ご先祖さまの特技
轍の引かれた道に、小さな跡をズルズルと刻んでいます。墓場を出発してから、ずっと引きずられています。自分の足は必要ないようです。
「ねぇ、あんた。そろそろ歩いてくれない? 体力に自信あるんだけど、さすがにキツい」
「言ってるではありませんか。わたしは足が重たいから歩けないと。返事を渡せなかったのは、それで墓場で休んでいたからですよ。ほら見てくださいよ。わたしの足で刻まれた轍を。誤解しないでください。嫌味で歩かないわけではありませんよ」
「あなたっていい性格しているわね。日記にも書いてあったわ。ご先祖さまがいうには、長生きしてるくせに嫌味っぽくて、ねちっこくて、女々しいそうよ。私の近所のおばあちゃんのほうが断然に大人びていたわ」
「面白い冗談ですね。セカティアがそのようなことをいうわけがありません。ええ、彼女はとても純粋でしたからね。ただ、足がふとかるくなりました。自立しますよ。首元を離してください」
彼女はまっすぐな性格でした。多くを着飾らずに語ってくれました。彼女に密かにそう思われていたなどありえません。
理解はしています。日記を出されると、どうしても弱ってしまいます。理由は分かりません。心の底からむず痒いものが湧いてきて、すこしでもいい形を保ちたくなるのです。
「家はどうしたのですか? あのまま放置しては良からぬものが住みつくかもしれませんよ」
「それなら問題ないわ。あの家は売ってきたもの。薄情と思うかもしれない。もう帰るつもりはない。どうせ、そのままにしても取り壊されるのがオチよ」
……あれはセカティアと過ごした家ではありません。この気持ちをどう表現しましょうか。ポッカリとふかい穴でもなく、またすぐに足がつくような浅さでもありません。うまく言えない気持ちです。どうやら完全に戻ることはできないようです。仕方ありません。
「不服ですが、この旅の案内人を務めさせていただきます。彼女の子孫がのたれ死んだら寝覚めが悪いですからね」
「頼りにしてるよ。メルル」
期待に応えるとしましょう。まずはセイレー漁村に向かうとします。セイレー漁村は名前のとおり、漁獲で生計をたてている村です。
その歴史はかなり古く、二百年ほどむかしに興されました。いえ、いまなら千二百年まえですね。村にはかなり独特の伝統が存在しています。海ナマズを自分の手を餌にして捕まえる特殊な漁です。
なんでも、撒き餌を忘れてしまった抜けた漁師さんが、なんとか漁をするために閃いたそうです。仲間たちが彼をからかって船の上から餌を忘れてしまったと叫び、素手で漁をしました。すると、その年は近年稀に見るほどの豊漁に恵まれたのです。海神が面白がって恵みを与えてくださるという逸話が生まれ、やがて成人の儀と豊漁を祈る儀式となりました。
むかしに訪れた際、新成人が海に潜ったかと思えば、ナマズに手を噛まれた状態で浮上してきました。ビチビチと尾に叩かれる成人は嬉しそうで、とても驚きました。狩ると思ったら狩られていたのですから。
「そんな村があるの。商人から地名についていろいろな話を聞いていたけど、一度も聞いたことがない。その伝統的な漁については聞いたことがある。セイーレっていう町で、素手で魚を捕まえるお祭りがあるの。その村が発展して町になったのかも」
「そうかもしれませんね。せっかくです。向こうに着いたらやってみますか? やり方を教わりましたので、教えられますよ。わたしの指導の賜物で、あなたのご先祖さまは見事にナマズを捕まえることができました」
セカティアはこの漁を得意としていました。わたしが一匹を捕まえるのに必死となっている間に、彼女は海をスイスイと泳ぎ、熟練の漁師のようにどんどん捕まえていました。
凄まじいことに村の漁師すらも超えてしまいました。陰で村の漁師からスカウトを受けていました。なかなか奇妙なこともあるものです。
もしも、セカティアがスカウトを受けていたら、伝説のナマズ取りとして語られていたかもしれません。すべて嘘ですが。
