復路の散歩は夕暮れに限る
夕暮れまではまだ早い。昼のほろ酔いで下町へと下っていく。
銭湯経由のいつもの昼から開けてるバーで、ビール2杯をマスター直伝の麻婆豆腐と取り合わせての帰り道だ。ゆうべの中秋の名月を浴びた温まった週末は、まだまだそこいらに何か挟まっているようで、きびすを返す気にはなれない。
夕暮れまではまだ早いが、それでも日常の波はうねりを返している。往路とは違ったそれに向けたひとの動きが風景に交じってきている。
信号待ちの対面で、自転車にまたがった親子連れの三人が目に留まった。
まだまだ秋の深まりは薄いのに、厚く詰まったグレーのジャージ上下に肉感的な身体をすっぽり包んだ金髪の女が、旦那らしき初老の男にメモを渡しながら指差しして説明している。
女は、ロシア美人だろうか。ため息の出てくる面影はまだまだ残っているが、後部の子供用の大きな座椅子がたくましい生活感に溢れている。女の子の方は、ぐるぐるその脇をペダルと両足で小さな円陣を書いていた。
旦那と女の子両方に目配せするポニーテールが左右に揺れるたび、ロシアバレエ団の宝石みたいな未来のプリマドンナに躊躇なく鞭を刺していくコーチのメイクした顔と重なってくる。
ー いい。牛乳は、もう一つ先のスーパーで買うのよ。そこだと1本158円だから。ひとり2本まで買えるからと、2度3度言い渡したあと旦那は左に親娘は信号を渡った。此方に近づいてくるふたりの親娘は、そのままリアドロ人形に固めてしまいたいほど、白く美しいフォルムをしている。
遠ざかる旦那の横顔には、うっすら覚えがある。むかしこの辺りを地盤にしていた県会議員だか市会議員だか務めていた男だ。与党の3役を務めていたときに、対ロシア交易の関係でお願いにいったのかお願いをされたのか、上役にくっついたその横で、えらい業腹なまくし立てで此方を言い含めようとするヤクザみたいな目つきだった。それもこれも、もう20年前のはなしだ。
その繋がりか、培った性癖か。いまじゃ、ポロシャツにサンダル履きの似合う好々爺だ。喜んで女二人の使いにペダルを踏んでいる。
そんなことよりも、齢は違う、国は違う、目も髪も鼻の先の形ま違うこうしたわけあり夫婦の子どもは、みんな細身の女の子で、今すぐモデルができそうなくらい、立ち止まって目に焼き付けたくなるほどの美人に生まれてくるのだろうか。
通りと小路が真っ直ぐ交差せずに飴細工のように岬に流れていくのは、この公園を隔てたあたりから始まる。
公園にある屋根付きの土俵はシートに覆われた土俵は、何年何十年たっても誰も使わない。
相撲をする子は減った。見る子も減った。格闘技すべて並べて、見る専門でもいい、ごっこでもいい、かかわってる子ってどれくらいいるんだろう。
ここには子どものほかに暇をつぶしにくる輩が混ざる。
年寄りと猫がメインだったが、最近は平日も日曜な若者も佇んでいる。ひとりで居ると決まったものではないし、おもねる様子も必要性ない。お天気といっしょで、気分次第な感じが好ましい。
この公園には誰もいない日はないのだ。
この前は寒い曇り空だったので、動き回る子どもしかいなかったが、今日は朗らかだから年寄りも若者も猫もいた。丁度1年前のこんなお天気の日に、結構高そうなカメラを下げた太ったオジサンに、狙いどおり佇んでいる姿を写真に収められていた黒猫のことを思い出したら、今日もちゃんと、脇から此方を素どおりして草むらに駆けていった。
後ろ姿はやっぱりあのときの全身漆黒の黒猫だった。
この辺りに住んでる年寄りだって一緒に齢を取っていくのだから、いずれは死んでしまう。昔からの家に一人住まいの年寄りが死んでしまえば、誰かとの交代がなければ、その家は空き家になって、朽ちて沈む前に壊される。
此処は街なのだから仕方がない。ほかの家を道連れにするわけにはいかないから。
向こうに抜けられない路地の途中が明るいので、その類の穴でもできたかと、入ってみたら五軒長屋の真ん中だけがくり抜かれて、その四角い穴にとぐろを巻いてユンボが眠っていた。
