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「ロヴィちゃんはこの花のどこが好きですか?」


 黒髪黒目のベルンが聞く。少々お酒が入って機嫌のいいロヴィスタは元気よく答えた。


「パッと咲いてパッと散るところです!」

「僕もです」


 ベルンはにっこり笑うと、穏やかに話し出した。


「僕の世界のソメイヨシノという『さくら』の花は、この魔樹によく似ています。桃色ですが」

「桃色ですかー。派手ですねー」


 ロヴィスタは相槌を打つ。ベルンも少々飲んでいるのか気持ちよさそうに話す。


「まだ寒さの残る春の初めに咲き始めるところも同じです。僕は毎年『さくら』の花を見ないと春が来た気がしなくて。この魔樹の花に巡り会えたとき嬉しかった」


 ベルンの嬉しそうな顔に答えるように、ロヴィスタは言った。


「私もこの花見れて嬉しかったです。見たくてシキビルドに来たんですよ」

「そうなんですか! ロヴィちゃんって素敵です。力強くて潔くて。この花に似ています」


 ベルンは黒曜石のような黒い目を輝かせる。ロヴィスタは美味しい食事をパクパク食べながら、首を(かたむ)け言う。


「花、力強いですかね?」


 彼は大きく彼女に(うなづ)いた。


「はい。『さくら』は自力で子孫が残せない弱い木です。でも魔樹は強い。パッと咲いて春を告げ、その花で愛をはぐくみ子孫を作ってからパッと散っていく。力強くて潔いなと思います」


 そう言ってベルンは黒い目を細める。ロヴィスタは自分の好きな花を褒められ、にやりと笑った。


「こっちの魔樹の花も好きですか?」

「はい。とても。大好きです」


 彼はそう言うと、優しい顔でロヴィスタに笑いかけた。






(……この人はもういない人だ。パートンハド家はノエラントールもルリアンナも、もういない)


 ロヴィスタは目から溢れたものを拭きながら驚いた。


(こんなに私、人が死ぬことに弱かった?)


 彼女は卒業直前に家族全員を殺されている。その時はどうやって耐えたのか、もう思い出せない。


(そうだ。『復讐しないかー?』だ。おじさんに誘われてウーメンハンを探ってた)


 ロヴィスタは寝台の上で、ふふと笑う。

 彼女の一族を消したウーメンハン上層部は、薬を独占して甘い汁を全部吸っていた。そしてこの薬は、性商品のシキビルドの子供たちに使われてる。彼女はそういうウーメンハンの不都合な情報の裏を取り続けていた。


 十日ほど前、シキビルドの王が死んだ。どうやって死んだのかワイルーン家もロヴィスタも(つか)めていない。ただそれに乗じて他国が動き出したことは(つか)んでいる。中規模国ペルテノーラが侵攻してくることは、ほぼ確実だ。

 生きている以上、何かを失っていくのは仕方のないことだ。でも戦争は明日もあると思っていた命や物を日常ごと根こそぎ奪っていく。ロヴィスタは揃えて曲げた両(ひざ)をぎゅっと抱え込む。そのまま茶色の目を閉じ、気持ちを切り替えていく。彼女にとって今日はとても良い日になるはずだ。スリンケットに相談事があると言われ約束していた。


(若の御用はなんだろう。わざわざ呼ばれるなんて、どきどきするよ)


 スリンケットのことを考えると、ロヴィスタはすぐに元気になる。前の時もこうして救ってくれたことを思い出し、彼女は微笑んだ。





 朝の仕事や片付けが一段落したあと、ロヴィスタはスリンケットの部屋に向かう。


コンコンコン


 扉を開けると、すぐスリンケットが立ち上がり彼女を庭に誘う。ロヴィスタは彼の後をついていく。いつもと逆の順番であることに、彼女は頭が混乱する。そして一つ気づいた。


(背が抜かれてる!!)


