第四章 その1
さて、第三章で。隣と学校の傍にある喫茶店に行く約束をした彩でしたが。
果たしてそこはどんな喫茶店なのか……。
第四章 その1
「よし、じゃあ早速行きましょう」
ホームルームが終わってすぐに僕の席までやってきた河勝さんがそう言ってからおよそ二十分後。
僕と河勝さんは「カフェ金魚鉢」という喫茶店に来ていた。
この喫茶店。僕がよく行くラーメン屋「めたり家」の側にあるので前から気になっていた店だったのだが、まだ一度も入ったことがない場所だった。
なので、今回河勝さんに誘われて初めて店内の様子を見たのだが。なるほど。テーブルは四つ程度でそんなに広くはない店だけれど、なかなか雰囲気は良い喫茶店だ。
「へえ、結構本格的な喫茶店だね」
僕は素直な感想を述べる。
河勝さんは僕の意見に「でしょ?」と言ってから、
「これなら藤若君が望むような美味しい珈琲も楽しめるんじゃない?」
と訊ねてきた。
「まあ、そうだね」
メニューを見ながら僕は河勝さんに対して答える。
この喫茶店は結構、色々なメニューがあるな。ドリンクの種類も豊富だし。
ん? 喫茶店なのに鯖味噌定食があるのか。こっちのフルーツカレーってのも気になるな。
今日は午前中で学校が終わっており、そして僕達はそのまますぐにこの喫茶店に来ているので、当然昼食はまだ食べていない。
なので僕はそれなりに腹に溜まるものを頼もうと考えていた。
のだが河勝さんにそのつもりはないらしく。
「じゃああたしはこのプリンセットにしようかな」
と言った。
「藤若君は何にするの?」
「え、ええと……どれにしようかな?」
流石に河勝さんがプリンを食べている横でがっつり昼食をとるというのもどうかなあと思ったので、僕も何か甘いものを頼むことにする。
しかし、これまたかなりの種類がある。
メニューから見るとどうやらオススメは河勝さんの頼んでいたプリンのようなのだが、そのプリンがまた色々なバリエーションがあるのだ。
これは、かなり迷う。
さて、どうするか。
あまり頼む料理を選ぶのに時間をかけて、河勝さんを待たせても悪いし……
などと思っていると、河勝さんが、
「ちなみに、あたしのオススメは特製フレンチトーストってやつ」
と言ってきた。
どれどれ、スペシャルフレンチ――あ、これか。
値段は八百十円。これに珈琲がつくと大体千二百円か。
香に連れられて喫茶店巡りをよくしている僕としては、この手の店のスイーツとか呼ばれるものがそれなりの値段がするのは知っているし、味も恐らくその値に釣り合いがとれるものだということも想像できるのだが。
高校生がおやつ感覚で食べるのには多少高い値段というのが正直な感想だな。
まあ、今月は仕事の方で多少の収入があったから懐と相談しても「頼めばいいんじゃない?」と返答されそうな感じではあるが。
「フレンチトースト。中々気になるけれど……」
もう少し安いものにするべきかなあ。と、僕が言おうとするとそういう前に、
「すみませーん。プリンセットと特製フレンチトーストそれぞれ一つお願いします」
河勝さんが店員さんを呼んでそう頼んでしまった。
「ええと、藤若君は何飲む?」
今更「いや、フレンチトーストはやめて別のものにしたい」と言い出すのはどうかと思った僕は、結局フレンチトーストを注文することに決めて、飲み物を、
「……じゃあブレンド珈琲で」
と注文した。
「じゃああたしもセットのドリンクは同じもので。で、プリンの種類は――」
注文をどんどん進めていく河勝さん。
その様子を見て、ふと思ったのだが。
河勝さんはこういう喫茶店とか普通に利用する人なのだろうか?
