第五話 戦乱の始まり その五
更新です。Twitterでも活動しているので是非。「あやかしばかし」という作品も連載しているので見てみてください。
日本国防軍第一士官学校は市ヶ谷に存在していた旧自衛隊駐屯地及び各局を改築・新装し、新設された教育機関である。また、入学と同時に与えられたこの制服に袖を通した瞬間から士官としての身分と国民の奉仕者としての責務を与えられる。
それは日頃のありとあらゆる行いに対して自己の責任が発生するということであり、自身の一挙手一投足が国防軍の名を背負った行動だということである。
ジャンヌと分かれ、一人学校に向かっていた晴人だったが、校門に近づくにつれてそこに人影を見つけた。恐らく先週、宮内が言っていた迎えに寄越した人なのだろうと考えたがそれ以上に教科書に載るお手本のように真っ直ぐ背筋を伸ばしたその姿に晴人は待たせると不味いかもなと考え、小走りで近づくと向こうも晴人を認識したようで足を半歩開いて扇形に動かし、向き直った。
「初めまして、祈上晴人です。お待たせして申し訳ありません」
挨拶、そして謝罪。実際にどれ程待たせたかは知らないがひとまず言うだけ言っておく。
「いえ、予定よりも早く到着してくれたので助かります。改めて樋口怜子です、統括本部にて副本部長を務めています」
言葉の後ろにビシッという音でも付いてきそうな凛とした声に頭頂部よりも少し下で黒髪をまとめたポニーテール。血色良く整った顔立ちに威風堂々とした佇まいはいかにも同性に好かれそうな人だという印象を受けた。加えて自分の意図しない所で苦労してそうだなとも。
「では早速講堂へ行きましょう。何事の早めに行うが吉です」
その樋口の言葉に晴人は「はい」とだけ答えて彼女の後について講堂へと向かった。その道中、彼女から最終リハーサルの段取りについて説明を受けた。概ね前にやったことをそのまますれば十分なようだ。前回と違うのはステージの脇で待機すること位だった。
講堂まで距離があり、ついでにいくつか話をしたが、樋口曰く士官学校ではまず講堂にて式を終えてから初めて校舎内に入ることを許されるそうだ。代々入学式で直々に校長からお認めの訓示をいただき、そこで初めて士官学生として認められる。
「さて他に知りたいことはありませんか?」
「今のところは。色々と教えていただきありがとうございます」
「いえ、・・まぁ私が言うのも何ですが君の話し方は少々大袈裟だと思いますよ。私は学年は上ですがあくまで一生徒ですからそこまでかしこまらなくても大丈夫ですよ」
「そうですか、自分では特に意識している訳ではないのですが。以後、気を付けます」
「・・少々本部長から聞いていた印象と違うのですが、いいでしょう。それは追々ということで」
「その聞いていた印象と言うのは」と晴人が言おうとする前に晴人達は講堂の扉の前まで着いていた。樋口が扉を開けると中から「怜子さーん」と彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「どうしたの?トラブル?」
ほとんど人がいない講堂に彼女の凛とした声が響くとステージ上で彼女を呼ぶ少女が腕をブンブンと振って「機材がちょっとー」と困った顔をしていた。そんな様子を見て樋口はまたかという表情を浮かべ、腰に手を当てた。
「申し訳ありませんが少々ここで待っていてください。すぐに戻るので」
「分かりました」
「ありがとうございます。実咲、それは接続する先が違うだけです。一旦コードを抜きなさい」
樋口がステージに向かって修正をしている間、晴人は言われた通りに席に座っている訳だが、ふいに疑問が浮かんだ。来賓者はどこに座るのかと。ざっと見たところこの講堂の椅子は二階、三階席を含めて全てステージを向くように設置されている。来賓なのだから流石に生徒と同じ場所に座らせる訳はないし、紹介や話があるとしたらステージから離れ過ぎるのは不都合な筈だ。
となれば、最も現実的なのはステージ上となるが、
(ある意味好都合か)
晴人が何やら不敵な笑みを浮かべそうになった時、わざとらしくカツッという踵が鳴る音が前方から聞こえてきた。その音に目を向ければ、ステージに繋がる通路の前方から宮内がこちらに手を軽く上げて近づいてきていた。