 いつ? ロヴィスタは考えても思いつかない。毎日一緒にいても気づかないことがある。彼女はそのことを今更ながらに気づき、スリンケットをいつも以上に意識してしまう。


 スリンケットはワイルーン家の庭にある魔樹の木の下に向かう。花の時期は終わり緑の葉っぱが茂っていた。ついてくるばかりで何も言わないロヴィスタに、振り返ったスリンケットは微笑みながら言う。


「わざわざごめん。出来れば誰にも見られたくなかった……」


 13歳になった彼の声は、昔と違い低く男らしいものになっている。それでも持ち前の清らかさが消えず、細い肢体と相まって少年独特の危うさが彼を魅力的に見せていた。

 スリンケットは懐から小さな袋を出し、何か小さなものを取り出した。それを彼自身の手の平にのせる。彼の顔はうっすら赤くなっていた。


「遅くなったけど、お祝いのお返し。同じもの返すなんて芸がないけど、今の精一杯だ」


 ロヴィスタは目を見開く。所在なさげな彼から耳装身具(ピアス)を丁寧に受け取る。青い石がはめ込まれている。スリンケットの目のように綺麗な石だ、と彼女は見入っていた。ロヴィスタは耳装身具(ピアス)を手にしたまま動けない。嬉しいのに、嬉しいのにとても笑えなかった。


(装飾品はつけない。その場限りの使い捨てなら着けるけど。諜報は特定されないため同じものを着けることはない)

 

 そのことは彼女がスリンケットに告げていないたくさんの事を思い起こさせた。諜報の仕事は必要であれば、身体の関係を厭わない。そもそも『先達の妙技』のお役目を任されるということは経験が豊富ということだ。ロヴィスタは青ざめた。


(言えない。若に自分の仕事のこと。何を浮かれていたのだろう。この綺麗な耳装身具(ピアス)も私に相応しくない)


 スリンケットは緊張した顔で、ずっと静かにロヴィスタの様子を見ていた。表情の変化を全て見られていることに、ロヴィスタはようやく気付くがかえって慌ててしまい、困り切った笑顔になってしまう。スリンケットはとても冷静だった。


「もともとロヴィは能力(ちから)でもみえない。教えて欲しい。僕の贈り物は失敗したんだね?」


 ロヴィスタは慌てて首を振った。でも何を言っていいのか分からなくなっていた。スリンケットはずっと辛抱強く待っていた。その間澄んだ青い目は瞬きもしない。ロヴィスタは唇を噛み、目を閉じた。それからもう一度目を開けると、落ち着いた声で言った。


「少しお座りなりませんか?」


 魔樹から少し離れたあたりに丈の短い草が生えているところがある。そこに二人は座った。初夏になりちょうどいい気候だ。


「耳装身具(ピアス)は仕事柄つけられません。それでも頂いても良いのでしょうか……」

「もちろん」


 スリンケットは緊張が解けないまでも、すこしホッとした顔になった。ロヴィスタはそれを見て少し顔を緩ませる。


「私の能力(ちから)は無干渉です。他の能力が無効化されます。若の能力が及ばないのはそのためです」

音声伝達相互システム(プルシェル)持ってないのも使えないからだね?」


 スリンケットの言葉にロヴィスタはハッとする。

 

「お気づきでしたか」

「持ってない理由を考えて、調べたらそれしかないと思った」


 スリンケットはそっけなく言う。その様子を見てロヴィスタは決断した。


「私の仕事が何かお気づきですか」


 彼女は自分から言うことはできない。ただ、彼が知っているかどうかを確認することはできる。


「諜報員。おそらくウーメンハンを主にした潜伏と踏査任務」


(大正解。さすが若)


 ロヴィスタはスリンケットに何も答えなかった。それが彼への答えだった。彼女は感情が溢れそうになって、口元を押さえた。


(若は全部知っていて、ずっと変わらずに接してくれていた……)


 ロヴィスタは心の底からスリンケットに感謝していた。それ以上に彼自身も欲しい、と願ってしまう……。

 スリンケットはただ黙って彼女を見ていた。ロヴィスタはもともと今日言うつもりだった言葉を、ほぼ愛の告白のつもりで言っていた。


「私を若の『先達の妙技』の相手に選んでくれませんか?」


 彼女の言葉がすぐに理解できず、スリンケットは顔をしかめた。やがて口をあんぐり開けて固まる。その様子を見て動揺したロヴィスタは、泣きそうな顔になった。


(早まった────!! 言葉の説明から必要だった? それとも私じゃ嫌?)


