所にきつく結んだ。

「お疲れ、ルイーザ。よくがんばったね」

 頭をなでると、ルイーザは意識を失った。


 やわらかい布団の中、ゆっくりと意識が浮上する。

 記憶があいまいだ。今何時だろう。点呼に出ないと……いや、もう自衛隊じゃないんだ。じゃあまだ寝てていい。いや、なにかしなきゃいけなかった気がする。

 そう、俺は王族で、だから、……とりあえずバカ姉を蹴落とさないと。

 ルイーザは目覚めるなり抱き着いていた姉をベッドからけり落した。

「いだあ!?」

 叫び声を聞きながら体を起こす。王宮の中の一室。真っ白い天井からは純銀製のシャンデリアが燃え尽きたろうそくを乗せて沈黙している。この世界ならば高級品であるガラスを使った窓からは緑色に輝く中庭が見渡せた。大理石の壁は染み一つなく、花々が描かれたカーペットはふんわりと床を覆っている。

「朝からひどいなあ……おはよ」

「ああ、おはよう」

 エマは「んー」っと伸びをする。筋肉質な体を隠すためにシルエットの目立たない服を着ているのだが、仕草のせいで隠されていた胸が真っ白い絹を押し上げた。

 さっと目をそらす。エマは弟の視線など気にせず、ベッドに戻ってくっついてきた。ルイーザは会話で気を紛らわす。

「あのあと、どうなったんだ?」

「勝ったよ。計画通り」

「そうか。地下牢は……?」

 言って、すぐに気付く。あそこに行ったのは自分だけだ。エマは知らないだろう。

「もしかして屋敷の地下?」

「知ってるんですか?」

「そりゃ、建物の中は掃討したし。捕まってた人は解放したよ。まあ、盗賊団のメンバーはそのまま国の牢屋に移動したけど」

「……行くあてのない人もいたんじゃないですか」

「そういう人は王宮に連れてきた。軍に入ったり、侍女になったり」

「そうか。……結局姉ちゃんは全部なんとかしちゃうんだな」

 自嘲ぎみに笑うと、頭をなでられた。

「まあねー。って……ん? 姉ちゃん?」

 聞き返されると急に恥ずかしくなってきた。咄嗟に目をそらす。

「んだよ。姉上って言いにくいんだよ。文句あんのか?」

「ない……ないっていうか超いい! え、なに、急にデレた!? あんなに冷たかった弟が、ひゃっほい! 今日はルイーザ記念日だ、ケーキ食べよう、結婚しよう!!」

「うっせえ、黙れ」

 抱き着こうとしてくる姉を引きはがす。エマはひとしきり騒いだのち、ベッドで横になった。ルイーザをみあげると、わずかに声のトーンを落とす。

「本当に助けたいのは君なんだけどね」

「なんだ、助けてくれないのか?」

「だって、本人が望んでないようですし」

 からかうように言うと、ルイーザは鼻で笑う。

「そうだよ。よくわかってんじゃねえか。……しっかりあんたに勝って、ひとりでここを出てってやる」

「ふーん。じゃあ一生出れないじゃん」

「言ってろ。バカ姉」

「じゃあ私は、君が出ていくまでにこの国を変えてやると約束しよう」

 起き上がり、挑発するかのようにルイーザに指を突き付けてくる。

「王宮も、王家も、ぜーんぶ変えて、ずっとここにいたいって国にしてやる。そしたら姉弟二人でいつまでも幸せに暮らせるでしょ?」

「そんなうまくいってたまるかよ」

「おいおい、私はお姉ちゃんだぞ? 姉に不可能はないのだ」

「それなにひとつ説明になってねえから」

「ま、そんなことは置いといて、怪我が治るまではのんびりしようよ。どうせ謹慎一か月だし」

「まあ、それはそう……って、謹慎?」

「やー、ほら。王族とはいえ無許可で軍隊使ったり、結果としてフィルツの暴動を助長したっていう非難もあったりして、ね? だから部屋でめいっぱいイチャつこう!」

「黙れ」

騒ぐ姉は無視し、傷の具合を確かめる。一番ひどいのは足だ。幸い膿んではいないが、剣が貫通していたので治るのには時間がかかるだろう。

 結局、謹慎がとけても怪我が治らないので三か月ほどおとなしくしていた。十キロやせた。

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