53 見えるもの、見えないもの
「言うんじゃねぇ!」
突如エリックが話を遮るように叫んだ。
唸るように、吠えるように、放たれた声は湿原を抜けていく。
プラチナもサミュエルもビクっと肩を震わせて顔を上げる。
「それ以上は、言うな」
「だって…兄さん…」
尚も言い募ろうとしたサミュエルの頬をエリックは右ストレートでぶん殴った。
それでもまだ足りないと言わんばかりに反対の頬も殴る。
地面に手を突きエリックを見上げる構図は、先ほどプラチナが妄想したものと酷似していたが、到底さっきみたいに愉快な気分にはなれなかった。
「いいか、人生ってやつはな、人間1人でどうにもならん。
誰だって自分の足で立ってるつもりさ、そりゃあな。
だけどよ、足元に敷かれてるすのこ板一枚、ひっぺがされてみろ!
ああ、そうだ! それが生きるってことの本当だ!
抗えない運命みたいなものに流されてるだけなんだよ、みんな、みんなだ!
何か出来ると思ったか? 何が出来ると思ったかよ!?」
そう叫びながら何度も殴る。
殴る方も殴られてる方も、同じくらいに痛々しい。
サミュエルは無言で殴られてる。
痛いとも、やめてくれとも言わなかった。
プラチナは二人を止めようと思わず腰を浮かせたが、そのままの姿勢で止まってしまった。
自分には、二人にかける言葉など、何も持ってはいないと思い知ったからだった。
「プラチナの、人間1人の肩に、乗せきれないほど荷物を乗せて、だれもそれを背負ってやろうって奴はいなかった!誰一人としてだ!」
お前ら、恥ずかしくはないのか!!
そう叫んで、エリックがサミュエルを地面に再び投げ飛ばした。
「兄さんは…ほんと、格好いいよね。そうやって、力づくで何でも救ってしまうんだろうな……とても俺には真似できないよ」
サミュエルの苦い呟きにエリックは振り上げた拳を下ろして、膝をついた。
弟に寄り添って座る兄の姿に胸が詰まる思いがして、プラチナは思わず顔をくしゃりと歪める。
「サム…誰にだって平坦で、なだらかな道なんてものはないんだ…。一生懸命にやって、それでダメなら、もう、いいじゃないか。そうだろう?」
誰にとっての運命だって、恨むことはない。
そう言いながら、エリックは可愛い弟を抱きしめた。
「あの時、崩れかけた教会で…建て直された教会で言っただろう。サム、親を恨むなよ、って」
運命を、存在を、役割を……そこに自分達を投げ入れた親を……恨んではならない。
「あいつも、かつての俺たちと同じなんだ。独りぼっちなんだよ……わかるだろ?」
神樹の巫女姫様とスラムの名無しが同じ生き物とは不遜もいいところだな、と言いながらサミュエルが苦笑する。
笑いながら、やがてその声は涙に変わっていった。
神樹の巫女様と巫女姫様……
麗しい神殿の、そのまた奥に鎮座する、気高く尊い御方
森羅万象の一切をその身に負い、世界の要となる御方
見る者全てがひざまづく、神の御坐にして寄代たる白金に光り輝く神樹の巫女
そして、その後継にしてたぐいまれなる神力の持ち主で在らせられる巫女姫様
神の代理人であり、神そのものであるが如く、崇め奉っていた存在だった。
巫女様を、巫女姫様を、誰よりも尊崇し、祈り、すがった。
サミュエルは、そんな男だった。
国民の誰もがそうであるように、彼もまた、そうだった。
「俺たちと、同じ……同じか。ああ、兄さん……」
地に伏し涙を流しながら、いつの日か救ってもらえると信じていた頃の自分に告げる。
神は、きらびやかな玉座にあって自分達を導いてくれる存在ではないのだと。
自分が信じて祈っていたものは、本当は神ではなかった。
神など……神など、本当は見たこともないのだから。
サミュエルがプラチナを受け入れられなかった本当の理由は、巫女姫を心から崇拝していたから。
人格も弱さも持ち合わせる人間が、巫女姫のわけがない。
……そう思っていたから。
サミュエルの目に宿っていた暗がりが不意に薄れて、プラチナを見る。
彼は初めて彼女を見たような気さえしながら、見つめた。
そこには、あんなにも否定していた「ただの人間のプラチナ」がいた。
彼女は……自分達と、何ら変わらない。
同じなのだ。
「……兄さんの言うとおりだ。プラチナ、君はただの…プラチナだ」
サミュエルの目には、もう、15才の少女が立っているようにしか見えなかった。
やっと、そう見えたのだった。
あとがき
ストックがああ。
書いたらアップしたい病に罹患しているみたいです。