 いたたまれない彼女は立ち上がり、スリンケットに早口で言った。


「か、考えておいてください。学校から戻られた秋のお返事で大丈夫です」


 そう言ってロヴィスタは仕事に戻ろうとする。スリンケットはさっと立ち上がり、ロヴィスタの片腕を取った。そしてそのままゆっくりと引き寄せる。ロヴィスタの身体が今までになく彼に近づく。触れてはいないのに彼の体温と匂いを感じた。彼女の頭は真っ白になる。彼女の頭の少しだけ上から、スリンケットの声が響いてきた。


「考えとく」


 その声が少し甘くて、ロヴィスタは自分の顔が熱くなるのが分かった。






 ロヴィスタは本当ならもっと早く訪ねておきたかった場所に向かう。ユーリグゼナのところだ。家族全員を失った彼女は、親王派に嫁いだ叔母の家に身を置いている。王の敵とされたパートンハド家の生き残りの扱いが良いわけがない。彼女の叔母にこっそり連絡を取り、彼女に会わせてもらう。


(早く会いたい気持ちと、彼女の家族を救えなかった後ろめたい気持ちが半分ずつ)


 ロヴィスタは(うつむ)き前かがみになった身体に気合を入れ、彼女がいる庭へ足早に向かった。庭にいたユーリグゼナを見て、ロヴィスタは茫然とした。ユーリグゼナの目は空虚だ。彼女の様子が、店の商品の傷ついた小さな女の子たちに酷似してることに気づき、ロヴィスタは血の気が引いた。


(誰に?! どうして?!)


 私が保護すべきだった。悲しむのではなく彼女を守らなければならなかった。胸に渦巻く暗い感情に息が止まりそうになる。感情を抑えるため、一度目をつむったあともう一度目を開く。そしてユーリグゼナに声をかけた。


「私の事覚えてる?」


 ユーリグゼナは無表情のまま小さく頷いた。(つぶや)くように言う。


「『さくら』のロヴィちゃん」


 ロヴィスタは苦笑いする。ベルンのせいで、ちゃん付け覚えられてしまった、と彼女は酸っぱい顔になる。彼女はユーリグゼナに聞いた。


「ここの暮らしはどう?」

叔母(ヘレン)と従弟たちがいて嬉しい。でも出来るなら森に帰りたい」

「ユーリグゼナの大事なものは森にあるの?」


 ユーリグゼナは大きく頷いた。ロヴィスタは賭けに出る。とても大事なことを伝える。


「私の大事なものは、『さくら』に似た魔樹の下にある」

「そうなの?」

「覚えておいてくれる?」

「分かった」


 ユーリグゼナは黒曜石のような黒い目でロヴィスタを見つめながら頷く。ロヴィスタは彼女を見て微笑んだ。


(やっぱりルリアンナ様似。ここぞという時の顔が本当に綺麗)


 ロヴィスタがさよならを言うと、ユーリグゼナは軽く頭を下げ静かに言った。


「あなたとシキビルドに多くの幸せが降り注ぎますように……」


 ロヴィスタは絶句する。それはパートンハド家がする(なが)い別れの時の挨拶だった。


(危うい。本当に)


 ロヴィスタは少し呆れ気味に大きなため息をつく。ユーリグゼナが強すぎる能力(ちから)を持て余し、苦労することが目に見えていた。同じく強い力を持つスリンケットには、ケトレストとロヴィスタを筆頭に支え守る者がいる。彼女には誰一人いないのだ。




「え──!?」


 スリンケットの嫌な顔と声を聞き、ロヴィスタはにやっとしそうになる顔に急いで気合を入れる。


(いいね──! 若は最近、取り繕うの上手になったから、こういう顔は久しぶり)


 どうにか無表情を貫こうと努力するロヴィスタに、スリンケットは言った。


「パートンハド家に本気で関わりたくない。学校でも生き残りの女の子の話は禁句だよ。裏では根拠のない憶測が広まってる。僕は学校生活を平和に過ごしたい」

「難しいですか? こっそり会話してこっそり手助けするくらい、若なら余裕かと思いましたが……」


 ロヴィスタが仕方ないですね、と(つぶや)きながら引こうとすると、スリンケットは癇に障って彼女を引き留める。


「……そのくらいなら別に」

「若ならそう言ってくださると思いました。濡れ羽色の黒髪に、黒曜石のような綺麗な黒い目の綺麗な女の子です。新入生の中で多分目立ちます。少しでいいので目をかけてあげてください」


