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山の上には熊がいて-⑧

 



 こんなところでもなんですし、と、促されるままあばら屋に通され、板の間で陶器の熊と対峙した。護身用の棒切れは握りっぱなしだったが、何も言われなかった。


 これは夢?

 でも、尻も額も、やっぱり痛い。


「それで、結婚をしに来たとか」


 考えていると、熊——孤舟が言った。

 桃子は慌てて首を振り、ありのままを話した。

 陶器の熊相手に、自分でも訳の分からない事の次第を話して聞かせる気になったのは、彼が——多分、彼でいいはず——丁寧な言葉遣いであったのもさることながら、国家陰陽師と聞いて、いくらか恐怖が抜けたせいもある。人類を守護する陰陽師に対しての、父からの刷り込みじみた尊敬の念が助けになった。

 しかも相手が、自分でも信じられない上、混乱であちこち飛ぶ話を、辛抱強く、時折思慮深い相槌を打って聞いてくれるのだ。地獄に仏とはまさにこのこと、と、もはや神にすがる気持ちさえ湧いてくる。


 桃子がひとしきり話し終えると、孤舟はカチリと硬質な音を立てて「ふぅむ」と、考え込むように顎に前脚を当てる。


「その腕輪、少し拝見してもよろしいですか」

「もちろん。あ、でも、取れないんですけど……」

「そのままで結構です」


 孤舟は言って、ふいよと浮いて近づいてきて、差し出された腕輪を桃子の腕ごと検分し始めた。

 桃子の腕を持ち上げたり裏返したりする彼の前脚は、陶器らしく、ひんやりとしている。


「……土司様」

「孤舟で結構。苗字は嫌いだ」

「さ、左様で。では、私のことも桃子とお呼びください。……あの、元から、そのお姿なんですか?」


 失礼かと思いつつ、どうしても気になって訊く。孤舟はなんでもないことのように


「いえ。ま、話せば長い事情がありまして」


 とすげなく答えた。


「す、すみません、いきなり。無礼でした」


 気分を害したかと慌てて謝れば、孤舟は手を止め、桃子を見上げた。陶器製の表情なので自信がないが、なんだか驚いて見える。


「あの……?」

「ああ、いえ。大丈夫、気にしていません。本当に長くて、つまらない話なんですよ。……よし、これで取れるな」


 カシャン、付けられた時と同じような音を立てて、腕輪が外れ、床に落ちる。


「あ、ありがとうございます!」

「お礼を言うのは早いと思いますよ。まだ外しただけですから」


 すっきりした手首をさすりながら頭を下げた桃子に、孤舟が言った。

 はて、と顔を上げると、


「まずは説明から始めましょうか」


 と、元の位置まで下がった孤舟が言う。


「この腕輪には、三つの役割が課されています。その一つ目が、あなたが空を飛んだ訳……あなたを所定の位置に飛ばす役割です」

「はあ……」


 桃子は腕輪をまじまじと見る。二度と触って持ち上げたりしたくなかったので、顔だけを近づけるが、ただの金の腕輪にしか見えなかった。


「そんなことが可能なのですか……?」

「ええ。陰陽師であればね」


 思いがけない言葉に思考が止まった。


 陰陽師?

 今、陰陽師って言った?


「金は金属。そして、あなたが腕輪をつけられた時に聞いた呪文はおそらく『庚』。どちらも金の陰陽師の領分だ。この辺りだと宝生家か……いや、まあ、決めつけるのは良くないかな。別の家の可能性も……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 納得いかず、待ったをかける。

 陶器の表情はぴくりとも動かず、黙って桃子の言葉を待った。


「ほ、本当に? 本当に、陰陽師様が? 私をここまで飛ばしたと?」

「そうですね。十中八九、間違いないかと」

「では、なぜ、私がこのような……私、何かしてしまったんでしょうか? 何か、陰陽師様に、失礼なことを」

「いや、あなたがここにいるのは単なる偶然でしょう。たまたま目についたか何かだと思いますよ」

「そんな」


 何か理由があれば納得ができたかもしれないのに。


 なのに、たまたま?

 たまたま目についたから、人を山に飛ばすの?


 昔から父に聞かされてきた陰陽師というのは、いつも世のため人のためを考え、心を砕いている、正義の使者だった。

 人の営みを異術で助け、身を呈して鬼と戦う、そういう人々。


 なのに。


 一瞬にして理想が砕け散った。心の中で乃明と則爺が、だから言ったのに、と首を振っている。


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