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58 縫合術






エリックの一言に目を丸くしたプラチナは「私がですか?」と聞き直した。


「他に誰がいるんだ? 冒険者が傷一つ縫えなくてやっていけると思ってるのか! いいからやってみろ」


隣にいるサミュエルをすがるように見上げると、にこっと優しい微笑みを浮かべる。


一瞬、ほっとしたのも束の間、サミュエルは「始めて下さい」と言って注射器を取り出す。

薬瓶から吸い上げると、凄く細い針をつけて手渡した。


「……はい」


誰も助けてくれない。

そう悟り、注射器を受けとるとあらためてエリックの傷を見る。

何がどうなっているのかさっぱり分からないが、血が腕にこびりついて服が赤く染まっていた。


まず、最初に服を脱いでもらう。

サミュエルが傷のある腕の下に厚手のタオルを大量に敷いた。


「傷口の周囲に囲うようにして少しずつ注射しろ。刺したら注射器の中身を引いて血が引けないか確認するんだ」


プラチナは震える手先で針の先端を傷口の近くに刺した。

一瞬、エリックが僅かに顔をしかめる。

しかし傷口ばかりを見ているプラチナはその小さな変化に気がつかなかった。


「引けて来ないです、エリックさん」


思いきって針を刺し、注射器の中身を引いても血液は上がって来なかった。

エリックは「よし、じゃあ少し薬を入れるんだ」と言った。


言われた通りに注射器を押し、吸った薬をエリックの身体に入れる。

刺した場所がまるで虫に刺されたように腫れ上がった。


思わずプラチナは息を呑む。

間違ってしまったのか…エリックさんは死ぬのか…とそこまで考えてしまいそうになる。


「大丈夫だ、それでいい。血管に薬が入ったら、麻酔薬が一気に体に回って中毒を起こすからな。血管に入らない薬は行き場がなくて膨らむしかない。つまり、これは正常だ。よし、同じようにして傷口を囲うように注射するんだ」


この、虫刺されのような状態でいいと聞いて、びくびくと怯えながらも注射していく。

その様子をじっと見ていたエリックが「いいぞ、プラチナ。その調子だ」と励ます。


何だが立場が反対な気もするが、それでも二人とも真剣だった。


「今のは麻酔をかけたわけだが、きいているかどうかを調べなくちゃならない。針先で傷口の周囲をつついてみろ」


言われるままに傷口周辺をつんつん、と突っつく。

ちら、とエリックを窺うと、力強く頷いてくれた。


「いいぞ、初めてにしては筋がいい。その調子だ」


どんどん褒めて、緊張を和らげようとするエリックに気付いたサミュエルは、プラチナから自分が見える位置に移動する。


そして、先程の微笑みを整った顔に浮かべて「順調ですよ、プラチナさま」と声をかけてくる。


本来、声をかける対象はエリックのように思えて仕方ないが、二人はひたすらにプラチナを勇気づける側に徹していた。


「よし、次は洗うぞ。サミュエル」

「はいはい、準備は出来ているよ」


鞄の中から瓶詰めになった水が何本も取り出されていた。瓶の口には細いノズルを何本も取り付けたものが伸びていて、横には針が刺さっている。


それをプラチナに手渡すと、エリックに言われた通りに傷口を洗う。

たくさんのノズルでシャワーのようにたくさんの水が出るが、下に敷いてあるタオルが全て吸ってくれた。


「どうぞ」


サミュエルが個包装になっているガーゼを10枚くらいトレイの中に落とす。

プラチナはもう、わけもわからず言われるままにガーゼで傷口の水を拭き取った。


「手元に何枚かきれいなガーゼを置いて血を拭き取るのに使うんだ。」


もう、返事も出来ないほど追い詰められている。こくり、と頷くとプラチナはガーゼを手元に取り置きした。


「さ、プラチナさま、この手袋を着けて下さい」


サミュエルがひときわ仰々しい包装をされた手袋を取り出す。

正方形の薄い包装を、中身を触らないようにしてトレイの中にぽとり、と落とした。


プラチナは四つ折りにした紙を開ける。

そこには手袋が手の形で二つ、並んでいた。


よく見たら、手首の所で折り返されている。


「手袋の表面には触らず、片手を掬うようにして手袋の中に入れろ。片手がはめられたら、今度は手袋の表面を触ってもう片手をはめるんだ。その時、手袋表面と手は決して触れ合わないようにするんだぞ」


言われたって、ちっとも分からない。

ちんぷんかんぷんだ。


「実演しましょう。この通り、はめて下さい」


サミュエルが説明を補うように、言った通りの手袋装着をした。

プラチナは、手袋に触れそうになりながらも、やっとの思いで二つはめる。


それを見ていたエリックも満足そうに頷いて「よし」と言った。


本当は「よし」じゃないことくらいプラチナにも分かっている。

何せ、自分は一つの動作がトロいのだ。

初めてのことに向かい合うのは、誰でも緊張するし、手だって動かない。

それでもてきぱきとこなしていかないといけないと思うと、プラチナは落ち込みそうだった。


「何をぼけっとしてやがる! 次は針と糸で縫うんだから、傷口をよく見てみろ。お前から見て、この傷はどう見える?」


ど、どう見える? どう見えるって……ただの傷だ。

でも、エリックの問いかけからは「ただの傷です」という答えは許されないように感じる。


(……こ、この場合は、何が正解なの? 何て答えるのが正しいの!? ああっ…分からない!!)