 ロヴィスタの言葉にスリンケットは少し興味深そうに言う。


「黒髪? ウーメンハンの血筋なの?」

「いいえ。私とは由来が違います」


 スリンケットが黒髪か、と(つぶや)くのをみてロヴィスタはほくそ笑む。


(私と一緒の黒髪に反応してもらえて、とっても嬉しいです。若)


 それにユーリグゼナに賭けをしている。必要なくなるのが一番の希望だが、もしものために知り合っておいて欲しい。


(あのおじさんは、相変わらず隠し事が上手い。多分状況はかなり悪くなってると思うんだよね)


 すでにこの世界の最高権力者アルクセウスからシキビルド王一族に弾劾処罰が下されていた。亡シキビルド王の息子とその母は弾劾を受け入れないと表明していた。


 スリンケットを寄宿学校に送ってすぐに、中規模国ペルテノーラ王からシキビルドへ宣戦布告が行われた。同時にアルクセウスからも弾劾強行の通達が来る。亡シキビルド王一族は開戦を決意する。

 そんな状況の中、ワイルーン家のケトレストは人身売買と薬の商いを止める方向で舵を切り始めていた。そのことを最も警戒したのは、大国ウーメンハンだった。






 学校が閉校する秋には、小競り合いで負傷した兵士が治療のため運ばれる姿が見られるようになっていた。まだ本格的な戦争にはなっていないが、他国への行き来もできなくなり国の経済状況は困窮していた。

 この状況下の中でも、今年の授業を終えた学生たちが帰ってくる。中立が守られる学校にスリンケットを滞在させようとしていたケトレストは困っていた。


「あいつ絶対に戻ってくるってきかないんだ」


 ロヴィスタは少しだけ目が泳いだ。そしていつも通りに美味しいご飯を食べながら、曖昧に(うなず)き言う。


「戦争を早く終えて安全を確保しましょう。王一族を捕まえて、アルクセウスに差し出せば終わりませんか?」


 ケトレストは青い目を細め、長いため息をついた。彼女は不思議そうにそれを見る。


「逃げやがった……」

「は?!」

「王一族全員で逃げやがった」

「え────!!」


 王一族はシキビルドから逃亡し、アルクセウスが治め寄宿学校の所在地でもある聖城区へ潜入している。


「学校の方が危ないじゃないですか。若を帰しましょう」

「多分学校は大丈夫」

「何を根拠に?」

「アルクセウス様がちょっととんでもないから」


 ロヴィスタは首を傾げた。不思議に思いながらも言う。


「王たちがいないなら、シキビルドのみんなで白旗上げてしまえば終わりません?」

「そうだな。そうなんだが……」


 ケトレストは暗い目をして下を向いた。


「他の連中は怖いんだと。弾劾裁判で処刑されるくらいなら、戦って死にたいそうだ」

「死にたい人だけでやってくださいよー」


 ロヴィスタは不服そうに眉をひそめる。ケトレストは食欲がないのか、匙で野菜を突いている。


「ノエルがいたら、みんなをまとめられたんだろうか。そう思ってしまう。年くったなあ」


 今日の食事は進まない。早々に片付けに入る。食料が手に入りにくくなっている。ロヴィスタは食糧難で先に死んでしまうんじゃないかと心配した。






「ただいま。ロヴィ」


 いつも通りのスリンケットの笑顔に、ロヴィスタは必要以上にびくっとする。学校から帰ってきたスリンケットは、早々に荷物の片づけを終え、ケトレストに形ばかりの挨拶を終える。就寝前の用意を整えロヴィスタが退出しようとすると、スリンケットはスッと手を取り彼女を引き留めた。


「返事をしたい」


 スリンケットの澄んだ青い目で見つめられ、ロヴィスタは動けなくなった。何も言えないまま彼を見ていると、スリンケットは静かに言った。


「ロヴィと婚姻の契約をしたい。その上での『先達の妙技』の相手なら、いい」


 夜で部屋が暗い。スリンケットの顔が少し赤く見えるのが、明かりのせいなのかロヴィスタには分からなかった。そして、彼の言うこともよく理解できない。


「若。出来ないことを言って断ろうとしてますか?」


 ロヴィスタは鼻がツンとする。泣きそうになった。了解してくれると期待してしまっていたのだ。婚姻の契約魔法は、成人しか許可が下りない。それを条件にするなんて酷い断り方だ。

 スリンケットが慌てて、「違う」と言い彼女の手を引いた。


「婚姻の魔方陣は僕が作った。正式な許可はもらえないけど、事実上の婚姻をしたい。──ロヴィと」


 ロヴィスタはぽかんと口が開いてしまう。スリンケットの言葉は彼女の想像を超えていた。


「あの。若が作ったって……」

「不安……だよね。ごめん。でも好きな人とは婚姻の契約をしてから……がいいから」


 スリンケットはしどろもどろになりながら言う。ロヴィスタは目を見開いた。


(好きな人?! 私?)