この講堂は構造が大ホールに近く、通路に階段が配置されており、ステージから見て座席がせり上がっているように見えるため、ステージに立つ人が圧迫感を感じないように通常の音楽ホールよりも広く高くなっている。
「こちらの不手際で待たせてしまってすまないね」
「いえ。それほど待ってはいませんから」
待たせたことを謝罪した宮内は晴人の座った席の前方の椅子の背中に軽く腰を置いた。
「そう言ってもらえると助かるよ。うちの副本部長はどうだったかな?上手くやって行けそうかい?」
「個人的に好感が持てるとは思いましたが、前に言った通り統括本部に入る気はありませんよ」
「うちは毎年、入試の成績上位者から勧誘していてね。是非とも僕と同じ主席の君には統括本部に入ってほしいんだけど」
「私生活に影響が出そうなので遠慮します」
「まぁまぁそう言わずに。一週間だけでも体験ってことで入ってみないかい?」
「逆に聞きますけどどうしてそこまでするんですか?俺は断りましたよ」
そう晴人に問われると宮内は今までと打って変わって腕を組み、真剣なものへと表情を変えた。
「未来のためさ。僕が卒業した後のね」
「ならなおのこと俺じゃない方がいいですよ。そういうのには向かない人間なので」
「いやいや僕は君が一番向いていると思うけどね、普段からしてるでしょ」
嫌な話し方をしてくる人だと晴人は感じた。最初からこの質問をしたいがために勧誘の話をちらつかせたのか。晴人のパーソナルなそれも最も秘めなければならない部分への問いかけが意味するところは
(ブラフかな)
「別に「家族」が多かったですから。自然とそういうのに慣れたんでしょうね」
具体的には何も答えず、けれど相手に釘を刺すことも忘れない。それ以上の干渉はプライバシーに関わるぞと暗に示し、答える気などないと再度忠告する。その意図を汲んだのか、そもそもその質問がしたかっただけなのか宮内はそれ以上聞くことはせず、話の話題を変えた。
「ところでこんな話を知っているかい?今年の新入生、特に士官科はねいわゆる軍属派より無血派の方が多いんだよ。その結果、今何が起こってると思う?」
「混乱、でしょうね」
「正解。派閥内では結構な混乱が起きているようでね、うちが把握しているのだと一番数の多いとこがちょっと危険かな」
「そうですか」
「興味なさげだけど彼らはまず間違いなく君に接触してくる。」
「だから統括本部が俺を守ってくれると?」
「・・どうかな?十分お互いのためになると思うんだけど」
詰まるところこれから軍閥派内で起こるであろう人の奪い合いから晴人を守ることを条件に統括本部に入ってパワーバランスを保つ役割を担ってほしいということだろう。統括本部は毎年成績上位者に早期にスカウティングを行っていると言っていることから、統括本部がヒエラルキーのトップに立ち、抑えつける形で今までコントロールしてきたと言ったところか。
(だが別にこの人は俺を守るとは明言してない。あくまで曖昧にこちらに同調して意見を誘導しているだけ。それに俺だけにとってならもっと良い選択肢はある。それは)
「統括本部に参加しなくたってあなたの懸念を解消する方法はありますよ」
「・・そう、でもそれはお勧めしないかな」
「ご自分がそうだからですか?」
「・・僕も大概だって言われるけど祈上君の方がデリカシーがないね。普通、思っても口に出さないよ」
「でもそう言ってほしかったんですよね」
「・・・見え過ぎるのも考えようだね」
「・・」
そう言った後、樋口が戻ってくるまで宮内がそれ以上口を開かなかった。どうやら機材トラブルと言う程ではなかったようで樋口が再確認したことで残りの作業もテキパキと進んでいた。入学式で晴人がやることは二つ。
一つは新入生総代としての挨拶。これは事前に学校側が用意したものを読み上げるだけなので事前にデータで受け取り、読み込みは終わっている。
もう一つは各学年の主席だけが着ることを許された紺白の特別な制服の紹介とその特逸性を示すこと。紺服としての立ち居振る舞いを全生徒の前で示すことと宮内は言っていたが要は式の開始から終了まで背筋を正していれば良いということらしい。
準備ができたようで最終リハーサルはテンポ良く進んでいった。段階の確認、挨拶の順番、音響の状態など予定通り終了し、晴人の読み上げも難なく完了した。
