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 ロヴィスタは久々に諜報の仕事で、仕事相手と関係を持った。その行為が本当に気持ち悪かった。執拗に繰り返す相手に、彼女は胃の中を戻す。ようやく相手は諦める。


(奥さんにバレれればいい。馬鹿め)


 婚姻の契約をすると相手のことが探れるようになる。夫婦で互いの体調管理をするのだ。でも婚姻者同士の浮気も相手にバレるとロヴィスタは聞いている。嫌な思いをした。利用してやる。悔しさと悲しみで冷え切った心で、彼女はそう思った。




 ロヴィスタはずっと、スリンケットと二人になるのを避けていた。今日は他の側人が先に部屋を退出して、久しぶりにロヴィスタだけが残る。


「ロヴィスタ……」


 他の側人がいなくなった途端、スリンケットの()れた声がロヴィスタの耳に甘く届く。彼女は黙って彼のされるがままになっていた。


(ごめんなさい。本当にごめんなさい)


 彼女は泣きそうな思いを呑み込む。スリンケットがロヴィスタの唇を奪い深く口づけた時、一瞬寒気がしそうなほどの沈黙があった。彼は身体を離し口を押え、信じられないように首を振る。


「何これ? どういう事」


 呆然とするスリンケットを、ロヴィスタは何の感情のない目でただ見ていた。彼は彼女の様子に苛立ち眉間にしわが寄る。


「他の人と浮気した?」

「浮気? いえ仕事です」


 淡々と話す彼女にさらにスリンケットは苛立つ。


「仕事でも嫌だよ。僕は。なんでそんな平然としていられるの?」

「若は何を(おっしゃ)っているのですか。私はずっとこうやって仕事をしてきました。急に言われましても……」

「婚姻の契約魔法を結んでからは一度もなかったはずだ。僕はロヴィが何ともないように言うのが本当に嫌だ」


 ロヴィスタはスリンケットのこの真っ直ぐ気持ちを示すところが大好きだった。でもこれを今夜は認めない、とそう必死で心を閉ざした。


「嫌であれば、もう『先達の妙技』はお終いにいたしましょう」


 そう言ってロヴィスタはスリンケットに背中を向けた。スリンケットは後ろから彼女の肩を痛いほど掴んだ。


「僕は『先達の妙技』だと思ったことは一度もない。ロヴィが好きだから触れてきた」

「そうですか。それでは旦那様の許可が下りません。二人で会うのはこれで最後です」


 ロヴィスタはそう言ってスリンケットの手を必死に振り払った。彼は彼女の両腕を掴み自分に引き寄せた。スリンケットの澄んだ青い目が潤んでいた。


「ロヴィだって同じ気持ちだろう。なんでそんな態度とるんだよ」


 彼女は耐えきれず彼を押し返す。必死に表情を作り嘘をついた。


「仕事が完璧だっただけです。若も割り切る(すべ)を身につけて、大人になりましょうね」


 ロヴィスタはスリンケットへにっこり笑いかける。彼女はすぐに扉へ向かい、足早に部屋を出る。急いで扉を閉めたものの、彼女はもう身体が動かせない。扉に寄りかかり動けるようになるのを待つが、今度は嗚咽(おえつ)が湧き上がってくる。必死で我慢していると、扉の向こうから凄まじい物音がした。


(机、蹴り飛ばしましたね。物にあたるなんて若らしくない)


 ロヴィスタが苦笑いをした瞬間、頬が濡れ始める。


(このままここに居たら、もう一度扉を開けてしまいそう……)


 彼女はもう一度苦笑いを浮かべると、誰にも出くわさぬよう自室へ帰った。





 

 