「傷口は……切れてます」


言ってから最高に後悔した。


何だって? 傷口は切れてます?


あ・た・り・ま・え・だ! だって、傷口だもの。


「…そうだな、その通りだ。じゃあ聞き方を変えるぞ。傷は綺麗か、汚いか、どっちだ?」


またしても意味不明な問いかけにプラチナは頭がショートしそうだった。


傷口がきれいって何? 汚いって何なのぉ!?と心の中で叫ぶ。


しかし、前の質問とは違って今度は二択だ。

つまり、どっちかが正しくて、どっちかが間違っている。


プラチナは口の中がからからに乾いてくるのを自覚しながら、「きた…きれ…いや、き、き、きれいです!」と蚊の鳴くような声で叫ぶという器用なことをやってのけた。


「よし、いいぞ、その調子だ。傷口は綺麗にすっぱりと切られている。傷の表面はがたがたじゃないし、くっつけたら治りそうだろ?」


治りそうだろ?と言われても、そうなのかどうかなんて分からない。分かるわけがない。


それでも引けなくて、こくこくと頷いた。

プラチナは、教わる者として一番やってはならないことをしでかした。


途端、それを見抜いたエリックが眉をピクッと跳ね上げた。


「本当に分かっているのか? もし分からないのに分かった振りをしたんなら……」


「………ごめんなさい、何一つ言ってることが分からないです」


怒気を孕ませて睨むエリックにプラチナはしゅーん、と項垂れる。それを見て、エリックが嘆息した。


「いいか。忙しいとき、特に命がかかっているような状況では、優しく親切になんて教えてやれないかもしれん。怒鳴ることだってあるだろう。でもな、どんな時でも……そうだな、格好なんてつけるな。分かりません、出来ません、教えて下さい…そう言うのは恥じゃあない」


「……はい、すいませんでした。」


確かに自分は分からないのに分かっているように振る舞ったのかもしれない。

そうしなければいけない、と思ってしまった。


何でも分かっていて、すらすら答えられる、そんな自分でないといけないと思ってしまったのかもしれない。


何にも知らない(今だって何も知らないが)頃は、全部エリックさんにお任せで、自分では考えることもなかった。


でも今、自分で考えて動くことを求められている。

その時、分からないこともある、不安なことも、もちろん出来ないことだってある。


「分からなきゃ聞け。教えてやるから。あんまり、焦って何でも答えられなきゃならないってことはないんだから」


分からないことは、悪いことじゃない。

知らないことは、駄目なことじゃない。


「あんまり、自分を苛めてやるな。責めてやる必要なんか、これっぽっちもないんだぜ」


にやっと笑うエリックに、プラチナは言葉が出ない。

ただ、無性に顔が熱かった。

エリックの周りだけ輝いていて、まるで色がついてるみたいだと思う。


そんなプラチナを尻目に「サム、」と声をかけている。


「糸はお前に任せた」

「それならこれでいいかな」


二人のやりとりが全く理解出来ない。

ちんぷんかんぷんで、訳がわからない。


だったら、黙って見ていようと思って、サミュエルが選んだ糸を覗きこむ。


黒いナイロン糸がくっついた釣り針のような形状の針をトレイに落とされた。


「まず、針は手で持てない。その右から2番目にある道具で糸に近い場所を挟み込むんだ。そして、針で傷口と傷口をまたぐようにして掬う。針先が出てきたら針から挟んでいる道具を放して、出てきた針先を摘まんで引っ張るんだ。やってみろ!」


「はいっ! エリックさん!」


どこまでも肉体言語でしか語れないエリックはプラチナの気合いの入った返事にニヤリと笑った。


「どうやらやっとやる気が出てきたようだな。俺は嬉しいぞ、プラチナ」


さっきのやりとりを思い出して、再び顔が熱くなる。


「エ…エリックさん……そんな、嬉しいだなんて……私、頑張ります!!」


感極まって言葉を切るプラチナに「よく言った!」と応え、「次だ」と先を促した。


針を持つ手には、自然と力が入り、もっと縫うんだと決意する。

最初の頃に感じていた縫うことに対する恐怖は既に大分薄れていた。


サミュエルはそんな二人の姿を微笑ましげな顔で見守っていた。















あとがき

本当は最後まで書ければ良かったけど、とても長くなりそうだったので二つに分けました。今回は前編です。

ずっと暖めていたアイデアが書けて、ちょっと感無量な気分です。

もっと色々勉強して、エビデンスで固めた一文を書きたいです(笑)

色々知識が曖昧で間違っているところがあると思います。間違っていたら、ごめんなさい。


※参考サイト※


ウィキペディア

ねじ子の秘密手技



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