 彼女は目がくらくらしてきた。スリンケットが掴む自分の手が急激に汗ばんでくるのが分かる。


(若。すでに別の魔法使ってますね。……結構きいてますよ)


 彼女は息切れを隠しながら言う。


「婚姻の魔方陣って作れるもんなんですか?」


 スリンケットは真面目な顔で(うなづ)く。本来は専門の術者が作る高等技術だ。材料も貴重で高価なものが多い。スリンケットのお財布管理をしているロヴィスタは、高額の出費が無かったので不思議だった。


「教授がチェックしてくれた。材料は学校の森で採取してもらった。ユーリグゼナに」

「仲良くなられたのですね」

「……そういう言い方は嫌だ」


 スリンケットは眉をひそめ不快感を(あらわ)わにする。ぎゅっとロヴィスタの手を引き寄せそのまま抱きしめた。彼は苦しそうに息をつめて言う。


「僕が触れたいのはロヴィだけだ。でも……。大事にしたいのに。したいことは、ここの子供たちを買っていく大人たちと同じだ。違いを示すのには契約魔法くらいしか……」


 ロヴィスタはふふっと笑い、顔が赤いまま顔を上げる。


「大事にしたい時点でそれは尊いものですよ。本来相手の合意があれば、とても大事な愛し合う行為です。全然違います」


 彼女の言葉にスリンケットは、張りつめた表情のまま言う。


「それでも契約して欲しい。僕は……ロヴィに縛られたい、縛りたい」


 彼の言葉はロヴィスタを溶かしていくようだ。彼女は自分の気持ちをそのまま言っていた。


「私もです。ずっと好きだった若と繋がりたい」


 彼女は理性では違うことを思っている。ロヴィスタは無干渉の能力(ちから)で契約できないかもしれない。彼が正式に他の誰かと婚姻するときには、ロヴィスタが邪魔になるかもしれない。


(でもお願い。今だけでは。邪魔になったら私が死んだらいい)


 相手が死ねば契約魔法は消えるのだ。ロヴィスタは苦しくも甘い痛みを胸に抱えながら、スリンケットの青い目を見た。

 スリンケットは頬を赤くしながらロヴィスタの両手をとる。彼女を寝台の上に座らせ、自分も隣に座る。彼は緊張した面持ちのままロヴィスタの唇に親指で触れる。それだけでロヴィスタはぞわっと身体が反応した。

 スリンケットは何かを口に含むと、そのままロヴィスタを抱き寄せ優しく口づける。彼女が舞い上がってぼんやりしているうちに、彼は彼女の口の中に深く入り込み何かを転がした。


(これが契約魔法の粒かな。なんか甘い)


 ロヴィスタは契約魔法の予備知識がないことに気づいた。今まで婚姻の真似事すらしたことない。

 口の中で粒が解けて小さくなるごとに、身体が痺れてなんというか、男女のアレコレなわけである。


(若、いつもと違う……)


 ロヴィスタは余裕の無いスリンケットの仕草に色気を感じて仕方がない。彼女が持っていた経験も知識も何の役にも立たなかった。






 側人の朝は早い。全て朝の用意を整えた上で主人を起こす。だからこの状況は最悪だった。


(ぎゃあああ──!!)


 ロヴィスタは心の中で大声で叫ぶ。主人の寝台で鳥の鳴き声を聞いて目覚めるなんてことはあってはならない。慌てて飛び起き衣服を整える。


(寝台のシーツ取り換えないと。若、邪魔!!)