僕の偏見だけれど、友人にそういう趣味の人がいるとか、あるいはなんかの事情があって喫茶店に馴染みがあるとかじゃないと、普通の高校生はもっと入りやすい雰囲気の、大手チェーン店のやっているカフェとかの方を利用する気がするのだが。
「河勝さん?」
「何?」
「河勝さんって、よくこういう店に来るの?」
「まあね。甘いものとか普通に好きだし」
どうやら河勝さんは甘いものが好きなので喫茶店にはよく出入りしているということのようだ。
しかし、甘いもの好きか。女子には多いのかもしれないが。
「そうなんだ。僕は何となく河勝さんは辛党だと思ってたよ」
ここで僕が言っている「辛党」とは本来の「酒好き」という意味である。別に「辛いものが好き」と言う意味ではない。
河勝さんはその辺りをちゃんと知っていたらしく。
「まあ、お酒の利いたお菓子、サヴァランとかは好きよ。特によく行く『ジュノン』のサヴァランはお気に入りかな」
と酒についての好みを言ってきた。
ちなみに、未成年が酒の入ったケーキを食べてよいのかという話だが。
確か香に聞いたところでは「未成年に禁止されているのは飲酒なので、酒を食べる分には問題なかったはず」ということだった。
まあ、それはともかく。河勝さんが酒好きだった件に関して、僕としては、
「やっぱり」
と言うしかない。
何故ならラミア属は酒好きが多いことで知られているからだ。
世間では俗に大酒飲みのことをうわばみと言うことがあるけれど、これもラミア属に酒好きが多いためにそう言われているという。
また、神話に出てくる八岐大蛇が酒に目が眩んだというのも、古代に力を持っていたラミア属の一団が酒好きだったため作られたエピソードだという話もある。
それぐらいラミア属が酒好きというのは有名な話だったので、僕としては河勝さんが酒好きだというのは予想できたのだ。
しかし、この発言を聞いた河勝さんは不思議そうな顔をして、
「『やっぱり』ってどういうこと?」
と訊ねてきた。
……あ、しまった。
河勝さんは僕が彼女の正体を知っていることを恐らくまだ確信はしていないわけで。
そうなると、何故僕が河勝さんが酒好きであると予想できたのか、彼女が明晰な頭脳を持つ名探偵でなくても怪しまれてしまうことになる。
これは……ちょっとまずい。言い訳しなければ。
「や……んまあ、何となくかな?」
「何となく?」
「そう、何となく……」
いやいやいや。
女子としては男子に「何となく酒好きっぽい」って言われるのは、微妙なのではないだろうか? いや、僕は酒好きな女性はどちらかと言えば好みだけど。
咄嗟に言った言い訳だったが、これはこれでまた何とかしないとならないというか……。
と、僕が次の言葉をどうするか、居眠りしているときに先生に問題を当てられた学生並に困っていると、そこに、
「お待たせしました。ブレンド珈琲になります」
と店員さんが珈琲を持ってきてくれた。
僕は「あ、どうも」と言って珈琲を受け取り、そして何も加えずにそのまま飲む。
うむ。この珈琲は酸味、苦み共に控えめだが、かといって味が薄いというわけではなく……まろやかというのはこういう珈琲をいうのだろうか?
