そういう夢を見ていた-⑥
「放せ、放せよ!」
左近はもがくが、雨で体が脆くなっている上、腕輪が足にも腕にも付いていてはまともな抵抗はできない。
左近を取り返そうと前に出かけた桃子の足を、残った二つの腕輪が阻む。
「やめてください! 幼いこどもをそのようにして、なんになると言うのです? その子には、なんの罪もないはずです!」
桃子の糾弾に、男はひたりと手を止める。
いっそ不気味なほどの停止。
「罪が、ない?」
男はブリキのようにぎこちなく桃子に顔を向けると、心底不思議だとばかりに言う。
桃子の心が、大きな不安にざわめく。
やがて男は背をそらし、大声で笑いだした。
「あはははははははは! 罪がない! 罪がないと言ったか? この泥人形が!?」
「な、何がそんなにおかしいのです。その子は、だって、中身はただの狐の仔だわ!」
男はやれやれと大げさに首を振る。
そして小さなこどもに言い聞かせるような口ぶりで
「言ったでしょう? 悪辣なものほど嘘をつくのです。……あなたは騙されておられる」
と言う。
「なにを、」
「知らぬほうが傷は浅いと、私の善良な心などは思いますがね。まあ、そんなに言うなら見せて差し上げよう」
男はにたりと笑って左近の前髪に手をかける。左近が息を呑み、「やめろ、やめろ」と放心したように繰り返した。
「さあ、御覧なさい。そしてその目に焼き付けろ。お前が愛した、この人形の正体を!」
「やめろーっ!!」
左近の絶叫を意に介さず、男は左近の分厚い前髪をぐいと乱暴に持ち上げた。
日光を知らぬ小さな額が露わになり、桃子の息が止まる。
その白磁の両側、ちょうど瞳の上辺り。
二本の突起があった。
初めて見た桃子にも分かる。
それは確かに、鬼が持つ角だった。
ひひひ。下卑た笑いが男の口の端から漏れた。
「やはり、やはりそうか。ふふ、ただの狐とはよく言ったもの。こんなものを飼っていたとは、これで土司孤舟もおしまいだ。やっとあの男を引きずり降ろせる……!」
桃子は呆然と目の前の光景を見つめる。
なにが起きているのか、まるで理解が追いつかなかった。
男が笑う。悪魔のような笑い。
「まだ分からないのですか? この泥人形の中に入っているのは、鬼です。それも六年前、あの別荘地の辺りを壊滅に追いやろうとした、凶悪なね!」
鬼。壊滅。凶悪。
単語ばかりが頭を回る。
「放せーっ!!」
左近は最後の力を振り絞るかのように首を振り、めちゃくちゃに手を動かした。
「この、暴れるな……っ!」
男が左近を押さえつけようとしたその時、左近の右手が男の鼻に強く入った。うめき声をあげて男がよろけ、左近を解放する。
「ぐ、貴様ぁっ!」
左近は即座に立ち上がると、男の顔を見て——いや、男から流れる血を見て、ピタリと動きを止めた。まるで死んだように。
「あ……血……」
男は棒立ちで震える左近を腕輪で打ち倒すと、その上に馬乗りになった。
一方的に行われるいたぶりにも、桃子は何もできない。
何も。
左近を取り返そうと前に出かけていた足が、完全に力をなくしてしまっていた。
「鬼風情が、この私によくも……!」
「どう、どうしよう、血、血が……」
「何をぐだぐだと言っている!」
「いい子にならなきゃ駄目なのに、左近がいい子にならなきゃ、孤舟は、孤舟の身体は……あ、うあ、」
男の鼻から垂れた血が、左近の頬を打つ。
左近は首を小刻みに振っている。
「……うう、ううあ、うあ、」
「おい、何を言っている!」
「うあ、ううっ」
左近の髪を掴み、男が引っ張る。やめて、と口まで出かかっているのに、桃子の喉は締まるばかり。左近は開きっぱなしの口から意味のない呻きを漏らす。
その歯が、口の中でガチリと噛み合った瞬間。
「うああああああああああっ!!」
大音声が左近の口から放たれ、その身体が目を焼かんばかりの白い光を放った。
その直後、地が崩れるような震えが世界を襲った。




