⑦おにーちゃんなんて大嫌い!!
「……それで、これを預かったって訳ね……」
お母さんがテーブルの上に置かれた書簡を指差して、ポルト君の様子を窺います。二人とも固い表情のまま、向かい合って椅子に腰掛け、その横にピタちゃんが座っているけれど、やっぱり怖い顔してて……まぁ、そうだよねぇ、嬉しい訳ないもの……。
「……俺もさ、行きたいかって言われたら……行きたくはないさ」
ポツリ、そう言うとポルト君は垂らしていた耳をピンと立てながら、お母さんの顔を見ました。
「……でもよ!! ……もう、里から……二人も出征しててさ、俺だけ行かないって訳には……行かないんじゃねーの!?」
「……そんなのは判ってるわ……ただね、やっぱり血は争えないって事なのかな……ってさ、そう思ってしまうのよね……」
「「……えっ?」」
ポルト君の言い分を聞き、お母さんが重ねた言葉に思わずピタちゃんと声を重ねた彼は、思い出したように答えました。
「それって……もしかして、死んだ父さんの……事?」
「そうよ……ポルト、あなたのお父さん……グリッドも、今のあなたみたいに【他の人の代わりに】前に出て、盾となって死んでいったからさ……」
向かい合って座った二人は、お母さんの言葉に無言で耳を傾けます。
「……私はね、あなた達二人と血が繋がってないわ。ポルトのお父さん、グリッドと……長く組んで仕事はしていたけれど……彼には亡くなった奥さんの忘れ形見のあなたが居て、よく『こいつの母親になってくれないか』って言われていたわ。でも……私は、前の奥さんの代わりにはなれない、って断り続けてたの」
そこまで話して、お母さんは静かに立ち上がるとすっかり冷めたお茶を口許に付け、暫く眼を瞑ってから、再び話し始めます。
「……でも、八年前、私の不手際で当時組んでいたパーティーが全滅しかけて、生き残った私とグリッドの二人は……どちらかが逃げて、残る一人が追手を食い止めるしか……選ぶしかなかった」
辛く苦い思い出だったのか、顔の前で祈るように組んだ両手の指先が真っ白になる程、力を籠めていたお母さんは、そうして暫く黙っていましたが、
「……矢も尽きて、抗う手段は短刀一本しかなかった私をね……グリッドは……崖の上から突き落としたわ……」
顔を伏せているお母さんの表情は見えません。でも、テーブルに、ぽつり、ぽつりと涙の粒が落ち、言葉が途切れます。
「……私は……グリッドを、恨んだわ……」
苦しそうに言葉を絞り出すお母さん。
「……どうして、私だけ救おうとしたの、って……どうして、二人で逃げようって言ってくれなかったの、って……ね」
途切れ途切れに続くお母さんの告白は、ピタちゃんは勿論、ポルト君も聞いた事の無い話だったみたい……固唾を飲んで聞き入る二人は、お母さんの気持ちを汲んで、一言も喋りません。
「……命からがら逃げ出した私は、やっとの思いで里に戻って……親戚の元に預けられてた、あなたと初めて会ったの」
気付かぬ内に零れていた涙に気付き、手で拭うお母さんの睫毛に小さな粒が残り、瞬きすると小さく跳ねて消えていきましたが……泣き腫らした眼は赤いまま。
でも、お母さんはフン、と鼻を鳴らしてから気を入れ直し掌を頬にパンと叩き付け、そしていつもと同じように明るく笑ってから、
「……でもね! ポルトとグリッドって、全然似てなかった!! グリッドは男前だったけど、あの頃のポルトったら、ころっころの毛玉みたいなちっこさでね!! ケラケラ笑いながらしょっちゅう柱にぶつかって転んでたなぁ~♪」
「そ、そんなんじゃなかったって!! お、俺……そんなだった?」
「そうよ? 明るくて、何があっても笑ってて……きっと、あなたのお母さんって、いつもそんな感じな明るいヒトだったんだな、って……思った。暗かった私なんかじゃ、その代わりなんて……絶対に無理だな、って……思った。でも、ポルトはもう絶対に……私が面倒見るんだって、そう思った。それが、私を助けたグリッドへの恩返しだと思ったからさ……」
そう言い終わると、うんうんと頷きながら懐かしい思い出に暫し浸っていたお母さんでしたが……
「……バカなんじゃ……ないのかなッ!?」
ガタン!! と椅子の倒れる音と共に勢い良く立ち上がったピタが、何時もと違う口調で叫びました!!
