オナラで始まるコドモの高校生活
青春をテーマに描いてみました。
今日、好きな女の子のオナラを聴いた。それはそれは可愛い小鳥の囀りのようなソノリティが脳いっぱいに広がった。
「櫻井さん。もしかして今の?」
「い、今のは椅子と床が鳴る音で! 宮野君、オナラじゃないからね!」
櫻井さんの顔は茹で蛸のように真っ赤になり、桃色の眼鏡をクイっと上げた。唇を尖らせ、視線を数学の宿題に落とす。明らかに目を逸らした。やはりオナラだったのだろう。
現在、僕と櫻井さんは2人きりの教室で数学の宿題を解いている。櫻井さんは勉強が得意で、僕はあまり数学が得意じゃない。しかし、隣のクラスである櫻井さんはそんな僕に数学を教えてくれる。
(うわ、臭い! やっぱりオナラだ!)
僕は無意識に目を細めて櫻井さんの方を向く。すると、彼女の綺麗な瞳と僕の目が合ってしまい、何か知らない後ろめたさに苛まれて目を伏せた。かなり強烈だ。お肉だ。お肉をたくさん食べた時のオナラだ。
「昨日、家族で焼肉を食べに行ったの」
「へぇ、いいじゃん!」
「それだけ」
櫻井さんは呟いた。言い訳なのだろうとこれ以上追求しなかった。お肉をたくさん食べた次の日のオナラはどうしても臭くなる。彼女は既にオナラなんだろうなと僕が悟っていると悟ったのだろう。
高校2年生。女の子のオナラの音と匂いを感じる経験は生まれて初めてだった。ぴぃ。可愛いじゃないか。
◆
僕たちは数学の宿題を終わらせて、いつも通り駐輪場で軽く駄弁っていた。櫻井さんは桃色が好きだ。自転車も桃色で、腕時計も桃色だ。
「ねぇ宮野君。私、オナラしてないからね」
「分かってるって! 思ってないから!」
まだ引きずっているようだ。僕も引きずってはいる。未だに僕の耳の中であの可愛い小鳥の音色が。鼻腔の奥に彼女の匂いが残ってる。生きている……僕は変態さんだな。
彼女はちょっと僕と一緒に居づらそうな雰囲気を出していたため、僕は、
「今日は書店に寄って帰るね」
「分かった。それじゃ、また明日ね」
僕は自転車に跨って、櫻井さんの帰る方向とは逆に走り出した。櫻井さんにとって、オナラを聞かれ嗅がれた事はとても恥ずかしいのだろう。僕だって彼女にオナラを聞かれたり嗅がれたくない。だって、僕は彼女のことが好きなのだから。
◆
帰っても、櫻井さんのオナラのことを忘れられなかった。オナラした後のあの表情。すごく可愛かった。
「櫻井さんは今、何を考えてるんだろう?」
ベッドに横たわり、1人で呟いてみる。僕は満腹だ。力を入れてみるが、オナラは出ない。オナラが出る時は、何を考えるのだろう。好きな人の前ではしたくない。でも、1人の時は気持ちよくオナラしたい。でも、友達の前ではオナラをする。
「僕って、櫻井さんにとってどんな存在なんだろうな」
僕は目を瞑り、真っ暗闇の妄想に浸ってみる。見えるのは櫻井さん。そして、僕。僕は、櫻井さんの前でオナラできるかな? 少しだけ踏ん張り、お尻に力を入れてみた。
ぷう。
乾いた音が自室に広がった。こだまして耳に届く。ちょっぴり臭い。
「櫻井さんはきっと僕に遠慮してるんだろうな」
半分、悔しかった。
◆
今日も2人。数学の宿題は苦手だ。だけど、櫻井さんが隣にいてくれたら僕は数学が好きになる。
「宮野君。ここ違うよ。暗算が難しい時は、三平方の定理をプリントの端っこに書いておくといいよ」
「ありがとう! その方が効率がいいね!」
僕はプリントの端っこに三平方の定理を書き出す。櫻井さんが隣にいれば、僕は数学は怖くない。
「ね、宮野君」
「うん、どうしたの?」
机を向かい合わせ、僕たちは話す。陽光が沈み、紫色に空が照らされる頃。
「私ね、最近好きな人ができたの」
「え、そうなの! 誰々!?」
コドモのような僕たち。柔らかな風がカーテンをふわりと撫でる。高校生はまだ恋愛に対して色々疎いし、好きな人の話になるとドキドキする。僕だったらいいな、好きな人が。そんな甘いショートケーキみたいなことを考えるのだ。
その時だ。クラスメイトが教室の中に入って来た。2人もだ。
「あれ、宮野に櫻井。なんだよ、お前ら付き合ってるのかよ!」
「知らんかったぁ!」
梶と萩村だ。サッカー部でレギュラーを狙っている男子生徒である。
「ち、違うよ! 櫻井さんは数学が得意だから、教えてもらってるんだよ」
無意識。
「何照れてんだ宮野! だったら、付き合う直前って感じか?」
「ば、そんなんじゃないって!」
また無意識。
僕は立ち上がって照れを隠せずに鼻を擦ったり手を振ったりする。それはもう意味は無く、無意識である。
「櫻井ってさ、数学が苦手だよな?」
梶はキョトンとした顔で首を傾げた。
「そ、そんなことないよ。私、数学好きだし」
「でも、数学の時間はいつも解答出来ないじゃん」
櫻井さんは目をクルクル回し、恥ずかしそうに僕の方を向く。
「櫻井さんって数学苦手なの?」
「違うよ宮野君! あの、その……うん。あまり得意じゃない。けど、解けるの! 授業中は集中してるから!」
櫻井さんの顔は真っ赤。桃色眼鏡をクイクイと上げ、何かを言いたそうにしている。
「あ、もしかして! 櫻井、宮野に近づくために数学の予習してたりして!」
萩村はニヤつき、櫻井さんを一瞥した。そろそろ逃げ出したくなってくる空気になって来た。
「そ、そんなんじゃない!」
櫻井さんは何かが切れたかのように立ち上がり、椅子が後ろに下がる!
