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35それぞれの夜

この人は、私が神樹に祈っていたまさにその時、ここで生きていたんだ…と思った。






神殿の奥深く、巫女の祈りに呼応するように光が天から降り注ぎ、白金の大木が葉を繁らせ、その光が根を伝い世界を満たす。


巫女の祈りが原初の光を呼ぶ。

神樹に注がれた時にこそ、原初の光は恵みとなり、命となる。


原初の光とは、天地が天地を成さぬ時から宇宙が宇宙の姿を取らない時から、そこに在って、在り続けるもの。


私たちが神と呼ぶ、まさにそのものだった。


神に祈り、ひざまずき、祈りの中で存在していたプラチナには、想像もできない一人の人間の暮らしがまさしくエリックという男の背中に象徴されているように感じた。


「…大きい」


呟く言葉は、雑踏に掻き消され誰の耳にも届くことはなかった。







学院に戻ったプラチナは部屋の隅に放り出しておいた鞄に目を向ける。

明日の講義である高等魔術Ⅲはプラチナの学年が選択する最後の学課だ。

自分を捨てた皇太子も男爵令嬢も出席するその科目は、何よりも気鬱になるはずだった。


しかし、明日の授業よりも、皇太子よりも、ましてや男爵令嬢は言うに及ばず、それらの全てが悩みとして浮上することはなかった。


バスタブに張った湯にゆったりつかりながら、今日見た教会の見事な芸術の数々を思いだす。


あれこそ、まさに神の家と呼ぶに相応しい…とプラチナは思った。


一歩、敷地の外に出れば痩せ細った子どもがうつ向いて壁に力なく寄りかかり、働く気力をなくした大人が酒を呷り…浮浪者が人知れず死んでいた。


あの光景に一瞥もくれることなく荘厳で在り続けられる、あの、ぞっとするような冷酷さ。


まさしく、正真正銘、神に仕える者たちの住まいと言うに相応しい。


神樹に仕える神官たちは、「人」ではなく「神」に仕える。

エリックさんが追い出されたことも、彼らには当然のことで、彼らには神より大切なものなど何もない。


「……くそったれ、だわ」


ぶくぶくぶく、と湯船に沈みながら息を吐き出す。エリックが腹を立てて仕方がない時に使う言い回しを真似すれば、これ以上の言葉はないと思った。


「ほんと、くそったれ、だったんだわ」


ザブン、と湯から上がると軽くタオルで水分を拭いてから魔法で乾かす。ベッドにダイブすると、昼間のエリックを思い出して泣きたくなった。


「…エリックさん…」


布団を被って中で体を小さく丸める。

教会で、黙って聞いていた自分はあんまりにも芸がなかったんじゃないかと思う。


かかしみたいに突っ立って、黙りこくったままぼんやり話を聞いてるだけだった。


あんなに、エリックさんは、傷ついた顔をしていたのに…。


はぁ…と物憂いため息を漏らすと、結局はまた、自分が慰めと勇気と優しさをもらっただけだったと思う。


エリックに私が憎いかと訊いたとき、私は「そんなことはない、憎くない」と言って欲しかった。

そして、私は彼の答えを聞いて…嬉しいと思った。


人の悲しみも苦しみも痛みも…絶望さえも、何一つ優先することは出来なかった。


自分、自分、自分…自分しかなかった。


「……わたし、最低だわ」


言いながら、滲む涙をごしごし拭う。

暗くて暖かい絹の布団にくるまりながら、今日寝る場所も食べるものもない人間の一体なにが想像できると言うのか…。


激しいまでの自己嫌悪に吐き気をこらえるうち、次第に夜は更けていった。










プラチナがこらえ切れない自己嫌悪にしくしく泣いていたころ、やはりエリックも後悔していた。


シャイニーのグラスを眺めながら、教会でのプラチナを思いだす。

彼女は明らかに不安を抱いていた。

エリックの身の上話の末に自分が嫌われて、捨てられるんじゃないかと怯えていた。


だから、俺は…気にするなと言いたくて、お前のせいじゃないと言ってやりたくて、「誰も悪くない」と告げたつもりだったのだ。


「やっぱり、飯屋にでも行けば良かったかもな…」


つい、あの子の涙に絆されてしまったんだと思う。

旨い飯でも食えばプラチナのことだ。教会に行きたいなんて忘れていたに違いない。


そうしたら、きっとあんなに傷つけなくても済んだのに、と思う。


ため息と共に薄いピンクの液体をグッと呷る。

グラスの中の氷がカラカラと軽やかな音を立てて揺れた。


昼間のプラチナが脳裏をちらちら過ってしかたがない。




今日の酒はあまり美味しくは感じられなかった。











あとがき

反省会中。

そろそろ、国家転覆組も表舞台に出したいです。



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