満ちる『恐怖』、抱く『決意』
森の中を3つの影が走る
「くそっ…! 追い付けねぇ…!」
シードが息を切らしながらつぶやく
「やっぱり…! アリスさんを呼んだほうが良いか…!?」
「そんな余裕ない! 今は…! あいつを追いかけて、アリアを取り戻す!」
アレスがそう叫ぶ
…が、2人はアリアを連れ去った男に追い付かない
森の中には魔物…「エニグマ」がいる
もちろん、2人はエニグマを倒さず、追い払いながら進んでいる
倒す時間も余裕もないからだ
エニグマは多種多様におよぶ
狼型…植物型…岩石型…泥土型…
種類を分ければきりがないが分類はできる
数多のエニグマが彼らに襲いかかる中、当然の如く、自らを『悪』と断言する男にもエニグマは襲いかかる
だが、アリアを抱えた状態とは到底思えないほど素早く、魔物達を次々切り捨てていく
エニグマもそんな『悪』に怖じ気づいたのか、3人が走り出してから僅か2分ほどもすると、もう彼らに近寄るものはいなくなった
「エニグマが来なくなったか… 幸運なのか不幸なのかわからねぇな…!」
「アリア…! くそっ…!」
『悪』に影響されたのはエニグマだけでない
彼女…アリアもそうだった
アリアは動けなかった
年端もいかぬ少女が、刃物を持った見知らぬ男に、窒息してしまうのではないかと思うぐらい強く抱き抱えられ、魔物を一瞬で片付ける技術を見せつける、圧倒的な『悪』に誘拐されているのだ
これで恐怖しない方がおかしな話しだ
アリアも当然そうだった
恐怖で震える彼女に、男はそっとささやく
「大丈夫… 大丈夫さ… 決して、良くはならないからさ…」
その言葉で、更に動けなくなってしまった
やがてアレスとシードが男を見失った頃、息を整えるため2人は立ち止まる
「チクショウ…! どこ行きやがった…!」
「シード… あいつ… この森に慣れてるぞ…!」
「俺たちより詳しいやつがいんのかよ… くそっ…」
悔しさのあまり、木を左手で殴り歯を食いしばる
「アリア… どこに…」
アレスは辺りを見回すが、小さな木の小屋以外、何も見当たらない
「………え? あんな所に… 小屋?」
そうアレスがつぶやくと、シードもそれを発見する
「あんなんがあるなんて知らなかったな… つーか、今はどうでも
「感じる…」
シードの言葉を遮り、アレスが思ったことを口にする
「んぁ?」
「あそこに… いるぞ…!」
「ほんとかよ…?」
2人は小屋に向けて歩き始めた
見た目は何の変哲のないただの小屋だ
ただ普通と違うのは、その小屋が建っている場所だ
断崖絶壁…とまでは言わないが、かなり切り立った崖のすぐ上に
建っている
小屋を横から見ると、ドアの反対側の壁と崖の間隔は大人2人がやっと立てるほどしかなく、どうやって建てたのか不思議に思えるぐらいだ
中の様子を見たいが、窓がその崖際の壁にしかついておらず、もし窓からあの男がアレス達を突き飛ばすようなことを想像すると、安易に行動できない
「やっぱり…」
「あぁ… 行くっきゃねぇな…!」
2人はドアの前へと静かに立った
アレスがドアを開けようと一歩前に踏み出そうとした時、シードがその行く手を、左手を伸ばし遮った
(俺が開ける…)
言葉に出さずとも、目でそう訴えたシードに対し、
(わかった…)
と言わんばかりに、アレスは首を縦にふった
だがアレスはその時、シードの伸ばした腕が小さく震えているのを見てしまった…
アレスは最初、シードは左手で槍を持ち、右手でドアを後退しながら開けるという方法をとるために、自分が開けると言い出したのかと思っていた
そうすれば、リーチのある槍ならば回避しながら対応できるからだ
それもあるが、シードはもしかしたら、目の前でアリアを連れ去られたという己の『無力さ』を痛感し、あえて自ら『恐怖』へと立ち向かうことで、弱い自分の『魂』を鼓舞しようとしているのではないか? とアレスは思った
案の定、それは正しかった
(俺が弱かったからだ… 力もそうだが、『魂』が弱かったからだ… 年も身長も…力も何もかも負けてんなら、『魂』で勝つしかねぇだろ!! この恐怖を克服しねぇと、俺は強くならねぇし、勝てもしねぇ! じゃねぇと、さっきまで人生の先輩ぶってた俺の立場がねぇからな!)
