墓穴
蛇さんにドロドロにされるところでした。わたしは食事ではないと内側からトントンと叩くと、それを理解して吐き出してくれました。
彼に悪気はないと理解しています。悪臭のする粘液でベトベトにするのは勘弁願いたいものでした。粘液が太陽の光でテラテラと輝いています。
服がダメになりました。もともとの傷みにくわえて、この出来事で布切れのようになっています。川で洗おうものなら手元には何も残らないでしょう。仕方ありません。脱ぎ捨てます。
蛇さんのあの巨体を維持する秘訣が気になります。まともに生きものと遭遇していません。なので一体何を食べているのでしょう。
この砂漠にも生きものが多く生息しているのかもしれません。そもそも、砂漠となる以前は森でした。モグラなどがいても不思議ではありません。
むかしの森に蛇さんほどの巨大な生きものはいたでしょうか。記憶にありません。とくに気にする必要もないでしょう。
今もむかしも生きものは大きく移動します。人がその例でしょう。わたしですら音をあげる極寒の地に住むたくましい人々がいるほどです。
ひたすらに歩き続けました。やがて老人の手の如き木ではなく、みずみずしい青葉をつけた木々が見えてきました。生命のあふれるうつくしい森に着いたのです。
森と砂漠の境界は線がピシッと引かれていました。それはもう明確に区切られています。花壇で花の品種を分けるために柵で区切っているかのようにです。もしかしたら砂漠は人工的に作られたのかもしれません。おろかな妄想です。
人類の技術では、巨大な自然を制御することなどできません。それが可能ならわたしに不死の罰を与えた神と人類は並んだと言えるでしょう。
川を探すとしましょう。身体中が粘液におおわれている状態で人に会えません。腐敗臭に誘き寄せられたハエがあたりをブンブンと飛んでいます。魔法で体の汚れを落としてしまいましょうか。
しかし、魔法の行使を好ましいとは思っていません。誤解しないでください。魔法を使うのが嫌いなだけで、技術自体は好ましく思っています。限られた時間と空間で、道を極めようとする魔法使いを尊敬しています。使うのが本当に嫌いなだけです。我慢します。
小鳥のさえずりや獣のうねり声、土の質感を頼りに川を探しています。清らかな川の発見には至りません。濁った水溜りは見つけました。そのそばには足を怪我した鹿がいます。
傷からして足バサミのようなトラップにかかったのでしょう。辛くもここまで逃れられたと。弱っています。まず間違いなく狼などの捕食者の餌となるでしょう。
酷な話だとは思いません。我々の見えないところでそれらはつねに起こっています。ですが、人というのは何事にも優劣をつけます。とくに目につくものを大切とします。わたしが彼を助けたいと思うのは不自然ではありません。
「暴れないでください。安心してください。大丈夫です。あなたに苦しみは与えません。あなたはもう痛みに泣かなくて良いのです。さぁ抱擁を受け入れてください。もう目を開けないでください」
鹿はそっと死に抱きしめられました。ここに用はありません。あとにしましょう。
時間が経ち、テラテラと光っていた粘液が乾きました。皮膚と一体化しカピカピになってしまいます。髪は老婆のようにうるおいがなく、手ぐしで髪を解こうとしても引っかかります。
これはこれで有りなのではないでしょうか。不死ゆえに老化を味わえません。肉体は外的要因がない限り、つねに一定の状態に保たれます。簡潔に言います。とても刺激的です。とはいえども、あまり好きではありません。
興味深いものを発見しました。川ではありません。獣道ではなく、人工的に作られた街道です。
森が砂漠となるほどの年月です。町はとっくのむかしに滅んだと思っていました。これほどくっきりと道があるのなら、まだ栄えているのでしょう。町はどのような変化を遂げているのでしょうか。期待で胸が膨らみます。
そのためにも汚れを落としましょう。川を探そうと道をはさんだ森に目を向けますと、三十代後半ぐらいと思われる数人の男性が、こちらを凝視していました。
彼らの身なりは清潔とはいえません。着古されシミが点々とついた服に、ざつに剃られたひげ。黄ばんだ歯と色の悪い肌。きっと武勇に優れた豪快な方々です。
彼らは顔を寄せ合いヒソヒソと話しています。なにを企んでいるのでしょうか。狩人にしては獲物を狙う冷静さと落ちつきが欠けています。
「こちらを見ているようですが、どうかしましたか?」
彼らは慌てふためいています。いくつもの戦場を切りぬけてきたであろう強者にしては、やけにかわいらしい反応です。彼らのまとめ役だと思われる人物が道まで出てきました。
「我々はただの放浪者ですよ。それよりも神官様こそ、森から出てきて、さらに素っ裸。それに匂いますし、全身が汚れています。一体全体になにがあったんですか?」
