20 クエスト
プラチナの起こした風魔法でとんだ恥をかかされた、と二人が言っているのをその後、偶然耳にした。
廊下を毅然とした面持ちで歩くプラチナはルイス嬢がしくしくと泣いて廊下を駆け抜けていく後ろ姿を見送る。
多分、明日と言わず今夜の晩餐会には既に話が回っているだろう。
「またやってしまったわ…」
どうして自分はこう、素直じゃないんだろう。
二人は当代様と国王公認の正式な婚約者同士で、既に自分とは何の関わりもないと言うのに。
はぁ…とため息をついて渡り廊下の上から外を見渡した。少し離れた森の中にひっそりと佇む巫女姫の塔は守られているようにも隔離されているようにも見える。
プラチナは廊下を渡りきると、そのまま思いつくままに森の中へと入っていった。
とにかく今は一人になりたい。
森に一歩足を踏み入れるとそこはまるで別世界のようだ。さっきまで感じていた日光は鳴りを潜め、葉陰の隙間から慎み深く射し込んでくる。
光が砕けて宝石粒をまいたように、きらきら、きらきらしていた。
足元を覆う下草の緑は濃く淡く、ふかふかの土を踏む感触が楽しい。背中に金のラインが入った親指ほどの小さなトカゲが4本の足を前後左右に動かして駆け抜けていった。
ブナの木が人の目には不規則に屹立しており、ありのままの自然が楽しい。
しばらく進むと、小さな池が目の前に広がった。
さっきの魔法の授業でやったように、水にイメージを伝える。源…正確には世界の隅々まで張り巡らされている神樹の根から溢れる神力に伝えた。
さらさらと水が形を変える。透明な水は球体になったり星のように尖ったりしてプラチナの心を慰めた。
しばらく一人になりたくて、人々の中に戻りたくなくて、膝を抱えてぼんやりと時を過ごす。
森は自分を異端と呼んで弾き出すことはせず、むしろ静かに受け入れてくれた。
「寂しくなんか、ないわ」
言いながら「違う」と心が訴えるが、それを敢えて無視するとプラチナはますます身体を縮めた。
「悲しいなんて、思わない」
認めて、認めて…私を…認めて。
心の底に横たわる叫びも、聞こうとしなければ聞こえない。
ただ、じくじくと訳もわからず痛むだけだ。
巫女姫という立場を越えたところで、誰かに自分を認めてほしい、受け入れてほしい…愛して、ほしい。
プラチナは自分の心に心を閉ざし、不器用に一人ぼっちを満喫した。
森はしんしんと深く、命の息づかいに満ちながら、生き物一匹見当たらない。
それでも、深い森の池のほとりがプラチナの居てもいい場所だった。
プラチナが寂しいと言う相手すらいない孤独に膝を抱えて耐えていたころ、エリックはクエスト掲示板を睨んでいた。
一番最初に禁止した薬草採集のクエストをじっと睨み付ける。
おもむろに紙を板から引き破ると、隣に掲載されているクエストと一緒に受付に提示した。
薬草採集クエストは文字通り必要とされている薬草を採集するものだが、その次に進めるクエストでもある。
これも知識と技術があれば生の薬草を持ち込むだけより多く現金が手に入った。日頃の生活の糧として、幾ばくかの足しになるためスラム街では圧倒的な人気を誇るクエストだ。
「こいつを頼む」
受付嬢のうさぎの獣人が「はい」と返事をして受けとると、その内容に丸い目を余計丸くしてパチパチと瞬いた。
「エリックさん、何であなたが薬草採集とポーション作成なんですか」
なかば呆れたように口にすると耳の先を前後にぱたぱたと振った。この道20年強の大ベテランが手掛けるクエストとは到底思えない。
受付嬢は赤い目に不信の色を宿したが、すぐににやりといやらしい笑みを浮かべた。
この顔は、ついこの前見た気がする。そう、昨日の晩とかに。
「ははーん、例のお嬢様ですかぁ?」
「悪いか」
否定すらしないエリックに対し、うさぎ娘が興奮気味に耳をぶんぶんと振り回した。全くそんな義理もないがエリックは耳がちぎれてしまわないかと少し心配になった。
「受けていいのか悪いのか、どっちだ」
「そりゃもちろん掲載クエストは誰が受けてもいいんですよ。たとえお金持ちのお嬢様であっても、薬草採集クエストを受けてはいけない決まりはありませんから」
決まりはね、と含むように笑ううさぎ娘に、自分とプラチナの最初のやり取りを見られていたことを悟ったエリックは小さく舌打ちする。
確かにあの時は遊び半分でクエストを受注するな、薬草採集はスラムのガキの収入源だから手を出すなと告げた。
しかし、あれから日にちこそ経っていないものの、プラチナを見てきたエリックは今では後悔していた。
別にプラチナは遊びで冒険者をやっているわけではなかったし、目的だってある。
ただ、圧倒的に世間を知らないし、どうしようもなく阿呆なだけだ。
それに、弱い。
冒険者になるなどよく思いついたもんだ、とエリックは何度舌打ちしたことか。
わずか2日でここまで先行きの不安を覚え、はらはらしたのは初めての経験だった。
それに、本人はあれで一生懸命だからなお始末が悪い。2日前まで巫女姫様、巫女姫様と崇め奉られていた小娘がこの世界で生きていけるわけがなかった。
「いいじゃないですか、そんな顔しなくても。薬草採集もポーション作成も、いざって時に必ず役に立つ知識ですから。それで救われたスラムのおチビさんは数知れず、ですよ」
ふふふっと笑ってうさぎ娘がクエスト用紙にハンコを押す。
「確かに受注しました、期限は7日後までですのでお忘れなく。頑張ってくださいね」
お決まりのセリフで用紙を手渡されながら送り出され、生暖かい笑顔を向けられる。エリックはそれを苦いものでも含んだような顔で受け取った。
あとがき
スラムの子どもの方が、よほど生活力が高いという当たり前の事実に今さら気づいたエリック。