手の震えを気合いで止め、ドアノブへと手を伸ばした
だが、ドアノブをつかんでもいないのに「ガチャリッ…」と音がした
同時に、アレスは剣を強く握りしめ構えて、シードは素早く右手にへと槍を持ちかえ、アレスのいる後ろへ大きく跳び跳ねる
「…!」
予期せぬ現象に、2人は数秒沈黙する
ギィィィィ……と音をたてて、ドアが開く
小屋から数2~3メートル離れている2人の距離からでも中の様子が見えた
小屋自体そもそも小さかったため、中も当然ながら小さかった
たたみ12畳ほどの広さしかなく、住むには狭すぎる適さない
部屋の横に机や椅子が無造作に置かれており、かつては部屋の中央辺りに置かれていたのが伺える
ここで飲食をしていたのだろうか?
黒いごみ袋が幾つも散乱している
そのごみ袋と一緒に置かれているのは、短剣や長剣、銃を始めとする武器の数々だ
…うっすらと血の様なものも見える
そして先程見た窓のあった壁に、寄り掛かるように座り込んでいる人物がいた
あの男と、その腕の中で大きく震えている少女が居た
「アリア!!」
アレスは叫ぶ
「おぉ…? よくここがわかったな?」
男は半笑いで語りかける
「…」
シードは考えていた
(あの位置からどうやってドアを開けたんだ?)
そう思うと、迂闊に小屋に入ることができない
「アリアを離せ…!」
アレスは怒りをぶつけるように命令する
男は笑って、右手に持つ短剣を振りながら2人に優しく話す
「まぁまぁ… そんな外に居ねぇで、中に入ったらどうだ?」
明らかに罠だ
当然2人は入ろうとしない
その様子を見かねて、男は更に話す
「あれぇ…? 聞こえてねぇのか? んじゃもっかいだけ言おうか?」
突然、男の雰囲気が変わり、右手で振っていた短剣をビュォッと空を切る音を出しながら、アリアの首もとに突き付けた
そして、優しさの欠片も感じられないほど低く冷たい声で語りかけた
「中に入ってこいって言ってんだよ」
『悪』
この男が、自分自身をそう言っていたことを2人は思い出していた
正に今、中に入らなかったらこの女を殺すと言わんばかりの行動をするこの男を、『悪』と言わずに何と言うのだろうと思っていた
しかし今はただ、言われた通りに小屋に入るしかない
2人は言われるがまま、小屋へと足を踏み入れた
「よぉし… いい子だねぇ…」
スゥッ…とアリアの首もとから短剣を引く
「何が…」
「ん?」
「何が目的なんだ…?」
シードが恐る恐る問いかける
「あー… 目的ねぇ… ん~… 復讐かな…」
「復讐…だと?」
「あー違う違う… いや、復讐は合ってるんだが… 俺がお前らの両親に怨みを持ってるわけじゃぁねぇ。 俺が復讐したいのは、『英雄』という存在さ」
「なんだと?」
「どういう意味だ!」
冷静なシードに対し、アレスは声を荒げる
「俺さ… こう見えても『騎士』なんだぜ? みんなの憧れのヒーローさ。 でも、俺はそこいらの騎士とは違う。 いわゆる、『ダークヒーロー』ってやつさ。 良いことだけじゃなく、悪いこともする。 犯罪をワイロで見逃したり、同じ騎士をエニグマ討伐時に囮に使ったこともあったなぁ… そんで最近さ、とある任務で大ケガしちまってねぇ… そん時、騎士仲間が言うのさ… 英雄がいればこんなことにならなかったのに…てさ。 俺もこの短剣を握りしめてそう思ったさ。 だからまず、英雄どものリーダー… 黒月トレスを殺す」
「なら… なんでアリアや俺たちを襲うんだ!」
「さあ…? そういえばそうだな…」
男は、いつの間にかアリアを手放していた
アリアは、自分に何が起きていたのかわからなかった
男のすぐ脇で震えたままそこにいた
「アリア!」
アレスの声でふと自分の状況が分かったのか、アリアはよろめきながら立ち上がり、後ろを一切振り向かずに、アレスとシードの下へと走って行った
アレスは走って来たアリアを抱きしめると、ふと我に返った
目の前にいたあの男が居ない
ほんの一瞬…
たった一瞬だけ目を離した隙に、何処に行ったのか…?