「確認はこれで終わりですね。実咲、異常はありましたか?」
「いいえ。問題なしです、怜子先輩」
「ご苦労様」と樋口が言いかけると何かを思い出したかのように「あっ」と声を上げ、晴人の方を向いた。
「紹介をまだしていませんでしたね。彼女は名野実咲、統括本部で書記を務めています」
「はい。二年の名野実咲と言います。初めまして、祈上君」
樋口よりは背が低いが平均よりも少し高く、顎のラインで揃えられた茶髪の左側を蛍光色のピンで留めており、クリッとした瞳からは可愛らしい印象を受けるが統括本部にいるだけにやはりというべきか瞳の奥には力強さを宿している。
「こちらこそ初めまして、一年の祈上晴人です。よろしくお願いします」
「彼女は実技もそうですが特に勉学に秀でているので何か困ったことがあれば頼ると良いと思いますよ。学年四位の秀才ですから」
「そんな私なんてまだまだですよ。上には三人もいる訳ですし」
樋口に褒められ、手をパタパタとさせて謙遜する名野であるが、尊敬する先輩からの言葉に喜びを隠しきれておらず、口の端がしっかりと上がっていた。
そんな彼女の様子が面白いのか樋口は更に名野の良いところと言って良く回りが見えているであるとか、気配り上手であるとか色々と挙げていくと喜びが許容量を越えたのか「もう止めてくださーい」と樋口に詰め寄っていった。
「分かりました、分かりましたから。実咲、からかってごめんなさい」
「もういつも怜子先輩はそう言って。頭を撫でれば私が許すとでも思ってるんですか」
「違うわ。単に私がそうしたいから撫でているだけよ」
「ん、もう。ずるいです」
「よしよし」と名野の頭を撫でる樋口。先程までのツンとした表情はどこへやら撫でられている名野はスッと大人しくなり、樋口が満足して手を離すと物足りなさそうな表情を浮かべるが、どう反応して良いか思い悩み、結局何もせず苦笑いを浮かべていた晴人に気付き、
「すみません、すみません」
と謝っていた。
神経が図太いのか、いつものこと過ぎて慣れているのか樋口は何事もなかったかのように晴人に「他に何か不明な点はないか」と聞くと樋口がこうしているのだから自分もそうすべきだと考えた晴人も何も見ていないかのように「今のところは大丈夫です」と答え、新入生達が入場できるようになる時間までステージ裏の控室に移動することになった。
この控室は緊急時に会議室と避難所に転用できるようでかなり広いスペースが確保されていた。晴人達が控室に入ると他のメンバーは既に仕事を終えており、各々自由に椅子に座り、時間を過ごしていた。
宮内が晴人達の入室を確認すると手を叩き、「全員、着席して」と言うとそれまでの和気あいあいとした雰囲気から緩んだ紐を結ぶように引き締まったものに空気が変わり、一緒に入った樋口と名野は既に着席していた。
晴人は宮内の手招きに呼ばれ、彼の隣に立たされて全員の視線を一点に浴びる格好となった。
「はい、注目。彼が今年の総代、祈上晴人君だ。各々タイミングがあれば何かしら彼の力になってほしい。じゃあ軽く自己紹介してくれるかい?」
「はい。祈上晴人です。よろしくお願いします」
晴人が軽く会釈をするとパチパチと拍手が起こった。この人はまだ俺を統括本部に入れようとしているのか?と疑う晴人であるが、学校でも一番顔の利く統括本部の人達に自分を知っておいてもらうのは損ではないと判断し、注意しながら話を聞くことにした。
「さて、副本部長」
「はい。式の準備ですが概ね完了しました。音響、照明、空調に関しては人が入ってから要調整といったところです。後は調整局と機装局からですが彼に聞かせてもいいんですか?」
「もちろん。そのために来てもらったんだから」
「分かりました。ではまず調整局から今後のスケジュールが完成したと資料と共に報告が入りました。一応例年通りですが何点か変更する必要が出てきたからミーティングがしたいと郡堂代表が仰っているそうです。」
「了解した。早急に対処しよう」
「後でそのように伝えておきます。次に機装局からですが、要望通り完成させたぞと峰原代表からご連絡をいただきました。・・なんですかこれは?」
「いや気にしなくていいよ。僕から彼女にお願いしたことだから。さて以上で全部?」