ぷうっ!
小鳥の囀りが教室に響き渡った!
「今の、屁じゃね!」
「櫻井の屁か!?」
サッカー部の2人はゲラゲラと笑う。間違いなく、今のはオナラだ。しかも、櫻井さんが立ち上がったタイミングでの囀りだ。
「あぁっ」
櫻井さんは頭が真っ白になったのか、唇を尖らせている。
昨日は何を食べたのだろう。今、何を思っているのだろう。色々な人にオナラの音を聞かれ、不安になってお腹がパンパンになって。そして、恥ずかしさに耐え切れなくなって櫻井さんは――。
「やべ、昨日から腹痛くてよ!」
僕は、腹を摩りながら立ち上がった。
「え」
櫻井さんは僕の目を見た。なぜ庇うの、そう言いたげだ。
「臭っ! 昨日、焼肉食ったんだよな。まだ出そうだ!」
「宮野! お前、よく女子の前で屁ができるよな! うわマジでクセェ!」
僕はなりふり構わずお腹に力を入れた。今の気持ちはどんなだろう。よく分からないけど、とにかく櫻井さんを庇ってあげたいのだろう。なんで?
「逃げろ! 屁こきマンが来るぞ!」
「クッサ!」
梶と萩村は僕を馬鹿にして、さっさと出て行ってしまった。
「宮野君……」
「あっはっは! 今日は屁が臭いなぁ」
僕は考えなしにしてしまった行動に対して酷く後悔した。櫻井さんのオナラを臭いと言ってしまった! 臭くなんてないのに! すごく好きな――変態さんだな僕。
「ごめんね宮野君。私、オナラしたの」
分かってるよ。だから、僕は庇いたいと思ったんだ。守ってあげたいと思ってる。
オナラをする時、みんな遠慮する。なぜならば臭いからだ。だったら、オナラはどんな時にするの? 苦しい時、1人の時、安心してる時。怒った時?
遠慮して欲しい関係になりたいのか? 僕は櫻井さんに対して遠慮していると思う。だから、オナラをすることは絶対にない。櫻井さんもきっと同じだ。
安心して欲しい。苦しくなって欲しくない。2人で居たい。
僕はオナラに対して思っている解が出た。きっと、僕はオナラがただ好きなんじゃない。櫻井さんがオナラを安心してくれる、そんな存在になりたいんだって。
「櫻井さん。僕、君の事が好きだ」
「へっ!?」
突然、僕は告げた。間違いない。この感情は。櫻井さんをこれからも守ってあげたい。櫻井さんを抱きしめたい、安心させたい、オナラをして欲しい。ただ、それだけの僕なんだ。
「オナラを聞いたから告白したの?」
「そ、それは違うけど……なんだろう。急に伝えたくなっちゃって。えと、オナラも好きだよ」
僕は変態さんだよ。僕はそれを伝える。遠慮したくない。
「ふふ、なんか宮野君って変だね」
櫻井さんは笑った。無邪気な笑顔だ。僕はこの顔を見たくて一緒に居る。
「好きだよ櫻井さん」
「うん。私も。でも、オナラは好きにならなくて良い!」
櫻井さんの表情から恥じらいが消えた。笑ってくれて僕は嬉しい。そう、初めから僕たちの間には遠慮なんて必要なかったんだ。数学が苦手なのに、必死に勉強して僕に教えてくれる。嬉しい。本当に嬉しい。僕はその事実を知り、少し遠慮しかけた。だけど、僕はもう彼女に対して遠慮はしたくない。
「数学、教えてよ!」
「うん。その前に、またオナラが出そう」
「お! 出して出して!」
「ちょっと宮野君! 女子高生にそれはセクハラだよ!」
そんな感じだ。僕は櫻井さんが好きだし、櫻井さんのオナラが好きだ。それで良いと僕は思う。
もう逃げたりしない。聞かないフリはしない。ちゃんと櫻井さんと向き合って生きていきたい。そう思えたのも、オナラのおかげなのかもしれないね。
「出して良い?」
「うん。いいよ」
僕は櫻井さんを軽く抱きしめ、彼女は呼応するように僕の背中に手を回した。陽光が紫色になる夕方から夜にかけての涼やかな風。カーテンがふわりと舞った。
オナラは素敵な事なんだ。だから、我慢しなくて良い。遠慮しなくて良い。
小鳥が囀る。今日から僕たちの、2人の高校生活が始まるんだ。
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