第三話 戦乱の始まり その三
更新です。Twitterでも活動しているので是非。「あやかしばかし」という作品も連載しているので見てみてください。
晴人がランニングに出かけた後、ジャンヌは一人、テレビをつけていつものように朝の支度を始めた。
晴人と暮らし始めてから約二年。公私共に同じ時間を過ごし、同じ景色を見てきた彼女はフランスの中部で生を受けた。彼がジャンヌと呼ぶ彼女の本名は「ジャンヌ・ダルク・ロヴェリヴィエール」。それが彼女の背負った名であり、オルレアンで生まれたか弱き少女の名であった。
生まれつき要領がよく、勉学も運動もでき、何不自由なく暮らしていた彼女に最初の転機が訪れたのは十歳の頃だった。小学校の教師からの推薦でパリ市内にある名門の国立中学に行くこととなる直前、メキシコによる「テキサス侵攻」が起こった。この事件によって世界はファーレスの軍事的脅威を認識し、同時に戦争の気配を背後から感じることになった。
その二年後、二〇四一年四月、中国による日本への侵略、ロシアによる東欧諸国の占領などの知らせは世界が戦争状態に入ったという明確な警報であり、授業中に教師がいきなり画面を切り替えるものだからクラスの全員が何事かと訝しんだが、その顔はすぐに恐怖と不安の色に塗り替えられた。
欧州だけでなく日本海やインド洋での戦闘も続々と報道され、迫りくる戦禍に人々が忌避感を覚える中、ジャンヌは全く逆の思いを胸に抱き、自身の意思を決定した。
彼女は国立中学を卒業した後、陸軍士官候補生育成学校へ進学した。無事三年間の士官候補課程を第四席として修了し、陸軍士官大学校へ幹部候補課程として進学した。
大学では戦略科参謀課程に席を置き、強まる戦火に焦りを覚えていた頃、彼女が防衛戦略論の講義で提出した「軍団規模の侵攻に対する地形・天候などのイレギュラー要素を活用した戦略的拠点防衛論」というレポートが担当教授からフランス陸軍参謀本部防衛対策局第一分室室長である「アンナ・ケライフィ」に伝わり、彼女からのスカウトを受けてジャンヌは飛び級扱いで二〇四八年にフランス陸軍に入隊した。
彼女が晴人に出会うのはそれから二年後。防衛対策局局長第二補佐官「ジャンヌ・ロヴェリヴィエール」大尉としてだった。
彼女が初めて祈上晴人という人間と逢まみえた日、晴人は品川の陸軍基地まで定期健診に来ていた。
晴人とジャンヌが顔を合わせたのは全くの偶然でお互いにあの作戦を考えたフランス参謀本部から士官が来るのも、あの事件で全てを奪われながらも唯一生き残った民間人の少年が訪れているのも知らず、案内した国防軍人が皮肉交じりに生き残った少年と面会するかとジャンヌに問うたため、二人は出会うことができた。
一緒に住まないかと提案したのは晴人だった。彼はジャンヌと話がしたいと言い、外交官と同僚は難色を示したが、ジャンヌは二つ返事で了承した。晴人は自宅の部屋や隣の部屋が余っているから好きに使っていいとジャンヌに言ったが、晴人の目的が彼女達への糾弾だと考えたジャンヌは晴人の抱えるどこにも向けられなかった怒りや憤りを全て受け止めるために晴人と共に生活しようと決めた。
一つ誤算があったとすれば、晴人は本当にジャンヌと話がしたかったということ。ホテルに送るはずだった荷物をタクシーに乗せてジャンヌは待ってくれていた晴人と共に彼のマンションへと向かった。
そこから今日に至るまで彼と彼女は幾つもの紆余曲折を経て幾度もの衝突を越えて二人で生きるようになった。そして、また今日も彼の帰ってくる音がする。
このマンションは敷地が広いだけでなく、防犯セキュリティが都内でも随一なためエントランスから自室まで二段階認証な上に各部屋のルームキーがエントランスでかざされた際にその部屋に通知が行くようになっている。
去年二人が喧嘩した際、ジャンヌは晴人の入室を拒み、二段階目の扉を開けなかったことがあった。一段階目の認証時に何もしなければ二段階目も問題なく入ることができるが、部屋側から拒否した場合、次の認証をパスできないようにすることができるのだ。
ジャンヌが晴人を締め出した日、晴人は警備員に連れていかれそうになったが、いつも晴人がランニングに出ていることを知っていた人であったため家族と喧嘩して追い出されたことを話すと理解してもらうことができ、もう一つの部屋の鍵を使うことで無事帰宅することができた。
ジャンヌも晴人が常にもう一つの鍵を持ち歩いていることを知っているのに締め出したのは彼女自身、晴人なら必ず帰ってくると信じていたからだろう。
エントランスを通り、エレベーターに乗って部屋まで上がってくる、いつも通りに。
ガチャと音が鳴って玄関の扉が開き、帰ってきた晴人がいつものようにジャンヌに「ただいま」と言った。
「おかえり」
こうしてまた二人の一日は幕を開ける。
「シャワーでも浴びてこい。着替えは置いてあるから」
「いつもありがとう」
「いいさ、したくてやっていることだ」
「じゃあお言葉に甘えて行ってくるよ」
数十分後、晴人がシャワーから戻るとジャンヌ手作りの彩り鮮やかな朝食がテーブルに並んでいた。晴人が戻ってきたことを確認するとジャンヌは晴人がプレゼントしたエプロンを脱ぎ、キッチンから出てカウンターを回り、席に着いた。
そんな一つ一つの所作までもが美しい彼女につい見とれてしまう晴人であったが、腹の虫の方が正直なようで彼の硬直を一瞬で崩し、席へと誘導した。
「いただきます」
「召し上がれ」
穏やかな朝、朗らかな陽気が差し込む部屋で花よりも何よりも美しいヒトと机を挟み、同じ物を食べ、同じ時間を過ごす。朝のニュースをBGMに彼女と過ごす何気ない時間は何物にも代えがたい宝石のような時で、彼女の瞳に映っているのが自分だけだと知る分だけそんなことを考える自分に嫌気が差す。
こうして安心する時間が流れる度に心の奥底でもっともっとと望む声が声高に主張する。奪われたものはもう二度と戻らないと分かっているのに眼の裏に張り付いて離れない。あの「家族」としての風景を、大切な人達に囲まれた目を細めてしまうくらい眩しい光景を。
取り戻せない過去への執着、後悔が見せる幻影だなんて誰に言われなくとも自分自身が一番良く理解している。手を伸ばしたって太陽の光は掴めない。溶けた雪はもう元には戻らない。
だからこそ今この時間が続けばいいのにと思ってしまう。二度と奪われないために、二度と手放さないために、二度と壊されないために。
俺は今を積み重ねてきたんだ。
久しぶりにあの人達との夢を見たせいか、ジャンヌが作ってくれた朝食は少し苦い味がした。
朝、穏やかな朝。次回から本格的に士官学校に突入していきます。準備はよろしいでしょうか。
キャラ名:ジャンヌ・ロヴェリヴィエール、アンナ・ケライフィ