表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒトではない彼女を  作者: 窓井来足
第三章
5/26

第三章 その2

 第三章 その2


「おい、オクト属だってさ」

 僕が生物室に入るなり、先に部室でおそらくは自分で作ったのだろうと思われる、後期印象派絵画並にカラフルな弁当を食べていた香は、パスタの一種であるファルファッレをフォークで刺しながらそう言ってきた。

 オクト属か。

 確か、ソキウスが公的に認められる前はこの国ではスキュラ属と呼ばれていた、腰から下に、ヒトの脚の代わりに蛸のような触腕を八本持っている種族だ。

「オクト属」と改名されたのは、「スキュラ属」の語源になっていた「スキュラ」が大本の神話では下半身に犬の頭なんかを持っている存在で、容姿が本物のオクト属とはまるで別のものだったからだったはずだ。

 一説には海底に沈んだ古代都市に封印されている蛸足を持った神を崇拝しているとか、何故か芋が好物だとかいう話もあるソキウスだったはずだが。

「何がオクト属なんだい?」

 いきなり「オクト属」とだけ言われても何が言いたいのか分からないので、僕は香に訊ねる。

 すると香は「察しが悪いヤツだな」とでも言いたそうな表情を浮かべて、

「何がって、転校生だよ。てんこーせー」

 と言ってきた。

「転校生?」

「三組に転校してきた明石海奈(あかしかいな)って女子。彼女がオクト属だってこと」

 ほう。

 三組にオクト属の女子が転校してきた――って、

「何? 三組にソキウスが転校してきたの?」

「ああ」

 なるほど。

 転校生が他クラスに来るから、香はその様子を窺いに行っていたのか。

 だが、よく事前にそんなことを知っていたな。

 ん? ああそうか。そういえば。

「もしかして、昨日言っていた噂って」

「おう、この学校にソキウスの女子が転校してくるかもって話」

 そういうことだったのか。

 確かにそれは近いうちに分かる話だし、努力次第ではソキウス以外異性として意識できない僕にも彼女ができる可能性のある話ではあるな。

 でも、香は一体どこでその情報を仕入れたのだろうか?

 転校してくる前の転校生の話なんて、個人情報保護に五月蠅(うるさ)いこのご時世、簡単には調べられないと思うのだけれど。

「何で知っていたの?」

「いやな、喫茶店でたまたまそういう話を聞いたんだよ。人からの又聞きだったし根拠のない話だったからな。はっきりするまで黙っていたってわけだ」

 ……人の口に戸は立てられぬというやつだな。いくら情報を厳重に扱ってもどこかからは漏れるってことだ。

 まあ、そんなことはどうでもいいか。

 それより、オクト属の女子のことだ。

「で、どうだった?」

「どうって、何が?」

「だから、その転校生」

「ああ、可愛かったよ。人付き合いも上手そうで、転校初日だっていうのに、なんかもうクラスになじんでいたし」

 なるほど。可愛くて、人付き合いが上手いのか。

 それはいいのだが。個人的に気になるのはそこじゃなくて。

「いや、そうじゃなくて。その……触腕(しょくわん)とか。どうだったかなあって」

 僕としてはやっぱり、こっちの方が気になるのだった。

 まあ、ソキウス好きというわけでもない香が蛸のような触腕を見た時の感想じゃあ、僕の参考にはならないかもしれないけど。

 なんて、思いながらも僕は一応、香に訊ねてみたのだが、香は首を横に振って、

「ん? あ、いや。そういうのはまだ見てねえぜ」

 と答えた。

「え? そうなの?」

 オクト属のソキウスだと知っているのだから、てっきり香は擬態を解いた状態の明石さんを見たのだと思っていたが、そうではないらしい。

「ああ、俺が見たときは普通にヒトの姿だったな」

「そうか。それはそうかもね」

 ソキウスがヒトの姿に擬態するのは一つには「ヒトの社会で目立たないため」というのもあるが、他の大きな理由として「多くのものがヒト用にデザインされている世の中ではその方が生活しやすいから」というのもあるのだ。

 例えば椅子一つにしても腰から下がヒトではないとまるで役に立たない道具になってしまったりすることも多いし、場合によっては階段を上がれなかったり、出入り口を通過できなかったり、そもそも陸上ではほとんど行動できなかったりするのである。

 なので、正体を自ら明かしているからといっても大抵のソキウスは日常的にはヒトに擬態しているというのはごく普通のことなのだ。

 と僕が、明石さんがヒトの姿をしていた理由について考えていると、香が

「――で、だ。彩、お前その明石さんについてどう思う?」

 と訊ねてきた。いきなりそう訊ねられてもよく意味が分からなかったので僕は、

「何が?」

 と聞き返す。

「いや、だから興味はあるかってこと」

 興味と言われてもね。

 それがどういう意味の興味かによってはあるとも言えるし、無いとも言えるのだけれど。

「興味か。興味ね……ないわけじゃないけど」

「けど?」

「まだ実際に会ったわけじゃない、何とも言えないかな」

 香の話からだけだと単に見た目や性格の良さそうなソキウスの女子が転校してきた以上のことは正直、分からない。

 そして、いくら僕がソキウスが好みだといっても、まだよくわからない相手まで好きになるわけではない。

 なので、その明石さんに対して僕は人並みの好奇心という意味では興味があるが、恋愛対象として興味があるわけではないのである。

 僕の言いたいことが伝わったらしく香は、

「ま、そうだな」

 と納得した。

「それに人のことソキウスだからってだけで興味を持って近づくのは失礼な気もするし」

「確かに」

 相手からすれば、単に物珍しいからという理由で、近づいてきた異性なんて迷惑にもほどがあるだろう。

「だからまあ、機会があれば話すって感じかな。今のところは」

 ただ、普通に生活しているだけで気になる異性と話す機会が巡ってくるならば誰も苦労はしないとは思うので、下手をすると卒業まで明石さんと僕が話すことはないかもしれないけれど。

