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47 ガルシア男爵家



王都から馬車で一週間ほど走らせた場所に(くだん)のガルシア男爵領は広がっていた。


街道に沿って農地と果樹園の広がるのどかな領地と 収穫された農作物を商いすることで生み出される貨幣。


そこで営まれる人々の暮らしは他領と比較してもそれなりに豊かだった。


それは現当主であるアイザック・ガルシア男爵にとって、自慢できる一点であり、実際、豊潤な土地の力で領民を餓えさせない有能な政治家と名高い。


土地と領主のいずれかが欠けても今の民の生活はなかったと評されていた。


アイザックは日課となっている領地の視察に今日も出ており、町でも村でも大歓声と共に迎えられる。


果樹園に実るリンゴを護衛の騎士達にも振る舞われ、にこやかに笑う男爵に領民はみな、幸せを感じていた。


「ご領主様、わざわざのお運び、勿体ないことで…」

「ご領主様のおかげで今年も豊作です、はい」


手渡されたリンゴに相好を崩しながら頷くとアイザックは「みな、体に気をつけて職務に励むように」と言い、城へと戻る。


背後に控える護衛騎士は誰もが誇りに満ちた顔つきで前を見ていた。


ときたま自分達の視界にアイザックの背中が飛び込んでくる。そのたび、翻る濃紺のローブに胸の高なりを押さえきれず高揚する。


領主の視察とは言え、まるで英雄の凱旋であるかのように民から迎えられ、それに相応しい働きをしている自分達の主。


その主を護衛する自分。


騎士にとって、これほど誇らしい瞬間はなかった。


「城が見えて来ましたな」


古参の一人が城の搭の一角から立ちのぼる煙に目を細めて言った。


「ああ、今日もよく働いたからな。どれ、門まで駆けようか」


アイザックがなに食わぬ様子でそう言うと、回りが反応するより早く馬に鞭をくれた。


瞬く間に駆け去って行く主を追うように騎士達も鞭打つが、先手を取られたアイザックにはなかなか追い付けない。


「はっはっは! 最後の者は夕食のデザートを私に寄越すのだぞ!」


そう叫んで「ハアッ!」と気合いを入れ、二度三度馬の尻に鞭をくれていた。


馬が口からよだれを垂らして「ひひん!」と悲鳴をあげる。

全力ダッシュで城門へと駆けていき、背後の騎士達はすっかりアイザックに出し抜かれてしまった。




「おかえりなさいませ、旦那さま」

「今戻った」


ふわりとパステルイエローのドレスを翻し、女性が駆けてくる。アイザックの前で優雅に一礼すると、顔を上げて「ふふっ」と笑った。


「ただいま、私のマリアンナ」


愛しい妻の両頬についばむようぬ口づけを落とす。くすぐったそうに身をよじるとマリアンナもアイザックの頬に口づけを返した。


さりげなく妻の腰に手を回しながら自室へとエスコートする夫に、幸せそうな微笑みを浮かべて身を委ねる妻。


騎士達はみな、主君が愛する人と共に扉の向こうへ消えていくのを微笑ましげに見送っていた。




夫婦の寝室に入り、鍵を内側からしっかりかける。これでもう、誰一人入って来られない。


二人きりになった途端、マリアンナがそれまでの甘えたような表情をスゥ…とかき消した。


これからベッドにもつれ込むかのような雰囲気を二人で出していたのに、今は微塵も感じさせない。


部屋の片隅に置かれたベビーベッドから赤ん坊を抱き上げると、夫婦で寝るためのベッドに横たえた。


不気味なほど声を立てない赤ん坊にマリアンナは満足気な笑みを浮かべる。

アイザックも冷静な眼差しで自分の赤ん坊を見下ろしていた。


「術式の調子はどうだ?」

「順調に侵食しているようです」


マリアンナが手で赤ん坊の体を撫でると、空間に魔方陣が浮かび上がる。

まるでホログラムのようなそれは赤ん坊から出ており、夫婦は魔方陣をじっくり、丹念に観察した。


「きれいに魂と融合しているようですね。素晴らしいです」


マリアンナは魔方陣の端が赤ん坊の魂にしっかり溶け合っていることを確認する。

「前世の記憶」を植え付けることに成功していると言えるだろう。


物心がついた頃、自分が前世は異世界人であると、この娘は言い出すはずだ。


「さて、もう少し術式をいじろうかな」

「はい、旦那様」


二人で被検体を見下ろしながら魔方陣を書き換えていく。


記憶を魂の次元からいじるのはそれなりにリスクも大きい。だが、この魔術の素晴らしいところは記憶を思いだしたと本人が感じるころには、「本当の」記憶になっているところにあった。


記憶は「肉体」でも、「精神」でもない。

「魂」にこそ宿るものだ。


魂に植え付けられれば、それは経験に左右されずとも「事実」になる。


マリアンナは愛しそうに赤ん坊を抱き上げて「よしよし」とあやした。

アイザックもまた、そんな二人を覗きこんでやはり幸せそうな笑みを浮かべる。



傍目には、どう見ても幸せな家族にしか見えなかった。





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