子孫
大勢のひとが行きかう大きな町のなかで、わたしは茫然と意思のない亡者のように立ちつくすしかありませんでした。彼女の家が、時が止まったように綺麗な状態で残っていたからです。
とびらを開けたらセカティアにどこをふらついていたのと怒られそうです。ただ間近で見ると、家が何度も修復されていることに気がつきました。
わたしと彼女は家の側面の壁のすみに、やんちゃな子供がするような落書きをしていました。彼女とその兄弟に両親。わたしの六人の絵です。それが無くなっていました。千年も経ち、自然に消えたと思われるかもしれません。しかし、しっかりとした塗料で石に描かれた絵は長持ちします。たとえば、五千年ほどまえに描いた壁画を二千年ほどまえに見に行きましたが、しっかりと残っていました。
家がボロボロになったから作り直す、なんの変哲もないことなのです。しかし、あぁ不思議です。なぜこうも悲しくなってくるのでしょうか。じつに不愉快です。
「なにしてるの? 人の家のまえでじっとして。今度は私の顔を見てなにかついてる?」
世界とはどうしてこうも不思議なのでしょう。わたしの止まったときがわずかにでも動き出しかけるほどの衝撃です。記憶の彼女と瓜ふたつの少女が目のまえにいるからです。セカティアに子供はいません。彼女の兄かその妹の子孫でしょう。
本当に繋がりとは言葉にできません。少女は耳たぶを触っています。手で耳たぶをかるく触る行為はセカティアもしていました。困惑したときや言い合いで負けたときにです。
少女は彼女がよみがえった存在なのかもしれません。ある国に行ったときのことです。その国では権力者が死んだ場合、その亡骸に特殊な加工をしてひつぎに丁寧にしまっていました。なんでもそうすると死者がよみがえるというのです。
実際に事例はありません。ただの死者への祈りです。それに彼女の死体は加工などせずに普通に焼いてうめました。
「すみません。知り合いにとても似ていましたので、感動してしました。そのよければ名前を教えてください。すぐにここから立ち退きます」
「カルアですけど」
彼女の家系には代々ティアをつける風習がありました。すでに途絶えてしまったのでしょう。寂しいです。ともあれ、ここを退くとしましょう。
「ええ、ありがとうございます。わたしはメルルと申します。またなにかありましたらお願いします。それでは失礼します」
カルアさんに背を向けました。セカティアの墓地を探します。かつてひつぎを埋めるとき、埋葬式に参加できませんでした。むかしも見つけるのに苦労しました。やがて墓地の奥の奥、森に飲まれた場所で彼女を見つけました。
埋める場所がなくなったのでしょう。埋める場所をまえにまえにと増築したのです。時代のうつりかわりとともに忘れられ、人が来なくなり、手入れが行き届かなくなったのでしょう。そのかわりに墓がまとめられずに済んでいます。苔が墓を覆っていて悲しくなります。
「帰ってきましたよ。とても懐かしいかぎりです。あなたが安らぎを得てから、もう千年近くも経ちますよ。とても綺麗だったあなたの墓は苔まみれです。あなたの名誉のために剥がしてあげましょう。……あなたは消えられましたか? わたしは自身からその気配を感じられません。いまも体に無限が、言葉のとおりに絶えることなく渦巻いています」
我ながら女々しいと思います。しかし、いつか彼女のことすら忘却の彼方へと忘れるのです。そうなるまえに思い出に浸かりたくて仕方ありません。
この金のネックレスの送り主をもう覚えていません。セカティアとひとしいほどに大切だったはずです。声も顔も、思い出もなく、ヘアメセスという名前と思わしきものしかわかりません。
恐ろしいかと聞かれたら恐ろしくはありません。恐怖よりも悲しいのです。自分に穴が開いてしまうような喪失感。
その喪失感もやがてふさがります。穴が開けば、その穴に土や水が流れこみます。穴はいつしか時間とともに消えるのです。