「はい」
「ありがとう、座っていいよ」
宮内に許可をもらい、樋口は席へと腰を下ろした。腰に手を当て話を聞いていた宮内は目の前の長机に手を置き、統括本部の役員全員を見回してから話し始めた。
「僕からの話は一つだけだ。ここにいる祈上君をどうにかウチに引き入れたいんだけど何か案のある人はいる?」
「・・・そういうことは本人がいないところでするものでは?」
神妙な顔をして変なことを言い出した宮内に放った樋口の言葉にその場にいた全員が無言で頷いた。宮内はこういったことを頻繁にするらしく、その後は本部長を放置して樋口が場をまとめ、入場が始まるまでの間は自由時間となった。
放置された当人は庶務の泉健人に教官室に行くと伝えていつの間にかいなくなっていた。役員達は各々好きに過ごしている訳だが式が始まるまで三十分近くあるため完全に手持ち無沙汰になった晴人は何をしようかと考えていると不意に真横からすんすんとそう口に出した声がした。
「何してるんですか?」
「いや~ね、何故か君から女物の香水の匂いがするからね。気になっちゃってね。それって聞いてもいいの?」
「聞いてもいいの?とは?」
「え~だってもし耳を疑うような答えが返ってきたら気まずいし、変な空気になったらどうするのさ。それに君の全身そういう匂いがするんだよ?何となく予想はついちゃうし」
「ならわざわざ聞かなくてもいいんじゃないですか?」
「私、気になったことは最後まで確かめないと気が済まないタイプなの。だからその答えについて私は君に聞いてもいいのかな?」
「別に隠してることでもないですけど答える気はないので気になったままでいてください」
「そう。君は凄いのね」
それがどういう意味なのか晴人には理解しかねるが、好奇心を止められないと言う彼女の表情が晴人が答える気はないと言った瞬間、スッと何かを感じ取ったかのように変化したのは晴人の中で何かが表に零れてしまったからだろう。
もしかしたら無意識のうちに表情に何かが出ていたのかもしれない。それを見て片鱗でも感じ取ったのだろうか。
「どうも。後、あの、そろそろ離れてもらえませんか?」
「え~いいじゃん。こんな可愛い子にくっつかれて嬉しくないの?それとも「その人」の方が魅力的かな?」
「樋口さん、この人はいつもこうなんですか?」
「あぁすまない。巳門は好奇心旺盛で他人のパーソナルスペースを無視してベタベタ触ってくるから気を付けてと伝えようと思っていたんだが、ほらっ離すんだ」
どうやら彼女にとってはこのくらいの距離感は普通のことらしい。
樋口にそう言われても巳門本人はむしろ褒め言葉として受け取っているのか、依然として笑みを浮かべたままだったが、晴人の首に回していた腕を樋口が掴むと特に抵抗することもなく「は~い」と言いながら大人しく晴人から身体を離した。
「すまない。誰にだって聞かれたくないことの一つや二つあると言うのに、こいつが変なことを聞いてしまって」
実際に聞いてきたのは巳門なのにも関わらず樋口はまるで自分のことのように晴人に頭を下げた。
「いえ別に。樋口さんが謝られるようなことではないですよ」
「ありがとう、祈上。ほらっ、巳門。謝罪と自己紹介をするべきじゃないか?」
「改めまして巳門恵眞よ。さっきはごめんなさい、つい気になっちゃって」
そう言って巳門は軽く頭を下げ、丁度晴人の右側に置かれているソファに目を向け、「ひとまずそちらに座って」と促した。
身長は横に並んでいる樋口よりももう少し高く、濃茶の髪を肩甲骨辺りまで伸ばし、ハスキー気味な樋口の声と対照的に女性らしいたおやかな声音。可愛らしいというより綺麗という方が合っていると感じる程に整った容姿をしている彼女だが、いつの間にか傍に近づかれていたことで晴人は若干彼女に対して警戒心を持っていた。
「いえ、大丈夫です」
晴人は巳門に勧められた通り数歩先のソファに腰かけた。樋口と名野がテーブルを挟んでその正面のソファに先に座ったため、ならば仕方ないとでも言うように晴人の隣に腰を下ろした。
「皆さん、お飲み物はどうなされますか?」
名野が四人分の飲み物を用意しようとソファから立ち上がった。
「私は緑茶を」
「じゃー私も」