本当の彼女はカナヅチで、まともに泳ぐことすらままなりません。日々練習に励み、溺れかけの人のようになりながらも泳げるようになりました。そして、小柄なナマズ一匹を捕まえた程度でお祭りのようにお祝いしました。
あのときは喜びのあまりに年甲斐もなくはしゃいだものです。人には得意不得意があります。たとえ低かろうとその壁を越えようとし、乗り越えた瞬間は、なかなか心に来るものがあります。
我々を沖に運んでくれていたお歳の漁師さんも、孫が技を継いでくれたようで嬉しいと、喜びを分かち合ったものです。
カルアさんはご先祖さまの意外な特技に驚きを隠せないようでした。嘘と明かしたら、顔を赤くして嘘を吹き込まないでほしいと、苛烈に抗議の声を飛ばしてきました。拗ねてしまう点も彼女と似ています。向こうに着いたら、ナマズの取りかたをすぐに教えてくれと頼んでくるはずです。
セカティアもそうでした。子供のように拗ねたり、注意するとムキになるタイプでした。怪我をするからやめたほうがいいのに、むしろそれにのめり込んでいきます。
不死でないというのに無茶な行動を何度もし、旅の途中で数えるのも面倒になるほどに、命の危機に瀕していました。無茶無謀を平然とするなど誰に似たのか皆目検討がつきません。今回の旅は安全第一です。
「まぁとにかく、ついたらやってみる。ご先祖さまにできたのなら私もできるはずよ。いえ、川で魚を捕まえたりしてたもの。水に多少なり慣れてる私のほうが早く習得できるはずね」
「ふふ、期待してますよ。セカティアは残念ではありました。普段は何事もそつなくこなしていました。水に慣れていなかったためでしょう。そういえば、今夜のご飯は準備してありますか? これから調達しなければ貧しい気持ちの夜を迎えますよ」
セカティアとの旅で、いろいろとあり荷物を紛失したことがあります。その晩、彼女のお腹はグーグーと食べ物を欲して鳴いていました。気分を紛らわそうと話しても、鳴き声の主張が強く、飢えと無関係なわたしのお腹もへこんでいるような気がして、本当に貧しい気持ちになりました。肉体的な飢えはどうにかできても、精神的な飢えは不死の力でもどうこうできません。
次の日、狩りがうまくいきお腹いっぱいの彼女を見ると、わたしのお腹も膨らみました。
「大丈夫。堅焼きのパンや水、果物をちゃんと持ってきたからね。あんたの分も用意したけどいる?」
「わたしはいりませんよ。食べなくても生きられます。食料に困っては旅に支障をきたしますので、余裕があるときにいただくとします。それと睡眠中はわたしが焚き木を維持しますので、安心してくださいね。しっかりと休みを取ることが旅でもっとも重要です」
「その割には初めの方に疲れさせてきましたよね。べつに気にしているわけじゃありませんよ。というかあんたはそれで生きていて楽しいの? ほらご飯や睡眠って人生のスパイスみたいなものじゃん?」
「食事は好きですよ。ただ必要ないだけで。睡眠は嫌いです。夢を見るからです。それで楽しいかどうかですが、正直に生きるのは辛いですよ。楽しいと思うことがあっても、ほとんどは辛いのです。ただわたしは永遠です。ひたすらに続くのです。そうです! 日記を見せてください。もともとわたしのためにセカティアが作ってくれたものなのですから」
「ダメ。日記にはすべてのページが埋まるまで、あなたに見せちゃダメと書いてある。どうせ、私が先に死ぬんだし、まぁ気長に楽しみとして取っておいたら」
「……わかりました。これからは共に歩むわけです。今からおおよそ五十年などわたしからすれば有ってないようなものです」
さて、これから先になにが待ち受けているのでしょうか。予想すらできません。しかし、数十年後の日記が楽しみです。
と、早速森の茂みからこちらをコソコソと見てくる四人組を見つけました。
二章の始まりです。その拙い文ですが、今後も読んでくださると泣いてしまいます。
章の設定は気をつけないと忘れてしまいそうです。