 周りが二人の仲が終わったと認識し触れなくなった頃、ロヴィスタはケトレストから呼び出された。


「早ければ初夏に全面戦争になる。ペルテノーラ、アルクセウス様のいる聖城区どちらとも。スリンケットは早めに学校に戻す。側人は腕利きで信頼できる者だけに厳選したい」

「かしこまりました。必ず。若にウーメンハンの諜報員の手が及ぶようなことは絶対にさせません」


 ロヴィスタは心の底から誓って言う。ケトレストはロヴィスタを見つめて静かに言った。


「知っていたか」

「はい。これまで守っていただきありがとうございます。側人の手配が終わりましたら、この家を出ます」


 ケトレストはゆっくりとロヴィスタに背中を向け、(つぶや)く。


「ロヴィのおばあちゃんに誓ったのにな。守ってやるって」


 ケトレストの背中を見ながら、彼女はずっと言うか迷っていたことを口にしようとする。


「あと、その……」

「何だ?」


 前例があるロヴィスタの様子に、ケトレストは思わず身構える。


「子供ができまして……。多分」

「はあ?!」


 ケトレストは呆れた声を出す。そしてちょっと考えてから、ロヴィスタに聞く。


「誰の話だ?」

「私の話ですよ。もちろん」

「いや……。そうだろうなと思って聞いていた。聞いていたけれども、ほら……普通は無理だろ? 未婚だとさ」


 ケトレストの言うことはロヴィスタは理解していた。特権階級が子供を作るには婚姻の契約魔法が必要だ。


(じゃないと子供や不倫相手から、ぽこぽこ子供が生まれちゃうじゃない?)


 だからこそシキビルドの子供たちが無責任に売られて相手をさせられてしまうのだが……。そんなことを考えながらロヴィスタはケトレストに説明する。


「若は婚姻の契約魔法の魔方陣を自作されました。…………非合法ですが契約できていたようです」

「……今、大量に説明が飛ばされたな。色々引っかかるが、一つだけ教えてくれ」


 そう言いながらケトレストは一瞬黙る。そして思い切ったように言った。


「俺はその……おじいちゃんか?!」

「はい」


 ロヴィスタが答えると、ケトレストは椅子から立ち上がり彼女を抱き上げた。


(うひゃ?!)


 いきなり持ち上げられ驚くロヴィスタを、ケトレストはぎゅっと抱きしめて言った。


「ロヴィありがとう」


 ケトレストの目が潤んでいる。


(喜んでくれた。伝えてよかった)


 ロヴィスタは胸が温かくなった。ケトレストはゆっくり彼女を下ろしながら言う。


「産むんだろ? 出て行ってどうするんだ。当てはないだろう」


 ロヴィスタは項垂(うなだ)れ、恨めしそうに彼を見上げる。


「そんなの旦那様もでしょ? 若に側人つけて学校に行かせたら、ワイルーン家は空っぽになります。さらに不幸の報告がありますよ。今聞きますか?」

「……聞こう」

「旦那様の側近の新妻たちがウーメンハンの諜報員でした」


 ロヴィスタは続けて側近二人の名前を言う。ケトレストの顔が蒼白になる。ケトレストの能力(ちから)で側近の嘘は見破れる。だが側近の妻なら能力は及ばないし、情報は筒抜けだ。ケトレストは力なく椅子に座わりこみ頭を抱えた。

 でもすぐにケトレストは顔を上げ、にかっと笑った。


「ロヴィの避難先、何とかする」


(なぜこの状況でそれを言える?!)


 不安ながらもロヴィスタは任せることにする。スリンケットの学校行きに連れ添う側人の選別と準備に必死になった。





 全ての準備が終わった日、ロヴィスタは夜スリンケットの部屋へ合鍵を使い静かに入っていく。


(若には側人としてやってはいけない事、全部やったな)


 彼女はふふっと笑う。スリンケットは、彼女にとって今でも可愛らしく愛しく切ない存在だ。顔だけは見ていきたい。眠っている彼の顔を見てホッとする。小声で言う。


「あなたとシキビルドに多くの幸せが降り注ぎますように……」


 するとスリンケットの上に何か光るものが降り注いだ。彼女は驚き口元を押さえる。


(ユーリグゼナはこんな綺麗なものを私に送ってくれたんだ……)


 それは贈られる側には見えない優しい光だった。


 ロヴィスタは気持ちを落ち着かせ、寝ているスリンケットの耳にかかる髪をそっと上げて、耳装身具(ピアス)にそっと触れる。満足した彼女が立ちあがり扉へ向き直った瞬間、スリンケットに手を掴まれた。


