表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/76

序-①




 少年は夜の山を登る。

 いつもはこの世の何よりも慕わしく思えるはずの土が、今ばかりは、自分の足を絡め取って、冷たい地中深くに引きずりこまんとするように思えた。

 しかし、いっそそうなればいいのに、と思う少年の心とは裏腹に、山道はただ緩やかな勾配を描いて、少年を地獄へと導いている。

 ふと、小さな石油ランプの灯りが少年の目を刺した。五人一塊りの先頭を行く、先導役の男がチラとこちらを振り返ったのだ。

 背の低い、壮年の男だ。家紋入りの白い羽織を纏っている。その横には同じ羽織に、カンカン帽を被った男が、右腕のように張り付いていた。

 二人は少年を振り返っては幽霊を見たように息を呑み、また前に向き直る動作を繰り返していた。特に帽子の男の視線はひどく、親の仇を見るような目で、そこには明らかな敵意があった。


「なぜ我々がこのような化け物の力を借りねば……」

「しっ! 口を慎め!」


 背の低い男が、帽子の男の小声での不満を制す。少年は二人から自分の顔が見えなくなるよう、笠を前に傾けた。生まれついての銀髪が、緑豊かな山間で目立つのは知っている。特に夜は、少しの光も逃さず反射して煌めくから顕著だ。

 が、少年の横についた世話役は、その銀髪が笠の後ろからこぼれると苛立ちの息をつき、上からぐいぐいと笠を少年の頭に押し付けてきた。そうやっても、笠が少年の髪に合わせて伸び縮みするわけではない。

 少年は仕方なく、肩にかけた黄色い羽織からそっと手を出し、銀糸を笠の中に押し込む。すると世話役は、やっと少年の頭から手を離した。

 歳のかさは十五、六。血をそのまま写したような赤い瞳と、月灯りを溶かし込んだような銀の髪。その妖しげな色合いを差し引いても、少年はあまりに人目を引いた。

 ただ造形が美しいのではない。


 美し過ぎるのだ。


 目も、鼻も、口も、耳も、眉も、頬骨の高さ一つとっても、完璧だった。どれか一つを取り外して好きにして良いと渡されたなら、一日ずっと飽きもせずに眺めていられるだろう。それほどに全てが完璧だった。その完璧な部品が、これまた完璧に、滑らかな白皙の上に配置されている。

 神があらゆる仕事を放り出して、一日がかりで精緻に作り上げた、人とよく似た何某か。

 人、とは言えない。こんなものは人ではなかった。こんな完璧なものが人であるならば、他の全てが人でなくなってしまう。

 少年はそこに在るだけで、人の尊厳を脅かし、平伏させ、あるいは畏怖を与え、絶望に導くような容姿だった。


「……こちらでございます」


 しばらく行くと、背の低い男が立ち止まり、少年の顔を見ないように振り返った。

 そこには石で造られた小さな蔵があった。静謐ではあるが、生活の気配は皆無だ。

 今からそこに入れられる運命にある少年はわずかに拳を固くした。だが、手のひらの中心を走る傷痕を指に感じると、言葉を発する気持ちにはならなかった。

 少年の後ろから、家紋入りの黄色の羽織を纏った老齢の男が進み出る。


「相分かった。ではここに、孫の身体を置こう」

「は、左様で。……ですが土司(つちつか)様、先だってのお話では、お二人、封印にお貸し願えると伺っておりましたが……あ、いや! これはただの確認で、決して不服であるという話ではなく……」

「いや、構わん。確かに、封印を破られやすい鬼門と、裏鬼門の両方を賄うと申し上げた」


 土司と呼ばれた老齢の男が言うと、背の低い男は心底安堵したというように声を弾ませた。


「それは良かった! いえ、すでに裏鬼門には家を建てておりまして! 粗末なものなのですが、無駄にならず良かったです。では、この方をお貸し願えるのでしょうか?」


 指し示された世話役がわずかに顔をしかめる。老齢の男は「いや、違う」と首を振った。


「は……ですが、他には誰も……」

「これへ」

「は!」


 世話役は土司の指示にかしこまると、横に佇んでいた少年を土司の前に押し出す。そして手に持っていた正絹の風呂敷を土司の前に恭しく掲げ、結び目を解いた。

 風呂敷の中から出てきたのは、一体の陶器の熊だった。

 太く短い四つ足で地を踏み、首を少し右に傾けて、のっぺりとした平たい顔を見せている。素朴な黄色い釉薬ののった、どこにでもありそうな玩具の類である。


「土司様、これは一体……?」

「今に分かる」


 土司が少年の前に立ち、右手を掲げる。何が起こるのかと戦々恐々とする少年を尻目に、土司は人差し指と中指だけを合わせて立てて、口元に寄せると


「——(つちのと)(ぶん)、急急如律令」

 と囁いた。

 途端、少年の身体が、内側から燃えるように熱くなった。

 少年はその場に崩れ落ちた。

 なんとか苦しみから逃れたくて己を抱きしめるようにしてもがくが、胸の中心から熱は引かない。


 熱い、苦しい、熱い、あつい……っ!


「うあ、うああ、うああああ……っ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いです! [一言] 追ってまいりますので、執筆頑張って下さい!!! (ブックマーク登録しておきました)
2023/06/18 21:40 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