樋口と巳門が注文をするが、一番年下の自分がただ座っていることが申し訳ないと思い、晴人が「お手伝いします」と立ち上がろうとすると隣に座る巳門が晴人の腕を掴んだ。
「人の仕事を取っちゃ駄目だよ」
晴人からすれば迷惑をかける訳にはという考えだったのだが、ここは素直に従うべきと判断し、彼女の言葉を受け入れて大人しく座っておくことにした。そんなやり取りを見て名野はニコニコと微笑んでいた。
「祈上君は何を飲まれますか?」
「俺も二人と同じものをお願いします」
「はい。少し待っていてくださいね」
三人の注文を聞くとパタパタと部屋に備え付けられたドリンクセットに向かい、飲み物の準備をする名野。その背中を見ながら樋口が口を開いた。
「あの子は人の世話をするのが好きなんだ。だからついつい我々も甘えてしまうんだが、まぁ巳門が言いたかったのはあの子の好きなようにさせてあげてほしいということなんだ」
「分かってます」
「そう怒らないでよ、ほらお姉さんの膝を貸してあげるから。機嫌直してよ、ね」
「いや、真っ当な言葉だと思っただけなので怒ったりしてませんから」
ニヤッとした表情で先程とは違って自分の方に引き寄せようとする巳門にそんな必要ないですという表情で抵抗する晴人。弟に嫌がらせをする姉のような、そんな様子に樋口は思わず声がもれてしまった。
「ははっ、年相応な表情を見せてくれるようになったじゃないか。緊張が解れたみたいで安心したよ」
「お、怜子が笑ってる。珍しいね~」
「確かに、今日は良い日になりますね」
ちょうど飲み物を持って戻ってきた名野にもそう言われ、樋口は眉をひそめ、納得がいかないような表情を浮かべていた。その後、晴人が資料からは情報が得られなかった学校のカリキュラムなどについて聞いていると教官室から宮内が戻ってきた。
「皆、そろそろ時間だから準備しようか」
彼の号令に全員が立ち上がり、各々荷物を整理し始めた。
「では私と実咲は新入生の案内に行ってくるよ。巳門、祈上君のこと頼んだぞ」
「えぇ分かったわ。じゃ私達も行こっか」
「はい」
晴人と巳門がステージ裏へ移動しようとした時、宮内がこっちこっちと手招きで晴人を呼んだ。
「ごめんね。これを渡し忘れてたよ」
宮内は胸ポケットから真っ白な生地に墨汁で「祝」と一文字と書かれた封筒を取り出し、晴人に差し出した。
「本当はもう少し早い段階で渡したかったんだけど毎年書いてもらってる方が今年は中々手間取っていらしたようで、丁度さっき届いたんだよ。」
宮内が晴人に手渡した封筒には毎年新入生総代が読み上げる挨拶の言葉が書かれた書が入っている。この書は毎年同じ人物が書いており、毎回文章が前年と重ならないように少しづつ変えるというこだわりも持っている。
そんな挨拶文が今年は例年よりも難航したらしく宮内が言うようについ先程完成し、本人が学校まで直接届け、それを教官室に呼ばれた宮内が受け取り、晴人の手に渡ったという訳だ。
「ありがとうございます。内容は先に貰っていた文と同じですか?」
「そうだよ。かなり達筆な方だから一応印刷した標準字の方も入れておいたから。読み上げる時は書に重ねてそっちを見ても問題ないから」
「なるほど、でもそんなことしていいんですか?傍から見たらどっちを読んでるか分からないから特に問題はないと俺も思いますけど」
「まぁ書いていただいた側としてはちゃんとそのものを見ながら読む方が正しいんだろうけど、わざわざ自分から不便を受け入れる必要はないよ。伝統や歴史なんて物は所詮ただの遺物なだけさ。それ自体には何の価値もない、ただ信じる人によって作られた産物ってだけだから。今を積み重ねたら勝手に過去に、歴史になる。不確定な未来の方が価値があると僕は思ってる。っと話が逸れたね、要するに使える物は好きに使っていいってことを言いたかったんだ。好きなようにやりな」
「分かりました、ありがとうございます」
この時、晴人は宮内の言葉の本当の意味に気が付いていなかった。宮内の声音が一段低くなったことでこの言葉が表面上だけの意味ではないと直感的に感じ取った晴人だったが、彼が発した言葉の奥にどんな意図と思惑があるのか、宮内瑛作以外まだ誰にも分かってはいなかった。
初登場キャラがここからもっともっと出てきます。物語が始まっていくという空気をバシバシ感じますね。
キャラ名:樋口怜子、名野実咲、巳門恵眞