65 理性と狂気
段々、体の痺れが取れてくる。
瞼がぴくぴくと動き、指先を自分の意思で動かせるようになってきた。
それから自分の指の長さの蝋燭が燃え尽きるほどの時間が経った頃にやっと体の自由が戻った。
ベッドの上で上半身を起こし、自分の手足の感覚を確かめる。
白金の背を覆うほどの長さのあるストレートの髪が顔の横に落ちてきて、無意識に払う。
自分の魔法が解けたのを思い出した。
ドアが音を立てて開くと、ヴァイスさんが入ってくる。銀のトレーに水差しとコップが乗っていた。
プラチナの顔を確認すると、足早に駆け寄りサイドテーブルに盆を置く。水差しから注ぐと「どうぞ」とプラチナに手渡した。
水を見た途端、プラチナは自分の喉がからからに渇いていることに気がついた。
ヴァイスの手から迷いなく受け取ると、飲み干す。
「おいしい」
ほぅ、と一息つくとコップを置く。ふと、強い視線を感じて目を向けるとヴァイスさんがじっと見つめていた。
その視線の意味するところを図りかねて困惑するが、彼は反対にプラチナの視線を受けて動く。
サッとその場に跪く(ひざまず)と下からまっすぐ見上げる。
「ご気分はいかがですか」
「平気です。ところでヴァイスさんは何故あんな事をしたのですか?」
あんな事…痺れ効果のある自白剤か、自白効果のある痺れ薬か、どちらでもいいが薬を飲ませて、無理やり情報を取るなどあまりに穏やかではない。
「私のことはどうかヴァイスと呼び捨てて下さい、プラチナ様。ご質問の件ですが、今この国で起きていることを軍が追っていることが大きな原因です」
言ってヴァイスさんは「名無し狩りをご存知ですか?」と言葉を重ねた。
「名無し狩りですか…。軍部が調査していることは知っていましたが、まさかこれほどに組織内で大きく取り沙汰されているとは予想外です。ごく一部の限られた者のみが追っているのだとばかり…」
うーん、と唸り声をあげるとプラチナは自分の勘違いを整理する。
軍部が大々的に動いているのに、何故未来では結果が残せなかったのか不思議でならない。
ガルシア男爵家は爵位を持っているとは言え、所詮は男爵だ。
国と軍部を相手に勝てる目はないのだ。
「軍部には数年前に、新たな隊として遊撃騎士が配置されました。それはほぼ名無しで構成されている集団です。私たちは、もう何年も名無し狩りを追っているのです」
目が悔しそうに細められ、口元が歪められる。ぐ…、と噛み締めているのか顔全体が緊張しているようだった。
その顔を眺めながら、何を話そうか考えるが、ふと心に過った問いが勝手に口をついて出た。
「私の変装は、駄目でしたか?」
話しの腰を折るようではあったが、先ほどの魔法に対する酷評を思い出すとどうしても聞かずにはおれなかったのだ。
だから、心の中ではちょっとためらったが素直に質問してみた。
ヴァイスさんは言いにくそうに言葉を探していたが、やがて諦めたように「…はい」と返事をした。
「術式も綺麗でクセがなくて、まるで宮廷魔術のようでした。何を隠したくてどんな魔術を掛けたのかまで丸分かりになるような…隠蔽は全く見られなかったです」
普通、魔術を掛けたことを隠す術式も組み込むんですが…、と締めるヴァイスに返す言葉もない。
「そろそろ日が落ちます。私が神殿までお送りしましょう」
「その件ですが、私はまだ従騎士の職を解雇されたくないんですよ。」
せっかく手に入れた職を数時間で失いたくない。
そう言えばヴァイスさんは「そう言われると思いました」と諦めたような溜め息を吐いた。
「魔術をかじっただけの者ならまだしも、我々を含めてプロに貴女のお粗末な魔術は通用しません。次に世間を知らない人間には軍でも仕事は任せられないです。ここが何処で何をする場所か分からないでしょう?」
合わせられた目を強く眇めると、ヴァイスさんは、やや語気を強くする。
「最後に、危機感が無さすぎます。私は貴女に薬を盛った男ですよ。その直後に欠片の疑いも恐怖もなく、水差しから汲んだ水を飲み干しましたね。全てにおいて、失格です」
口を挟む隙もなく一息で自分の不出来な従騎士ぶりを言い放たれる。
今、反論しても全く考慮されずに終わる未来しか見えない。
ちょっと考えて、プラチナは頷くことにした。
「分かりました。ヴァイスさんのようなプロが言う言葉を私は尊重しますよ。ただ、帰りは送ってもらわなくても大丈夫です」
プラチナはベッドから立ち上がる時、必要以上に悲しそうな顔をして見せた。
そしてちょっと申し訳なさそうに眉を寄せるヴァイスさんを俯きがちに見上げる。
「ああっ、すいません。そんな顔をさせるつもりはなかったんです。違うんです。」
言いながら浴室へ繋がる扉を押し開ける。するとそこには神樹が神々しいまでに光り輝いていた。
プラチナの肩越しにそびえ立つ神樹を目の当たりにしたヴァイスは、今度という今度こそその場に崩折れる。
力なく床にへたりこみ、ポカンと口を半開きにして神樹を見上げている。
その目から落ちた涙が頬を伝って顎先に溜まると、重力に抗えず床にこぼれた。
拭うこともせず、流れるに任せて落ちる涙を見ながらプラチナは小さく微笑を浮かべる。
「……これは、ギフトです。貴方にだけの」
それだけ言って、静かに扉を閉じる。
部屋に一人残されたヴァイスは、かきむしりたくなるような切なさと、体中の隙間という隙間の何もかもが埋め尽くされて充たされきった後の、何とも言えない多幸感に叫びだしたいような、眠ってしまいたいような、もう訳がわからなくなっていた。
「……いま、死にたい」
思わず、心にもない台詞を、半ば本気で呟いた。
あとがき
狂信者を書いてみたかったんですが、ちょっと安直だったかもしれません。