ふと、河勝さんの方を見ると、彼女もまた僕の方を見ていた。
やっぱり酒好きだと思われていたことを気にしているのだろうか? そう思って、僕は彼女が次に何を言うかに気をつける。
すると河勝さんは、
「藤若君って珈琲に砂糖とか入れないの?」
と訊ねてきた。
なんだ。そんなことか。
確かに、高校生で珈琲に何も加えないで飲むヤツなんて、大人気取りのかっこつけだと思われるのかもしれない。まあ、僕が珈琲に砂糖やミルクを入れないのも結局は似たようなレベルの理由だけれど。
よし、ここは正直に理由を明かしてさっきの酒の話をうやむやにしよう。
そう思った僕は、河勝さんに対して、
「うん。どこかで推理小説の主人公が珈琲に不純物を混ぜることは、珈琲を冒涜する行為であるって言っていたからね。真似しているんだ」
と言った。のだが、それを聞いた河勝さんは、
「冒涜ねえ……」
と呟き、気まずそうにした。
よく見ると、彼女のカップには普通にミルクが入っているようだった。恐らく砂糖も入れたのだろう。
この状況に昨日僕が珈琲に詳しい友人がいると話したことも合わせて考えると、もしかして河勝さんは「自分は珈琲好きにとっては邪道な飲み方をしている」と思ってしまったのかもしれない。
仕方がない。ここは更に別の話をしてなんとかしよう。
「とはいえ、好きな漫画の影響で珈琲に同じ量の砂糖を入れてコールタールみたいに真っ黒でドロドロなのを飲んだりもするけどね……影響されやすいんだ」
僕は今度は漫画に影響を受けた話を出して、砂糖やミルクを加えることは別に間違ったことではないと河勝さんに伝える。
実際、イタリアではエスプレッソに砂糖を入れない方が変人扱いされるぐらいだと聞くし、珈琲をブラック無糖で飲むのが通だという風潮は、あくまでこの国の価値観なのだ。
なんて、僕が思っていると、河勝さんが、
「……確かに好きな小説や漫画に影響されて、何かをすることってあるわよね」
と言ってきた。「確かに」ということは河勝さんも何かに影響されて真似したことがあるのだろうか? 気になるが。まあ、それは置いておくとして。
「まあ、そもそも珈琲を飲み始めたきっかけだってゲームの影響だしね」
僕は珈琲の話題を続ける。
確か最初に飲み始めたのはゲームに出てくる検事が珈琲好きだったのがきっかけだった気がする。その後、特撮でカフェがよく出てくる舞台だったことにも影響されたりしたし……あれ? どっちが先だったかな?
などと、僕が珈琲に関係のある作品について思い出していると、河勝さんが、
「え? 昨日言っていた友人が珈琲を勧めたんじゃないの?」
と訊ねてきた。
まあ、確かに珈琲について変な知識が身についたのは香のおかげだが、珈琲好きだったのはその前からの話である。というか、
「その友人とはむしろ珈琲好きだったから知り合ったんだ」
一年の時、同じクラスだった僕と香が親しくなったのは、クラスでたまたま珈琲の話題が出たときに、僕が珈琲をよく飲むと言ったところ、香が「うちが喫茶店だから、良ければ来いよ」と誘ったことをきっかけとしているのだ。
「へえ、そうなんだ」
などと頷く河勝さんは僕の話を興味深そうに聞いていた。
どうやらさっきの酒がどうしたという話はもう頭にないらしい。
よし、このまま珈琲に関しての話題を続けることにしよう。
「ちなみに、珈琲と言えば」
「珈琲と言えば?」
「ソキウスの中には珈琲で酔う人たちもいるって知ってた?」
「ソキウスねえ……」
「え? あ……」
やってしまった。
いつも珈琲の話題をするとこの話をしているのでつい、今回もうっかり話してしまったが、これは明らかに失敗だろう。
折角話題を変えたのに、より一層怪しまれそうな話題を口にしてしまった。
何か河勝さん、僕の発言に首をかしげているし、これはまずいか――
「藤若君って、ソキウスの事を亜人種とは言わないのね」
「ま、まあね」
ん? ああそうか。
自分や、香は普通にソキウスと呼んでいるけれど、世間的には偏見もまだ強いから特に差別意識がなくても亜人種と呼んでいる人も多いんだった。
だが、そもそも現在は公の場では配慮してソキウスと呼ぶのが普通だ。
と、すると河勝さんがわざと僕がソキウスに偏見を持っていないかどうか、確かめるためにこういう事を言っているのだろうか?
そうするとやはり彼女の正体はソキウスなのか? それとも特にそれは関係ないのか……?
