夢の続き-④
庭を駆けていき、一番日当たりの良いところに植わった小さな桃の花の下にしゃがみ込んで、木に向かって手を合わせる。
母が一番好きだったこの花の下には、山から持ち帰った孤舟と左近だったものをほとんど埋めた。
手元に残したのは一つまみの砂と陶器の欠けらだけで、それはいつも身につけていたくて、今は守り袋に入れて首から下げている。
あの期間——桃子が孤舟の元にいた期間を、父は未だに桃子が家出をしていたのだと思っている。それがあの騒ぎで帰ってきて、使命に燃えて山に駆け出して行ったのだと。
父にとって娘の家出はかなり衝撃の出来事だったようで、気を遣っているのか、それとも自分からは触れたくないのか、その間どこにいたのかも、持ち帰ってきた土のことも、桃の木に手を合わせ始めた理由も、これまで一度も聞かれていない。桃子も、どう説明していいか分からず、そのままにしてあった。
鬼云々は省いても、銀髪の青年姿であった孤舟が、一緒に生活している間は陶器の熊だったのだ、と言っても、説得力に欠ける。手紙にも書けなかったことが、面と向かって言えるわけもないのだ。
胸にかかった守り袋を、手のひらでそっと抑える。
そうすると、孤舟の顔が思い浮かんだ。
孤舟を思う時はいつも、馴染み深い熊のほうが先に浮かんで、その後、あの美貌の青年の姿が重なっていく。つくづく妙な記憶で、時々、その思い出し方に自分で笑ってしまうこともある。
ただ、記憶の中の孤舟は、どれも優しい眼差しをしている。
——桃子にとって、初恋は祈りだった。
手を合わせる度、剣を振る度、生きる毎に、桃子は祈る。
どうか無事であるように。
誰にも傷つけられていないように。
孤舟の望む未来が、いつの日かやって来るように。
二度と会えなくても、どれだけ遠くても、私は味方だと旗を振り続ける。途方もないことだが、そう決めた。決めたからには、研鑽あるのみだ。
よし、と気合を入れて、稽古着に着替えるために家のほうへ踏み出す。
時々、薄雲がかかるような気分にもなるが、桃子の心は概ね晴れやかであった。
その三月後、思わぬ客人が綿貫家の門を叩いた。
桃子はちょうどその時、門下生の忘れ物を届けに出ていたのだが、帰ると玄関門に人だかりができていた。中には則爺の姿まである。
稽古参加者であろうか? しかし、道場にも入らず、なぜ家の前でたむろしているのだろう。
「あの、入らないんですか、皆さん……?」
おそるおそる集団に声をかけると、一斉に皆が振り返った。その視線は一心に桃子に突き刺さり、食い入るようである。
中から則爺が興奮した様子で桃子を呼んだ。
「ああ、桃子ちゃん! 戻ったか!」
「はあ」
「おおい、綿貫先生! 桃子ちゃんが戻ってきたぞ!!」
則爺は大きな声で玄関の向こうに声をかけた。ざっと潮が引くように人だかりが割れて、瞬時に玄関までの道が現れる。別にこんなところから呼ばなくても、と不審に思っていると、奥から大慌てですっ飛んで来る父が見えた。
一体何が起きているのだろう。
「お、おま、お前に、お客がきてる」
父は、普段門下生を子供から老人まで指導している様子からは考えられないほど何度も言い直しながら、則爺に会釈もせずに桃子の腕をぐいぐい引っ張った。
「いた、痛い! なんです、父様」
「いいから早く来い!」
「でも、お客様なら一度着替えてきたほうが、」
「いいから!」
父は桃子を抱えんばかりの勢いで客間に連れて行くと、押し込むようにして中に入れた。
そこには、夢にまで見たあの銀髪の青年が、居心地悪そうに座っていた。




