そういう夢を見ていた-④
桃子の足は次第に山頂に向く。そのように追いやられているのか、はたまた己が孤舟に助けを求めようとしているのか、分からないまま。
「あなた、随分あの場所で毒されてしまったみたいですねえ。可哀想なことだ」
「何を、」
「言葉を信用しすぎるものではありませんよ。言葉というのは罪深いもので、美しい言葉を繰るものは、思想まで美しいと思わせがちだが、……悪辣なものほど嘘をつく。美しく飾り、あるいは間引き、だんだん虚言が正しいように思えてくる」
まっすぐ飛んできた腕輪を打ち返す。しかしそれも想定の範囲なのか、男にはかすりもしない。
山頂が目視できるようになった頃、男はほとほと飽いたというように溜め息をついた。
「戯れはそろそろやめにしませんか? そもそも、私にはあなたを傷つける意思はない。私は根っから善良な男ですから」
肩で息をする桃子の体が、嘘だと言う。こんなふうに人を翻弄する男が、善良なわけがない。
腕輪は桃子の周りを羽虫のごとく飛んでいる。
お前などいつでも打ち倒せる。そう言うように。
「何を、企んでいるのですか」
「ん〜?」
「孤舟様を監視して、何がしたいの」
「そんなに説明が聞きたいのですか? 自分がなんのために戦っているのかも、本当には分かっていないのに?」
「孤舟様は、あそこでただ、お暮らしになっているだけです! あなた方の力が及ばなかった封印の人柱として力を貸してくださっているだけで……こんなことにはなんの意味もないはずです!」
腕輪の一つが苛立ったように木刀を強く弾いた。孤舟は決めつけるのは良くないと言っていたが、この様子から、やはり男は宝生の手のものなのだろう。
まさか本当に、自分の住む所轄の陰陽師が悪人だったなんて。
桃子は口惜しさに歯を強く食いしばる。
「ふー……行動の意味を決めるのは私の役目だというのに。ですが、まあ、そこまで言うのであれば、お話ししましょうか」
男はぐるりと目玉を一周させると、
「あなたにお願いしたいのは、あの小僧。左近とやらの捕獲を、手伝っていただきたいのです」
と言った。
てっきり、また一から間者の役目をするのだと思っていた桃子は驚いた。
左近の名前が出てきたことにも、その内容にも。
「な、に、」
「具体的に言えば、山から引き離して、麓まで連れて来てくださればそれで良い。後のことは私がしますから。協力してくださるのなら、そうですね。本当は腕輪を使ってあなたの意思を奪い、操る方向で考えていましたが……そんなに嫌なら、腕輪は付けていただかなくても結構。どうです? ご納得いただけましたか?」
音を立てて木刀の切っ先が空を切る。
ありったけの力を込めて振り上げた木刀は、周囲を飛び回っていた腕輪の一つの芯を捉え、まっすぐ男のほうへ飛んでいく。
男は避けたが、少し掠ったのか、頬に一閃の腫れを生んだ。
当たった!
しかし喜びに拳を握った次の瞬間、横の死角から飛んできた新たな腕輪が桃子の上腕にぶち当たった。
ミシミシと肉の内の骨が鳴った気がして、桃子は吹き飛び、ゴロゴロと山肌を転がった。
衝撃に倒れ伏したままむせ込んでいると、男が泥を踏み散らしながら近づいてくる。背中をゆっくりと踏まれ、泥水が服に染みた。
「う、うう、」
「強情な娘だ。……ここで殺してしまいましょうか?」
酷薄な響きのする声色だった。
勝てない。
勝てないのだ。
桃子ごときがどんなに足掻こうと。届かないものは届かない。
十六歳で味わった無力感と、目の前に迫る死が、ぐちゃぐちゃと綯い交ぜになって、桃子の心を占拠する。諦念が桃子の心を絡め取り、抵抗の力を奪う。
やっぱり、無駄だった。全て。
稽古も、特訓も、夢も、希望も。
強大な力の前では、桃子が積み上げてきたものなど、簡単にすり潰されていく。
陰陽師に楯突くなど、この腕では。
ごめん、左近くん。
やっぱり、助けてあげられなかった。




