土司孤舟-⑯
良かった、もう会えないかと思った。
ところが、そうして桃子が胸を撫で下ろしたのも束の間、弾かれたように手を振りほどかれる。目を白黒させていると、
「どうして来たんです!」
と、この世のものとは思えない美貌ながら、陶器の熊と同じ柔らかな眼差しの銀髪の男性に大喝された。
「ど、どうしてって、」
「言ったでしょう? 危険だから山を降りるな、って。ここは戦場になるんだぞ!」
「それは、だって、び、微力ながら、お力添えをと、」
「なんて馬鹿なことを!」
孤舟は美しい銀髪をぐしゃぐしゃに掻き乱したかと思えば、キッと顔を上げて桃子を見る。
「俺は半人半鬼。正真正銘の化け物なんですよ。あなたに命を賭して助太刀してもらえるような生き物ではないんだ」
「そんなこと、」
「いいえ、あるんです。それでなくとも、俺はあなたを騙していたんだ」
「それは、」
「仕方なかったとは言いません。俺にはあなたに本当のことを告げる機会が何度もあった。でもしなかった。そのほうが俺にとって都合が良かったからだ。いいですか? 俺が恩人だから、恩を返したいと思っているならそれは大きな間違いで、」
「聞きなさい!!」
立て板に水のごとく流れてくる言葉を堰き止めたくて、一喝した。腹から声を出すのは、道場での指導で慣れている。桃子の思惑通り、孤舟はパチクリと目を瞬かせて黙った。
桃子は口を開く。
「あなたが自分を何者と思っているのか、私は知りません。優しくしてもらったから、優しさを返したいわけでもない。私ごときが戦場に立っても、無力なことも分かっています。私はただ……あなたを一人で立ち向かわせたくなくて来たんです」
父が道場を続ける理由を、桃子はずっと、使命感からだと思っていた。そういう仕事に就き、皆を守る責務を持っているのだと。
もちろんそれもあるのだろう。けど、それだけではないのだと、今なら分かる。
どんな噂を聞いても陰陽師を心から尊ぶ父の姿や、今でも父を気にかける上官。防人を辞めても、腕をなくしても、人々に剣を教え、自らも剣を続けたい、その理由。
父はきっと、たとえ無力でも、力になれなくても、大切な人の側に立って、自分は味方だと旗を振り続けたかったのだ。
「傷つきたくないのなら、誰も信じるなとおっしゃいましたね」
呆然としている孤舟の手を握る。触れた手は雨に濡れてひんやりとしていたが、それでも、陶器の冷たさとは比べるべくもない。
孤舟の苦しみを、桃子は本当の意味では理解できない。だけど、思いやることはできるから。
「でも、私はあなたを信じます。あなたが私を信じてくれなくても。あなたになら裏切られても、傷つけられても構わないと思って、信じます」
「どうして、そんな、」
幼いこどものような口ぶりで孤舟が問うた。
どうしてって、そんなの、決まってる。
「あなたが好きだからです」
孤舟の指が、桃子の手の中でびくりと跳ねる。桃子は重ねて言った。
「あなたを、好きになったからですよ」
近づいてくる嵐のような音と振動の中、静かな桃子の声は、孤舟の耳に果たして届いたかどうか。
けど、きっと分かったのだろう。赤い目が、これでもかと丸く見開かれたから。