角材や壁にすき込まれていたヨシの類やらが散乱しているが、あらかたの解体作業は終わって、次の現場までの眠りについている様子た。
このユンボが四角い穴をあけるまで、ここにこんなにさんさんと夕焼けが差し込むことなどなかったろうから、何十年ぶりの景色を浴びていると考えると貴重な体験をしている気分に浸れる。
そんなこんなを普通にこのユンボに語りかけている。 ー こいつ、どこから入ってきたんだろう。
足元をみると、この五十何年舗装も何も考えていなかった砂利道にキャタピラーの足跡はない。もちろん二人並んで歩くにも不向きなどん詰まりの路地に軽トラックなど入れない。
ー いったいぜんたい、どうやって入ってきたの、どうやって抜けていくの
こんなに晴れてるけど、今夜からは月がない。そんな晩を待って、空を飛んでいくのさ。
鎌首を隠そうと、アタッチメントになりすました顔が、キャタピラの影に忍ばせながら、ベロを出しながらそう応えてくれる。
蛇なんかに間違えてごめんなさいと、冷や汗かきそうなところまでほろ酔いあたまを運んでしまったと、この路地の住人でもないわたしは後ろず去りであとにする。
かつて掘割だった大きな通りが開ける角地まで近づくと、急に中低音のピアノがドスドス響いてくる。再生した音源でない、もちろん子どものおさらいなんかでない。力強い大人のおとこ指手が鍵盤を叩く音だ。
「ぴあのれっすん」とプレートされた表札がアッシュグレーの外観に銅箔に覆われた文字で記されている。
ー おとなのためのピアノ教室。
その佇まいを説明するのは、ひらがなで起こしたピアノレッスンのプレートのほか何もない。その家のカーテンのかかった大きな窓の隙間から、少し禿げ上がっているがまだ若いピアノ弾きが、自分のためにピアノを弾いている。
ラフマニノフかドビュッシーか。十九世紀末の、大勢のオーケストラを従え叙情を駆け上るコンチェルトが駆け上っていく。ピアノが、本当は、打楽器なのだと感じられる。生音の臨場は打楽器が一番だ。
そんな打楽器がメロディーを刻み、たくさんの弦楽器を従えるなんて。やっぱりピアノは素晴らしい、王様だ。
覗き込んでる間中、彼は一度も窓の外に目をやることはなく、己れの鍵盤をとおして打ち鳴らされる弦の響きだけに耳を澄ませていた。
以前から気になってはいたのだ。こんな家並ばかりが寄せ合って出来たドン付きに幼稚園があるなんて。自動車どころか子どもを送り届ける親子連れがそれぞれぶつからずに素通りできない路がだらだらとくねって続く奥に、ピンク色した真四角の二階建てで幼稚園はある。近づけば良い子たちの声はするのだけど、こんな三間四方のどこに笑いながら駆けずり回る場所があるのか。
両脇の家に挟まれたどこからも覗くことのできない建物の両袖を見つめ、遠くなっていく声を聞きながら後にする。
日曜日に閉まっている店は多い。ここいらは年寄りが多くなり、日曜日は特別だという住人は少なくなった。何も日曜日でなければの客が来ないならわざわざ店を開けなくてもの店主だって多くなる。魚屋も閉まっている。
それでも通りの左右を眺めながら歩いていると一軒あいてる魚屋があった。午も下ってあらかた出払ったあとの後始末をしながら、夕食間際に飛び込む客のために少しお造りでもと用意してくれている。
- 市場は休みなんだけど、午前は飲食の店の人が仕入れに来るから、うちは開けてるのよ。
後ろ髪を刈りあげにしたわたしよりも少しばかり人生の先輩の女性が、包丁を使いながら説明してくれた。
酢でしめたものや足の速くない白身魚が少しばかり並んでいる。半分は客の当てがあってか脇によけられているが、三つの中からしめ鯖を選んで包んでもらう。細身の白い発泡スチロールにてんこ盛りの溶きワサビはむかしのままだ。
「失礼、しつれい」と思い出して慌ててマスクする。忘れてたっ。
- ほんとっ、最近じゃ、安全のためってより、エチケットとかマナーとかそんな類の感じよね
