07 擦りむく
人口100名ほどのごくごく小さな山あいの村にクエストを依頼した住民が住んでいた。
生活の要となる細い川は家々の周囲に張り巡らされ、農地まで引かれている。
よく見れば各民家に流れる川には何匹もの魚が泳いでいた。
石造りのアーチを渡ると、そこは既に根の国、アルヴァ伯爵領のスライ村だ。
「王都から5,6時間もはなれればすっかり変わりますね。見渡す限り民家しかないです」
「そうだな。王都じゃ滅多に見れない景色だ。麦が青々と茂って見事なもんだぜ。秋には一面金の海だぞ」
エリックの言葉にプラチナも目の前の景色を見て感嘆の息を吐き出した。
「きれいですねえ…まるで草原のようです。この村は麦が主食なんでしょうか」
なにげなくプラチナが言葉にした疑問に「ああ」と答える。
「穀物と野菜、あとは山で狩りをすれば肉が口に入るぐらいか」
きょろきょろと村を見回すプラチナのおのぼりさんな様子にため息をつくとクエスト用紙を確認する。
情報通りだとしたら、そろそろ到着する頃合いだ。
「見えてきたぞ、あの家だ」
「どれですか?」
エリックの視線の先には赤い煉瓦造りの比較的小さな家が建っていた。屋根についた煙突からはもくもくと煙が上がっている。見れば周りの家の煙突からも煙が上がっていた。
ちょうど昼時に時間がぶつかってしまい、エリックはこのまま進むよりも一旦ギルドにでも寄ろうかと思い直す。
「おい、一旦ギルドに…って待て!」
目ざとく見つけた赤煉瓦の家に向かって歩幅を大股に歩き出していたプラチナは「え?」と振り返りざま、転んだ。
ズザァ…とうつ伏せに地面へ激突した部位からじわじわと痛みがせりあがるようだ。
じわじわとした痛みはすぐにズキズキとした痛みに変わり、顔をしかめて立ち上がった。
咄嗟に手をついたように思ったが、顔も擦りむいたようだ。頬を拭うと、血液が指先に付着する。
「おいおい大丈夫か?」
エリックが背負っている鞄から手拭いのような布きれを引っ張り出して手渡してきた。
ところどころ、得体の知れない染みや汚れが付着し、全体的に薄汚れている。
「……ありがとうございます、ですが私もハンカチならありますし……」
ここは丁重にお断りしよう、プラチナは微笑みを浮かべてポケットからハンカチを取りだそうとしたが、それより早くエリックに「妙な遠慮はするんじゃねえ」と顔をしかめられる。手早い動きで創部の出血を拭うと、膝を縛られた。
……ぼろ…いや、布きれで。
「本当なら傷口は流水で洗うのが一番いいんだけどな。中に砂利だの砂だのを噛んでやがるから、綺麗に洗い落としてから薬草布で縛ってやる方がいいんだ」
今は流水洗浄できる場所が見当たらない、と眉をしかめるエリックに対してふと疑問が起きる。
「水ならその辺りに流れているんじゃないですか?」
その質問は正しい質問だった。確かに家の周りには水辺が流れを作っている。
しかしエリックは村を見渡して首を振った。家の周りの水で遊んでいる子どもはいない。魚が泳ぎ、水草が流れを彩り、花まで咲いている……格好の遊び場に見えるだろうに、だ。
「……いや、この水は村の家の全てに繋がっている。そんな水が魚が泳げるほどの水質を保っているってことは…管理に相当気を使っているんだろう。軽々しく傷なんぞ洗ったら、良くて村から叩き出されるか…悪くすりゃ兵士を呼ばれるかもしれん」
エリックの重々しい言葉にプラチナは目を見張った。まさかそこまでのこととは考えてもみなかったのだ。
水があるから、使えばいい…程度のことに思っていた。
「あれ、あんた達、ここらじゃ見かけない顔だね」
家の前で庭木の水やりをしていた女性が柄杓を片手に声をかけてきた。
愛想よく笑いかけ「どっから来たんだい」と続ける。エリックは短く「王都のギルドだ。アーサーの家はどこだ?」と答えた。
「アーサー…ああ、それならほら、そこの家さ」
女性が指指した先に一軒の家があった。そこからもやはり細い煙が煙突から出ている。赤煉瓦の壁の前には花壇があり、小さな黄色い花が揺れていた。
「アーサー、あんたにお客さんだよ」
濡れた手を着けてるエプロンでふくと勝手に扉を開けて入っていった。
奥から「今行くよ」と声が聞こえた。
白木の手すりに手を置いて階段を降りてくる青年は私達を一目見るなり「ああ、うさぎ退治に来てくれた人たちだね」と笑いかけた。
昼時の屋内はスープとパンの香ばしい香りに満ちていた。それに、鶏肉だろうか…何とも言えない美味しそうな脂の匂いが漂ってきて、プラチナは自分がお腹を空かせていたことに気づく。
「こんな場所で立ち話も何だから、中に入ってもらっていいかな。今ちょうど昼御飯の支度をしていたからね、お客さんは食事はお済みですか?」
アーサーと呼ばれた青年が人好きのする笑顔で尋ねてくる。エリックは「適当に済ませるんでお構い無く。それよりクエストについて知りたい」と答えた。
その答えにプラチナは、思わず不満を感じたが我慢する。確かに今はクエストについて知りたい。そして始めたい。
食べられないと知ったら、よけいにお腹が空いてきたからだ。
と、その時、お腹が意思を主張するように訴えた。
その音にエリックは冷たい視線を向けてきて、アーサーさんはクスクスと笑った。
「そちらのお嬢さんはそうでもないようだけど?」
ふふっと笑うアーサーさんに優しい目を向けて来られて思わず恥ずかしくなった。じり、と一歩下がってエリックの背中に隠れる。
きっと意地汚いって思われた!
さっきの自分のお腹がうらめしい。
「ヘレナさんは上がっていくかい?」
「いいや、遠慮するよ。あんたの胡散臭い笑顔を眺めながらお茶を飲む趣味はあたしにゃないんでね」
はっきり、きっぱり断りを入れるヘレナさんにアーサーさんはやっぱりクスクスと笑っていた。
「じゃあ、ここまでの道案内ありがとうございました。セドリックにもよろしくね」
「また今度来ておくれ。孫のセディも喜ぶだろうさ」
挨拶しながら家を出ていくヘレナさんを見送っていると後ろから「さて、じゃあ案内しようかな」と声をかけらる。慌てて振り返ると二人は廊下をまっすぐ進み始めていた。