「どこ行くの?」


 ロヴィスタが振り向くと、スリンケットはゆっくり手を放した。彼女は月明かり中、彼の澄んだ青い目を見た。でも何も言わない。彼は小さく息をついて言う。


「いつ戻ってくるの?」


 やはり何も言わないロヴィスタの手にもう一度スリンケットは触れた。


「僕が学校に行く前には帰ってくる?」


 ロヴィスタは小さく(うなず)く。嘘だった。でもスリンケットは気づかずホッとした様子になる。そして自分から歩み寄り彼女を優しく抱きしめた。


「次会った時にきちんと話したい。無事に帰ってきて」


 優しいスリンケットの声に気が遠くなりそうになりながら、またロヴィスタは小さく(うなず)き嘘を重ねた。





 ロヴィスタの避難場所は、パートンハド家の元領地だった。


「『元』なのは、ユーリグゼナが売り払ったからだ」


 ニヤニヤしながらケトレストが言った。ロヴィスタは悲しそうな顔で言った。


「……お金に困っていたんですね」

「違うわ!!」


 ケトレストが慌てて反論する。


「謀反ということで惣領が処刑された家だ。パートンハド家の名義なら、王に没収されてただろう。売った相手はパートンハド家の元御用達の男だ。領地も味方も王から遠ざけた。いい手だな」


 嬉しそうに語るケトレストの様子に、ロヴィスタはにんまりする。


(おじさんは本当にパートンハド家が好きだよね)


 彼女は一人でワイルーン家を出て旅立つ。町の外れにはたくさんの馬車が停められている。その一つから穏やかな表情にも関わらず、抜け目ない緑色の目をした男が出てきた。パートンハド家元御用達の(ケン)だった。彼はロヴィスタを見て、ホッとしたように微笑む。


「ご無沙汰しています」


 ロヴィスタは彼と面識がある。シキビルドの(あきな)いを仕切るワイルーン家は、国内外の商品をほとんど把握していた。しかし依頼されても無いものはある。パートンハド家の御用達である(ケン)はその無いものを見つけてくる天才だった。

 移動する馬車の中で彼は言う。


「今回はご出産後までお守りするお約束ができず、申し訳ございません」

「いいえ。難しい状況の中お助けいただきありがとうございます。事情は把握しております。一時期でも置いていただけること、感謝します」

「……」


 (ケン)は悔しそうに黙り込んだ。




 仮の移住地には彼女の好きな魔樹の木があった。移り住んだ春、いつもより早く花が咲き始めていた。ロヴィスタは嬉しくて毎日花を見るのが日課になった。

 満開となると、ロヴィスタは笑顔になった。辺りの空気も花びらの色に染まって見える。風が起こり花びらが舞い散る。彼女の黒髪も風になびき、耳が露になった。この場所に来て、ようやく着けるようになった青色の耳装身具(ピアス)がキラリと光った。


(この魔樹の花、一本だけ桃色……)


 いつの間にか彼女の側に来た(ケン)が言った。


「この一本だけは花の色まで『さくら』に似ているそうです。ベルン様はあなたに見せたがっておられました」


 ロヴィスタはパートンハド家で彼と話したことを思い出し、にやっとする。


『願わくは花の下に春死なん』


 急に(ケン)が聞きなれない言葉を言った。不思議そうに見返すロヴィスタに、彼は少し照れたように微笑みながら言う。


「シキビルドの古い(うた)です。願いが叶うんだったら、春に満開の花の下で死にたいな、という感じですかね。ベルン様が満開になると言うのですよ。本当は続きがあるのにこの部分だけ」

「とても共感できます。いいです。そうできたら」


 不意に強い風が起こり、花びらが一気に散っていく。ロヴィスタは真上を見上げて微笑んだ。彼女の服に花びらが舞い降りる。その様を目を細めて見ていた(ケン)が言った。


「私としては────潔さより、執念深さの方が共感できます」


 ロヴィスタはいつも穏やかな彼の強い言葉に少し驚いた。彼は彼女を見つめ言う。


「お願いです。諦めないでください」


 どうか、と(つぶや)いて立ち去る研をロヴィスタは黙って見送った。彼女は彼が見送ってきた人たちのことを思った。







 「行かない」


 スリンケットは一歩も引かない様子で学校行きを拒否していた。彼の父ケトレストは大きなため息をついて、離れたところから傍観していた。側人たちは助けを求めてチラチラとケトレストの様子を伺っている。スリンケットは言う。