 などと、僕が思っていると、香がいきなり、

「機会ねえ……さっき、お前が河勝さんと話していたみたいにか?」

 などと言ってきた。

「え? 何で知っているの?」

 確かあの時、香はさっきまで話題にしていた明石さんの様子を見に三組に行っていたはず。

 教室に戻ってきた様子も無かったし――。

「いや、一度教室に戻ろうかと思ったら何かお前と河勝さんが話しているのを見かけたんで。間に割って入るのも邪魔かなと思ってそっとしておいたんだけど」

 ああ、なるほど。教室に入ろうと思って結局入らなかったから僕は香に気がつかなかったのか。って、ん?

「邪魔?」

 何が?

「いや。お前が女子と仲良く話しているなんて珍しかったし」

 どうやら友人が女子と話しているのに邪魔になるかもと思ったらしい。香は気が利くというか、ややお節介というか、そういう所があるからなあ。

「……しかし、河勝さんか」

「何? 何かあるの?」

 まさか、彼女がソキウスだという噂があったりするのだろうか?

 ……いや、それはないか。

 そんな噂があって、その上それを香が知っていたというのなら、もっと前に僕は河勝さんのことを知っているだろうし。

 だとすると、何かあるとしたら。

 ちょっと奇妙な行動をしたりする女子だとか、そんなことかもしれないな。

 さっきの喫茶店への誘い方――と、いうより喫茶店にいきなり誘ってきたことがまず普通の女子を基準にしたら変な行動だと思うし。

 などと僕は勝手に推測していたのだが、香は首を横に振って、

「まあ、一部の男子に好意を持たれてるって話はあるけど。それ以外は別に普通の女子だな」

 と言った。

「普通……ね」

 そうなのか? 最近の女子はあんな風に人を喫茶店に誘うものなのか?

 いやいや、流石にそれはないだろう。

 だとすると河勝さんは普段は普通で、僕に対しては不自然な態度なのか?

 もしかしてそれは……彼女が僕に正体を知られているかもしれないと推測しているからだろうか?

 そうすると今回喫茶店に誘ったのは、何かその辺りに関連があるのかもしれない。

 などと僕が考えていると、香が

「ああ、だからこっちは驚いているんだ。ソキウスにしか興味がないお前がどうして河勝さんと親しげにしているのかってところに」

 と口にした。

「い、いや。僕と河勝さんとは別にそういう関係じゃあ……」

 思わず否定する僕に、香は、

「分かってるって。お前の普通の女子への興味の無さは筋金入りだし、大抵の女子はお前のこと『顔はいい男子』としか思っていないし……な」

 などとさらりとさりげなく酷いことを言った。まあ、彼のにやついた顔からすれば冗談なのだろうが、

「その、『顔はいい男子』っていうのはいただけないな」

 この前、女子の間でそんな風に言われていることを知って実はちょっとショックだったのだ。

 これに関して香は、

「そうか? 顔については褒められているんだからマシだろう?」

 と言ってきたが、僕としては、

「いや、この場合の『いい』は『どうでもいい』の略な気がする。『顔の事はどうでもいいくらいに残念な男子』と言われている感じがある」

 のである。

「そうか?」

「そうだとも」

 香に訊かれは僕は大きく頷いて、返事を返す。すると香は、

「ま、お前のことよく知らないヤツらが言っていることだし、気にするなよ」

 とアドバイスをしてきた。

「ああ、別に気にしてはないよ。別にね」

 本当はお気に入りの本に手についていたスナック菓子かなんかの油でシミができてしまった時くらいに気にしているのだが。それを言っても仕方があるまい。

 この話はこれで終わりにしよう。

 そう僕が提案しようとすると、香が、

「ま、それはさておき。お前、飯は食わないのか?」

 と指摘してきた。

 ん? 飯?

 と言われて気がついたが、香は会話をしながらも弁当を完食していた。

 一方の自分は話すのに夢中で、まだ弁当箱を開けてもいない状況だ。

「あ……いや、食べるけど」

 言いながら僕は自分で作った弁当を開ける。

 香の弁当と比べたら地味だが、これでもそれなりに手間をかけて作っている弁当だ。

 美味しくいただくとしよう。

「そうか。じゃあ俺は先に作業してるからな」

 香はそういうなり、部室にあるパソコンを操作し始めた。

 今日の作業というのは、桜についてのデータをまとめることである。

 この生物部では伝統的に、自分たちの住んでいる祭田(さいた)市の桜の開花日についてまとめたり、それを過去のデータと照らし合わせて考察したり、『細流(せせらぎ)高校桜通信』という壁新聞を作ったりしているのだ。

 僕も今日はこの作業を手伝わなければならないのだが。まあ、その前に昼食だ。

 そう思いながら僕は三食そぼろ弁当を食べ始める。

 食べながら僕は、そういえば香は僕と河勝さんが話していたことは知っていたみたいだけど、一緒に喫茶店に行くことまで知っていたのだろうか? とか。あるいは喫茶店のことを香に相談してみるべきだろうかなんて思ったのだが。

 食べ終えた頃には、でも河勝さんがソキウスかもしれないってことを伏せたまま喫茶店の話をしたりしても特に良いアドバイスはもらえないかと考えるようになり。

 結局この日一日、僕は香に河勝さんと喫茶店に行く件については話さなかったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