包装しながら、マスク越しの声がひとりごとのように呟く。
わたしは、「ちょうど」と500円玉を渡し、マスク越しにした顔でお愛想をつくる。それよりほか、もうどうしようもないから。
いまじゃ、仕舞屋ばかりになった小路でも、路に風格があればちゃんと目に留まる。ここも小路に名前がついていて、かつてはお昼客相手の中華屋やカウンターだけの飲み屋が2軒あったけれど、いまは植え込みの南天に隠れて、寿司屋が1軒生き残っているだけだ。
でも、「生き残っていた」が正確なのかもしれない。以前にも増して、ショーケースはホコリだらけ。そんなもの見もしない常連客ばかりだが、ここしばらくは引き戸を開けた気配がしない。店側に引っ込んでる暖簾は、右のはじが引っ張られたままで、ここ数日の大雨の砂まみれのホコリをたっぷり含んだままだ。
ー やっぱり、やきが回っていたのは本物だったのかな。
1年前からそのカウンターには座っていない。 - おかみさんが亡くなって後期高齢者の大将ひとりになったんで、営業時間は半分になったし出前もやめちゃったからね、でもあそこのマグロは・・・・と、先ほどのバーの常連客が教えてくれたのを頼りに一か月に一度は座るようになった。山かけか煮しめの突き出し相手に熱燗で一杯やりながら、ふっくら加減の煮穴子と少し筋は出ていても澄み切った脂が舌を包む中トロを二貫ずつ、それで2千円でお釣りを返してくれるのだから、週末のぶらりに溶け込んで、いい具合の回り路が出来たと喜んでいたのに・・・・・・
口にいれたシャリが、ご飯だった。甘みも酢の加減も感じない少し冷めたご飯だった。二貫頼んだツブ貝のもう片方を摘まみ直しても、ご飯がシャリに変わることはない。炊き立てを飯台にあけて、混ぜ込み混ぜ込みする手間の全てを忘れたというのか、忘れてしまうあたまになっちまったのか。
お客ひとりの注文を握った後は大相撲見たさに自分の椅子に座り直した大将に、そんな素振りで聞けるはずはなかった。わたしは、ツブ貝のあとにと描いていた穴子もしめ鯖も握ってもらわず、たっぷり一合の熱燗を空けて,千円ちょうどを払って店を出た。
バーでその店を贔屓にしている常連客の顔を見るたび何度聞こうと思ったが聞けず、いまだに悶々としている。その客がマスター相手にその話を切り出さない限り、このまま店が開かない限り、わたしの紋々は永遠となるんだろうな。
バーの常連客のはなし。
そのおかあさんは、とても心配している。次女で東京にいる28歳の娘のことを。
一人暮らしではないという。お互いフリーランスの元カレとルームシェアしているという。
このご時世で、フリーランスも心配だが、元カレとのルームシェアが一番の心配だ。結局、はなしはその切り出しから膨らんでいく。
ー 元カレって、今カレじゃないよね。
ルームシェアなんて体裁のいい言い回しでいってるけど、海外に行くんでいったん別れた男が2年前に転がり込んできたっていうのが実態らしい。
ー なんだか、ダメンズの匂いがしてくる。
このご時世で、稼ぎはカツカツのどっこいどっこいなんで、もともとグズグズな感じだったのが、金銭的にも一人立できる状態じゃなくなって、本当に巣ごもりしてる感じになってる。
- お互いほかに付き合う相手がいないまま、このままズルズルだと、「子供出来ちゃったよ、おかーさん」なんてのがゴールなんじゃないの。
でも、そこまでは戻らないんじゃないかな。むかし付き合っていた男ってむかし別れた男でもあるわけだし。もしも、そんな晩にそんな風になっちゃったって、前みたいには戻らないんじゃない。別れたことで免疫できてるわけだし。
ー ルームシェアしてる元カレって、23年連れ添ってるうちのダンナとあんまり変わらないんだ。
ここからは、新規客3人が割って入ってきたため、おかあさんの心配がどこまで続いているのか分からない。
新規客のおばさんたち3人から、愛の不時着が挟まって聞こえてきたので、混んできたこのあたりが潮時と「マスター、お勘定」を告げた。