「上だっっ!!」
シードが叫ぶ
男は、アレスが自分から目を離した瞬間に、小屋の天井へと飛び跳ねた
そして天井を足場にし、おもいっきり蹴ってアレスへと突っ込んだ
それに気付いたシードはアレスの前へと移動し、男の降り下ろそうとしている短剣に対して、槍を真横にして防御の体勢をとった
シードの持つ槍は木製だった
対して、男の持つ短剣はもちろん金属製だ
鳴るはずない…が、確かにその場に「ガキィィ…ン」という金属音が鳴り響いた
男が降り下ろした短剣の勢いが強く、シードはその衝撃を受けきれなかった
よって、シードは結果的に小屋から外に吹き飛ばされる形になった
シードはアレス達を庇ったため、当然アレスもアリアも一緒に小屋から外に飛ばされた
「ぐうぅっ!」
「があぁぁ!」
「あうぅっ!」
3人は小屋から外の地面に、川の字で寝るような形で体を打ち付けられてしまった
男は小屋の入り口に立って3人を見下ろしていた
「やるじゃねぇか… その年で『ソウル』をそこまで使えるなんてな…」
「だとしたらなんだ…? 見逃してくれんのか?」
男はニャァッ…と笑みを浮かべ、
「いや? むしろ殺さなきゃいけない理由が増えただけさ」
シードはよろめきながら、戦闘体勢をとろうとする
「お前みたいなセンスの塊みたいな英雄の子供がいると、どっかの誰かが英雄の登場を期待しちまうからな」
「そいつは…誉め言葉としてもらっとくぜ…」
たった1回男の攻撃を防いだだけなのに、シードは自分との力量の差を理解していた
ほんの少し前に、気合いで押さえつけた手の震えと、この『悪』に対する『恐怖』が再びシードを襲いかかった
アリアも同じく、この男からは逃れられないのかもしれないという『恐怖』で、動くことができなかった
だが、恐怖に怯える2人に対し、アレスは『後悔』と『決意』の感情しかなかった
(この男は…シードを父さんの子供だと勘違いしている…! シードが俺たちを庇ったから… 俺が何もできずに怯えてるから… 俺よりもシードが強いと分かったから… だから英雄の子供と勘違いしたんだ…!)
(情けない… 俺は守られてばっかり… 戦わなきゃいけない… 英雄の息子だからじゃない…! 戦わなきゃ、2人を守れない…! 守らなくちゃ… 俺が…)
「おいおい震えているぜぇ…? 大丈夫、一瞬で殺してやっからよぉ… 痛くしねぇって… 『悪』は、弱者にはやさしいから『悪』なんだぜ?」
(俺が… 俺が守る!!!)
少年が『決意』を抱いた時、体と魂が光に包まれた