「神官? わたしはそんなご大層な人物ではありません。ただの旅人です。この粘液については、厄介なのに襲われたせいです」
「またまたご冗談を。白髪に、赤い瞳。そしてその落ち着きよう、まさしく教会の神官様ではありませんか。……もしかして、本当に違うのですか?」
彼の瞳のわたしはキョトンとしています。彼は次第に額から猛烈に汗をかき、つよく恐怖し出しました。心なしか、彼から漏れ出る声が震えています。ゆっくりと来た道の方へと後退をはじめました。
「なぁあんた。俺を襲わないでくれよ。そんな変な姿をしてるからって、あんたをウグルだと思っているわけじゃねぇ。ただよ、何事もあり得るんだよ。頼むからこっちに来ないでくれ」
彼の恐れているウグルとはなんなのでしょうか。彼の言いぶりからわたしと似た白髪、赤眼の容姿で、人を襲う存在なのでしょう。
「安心してください。わたしはあなたを襲いません。それよりもウグルとはなんなのでしょうか?」
彼は目を見開き、とても驚いたかのような顔をします。コロコロと厳つい顔を年頃の少女のように変えて、愉快なかたです。
「あんた、俺を騙そうとしているのか。ウグルを知らないなんてあり得ない。あんた、もし一旦拘束させて貰うと言われたらどうする?」
「別に構いませんよ。乱暴なことはしないでくださいね。非力ながら抵抗させてもらいますよ」
大人しく両腕を差し出します。拘束を受け入れようとしましたが、男性はうしろに大きく飛び退き、わたしの胸に矢が突き刺さりました。
仰向けで倒れます。さらに何本もの矢が体に刺さりました。すぐに起きあがり、矢を抜こうと思えば抜けます。穏便に済ませられるように祈りながら待つとしましょう。下手に不死を見せたくありません。
最悪は彼らを始末すればよいでしょう。取り逃して不死のうわさが広まろうとも、時間とともに忘れられるか、伝承になるだけです。
森のふたりも出てきます。ひとりは弓を、もうひとりは先の鋭い太い槍のようなものをもっています。その先っぽでわたしの体をツンツンと突いてきました。
「反応がない死んだのか?」
「いや、裸で森を抜けてきたやつだ。もっとしっかりと確認してくれ」
「おう」軽いかけ声で槍は皮膚を容易に貫きました。肋骨を的確に通りぬけ、心臓をまっすぐ潰します。
やはり彼らは傭兵と盗賊を兼業しているのでしょう。あの槍なのか見極めるのが難しいもので、心臓を的確に潰すのは並大抵ではありません。中央の男性の恐怖心は、戦場でつちかわれた一種の能力でしょう。
先端はうっすらと開いた目を潰しました。そこからとても厳重に守られている生命の源、わたしの全てを記録している領域を侵しました。
わたしの思考にはなんら支障はありません。はたして人は、生きものは、どこでモノを考えているのでしょう。単にわたしが特殊なだけです。
彼らはウグルと呼ばれる存在をひどく遅れていました。わたしをひたすらに傷つけます。お腹から鮮やかな紅色の腸があふれています。左足は鳥の脚のようです。
彼らの名誉のために言っておきましょう。彼らは好んでこの残忍な行いをしていません。途中で真ん中の人は胃のなかのものを吐き出しました。またわたしを解体するふたりも顔をしかめています。
それでもわたしがウグルと呼ばれる白髪に赤眼の化けものか見極めようとします。
体を傷つけられて、痛くないのかと問われるかもしれません。結論から述べます。うっすらとしか痛みを感じません。不死になってから痛みを感じにくくなりました。死ないので様々な外傷に無頓着となったのでしょう。
傷付けられようが、拷問にかけられようが、血を舐められなければどうでもいいのです。もし、血を舐めようとしたら、止めなければなりません。生きものは普通に生き、死ぬべきなのです。
彼らの話から得られたウグルの情報をまとめてみました。つねに生き血を求めて、森を、洞窟を、人里を彷徨っています。その外見は人と同じでありながら、夜でも猫のように爛々と輝く赤眼、そして狼のように鋭い爪と牙が目印です。
彼らがわたしを警戒したのは無理もないでしょう。ウグルは不死の怪物です。矢を何本か当てたていどで警戒は解けません。命がいくつあっても足りなくなります。
また神官も白髪や銀髪に赤眼らしいので、根源的な場所に共通点が存在しているのでしょう。はたまた単なる偶然でしょうか。それはともかく、わたしの容姿はそれなりに良いほうです。少し傷ついてしまいました。
最終的にわたしをウグルではないと判断して、黄金のネックレスごと埋葬してくれるそうです。彼らが本当に申し訳なさそうに穴を掘っています。
戦場で生きてきたであろうものたちに、立派な道徳意識があるとは思いませんでした。彼らがわたしの血を口に含まないことを祈ります。
毎回同じことを言ってしまいますが、読んでいただきありがとうございます。
見てもらえるだけで幸せです。