山の上には熊がいて-⑨
絶句していると、
「そして、これにはまだあと二つ、術がかかっている」
と、孤舟が言った。
「飛ばす、以外の、ですか?」
「ええ。腕輪を外しても続く、厄介な作用がね。一つは、あなたの行動を制限するもの。おそらく、あなたはこの山から、もっと言えば山頂から、下りられないようになっている。もう一つは、あなたの見たもの聞いたものが、あなたに術をかけた相手に伝わるものです。そういうふうに、あなたの存在を相手が腕輪に紐付けてしまった」
ハッとした。男の言葉を思い出したからだ。
——あなたはこれから私の目となり耳となり、地獄を見聞する。
あれって、そういうこと?
「思い当たることがあるようですね」
「ど、どうしてそんなことを? だって、山になんて何も、特別見聞きしなければならないものなんてないはずでしょう? ……あ、」
ここに来るまでだって、ただただ同じような木々が並んでいるばかりだったのに。と、そこまで思って、はたと気づく。
目の前に、喋って動く陶器の熊がいる。
これはもしかしたら……特別見聞きしなければならないものに入るかもしれない。
目を見開いて黙り込んだ桃子に、孤舟は頭を下げた。
「御察しの通り、原因は俺だと思います。面目ない」
「そ、そんな、でも、どうして」
「そうですね……おそらく相手は、俺の暮らしを監視したいんじゃないかな?」
「暮らしを監視!?」
思わず素っ頓狂な声で繰り返してしまった。孤舟はこんなことは日常茶飯事だ、とでも言いたげに簡単に頷く。
「一口に陰陽師といっても、色々な種類の人間がいますから。あなたは不運なことに、その揉め事に巻き込まれたようです。俺は陰陽師の中でもわりと……敵の多いほうなので」
聞けば聞くほど、とんでもない話である。どんどん血の気が引いていく。
「……その術、無効化することって、」
「ええ。そりゃあ、術をかけられるってことは、術を返せるって相場が決まっていますし。ただ、」
「すぐにやってください!」
焦りから、話を遮り、膝を擦って詰め寄ってしまう。
「お願いします! だってそんな、間者のような真似、できません! 普通だってできないのに、ましてや、恩人を監視するだなんて!」
孤舟は「恩人?」と首をかしげた。
「だってそうでしょう? 孤舟様に訳を聞かせていただけなかったら、私、ずっとこのまま、何も知らずに腕輪をつけたままだったんですよ? 山も下りられず! そうだわ、『もしかしたら無礼な只人と断じられ、切り捨てられて死んでしまうかも』とも言ってたんです、あの男! ここで殺されても惜しくないでしょ、とかなんとか言って……惜しいに決まってるじゃないですか! 頭がどうかしてるんじゃないの!?」
一度思い出せば、芋づる式に無礼な言葉の数々が蘇ってきて、腸が煮えくり返る。
どうしたらあんな、人を人とも思っていないようなことが言えるのだろう。そりゃあ私は、陰陽師様と比べたら何もできない只人ですけど!
だからってこんな、道具のように扱われるいわれはないはずだ。
「孤舟様が見るからに悪人で、監視が必要な相手だというなら話は別ですけど、私からしてみればあの男のほうがよほど悪人です! なので、早急にお願いいたします!」
激昂する桃子に、孤舟は
「まあ、どちらがより悪人かは置いておいて」
とポツリと呟いた後「残念ながら」と首を振る。
「術を返すには、かなり時間がかかりますよ」
「構いません。いくらかかっても。どうせそれと繋がっている以上、ここから出られないのでしょう?」
「まあ、そうですね」
「その間、目隠しをして蔵に入っていろと言われればそういたします」
「何をなさっているんですか」
「目隠しです。あんな男に、私の目も耳も、一切貸してやるものですか!」
袂から手ぬぐいを出して早速目元を覆い始めた桃子を、孤舟が制す。
「やめましょう、不便ですから」
「でも!」
「ここには、俺と左近しかいないんです。俺はこんな姿ですし、左近にも、あなたのお世話はできません。あなたが目隠しをして蔵になんか入ったら、それこそぽっくり死んでしまいますよ」
ぐ、と言葉に詰まる。頭の後ろで結びかけていた手ぬぐいを、そろそろと外した。
「うん。そのままで行きましょう」
満足げに言った孤舟に、目が潤む。
「申し訳ありません、私、無力で……」
「それはこちらの台詞です。申し訳ないですね。そんな腕輪、一瞬にして壊せたら良かったんですけど」
「そんな、孤舟様は悪くありません!」
「じゃあ、どちらも悪くないということで」
項垂れた頭を思わず上げた桃子に、孤舟はポンとそんな言葉を投げかける。
「言ったでしょう。これはこちらの揉め事で、あなたは巻き込まれただけの被害者だ。考えるのは、巻き込んだこちらの仕事。堂々としていてください」
なんてできた人なのだろう。桃子は胸を打たれる心地がした。
これよ……!
私の想像していた、理想の陰陽師っていうのは!
桃子は知らず、拳を握った。
こうなった以上、どうせ動けないのだし、何を考えたって今は無駄だ。
とにかく、この腕輪がどうにかなるまで、ほかのことは忘れて、精一杯働こう。
この人のために!
「私、必ずここでお役に立ってみせます!!」
目を潤ませて決意表明する桃子に、孤舟は
「俺の話、聞いてました?」
と、カチリと首をかしげるのだった。