「まだ学校も始まらない。早く行く意味が分からない」

「ですから、今のうちに行かないと戦闘で通行できなくなるからと……」


 側人の一人が何度目かの説明をもう一度する。それでもスリンケットは顔を背け、「行かない」とただ言い続けていた。ケトレストは大きな大きなため息をついて、重い腰を上げる。彼が動くと側人たちは道を空ける。彼は息子の前に来ると言い放った。


「今すぐ出て行け」


 スリンケットは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに自分の父親を睨み付ける。ケトレストはそれには目にもくれず、低い声で言った。


「お前がいると、家の者の邪魔になる。俺もお前が目障りだ。今すぐ出て行け」


 側人に目線を送り、彼はその場を離れ自室に向かう。側人たちが学校へ向かう準備に入る。ケトレストが言ったことで決定事項になったのだ。


 



 ケトレストは自室に入ったものの、何もできず佇んでいた。これから自分がするであろうことを思い気が重くなった。


ドンドンドン


 (扉の合図もちゃんと教えるか)


 礼儀の無い叩き方に文句をつけながら、ケトレストが扉を開けると、怒りが治まらない顔のスリンケットがいた。ケトレストは顎でくいッと合図して息子を部屋にいれた。スリンケットは拳を握りしめ、でも声は抑えて言う。


「学校に行く日時を遅らせたいのです。あと少しでいいから」

「駄目だ」

「なぜです」


 スリンケットは澄んだ青い目で父親を見た。ケトレストは息子の目を見返し言った。


「ロヴィスタは二度と帰ってこないぞ」


 スリンケットは一度絶句した後、もう一度父親を見て言う。


「約束しました」


 息子の言葉と揺るがない澄んだ目を見て、ケトレストは大きく息をついた。


(この真っ直ぐなところは嫌いじゃないんだがなぁ)


 そう思いながらもケトレストは言う。


「ロヴィスタはどうして諜報員をやっていたと思う? あれだけ近くにいても、お前は彼女が(かか)えているものを知ろうとしなかったな」


 ケトレストは侮蔑(ぶべつ)を含んだ笑いを浮かべながら、息子に言った。


「ロヴィスタはお前に嘘をついたんだ。お前たちはそれだけの関係ってことだ」


 苛立ったスリンケットは父親に掴みかかる。ケトレストは掴まれても冷めた様子で続ける。


「その程度の女は切り捨てろ。子供はとっとと学校へ行って足りないもん埋めてこい」


 そう言うとケトレストは息子を突き飛ばした。床に倒れたスリンケットは立ち上がろうとしながら、ハッとした顔で言う。


「あなたとシキビルドに多くの幸せが降り注ぎますように……そういう挨拶ってあるんですか?」


 それを聞いてケトレストは動きを止めた。見上げたスリンケットの目を逸らすように、背中を向ける。


「さあな。学校ででも聞け」


 そう言ってケトレストはまた顎をしゃくって、息子に退出を促す。ケトレストはなおも言い(つの)ろうとする息子を突き飛ばし、扉を閉めた。閉めた途端、ケトレストは荒い呼吸を繰り返す。落ち着くとため息をつく。


(あいつ、能力(ちから)強くなりすぎだ!! 見破られそうだったぞ……。あれは苦労するなあ。やっぱりロヴィスタは逸材だ。添わせてやりたいが……)


 彼は苦し気にもう一度息をつき、床に座り込む。ロヴィスタの抱えている問題は、彼にもスリンケットにも手に負えない。






 ケトレストは息子を学校に送りだし、無事到着の報告を受けた。ホッとしつつもシキビルドの戦況を思うと頭を抱える。


(もうこの国には戦う体力がない。とっとと白旗をあげれば救えるものもあるのだが……)