 寝ているスリンケットを叩き起こさねば、情事の後始末が終わらない。いつ部屋に側人が来てしまうかと気が気じゃない。


「おはよう」


 スリンケットが気だるそうに言い目を開ける。眠そうに目を(こす)る。


「若。さっさと起きて服着てください」


 焦っているロヴィスタは必死で彼を起こし、彼が着替える間に高速で寝台を整える。そこにもう一度スリンケットに横になってもらう。ロヴィスタは証拠を残さぬよう入念にチェックしながら、真剣に言った。


「できるだけ寝ていてください。時間を稼いでいただけると助かります」

「分かった」


 スリンケットは素直に言う。でもすぐにくすくす笑い出した。彼女はムッとする。


(こっちは必死なんですよ。若に嫌な噂がたったらどうするんですか)


 スリンケットは手を伸ばして、彼女の頬に触れて言った。


「ロヴィ。全然いつも通りじゃないの気づいてる? 僕の物になったって顔してる」


 ロヴィスタは彼から飛び退き、自分の顔をぺたぺた触る。


「本当の素の顔なんだね。可愛くて愛しくてどうしようもない」


 そう言ってスリンケットは寝台から飛び起き、ロヴィスタを(とら)えそのまま口づける。そして放さない。ロヴィスタが焦りのため耐えきれず彼を押し返す。スリンケットはあっさり離れた。そして真剣な顔で言う。


「今夜待ってる」


 ロヴィスタは何も言えず(うつむ)く。逃げるようにスリンケットの部屋から飛び出し、自室に避難した。







 幾日か経ったある日。

 ケトレストから食事の時間でもない時に、ロヴィスタは呼び出された。あまりないことだった。何を言われるのか分かっている彼女は、暗い表情でケトレストの仕事部屋に向かった。

 扉の合図をして入室するが、すでにケトレストの苛立ちが見えロヴィスタは身をすくめる。ケトレストは何も話さない。ただ黙ってロヴィスタを見ているのだ。彼女は緊張で身体を強ばらせながら謝罪した。


「若とのこと噂になってしまい申し訳ございません」


 ロヴィスタとスリンケットの事はすぐに知れ渡ることになった。スリンケットは隠しているつもりでも、ロヴィスタへの態度があからさまだった。そして……。


(私は、若に溺れている)


 彼女はぎゅっと(まぶた)を閉じる。ロヴィスタは全く切り替えができなくなった。一日中スリンケットの事を想い、仕事が辛くて堪らなくなり、失敗が目に見えて多くなった。周りが何も気づかないはずがない。もう先達の妙技などではない。恋だった。

 ケトレストは彼女の様子を静かに見ていた。そして言う。


「仕事を辞め出ていくか、スリンケットに諦めさせるか、どちらかだ」


 スリンケットとの仲を続ける選択肢はそこにない。ロヴィスタは溢れ出す感情を押しとどめるため、口元を抑える。そしてどうにか答えた。


「若とはお終いにします。どうかもう少しここに居させてください」


 ロヴィスタはケトレストがここまで選択を迫る本当の理由が分かっていた。


(おじさんは優しいからな。本当はすぐにでも私を追い出した方がいいのに)


 噂のことは直接の原因ではない。

 ロヴィスタはウーメンハンの上層部の不正を知る生き証人だ。諜報員が彼女を探し続けている。ケトレストは追手をかわしてきた。


(そのことをおじさんは私に言わないんだ。私はそれに甘えてずっと知らないふりをしてる)


 それももう限界だ。ここを近いうちに出て行かなければならない。治安が著しく悪くなったシキビルドに、今までにない人数のウーメンハンの諜報員が入り込んできている。ロヴィスタはワイルーン家を危うくする厄介者だ。その彼女がスリンケットと恋をするなんて論外。


 ケトレストは大きなため息をつき、ロヴィスタの側まで来て彼女の頭に手をのせた。


「本当は俺はとても嬉しかったんだ。ロヴィからこんな顔引き出すなんて、あいつはいい男だな」


 彼の予想外の優しい言葉に、ロヴィスタの顔が歪む。


「あいつが人を愛せる人間に育って良かった。ロヴィありがとう」


 ケトレストの手が優しくロヴィスタの頭を撫でる。彼女の目から溢れてくる。色々なものが。悲しみも愛しさも。

 ロヴィスタは救われてきた。家族を失ってからずっと。だからここまで生き延びられた。


(お別れだ。若は絶対に守る……)

 

 ロヴィスタは涙を拭い決意を固めた。

 





下編に続きます。

今年は開花が早いようですね。その前に終えたいと続きを書いてます。

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