表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/76

山の上には熊がいて-⑤

 則爺と別れ、犬山のふもとまでひたすら歩いた。そこには神社に続く階段がある。毎年九月にはお稲荷様のお祭りがある、狐山神社である。

 一段一段踏みしめるようにして上がり、桃子はすがるような気持ちで鈴を振って手を合わせた。


「どうかどうか、次の縁談こそ、つつがなくまとまりますように……! この際、どんな問題のある方でも構いません。とにかく私と、末長く添うてくださる方が現れますように!!」


 声に出し、かつ気の済むまで念じ、ふ、と顔を上げる。そこには先ほどと変わらぬ拝殿があった。

 その変わり映えのなさに、なんだか気がそがれる。信心がなければ、と思うものの、もう三度も駄目になっている事実がどうしても頭にちらつく。


「私の何がいけないんでしょう……」


 則爺に投げかけた言葉をひとりごちるが、答えは分かっている。


 全てだ。桃子の何もかもが、結婚するのに向いていない。


 最近まで、女だてらに朝に夕、剣術に明け暮れていた男勝り。跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘。水晶の良し悪しも分からず、嫋やかでも、若くもなく、では特別な器量良しかと言えばそうでもなく、今はまだ珍しい女子高等教育を受けていて、妙に知恵があり、可愛げもない。文武両道で褒めそやされるのは男だけだ。

 女として、妻として、娶りたい部分が一つもない。


 ——桃子、桃子、よく聞いて。


 母の最期の言葉が思い出される。


 ——あなたは結婚をするのよ。なるべく早く。お父様があなたに道場を継がせる前に。


 分かってるわ、母様。

 あの日、病床で囁かれた母の最期の言葉。あの時、驚きで何も言えなかった代わりに、心の中で母の面影に答える。

 今は前途多難で、なんなら既に三度も失敗してしまったけれど、次の縁談こそは纏めてみせますとも!!

 弱気な己を奮い立たせ、握り拳を天に突き上げる。


「さあっ、切り替え切り替え! 次行くわよ!」

「もし」

「っきゃあ!!」


 突然後ろから声を掛けられ、つんのめって転びそうになる。なんとか踏ん張って振り向くと、見慣れぬ男が立っていた。白い羽織に、カンカン帽を目深に被っているので、顔はよく見えない。

 気配が全くなかったことに、桃子は怯えた。


 まさか……鬼だろうか。


 ゾッとして身じろぎもできずに立ち尽くしていると、男が、ふ、と笑う。


「まだ鬼は出ませんよ。逢魔が時には早い」

「あ、そう、そうです、よね……」


 無闇な恐怖を見抜かれた気恥ずかしさに、はは、と笑い返す。こわばった体が瞬時にほぐれて、情けない気持ちもあった。


 ——この世界には、『鬼』と呼ばれる、人を喰う怪物がいる。


 普段は人のふりをして暮らしているが、人より数段力が強く、不思議な妖術を使い、身体のどこかに角を持つ。

 初めて公的に記録されて以来、日に日にその数を増やし、被害は甚大。街一つが壊滅に追いやられたこともある。只人では、束になっても敵わない相手だ。

 鬼を屠ったり、封印できるのは、異術を行う陰陽師のみ。

 しかし、人は百年に渡ってこの生き物と戦い続けているが、未だに殲滅の報はない。

 だから只人は、夜は息を潜めて暮らしている。陽の光に弱い鬼は、夜に人を喰うから。


「申し訳ありません、鬼と間違えるだなんて失礼なことを。何かご用でしょうか」

「いや、なに。随分熱心に祈っておられるな、と思って」


 か、と瞬時に頬が火照る。見られていたとは。


「あ、はは、これはお見苦しいところを」

「人生に絶望でも?」

「そ、うですね。少し、上手くいかないことが多くて」

「それは大変ですね。生きていたくないほど?」

「ええ、まあ……」


 矢継ぎ早の問いかけにモゴモゴと返すと、ズズイと、男が人差し指を桃子の眼前に立てた。


「では、これは提案なのですが。一度、命を捨ててみるというのはいかがでしょう?」

「え?……ああ、そうですね。今日からまた、生まれ変わったつもりで……」


 死んだつもりになって再挑戦してみよう、というような励ましの意味合いだと解釈して頷くと「いえいえ、そうではなくて」と男は首を振った。


「あなたには少し、地獄の様子を見てきていただきたいと思うのですよ」

「は、」


 カシャン、音とともに、右手首に硬質な何かが巻きついた。はたと手を持ち上げて見ると、そこには金属の腕輪がある。


「は?」

「あなたはこれから私の目となり耳となり、地獄を見聞する。もしかしたら無礼な只人と断じられ、切り捨てられて死んでしまうかもしれないが、それならそれで都合が良い」


 混乱のままに、とうとうと喋る男の顔と腕輪を交互に見る。


「どうせ絶望ばかりの人生だ。ここで殺されても惜しくはないでしょう?」


 ニヤ、と男の口が三日月を描いた。とっさに背に手を回したが、そこにいつもある木刀はない。


 しまった——!


「それでは、見知らぬ娘さん。良い働きを期待していますよ。——(かのえ)(てん)

「待っ……!」


 とっさに男の襟を掴もうとしたが、ぼうと浮かび上がった光の筋に阻まれた。パチンと弾かれたかと思えば、男が下に下に遠ざかる。いや、違う。


 桃子が、宙に浮かび上がっているのだ。


 足が宙を掻き、悲鳴が口をつく。見開いた目の先には、憎っくき男の姿。男の前には光の筋で描かれた五芒星が見えた。


「急急如律令」


 聞こえた瞬間、身体が凄まじい速度で後ろに引かれる心地がした。眼下には木々が目まぐるしく過ぎ行き、まるで緑の川のようだ。


「っきゃああああああああ!」


 そうして桃子は、絶叫を尾のように引き連れながら、山肌にみっしりと茂る木々の間に、一直線に落ちて行ったのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