小説投稿作家は欲しがってもいい。でも、奇跡は毎話起きているかもしれない
おかげさまで、ランキング入りさせていただいております!
まことに有り難う御座います。
こんにちは。自他共に認める欲望の化身、鋼鉄のざるです。
今欲しいものは、健康長寿と鋼のメンタル。他にも挙げるとキリがないので紹介しませんが、私の欲望は底無しです。
さて今回は、小説投稿作家の欲望について思う所を書いていきたいと思います。
さて、私が小説投稿を始めて、もうすぐ一年が経とうとしています。
一年前、読み専だった私は、読み過ぎて好きなジャンルで読むものがほぼ無くなり、更新も待てずに、「ならば自分で書くしかあるまい!」と某ジャンルで小説を書き始めたのでした。
その時は、「どうせ誰も読まないだろうから、好きに書こう。とにかく読まれなくても完結まではさせよう」という決意をして、書き始めたわけですよ。
すると、なろうの読者様が思った以上に優しい方ばかりで、たくさんの方に読んでいただき、ブクマや感想、評価ポイントが増えたばかりか、果ては逆お気に入りになってくれる方やFA、レビューをくださる方まで現れたのです。
当時ジャンルのランキングに名前があるのを見た時は、目が点になりました。
間違いないか、スクショを撮ったほどです。
嬉しくてね、毎日ランキングを見ました。
するとね、段々、落ちていくわけですね、順位が。(笑)
栄枯盛衰。
ランキングに載せていただいているだけで御の字なんですよ。
落ちるのは、自分の作品にその力がなかっただけなんです。
要は、自業自得です。わかっています。
でもやっぱり、悲しいもんです。
というより、私の場合は怖くなったのです。また落ちてたらと思うと、不安になります。
はい。メンタル最弱です。
ただね、ランキングが下がろうとも、私の作品を待ってくれている人がいる。
モチベーションが下がって、更新できなくなったら、その人達を裏切る事になる。何より、完結まで頑張ると決めて書き始めたのです。
私は、ランキングを見ない事にしました。
完結したら、そのジャンルのランキングを見ようと心に決めてね。
モチベーションコントロールです。
その時、私は思い知りました。最初は「誰も読まなくても」なんて言っていたくせにランキングを気にするなんて、幸せを経験すると人は贅沢になるものだ、と。
他に例を挙げると、『感想』も、作家の欲望を刺激するものの一つです。
実は、私がこのエッセイを書こうと思ったのは、何人かの作家様が、「感想(建設的ご意見)が欲しい……」と呟いているのを目にしたのがきっかけなのです。
うん。私も感想欲しい。
じゃあ、お前はちゃんと感想書いてんの?と言われたら、「すんませんっしたあ!!」と土下座せざるを得ません。
全然書かないわけじゃないのですよ。感想は、たまに書きます。
でも、あまり得意じゃない。
だって、常識無くて、感想の正解がわからないんだよ……。攻撃的なことは絶対書かないけど、なんか変な事を書いてしまって嫌われるのが怖い。
それに、知識もない。
だから、私の知識をはるかに凌駕する作品や、作者様読者様全員が有識者みたいな歴史ジャンル小説には、自信なさすぎて感想が書けないのです。
もし書いても「お前さん、何言ってんの?」みたいな変な事を書きそうだし、そういう作品を読んだ後は、ただ感心して「ほえ~、面白かったです!」という、お前の語彙力は子どもか?!みたいな状態になる。
考えれば考えるほど、自分が恥ずかしいっ。
その代わり、お気に入り作家様の割烹には、できる限りコメントします。
割烹なら、私もコメントできるような内容である事が多いから。
けっこう、私みたいな人がいるんじゃないかな?
感想書けないけど、割烹にはコメントできるって人。
実は、上に挙げた「感想が欲しい」と呟いていた作家様達は、ランキングに載ったり、割烹にたくさんのコメントが集まる人気者なのです。
彼らは、私と違い、積極的に感想を書ける尊敬すべき人達です。
だから、人が慕って集まるのだろうね。
生み出す作品も、土台のしっかりした魅力的なものです。
でも、そんな幸せに見える人ですら、感想が欲しいのです。
それを申し訳なさそうに呟く。感想は、読者様次第だからって。
読者様が感想をくれる。
これは、本当にありがたい。感謝しかないです。
『ありがたい』って言葉、『有り難い』って書くんです。
「滅多にない」「珍しくて貴重」って意味なんです。
要は、無くても当たり前という事じゃない?