ゆえに恐ろしいのではなく悲しいのです。いつか、わたしのなかの二人の影は無数の影たちと溶け合うでしょう。
一晩ほど墓場で思い出に浸かっていました。そろそろ動くとしましょう。また数百年ほど経っていたなどあり得てしまいます。
あいにくと職を探そうにも伝手がありません。仕方ありません。不審者あつかいを覚悟してカルアさんに聞いてみましょう。誠意をもって頼んだら、なにかしら紹介してくれるかもしれません。
彼女の家のとびらをトントンとノックします。反応がありません。家のなかからひとの気配はしません。おそらく仕事に励んでいるのでしょう。家のあいだに座りこみ、乞食や放浪者のように待つとします。
空が赤く染まりました。人々の生活は今も昔もそうたいして変わりません。多くのかたが和気あいあいと楽しそうに家に帰っています。その一方で暗い影を孕んだ人物も少数ながらいます。大多数の楽しそうなひとに、少数の辛そうなひと。どんな文明、どんな国でも見てきた光景です。
カルアさんはどちらかに分類するなら、和気あいあいと活力のある人物でしょう。セカティアも明るく奔放だったので間違いありません。と、噂をすればなんとやらです。
「お話をしたいのですが大丈夫ですか?」
家の隙間からトカゲか虫のようにニュッと出ます。彼女は悲鳴をあげて、瞬発的に平手打ちを披露して来ました。突然現れた不審なものに攻撃するのは至極当然でしょう。無頓着であるため、叩かれるリスクを見落としていました。
彼女の力はとても強く、子熊に殴られたような衝撃です。セカティアも力が強かったので、これもまた繋がりでしょう。
それよりも重要なのが、彼女にとても驚かれた点です。ウグルと勘違いされてはたまったものではありません。弁明の言葉を発しなければ、衛兵なりなんなりを呼ばれてしまいます。牢屋に串刺しにされて放置されてしまうでしょう。そうなっては働くどころではありません。
「話を」腕をつかまれ、家のなかまでズルズルと引きずられます。つかまれた腕はムカデに噛まれたように赤くはれていました。セカティアよりも力は強いかもしれません。
まるで冒険家の家のようです。見覚えのある壁にかけられた大陸の地図に、どこからもってきたのやら巨大なマンモスの骨。女がつかうにはきびしいと思われる大きなピッケルに、頑丈そうなリュック。カゴに入ったリコの実という鮮やかなオレンジ色で、シャリシャリとした食感のあまい果物だけが、唯一女性らしさを感じさせます。それ以外は絵に描いたようです。
地図には覚えがあります。セカティアに地名や場所について説明するため描いたものです。右下のあたりにサインを付けていました。見つけました。テューエと書かれています。そうです! セカティアと出会ったときに名乗った名前はテューエです。間違いありません。名前を思い出した途端に、彼女との記憶がより鮮明になってきました。しかし、なぜこれほど大事な名前を忘れていたのでしょうか。そういうときもありますね。
「その地図に見覚えある?」
「いいえ、ありません。ただ珍しいものなのでつい目に入っただけですよ」
「うそよ。目線がかすれたサインに向いてた。普通に見るのなら注目するはずのない点よ。というか気づけない。メルル、あんたの本名ってテューエ? ご先祖様の日記に出てくるのと似てる部分が多いし。うん、きっとそう。違和感を覚えてたからね」
へたに誤魔化さないほうが得策かもしれません。ごまかそうとしてウグルとされてはめんどうで仕方ありません。それに間違いなく否定しても認めさせてくるでしょう。かつての彼女がそうでしたから。
「そうですよ。わたしはテューエ。かつてあなたのご先祖様と世界を旅した不死ですよ」
正直に話しましょう。
その読んでいただきありがとうございます。
一日二回投稿の方がいいのでしょうか。ストックの関係上、とても悩ましいです。