 パートンハド家のノエラントールとルリアンナが繋いできた、ペルテノーラ王と最高権力者アルクセウスとの絆はすでにない。和平交渉も不能だった。一番の問題はシキビルドの特権階級の面子(めんつ)だ。未だに弾劾されることを恐れている。


(悪いことしたら、責任とるのは当然じゃないのか)


 ケトレストは大きなため息をつき部屋を出る。次の仕事の指示のため戻ってこない側近を探す。今、彼の近くにいる側近は一人だけだ。あとの信頼できる人間は全員スリンケットにつけて学校に送り出した。

 彼の側近は庭の見える椅子に腰かけ、居眠りをしている。


(さすがに負担をかけ過ぎたか)


 ケトレストはそう思いながらも、彼の肩を叩く。


「おい」


 彼の体勢は大きく傾き椅子から崩れ落ちる。ぎょっとしたケトレストは、椅子の下を見た。おびただしい血だった。床に溜まった赤黒い液体の水面に自分の姿が映り込んでいるのが見えた。


(狙われるものなど、この家にはもう何も……)


 ケトレストはそう思いながら、側近に触れる。温かいがすでに事切れていた。側人を呼び処置を頼まなければならない。

 そう思っている時に、ケトレストは何かとても大きな強い圧力を能力(ちから)で感じた。


(なんだ。感じたことのない強い圧迫感)


 彼は息ができなくなり、冷たい汗が出てきた瞬間……


パキ──ン


 何かが大きく(はじ)けて割れた。次の瞬間、今度は身体で感じる大きな振動が地面を伝わってきた。


ド────ン!! ドドン


 彼の耳に大きな爆発音が響く。そして、その爆発による爆風が家にたどり着く。家の中がかき回され、様々なものが飛んでいく。ケトレストは茫然としながら思った。

 

(空間が壊された)


 国と国の空間はそれぞれ時空抜道(ワームホール)で繋いでいる。(はじ)けたのは空間、爆発音はこの時空抜道(ワームホール)が吹き飛んだ音だ。方向から見て聖城区を結ぶ通路。シキビルドと学校を繋いでいるものだ。スリンケットはすでに学校に着いている。幸いだった。

 ケトレストは混乱で周りが慌て、一気に緊張が高まっていくのを感じながら、気づいた。


(ロヴィスタか)


 遺体を見ながら彼は思う。(ケン)との唯一の連絡係がこの側近だった。この機に乗じてウーメンハンが何をしようとしているのか考えると、絶望的な気持ちになる。

 ケトレストは側人を大声で叱りつけながら、次々と指示を出していく。この戦争も、この国もそしてこの家も終わりが近づいていた。

 

(くそ。もつのかこの国は)







 ロヴィスタはもうすぐ生まれる子供のため、靴下を編んでいた。そう、暇なのだ。


(自分が仕事以外でこんなことすると思わなかったよ)


 彼女はふふっと笑う。(ケン)は心配して、何も彼女に仕事をさせない。もういつ生まれても良い時期に入っていた。不意にバタバタと聞きなれた足音が部屋に近づいてくる。ロヴィスタは立ち上がり扉を開けた。