つまり感想は、奇跡。たくさん感想があったとしたら、それはたくさんの奇跡が起きてたというわけです。
私にも感想をくださる読者様がいますが、彼らの行為や好意は私にとって奇跡のようなものです。
嬉しくてつい返信を盛りすぎるのは仕方ないですよね。……キモかったらマジでごめんなさい。
さて、この感想という奇跡ですが、なくなると途端に寂しくなるのです。
奇跡は『有り難い』現象だとわかってるから、私達は感想をもらえると「ありがとう」と感じるのに、ないと寂しいなんて贅沢な話ですよ。
でもね、ランキングに載った時に私は理解したのです。
人は贅沢に慣れてしまうもの。
失われた事を寂しく思うのは、当然ですよ。欲しがるのは、悪じゃない。
避けるべきは、与えられないのを悲しんで、モチベーションが下がる事です。
だって、読者様は感想をくださる人ばかりじゃない。
私みたいな、感想書くのが苦手な声なきファンもいるんです。
それに、今回は感想書けなかったけど、次回は書こうと思ってるかもしれないし!(根拠なきポジティブシンキング)
じゃあ、どうすんの?
……書くでしょ!書き続けるのです。
だって、読んでくださる方がいるだけでも『ありがたい』と思いません?
あ、思わない方は、ちょっと該当しない方なので、(ほーん、こんな考え方もあるんやなー)くらいに思って読んでもらえたらという事で……。
ええと、話を戻すとですね、多くの作家様にとって誰かが自分の作品を読んでくれるのって、大変嬉しいし、『ありがたい』と思っているはずです。
だとしたら、例え読者様が一人だとしても、その方が毎話読んでくださっていれば、毎話奇跡が起きているという事になりませんかね?
つまり、奇跡が欲しければ、書くべしです。
感想という奇跡がもらえないからと歩みを止めれば、他の奇跡も起こり得ないのです。
感想だけじゃありません。
例え、ブクマや逆お気に入り様が減ろうとも!評価ポイントが伸びなくとも!
悲しいなら、それは大いに悲しんでください。人間だもの。
そうして、去った支援者に「これまで『有り難う』御座いました。力不足でごめんなさい」と心でメッセを送り、残った読者様のために書くのです。
え?そもそも自分には全然読者がいない?
ゼロ?
そんなら、自分のために書くのです。
自己満足、大いに結構じゃないですか。
自分が満足するために書くのです。
え?どうしても、止めたいです?
じゃあ、読者様と自分に「ごめんなさい」して、止めたらいいんです。
誰も、あなたが心病んでまで書き続けろなんて言わないですよ……。
読み専は読み専の楽しさがあるし、書きたくなったら、次こそは完結目指せばいいじゃないですか。
逃げるのは悪じゃない。
なんだか色々とりとめなく書き散らしましたが、小説投稿作家とは欲しがるものです。そもそも見て欲しいから投稿サイトに書いてるわけですし。
欲しがってもいいんです。
まあ、時には逃げるのもいいじゃないですか。
思い悩んで、しばらく執筆を離れるのもいいでしょう。
くよくよしたい時は、くよくよすればいいんです。
でも、一人の読者様がいる。
それだけで有り難い奇跡が起きていると思えば、私はまた立ち上がれる気がします。
おかげさまで、頑張れる。
じゃあ、誰も読まなくなったら……?
止めてもいいんじゃないでしょうか。でも、私は続けるよ。
『誰も読まなくても完結させる』。これが私の初心だから。
最終的には、自分のために書くのです。私の場合は、です。
欲望をもて余した作家様、欲望が満たされぬと悩んでいる作家様。
あなたのまわりはもしかしたら、奇跡が起こっているかもしれません。
それを当たり前だと思うか、励みにしてモチベーションを維持するか。
いや、自分のとこには奇跡起こってないけど書いてくぞ、など。
皆様次第ではありますが、このエッセイが少しでも皆様の執筆意欲にプラスになれば、とても幸いだと思うのです。