土司孤舟-⑤
山頂近く、孤舟の気配が消えてしばらく経っても、桃子は座り込んだままだった。
山を降りるな、という言いつけを守っていたわけではない。ただ、動けなかった。
——誰も信じないことです。
——そうすれば、傷つかずにいられる。
いつかの孤舟の言葉が、ひたすら頭を巡っていた。
あれを、孤舟はどういうつもりで言ったのだろう。
忠告のつもりだったのだろうか。
実感の伴った、傷ついた人の言葉だと思ったけれど、本当は、全然違う意味だったのかも。
呆然と座り込んでいると、地震でまた山が大きく揺れた。それに、完全に沈黙している腕輪の男の横で、山になっていた泥が崩れる。左近を形作っていた泥だ。雨で川ができ始めている。
桃子は慌てて駆けていき、その泥がそれ以上散らばらないように抑えた。
すぐ後、何をしているんだろう、と馬鹿馬鹿しい気持ちになる。
もう、左近はここには宿っていないのに。
ううん。それどころか、あの子は本当は狐じゃなくて、人を喰う鬼だったのに。
しかし、どれだけ色々な言葉が胸の内から溢れても、手を放す気にはなれなかった。
振動が一旦落ち着くと、桃子は立ち上がり、藁笠を探しに山を下った。男との攻防で、いつの間にか頭から外れていたのだ。
少し下で見つけ、汚れを払うと、また戻り、まずは陶器の熊の残骸を笠の中に拾い集めた。すっかり集めてしまうと、また泥のところに戻り、それもまた笠の中に掬い集める。
こんなものは、ただの泥だ。
孤舟も左近も、もうここにはいない。分かっている。
だけど、自分が触れ、労わり、慈しんだものである以上、無視して行くことはできなかった。
山を上がって置いて行くにしろ、このまま下るにしろ、どこか一箇所に集めて、埋めるか何かして、偲んでやりたい。
それが桃子の考える、彼らとの精一杯の別れの儀式だった。
左近の冷たい手。孤舟の硬い背中。二人の柔らかい眼差し。それが、ただの土に還る。
もう会えないんだ。
あの日々は、もう帰ってこないんだ。
掬う間、考えると涙が出てきた。
優しくしてもらった。恩人だった。理想の陰陽師だった。
なのに。
全部嘘だったの?
掬い終わって鼻をすすって泣いていると、不意にガッと手首を掴まれた。
「ひ、」と喉が締まる。
精も根も尽き果て倒れ伏したと思ったあの男が、桃子の手を掴み、血走った目でこちらを見ていた。
とっさに手を引こうとしたが、男は最後の力を振り絞りでもするように、より強い力を込めてくる。
「それを、」
「な、なんです……?」
「それを、どこに持って行くんです」
桃子は言い知れない恐怖を感じながら
「と、弔うのです。どこかに埋めて」
と返した。
「そんなことをしても、なんにもなりませんよ」
「それは、私が決めることです」
「ふ、ふ……あなたはまだ、ご自分が騙されていたことにお気付きではないようだ」
男は桃子の腕をギリギリと絞りながら言った。
「あの怪物はね、本当は、すぐにでも術を返せたはずなんです。類い稀な陰陽師の力があるのだから。だが、間者としてのあなたをそばに置き、良い部分だけを見せ、あなたを通じて我々に己の潔白を見せつけようとした。本当は鬼を飼っていたのに。我々の油断を誘うため、あなたを利用していたんですよ」
「なぜ、そんな」
「あの怪物は、我々の土地から人間への復讐を始めるつもりだったんです。あの鬼を使って、全ての人間を殺そうと、」