「お……お兄ちゃんは……バカよ!!」
力強く繰り返し、そして感情を爆発させながら、激しい語気で捲し立てます!!
「だって……だって!! 絶対に生きて戻れる保証も無いし! 戦争なんだよ!? 誰かを殺さないと……自分が殺されちゃうんだよ!! クマやオオカミと違うわよ!! 敵から逃げたって、前線に行っちゃったら……また、戦争してる所に戻されて……何時になったら帰れるかも判んないの!! それに……どこに行くかも判んないのよ? 雪降ってる山の上かもしれないし、水の無い砂漠かもしれないし……雨が降ったってお休みになる訳じゃない!! 飛行船に乗ったら……落とされたら絶対に助からないんじゃないかな!!」
そこまで言うと、はぁ……と、一呼吸したのでポルトは宥めようと手を上げて何か言おうとしましたが……
キッ、と凄く怒った顔になると、ピタはバンバンとテーブルを叩きながら更に更に続けて叫びました!!
「優しいお兄ちゃんが、誰かを殺して生き延びるなんて……出来っこないよ!! 矢を射つの!? 首を狙うの!? その人のお母さんはどーなるの!? 妹や弟が悲しむよ!! 私も悲しいよ!! そんなのダメだよ!! 死んじゃうよ!? きっと何処かで染んじゃうかもしれないよ!! そんなのやだよ!! 嫌いだよ!! コーテイさんなんて嫌いだよ!! 王様だって嫌いだよ!! おにーちゃんを人殺しにするのなんて嫌いだよ!! みんな嫌い!! 私を悲しませるヒトなんて大嫌い!! お母さんも何で反対しないの!? おにーちゃん死んじゃうよ!? 優しいおにーちゃんなんだよ!! きっと迷って手が止まって、その隙に殺されちゃう……そんなの、絶対にイヤだよ!! みんなキライだよ!! おにーちゃんを奪うヒトなんて、みんなみんな……大嫌い!!」
自分の言葉に悲しくなって、とうとう大きな眼からポロポロと涙を溢しながら、ピタはそのまま部屋の扉に向かってズンズン歩き出し、バンと強く扉を開けて出て行ってしまいました。
「おいっ、ピタ!! 待てよ!!」
後ろからピタを呼ぶポルトの声を振り切るようにそのまま部屋に駆け込むと……後ろ手で扉を閉めてベッドに身体を投げ出し、布団を被って大きな声で泣きました。
ピタちゃんって……あんまり泣いたりしない、いっつも落ち着いた感じの子なのに……今日は違います。
誰かに向かって怒ったり叫んだって、ポルトの出征が無くなったりしません。あの書簡は【徴収命令書】でした……ヒトが十人居たら一人。誰かが出ていかないと、罰として本来は徴収されない人が代わりに出されてしまう……そんな、決まりが書いてあったそうです。
ポルトは、それを知っていました。だから、自分から名乗り出たんです。誰かを犠牲にして、自分だけ助かるなんて……イヤだったんです。でも、それがピタちゃんには……我慢出来なかった。それに、大好きなおにーちゃんが自分で決めた事を、ピタちゃんがワガママを言って引き留めようとした、そんな自分がイヤになっちゃったみたい……。
そうして自分でも訳が判らなくなりながら、ピタちゃんは泣き叫びました。もう、鼻水と涙でぐちゃぐちゃのまんま、枕に顔を押し付けて喉が枯れるまで……。
(いやだよいやだよいやだよいやだよ……おにーちゃん死んじゃうよぅ……ダメだよそんなの……ひぐぅ……うわあああああぁん!!)
泣いて泣いて、布団の中で転がりながら、誰も彼もみんなキライキライ大嫌い! って言いながら……そして、泣き疲れたまま、寝てしまいました……。