「おわっ?!」


 ケトレストがつまずきそうになりながら、部屋に突入してきた。ロヴィスタは驚いた顔で彼に言う。


「旦那様?! まだ生まれてませんよ?!」

「いや。孫を見に来たわけでは……」


 不思議そうなロヴィスタに、ケトレストは手を彼女の肩に置きながら静かに言う。


「多分見つかった。ここを巻き込むわけにはいくまい」


 彼女は顔を一度強ばらせた後、引きつりながらも笑う。


「旦那様と逃避行ですか……。若は?」

「あいつは学校に避難した」

「良かった。すぐに出ましょう」


 ロヴィスタがそう言って準備を始めると、(ケン)が顔色を変えて部屋に飛び込んできた。


「待ってください。私もお供します!」


 ケトレストが意外そうに研を見ながら言う。


「研。状況分かっているか? ウーメンハンの諜報員がロヴィスタを抹殺しに集団でお出ましだぞ」

「分かっております。私はこれ以上お世話した方々がいなくなるのは耐えられません。命の限り生き残れるよう努めます!」


 灰色の巻き毛の髪を振り乱しながら研は言う。それを見たケトレストはぶっと笑い、真面目な研はムッと顔をしかめた。


「悪い。研がそんな熱い男だとは知らなかったんだ。お前に生き残ってもらわなければ困る。向こうに行った時、ノエルに殴られたくないからな」

「縁起でもないことを仰らないでください」

「アナトーリーがペルテノーラで頑張っているらしい。もうすぐ戻ってくるぞ」


 パートンハド家の息子の話で、研の顔がハッとする。ケトレストは続ける。


「聖城区の時空抜道(ワームホール)が破壊された。通行不能だが戦闘も不能だ。残るはペルテノーラのみ。これからシキビルドはペルテノーラに全力で打って出る」

「……旦那様も行かれるおつもりですね」


 ロヴィスタは暗い目でケトレストを見た。彼はそれをにやっと笑って受けとめた。


「おう。もう生きてるまともな人間がいなくてな。……子供たちが学校から帰ってくるまでに戦争を終わらせたい、と初めて特権階級が全員一致した」


 ケトレストは続ける。


「だから研。もう少しだ。もう少しで終わるし、出来損ないのアナトーリーが帰ってくる。あんなんでも戻ればパートンハド家は復活する。その時、研がいないと潰れるぞ?」


 ケトレストの言葉に、研は悔しそうに押し黙った。その後ろから女性が現れ、研に(うなず)いてみせた。


「私が行きます」


 その細身の女性は、パートンハド家の元側人だ。ずっとここでのロヴィスタの世話をしてくれていた。ケトレストは何かを感知しながら言う。


「悪い。もう行くわ。研。知ってることは全部しゃべってくれていいから、生き延びてくれ。礼が何もできてなくてすまん。……行くぞ」


 ロヴィスタと世話人を連れ、ケトレストはこの場所を離れた。



 

 先を急ぐケトレストに、ロヴィスタは聞く。


「旦那様。先ほどさらっと時空抜道(ワームホール)が破壊されたとおっしゃいましたが、町は大変なことになっているのでは?」

「大当たりだ。だから町には戻らない。研からは離れるが、この近くに隠れ家を用意した」


 ケトレストの言葉に、苦しそうな顔でロヴィスタが言う。


「あと、その……」

「何だ?」


 前例があるロヴィスタの様子に、ケトレストは思わず身構える。


「生まれそうです……。多分」

「早く言え!!」


 大慌てで隠れ家に移動し、世話人が奮闘する。────無事に生まれた。




 ロヴィスタの産んだ男の子は、スリンケットと同じく赤茶色の髪に青色目をしていた。


(こんなに可愛い赤ちゃんは世界中にこの子しかいないと思う……)


 ロヴィスタの確信は天を突き破る勢いだった。それを超える勢いでケトレストは、産後すぐの彼女に孫自慢を始めたため、世話人が彼を部屋から追い出した。一晩経ち明け方、ケトレストはロヴィスタと赤ちゃんの部屋を静かに訪れる。彼は声を落として、彼女に聞く。


「少しは寝れたか?」

「はい」


 ロヴィスタはケトレストを寝ている赤ちゃんの側に促す。彼はそそくさとやってきて、ワイルーン家では見たこともないような優しい笑顔で赤ちゃんを見ている。しばらく見たあと、ロヴィスタに向き直り言う。


「ロヴィスタ。結婚して欲しい」

「……嫌です」

「へ?!」

「孫では飽き足らず、自分の息子にしようという魂胆ですね」


 ロヴィスタの冷たい目線に、ケトレストは慌てて手を振る。


「違う! スリンケットとだ。戦争が終わればあいつも帰ってくるだろう。まだ学生だしワイルーン家は取り潰されるだろうし不都合は多いが、俺が何とかするからさ」

「……生きて帰っていらっしゃいますか? 旦那様」


 彼女の茶色い目がじわりを潤む。ケトレストはにかっと笑った。


「ああ。ちゃっちゃと負けて帰ってくるよ」


 ロヴィスタは少しだけ笑うと、スリンケットとの結婚を了承する。ケトレストはロヴィスタと赤ちゃんに優しく触れると、戦争の準備のためにワイルーン家に帰っていった。





 戦闘が終わり、ペルテノーラの護衛とともに戦勝国の王子ライドフェーズがシキビルド入りしてくる。その頃にはシキビルドの猛暑が始まっていた。ロヴィスタはだいぶ動けるようになっていたが、暑さにやられていた。世話人は心配そうに言う。


