みんなで仲良く暮らしてる-⑨
「──桃子!」
叱責の色の濃い叫びとともに、強い力で右手首を捕らえられる。ハッと顔を上げると、大きな目をさらに丸く見開いて、毛を逆立てた左近が桃子の腕を掴んでいた。
手元を見れば、手中の石刃が左の親指を切り落とす寸前だった。
「危ないぞ! よそ見するな!」
「ご、ごめんなさい、左近くん。ありがとう、助かりました」
左近は桃子の隣に再び腰を下ろすと、
「最近、おかしいぞ。別のところを見てるみたい」
「す、すみません」
「今日はやめとくか?」
石刃をちょいちょいと突つきながら、左近が首をかしげる。
「いいえ。もう少しで完成ですから、やってしまいます」
「ふぅん。木刀、だったっけか? なら、気をつけてやるのだぞ?」
「ええ、ありがとう」
「左近はこれから山へ行くからな」
「あら、今日の分の調達は終わったのではなかった?」
「うん。でも、今日はちょっと、そう、野暮用ってやつだ!」
「そうなの? 行ってらっしゃい」
にこやかに見送ろうとすると、左近は少し考えた末、桃子の耳に顔を寄せて囁いた。
「実はな、友に会いに行くのだ」
「山にお友達がいるのね?」
「うん。でも、孤舟には内緒だぞ。孤舟は左近の一番の友だけど、他に友ができたら拗ねるかもしれない」
桃子は、狐だった頃の友達かしらね、と微笑ましく思い
「分かった。内緒ね」
と約束した。
手を振って山へ駆けて行く左近を見送ってから、桃子は手の中の棒に向き直った。左近のくれた枝は、桃子には少し長かった。さらに言えば、生の木をそのまま使うと、どうしても手に馴染まない。そうなると握りが甘くなってしまい、力が伝わりにくいのだ。これでは敵に相対した時に十分に力が発揮できない。
立派な木刀にすべく、これまた左近に借りた石刃で、注意深く、一筋一筋整えていく。
そうしていると、先日の孤舟との言い合いを引きずっているせいか、意識がだんだん消極的な物思いに沈んでいく。とりとめないことが浮かんでは消え、浮かんでは消え、やがて父の顔と、母の顔が浮かんできた。桃子が女学校に入った時、二人で仲睦まじく手を叩いて喜び合っていた様子が浮かぶ。
あの頃は、世界は実に単純だった。
父がいて、母もいて、無邪気に夢を語り、女学校で勉強までして、頑ななまでに正義を求め。何もかもが満ちていて、そのくせ考えはいつも足りなかった。若い時分には、無鉄砲な万能感が付き物といえど、振り返ってみれば、桃子のはいささか行き過ぎていた気もする。
原因は分かっている。父の期待に応えたかったからだ。
体の弱かった母は桃子を産むのにも一苦労で、とても跡取りになる弟を望めるような人ではなかった。だから元防人の父は、桃子に後を継がせると、桃子が小さい時から息巻いていたのだ。
それが嫌だったわけではない。小さい時は、自分が道場を継ぎ、狐山町の人々に稽古をつけ、一人一人を鬼にも負けない只人にするのだと信じきっていた。町のこどもたちに、男のようだとからかわれ、笑われても、その夢が折れることはなかった。
桃子がからかわれて泣いて帰る度に、母が涙を拭ってくれたから。
——桃子はそのままでいい。健康だったらいい。生きているだけでいい。それだけで桃子は母様の宝物なのだから。
母の指先の温もりと、声の優しさを思い出す。
けれど、そのすぐ後に、母の最期の言葉が追いかけてくる。
——あなたは結婚をするのよ。なるべく早く。お父様があなたに道場を継がせる前に。
胸にまた靄が濃くかかる。
分かってる。分かってるわ、母様。
今は少し……妙なことに巻き込まれて中断していますけど、家に帰れたらすぐにまた取り掛かりますとも。
だって、私はとても、父様の道場を継ぐ器ではないのですもの。