などと思っていると、さらに続けて河勝さんは、
「それにその、珈琲で酔うソキウスの話。知っている人が少ないマイナーなことだと思ったけど。よく知っているわね?」
とも訊いてきた。
じゃあそのマイナーな話を知っている河勝さんってなんなのさ。と、言いたくなったがそれを言うのは流石にうっかり妙なことを言ってしまう癖のある僕でもやめておくことにして。
ここはへたに誤魔化さないほうがいいだろう。
そう考えた僕は、
「僕は将来、ソキウスの人と会ったときに親しくしようと思っているからね。相手について知るのはそのために大切なことだと思うんだよ」
とそういった情報を知っている理由を正直に話した。
実のところ、正直に話したのには「これで河勝さんの正体を僕が知っていたとしても、僕が河勝さんを悪く見たりはしていないと彼女も理解してくれるはずだ」なんて考えたからというのもあるのだが。
まあ、兎も角。
これで河勝さんも僕がソキウスに詳しいから、珈琲の話題の時にそういった話も出したのだと思ってくれるはずだ。
なんて、思ったのだが河勝さんは、
「ふうん」
と相づちを打ったものの、なんだか僕のことを、スモモの木の下で冠をかぶり直している人でも見るみたいな目つきで見ていた。
これは、僕が河勝さんの正体を知っているんじゃないかと怪しんでいる目なのか、それともいきなりソキウスの話を始めるなんて変だと思って不思議がっている目なのか。
分からないが。とりあえずソキウスの話をしたことが不自然じゃあないような話題を……あ、そうだ。
「でもソキウスと知り合うのは将来って言うほど遠い話じゃないかもしれないけどね」
「え?」
「ほら、三組に転校してきたらしいし。ソキウスの人」
うむ。
僕がソキウスの話題を急にし始めたのは学校にソキウスの転校生が来たから気になってだと、これで河勝さんも思ってくれるだろう。
そう思って僕は河勝さんの表情を伺う。すると河勝さんは、
「ああ、そんな話もあったわね。たしかオクト属の女子だっけ?」
などと言って僕の話に合わせるようなことを言ってきた。
だがその表情は何か、面白くなさそうな感じに見えるものだった。
ええと……ええと……。
河勝さんのこの表情の原因は、自分以外のソキウスに対して何か思うところがあるからなのか、それとも二人きりでお茶をしている時に別の女子の話題を出したことに気分を害したからなのか、あるいはその両方か……いやいや。
自分以外にソキウスがいたからってそんなことで気を悪くしたりはしないだろうし、河勝さんと僕は別に付き合っているわけでもないのだから同級生の女子の話題をしたところで問題ないだろうし……。
駄目だ。
考えれば考えるだけ、何が何だか分からなくなってくる。
ゲームの中でならソキウスの女子の考えていることを推測するのに慣れてはいるが、これは現実だ。ゲームと一緒にするわけにはいかない。
うむむ。一体どうしたら……。
僕がそう迷っていると、そこに、
「お待たせいたしました。こちら特製フレンチトーストになります。こちらはプリンセットのプリンです」
と店員さんが注文した料理を運んできて、僕の前にフレンチトーストを、河勝さんの前にプリンを提供した。
フレンチトースト。
これは焼いたバナナやアイスクリームが乗っていて、シナモンが振りかけられおり、更に特製ソースがかけられているもののようだ。
早速、食べてみると……む、これは。
焼いたバナナの酸味に対してのフレンチトーストの甘み、アイスの冷たさに対してのフレンチトーストの温かさといった味覚や温度の差を楽しむことができるし、それぞれの食感の違いもまた中々上手く組み合わされている。
何より、フレンチトーストが表面はこんがりとしていて、それでいて中はしっとり感があり……美味い。
その上、盛りつけ方も工夫が施されており、これがまたなかなか洒落ている。
「このフレンチトースト、かなりいいね」
僕は率直な感想を河勝さんに伝えた。
「でしょ? だから、オススメなんだって」
そう返した河勝さんの方を見てみると、彼女は桜色のプリンを食べていた。いや、桜なのは色だけではないようだ。上に桜の花の塩漬けがトッピングされているところを見ると味もまた桜のプリンなのだろう。
あれの味も気になるところだが……今度来たときに注文してみよう。
そう思いながら、僕はフレンチトーストとの相性を確かめてみようと珈琲を口にした、その時、河勝さんが、
「ところで、藤若君はその、三組の女子についてどう思うの?」
と訊いてきたので、僕はむせそうになった。
(続く)
隣は彩が自身の正体について知っていると思って話を進めているのか。
それともそんなことは考えていないのか。
などと、疑いながら会話を進めている彩ですが……さて。