「どうします? 本当に町に戻りますか?」

「う──ん」


 町の中心部は避暑の設備も多く、田舎より過ごしやすい。しかし治安は今最悪だった。ケトレストは無事に戦いから帰還し、弾劾裁判のための取り調べ中だ。アナトーリーが取り調べを担当しているので、連絡が届くようになった。ロヴィスタは思い切って言う。


「行こうか!」


 (けん)にはまだウーメンハンの見張りが付いている。ロヴィスタは世話人と二人で秘密裏に町へ向かう。馬車がたくさん停まった町の外れまで来た。ここでケトレストの使いと待ち合わせをしていた。馬車に乗ったまま待っていると合図される。ロヴィスタは違和感があった。


(扉の合図が……シキビルドの人間ではない)


 彼女は世話人の手をぎゅっと握る。世話人の顔からスッと赤みが消える。


(このままじっとしていても……外は二人)


 ロヴィスタは世話人に(うなず)き外に出る。二人はいきなり捕まえようとしてきた。世話人が足技で一気に二人を倒した。でもまだ他に何人も出てくる……。取り囲まれていた。


「行ってください!」


 世話人が細身の美しい彼女とは思えない、雄々しい様子で言う。ロヴィスタは(うなず)き人混みの中へ突入していった。


(若! 今こそこれを使う時ですね!)


 彼女が懐から出したのはスリンケットに作ってもらった魔術機械である。彼女が大好きな魔樹の花びらが大量に出てくる。


(でも舞わない。全然綺麗じゃない、とお蔵入りするところを頂いてしまいました)


 追跡の人数が増え近づいてきていた。ロヴィスタはいきなり後ろを振り返り、魔術機械の突起をポチっと押す。能力(ちから)が無干渉の彼女でも作動できる仕掛けだった。大量の薄紫色の花びらが一気に噴き出す。


「ぶわっふ!!!」


 追跡者全員の顔に花びらが貼りつく。口にも目にも入り込み苦しそうだ。この機会を逃さず、ロヴィスタは逃げる。でも本当は覚悟していた。今したいのは自分が逃げることではなかった。逃げる途中、花売りの大きな荷台が目につく。所狭しとたくさんの花々が詰め込まれている。彼女は足を止め、その中にそっと赤ちゃんを置いた。


『どうして靴下が片っぽなの?』


 ロヴィスタの頭に不意にその言葉が浮かぶ。赤ちゃんの靴下を片方だけ握りしめ、駆け出した。追跡者の数は10人にも及んでいた。人混みを選んで走るが、差は縮まる一方だった。彼女は必死で走る中、思っていた。


(けん)、最後まで諦めないからね!! でもそれでも駄目だったら、駄目だったら、若。……あとをお願いします)


 ついにロヴィスタの腕が追手に掴まれた。彼女の後方から低い声が響く。


「ロヴィスタ=チェンドリーか?」


 ロヴィスタは優雅に振り返り微笑んだ。


 「違うわよ?」


 不敵な声で言う。彼女の黒い髪がさらりと揺れた。ロヴィスタは澄んだ青い目を想い、乞い願う。







≪終≫

スリンケット目線の終話、本日中に掲載予定です。


本編「敗戦国の眠り姫」はその後のパートンハド家の話です。ご興味あれば覗いてください。

メインじゃない人たちは探しにくいので書きます。

研の再登場(真ん中くらいに)→ https://ncode.syosetu.com/n5251gp/20/

アナトーリー(平民名:累)が語るケトレスト最期(後ろの方にほんのチラリと)→ https://ncode.syosetu.com/n5251gp/24/

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