序-②
やがて、喉の奥から堪えきれない何かがせり上がってきて、突き出るように口から外に出たのを感じた。
ふ、と一瞬意識が途絶えた感覚がした。だが、すぐに戻ってくる。
少年は目を開ける。木々が見えた。妙に視線が高く感じ、さっきまで額を土に付けて悶絶していたはず、と身動ぎすると、手のひらと足裏に布が擦れた。とろけるような絹の心地だ。
「なんと……!」
壮年の男と帽子の男が驚嘆し、食い入るように少年を見つめている。
その顔が異様に大きく見え、少年は飛び上がって尻餅をついた。その際、カチカチとした硬質な音が立つ。自分の手のひらから聞こえたようで、少年は驚いて視線を下げた。
そこには先ほど見た黄色い獣の前脚があった。その先には、正絹の風呂敷の上、放り出された短い後ろ脚。
これは……なんだ?
一体、何が起きてる?
土司が言った。
「今、この熊に孫の魂を移した。そこの身体を鬼門へ、この魂を裏鬼門へ置く。陰陽師としての力は強い。身体だけでも、封印になろう」
「ははっ! さすがは土の陰陽師筆頭、素晴らしき術にございます!!」
壮年の男は跪かんばかりの勢いで頭を下げた。
少年は泡を食って、風呂敷の上から下を覗き込む。銀糸の髪の薄い身体が、ぐったりと倒れ伏しているのが見えた。
紛れもなく、自分だった。
まさか。
まさか、まさか、まさか、まさか!
「この分離の術は、封印が破られぬ限り解けない。行動の範囲も制限してあるので、孫が山から勝手に降りて、仕事を放棄することもなかろう。これで鬼門と裏鬼門の封印は盤石、後は貴殿らの腕次第だ。だが、身体は朽ちぬようにと、鬼に取られぬよう、よくよく警備と管理を頼む」
「は、こちらの魂のほうは、我々がお世話などは……」
「構わん。捨て置いてくれ」
土司が右手を振ると、四人の足元の土が掘れた。
「このまま裏鬼門へ」
土司が顎をしゃくり、「はっ!」と敬礼した世話役が、熊の姿になった少年を抱え上げ、穴に近づいていく。
「待って、待ってください、お祖父様、魂だけになるなんて聞いてません! 身体、俺の身体は……!」
少年は闇雲に手足を動かして大声で抗議するが、土司は何も説明せず、それどころかこちらを見ようともしない。
世話役が少年を小さな穴の中に入れる。腹を上にして寝かされると、すぐさま土が被さって動きを封じられた。まるで死体を埋めるように。
「嫌だ、許して、良い陰陽師になるから、お祖父様の眼鏡にかなうものになるから、お願い、いやだ……!」
「——戊の転、急急如律令」
土越しに土司の声を聞いた。瞬間、身体を覆う土が生き物のように蠕動し、少年を押し出し始める。
自分の生まれ持った身体から、魂だけが遠ざかっていく。
「いやだーーーーーっ!!」
少年のあらん限りの叫びは、土に飲み込まれて、誰の耳にも届かなかった。
土に運ばれ、どれほどの時間がたっただろう。気づけば山の上で、雨に降られていた。
泥だらけの身体で起き上がると、己の手が目に入った。陶器の獣の前脚だ。
薄く溜まった泥水のところまで、這うようにして行く。覗き込むと、雨粒の細やかな波紋の隙間には、陶器の熊が映っていた。
手を持ち上げ、頬に触れてみる。ぶつかると、カチリと音が立つ。水鏡の中の熊は、少年と同じ動きをしていた。
「うっ……うぅっ……」
知らず、嗚咽が漏れた。しかし、涙は出ない。ただ、行き場のない悲しみが胸の内をぐるぐると回るだけだ。
雨雲が月を隠し、雷鳴が地を割るごとく鳴る。
少年は徹底的に一人であった。