第二章 その1
さて、一年の末に自分の好みかもしれない異性に遭遇した彩。
しかし、その後何かあったわけでもなく、二年生に進級してしまった。
そんな彼は何気なく友人・古部香とヒトではない人たちについて語るのだが。
第二章 その1
四月。始業式の前日。
暖かな日の光が差し込む生物室で、生物部に所属する僕は伊藤若冲の画集を眺め、同じく生物部の香は愛用の織部焼のカップで珈琲を楽しんでいた。
一見するとそれぞれ生物部の活動とは関係ないようなことをしているが。
僕は「文化芸術に見る動植物」をテーマに、香の方は「茶や珈琲が身体に及ぼす効能」をテーマにして研究しているのだ。
決して部活動をないがしろにして、くつろいでいるだけというわけではない。
などというと今度は難しそうなことを真面目に研究しているようにも思われそうだが。
それぞれあくまで趣味の延長としてそういったテーマを選んでいるので、別段難しいことをしているというわけでもないのだった。
さて、僕が画集を眺めているとそこに描かれた一匹の蛇がふと目にとまった。
――蛇か。
そういえば、保健室での件以来、僕はあの女子生徒、河勝さんを廊下とかで無意識のうちに探していたりするということに最近気がついたのだが。
これがどういうわけか、河勝さんは中々見つからないのだった。
もしかしたら正体がばれたという理由で長期欠席していたり、あるいは既に密かに転校したりしてしまっているのだろうか?
彼女がもし、本当にソキウスだったら多少興味があったのだが――
「……なあ、香?」
「なんだ?」
僕はテーブルの上にあった、エミール・ガレの作品が印刷されている栞を画集の読んでいたページに挟んでから香の方を見て、
「君は、ラミア属のソキウスについてどう思う?」
と訪ねた。
ちなみに当たり前のように僕が使っているソキウスという名称だが。
かつて彼らは、一般的な人間に対して亜人種と呼ばれていたりもした。
だが、亜人種の〈亜〉には「第二位」とか「主たるものに次ぐ地位」という意味があり、それに関してかつて人権団体が「ヒト以外の人をヒトより下と見なしている」と苦情を出したことがあり。
結果、亜人種に対してラテン語で「相棒・仲間」を現す「ソキウス」という呼び名がつけられたのである。
まあ、「亜人種」という名前は現在も学術的・法的には正式な名称であり、大抵の場合、使っても差別的だと非難されることはなく、ソキウスである本人達もそっちで自分たちを呼んでいる事さえあるとも聞いているのだが。
それでも万が一ということがあるので、僕は、亜人種のことを口に出して言うときはソキウスという言葉を使うようにしているのだ。
そもそもその「ソキウス」という名前だってよく考えれば「(ヒトから見た)相棒・仲間」であり、結局はヒトを中心とした通称なのだが……まあ、そのあたりの問題はお偉いさんとか有識者なんかに任せておこう。
さて。
僕に尋ねられた香は「ラミア属ねえ……これは俺の意見じゃあねえけど」と前置きをしてから、
「世間的には恐い人や、嫉妬深いヤツが多いと思われているだろうぜ」
と言った。
「恐くて、嫉妬深いねえ」
「だって神話や伝説に出てくる蛇って有名なのだとそういうヤツが多いしな」
「まあ、そうだね」
最近の学説によれば、神話や伝説に出てくる蛇というのはどうやら権力を持っていたラミア属の集団、あるいはラミア属の人間を指導者とした組織のことを比喩的に描いたものだという。
なのでそこに描かれている蛇が恐ろしかったり、嫉妬深かったりすればそれはそういう性質を持つラミア属の一団がいたというように考えることもできるのだ。
とはいえ、だからといっても一概に「神話や伝説に恐ろしい存在として描かれているから、実際に恐い集団でした」といえるわけではない。
「でも、ああいうのって神話や伝説を創った側に都合のいいように描かれているからね」
「ん……まあそうだけどよ」
「例えば、ギリシア神話に出てくるラミア属の由来となっているラミアーとか、あるいは髪の毛が蛇になっているメドゥーサなんておそらくは――」
「征服された一族や、彼らが信仰していた神なんかを貶めるために恐ろしい化物として描かれたってことだろ?」
「そういうこと」
僕は神話や伝説については美術史に必要ものを少し学んだことがある以外は、この国の多くの若者がそうであるように、漫画やアニメなんかから得た程度の知識しかない。
だが、それでも何か政治的な力が働いてそういう物語ができたのだろうということは容易に想像がつく。
日本の場合も、鬼とかは朝廷に逆らう地方の豪族がモチーフだったりしたというし。ギリシア神話の場合だってそういうのがあったとしてもおかしくはない。
たしか、ラミアーもメドゥーサも両方とも元はリビアかその辺りの女神だったとか、どこかで読んだ気もするし。それに、
「ラミアーもメドゥーサもそれぞれ女神の、嫉妬に近い怒りのせいで化物に変えられているわけで」
「むしろ被害者は化物扱いされている彼女たちの方ってことか」
「うん。そう考えると蛇っていうのは別に嫉妬深かったり、恐ろしかったりするわけじゃあないだろ?」
「ああ。確かにそうかもしれない」
香は頷いた後少し考えてから、
「だが、能楽作品にもなっている安珍・清姫伝説に出てくる清姫。あいつなんて蛇に化けてから安珍をしつこく追いかけて、最後には焼き殺しちゃうじゃないか」
と話題を日本の伝説に移してきた。
香が能に関しての知識を持っていることに僕は少し驚いたが、よく考えると前に僕がこの物語をモチーフにしたゲームを遊んだときに、香に話したんだったな。
まあ、話した僕がそのことを忘れかけていたのに、それを覚えている香の記憶力は結構すごい気もするけど。
しかし、清姫ねえ。
「あれは安珍が清姫を騙したのが悪い」
「そうか? 一目惚れしてしつこく迫った清姫の方が悪いと思うけど?」
「一目惚れした相手のために頑張るのが悪いのなら、人魚姫だって自業自得だって話になるじゃないか」
「ん? あれは自業自得だろ」
「いいや。人魚姫の間違っていたところは折角の長所である人魚って所を捨ててただのヒトになろうとしたところで――」
「いやいや。人魚姫も清姫も、一方的に惚れた上に無茶苦茶な行動に出ているわけで、現実の女で考えるとどっちも危ないヤツな気が――って、なんか話がずれてきたな。ラミア属の話題に戻すけど。いいか?」
「え? ……あ、ああ」
ここで話題を変えずに「同じ一目惚れを扱った物語でも蛇娘は恐ろしい話で、人魚は悲恋の話になるってのは考えてみると興味深いよね」と続けてみるのも悪くない気もしたが。
そうなると今度はアンデルセンの人生についてまで話題が広がっていってしまい収拾がつかなくなる可能性が高いと判断したので僕は香の提案にのる。
「ともかく。俺の意見じゃあないが、世間的にはラミア属は神話や伝説の影響で、恐いとか、嫉妬深いって偏見を持たれているってことだ」
「まあ、そういう面もあるよな……でも」
「でも?」
「蛇には生命や智恵のシンボルって側面もあるし、神秘的なイメージもあるだろ?」
そう。
世界各国、時代や地域が違えど蛇をそういった神秘的、あるいは神聖なものといった扱いをしている文化はかなり多いのだ。
ソキウスが一般世間に知られる前、蛇は強い生命力を持っていて、また脱皮が「再生」を連想させるため古代では神聖視されていたといわれていた。
だが、ソキウスが公になった現在では、古代には高度な技術・文化を持ったラミア属の一団がいたのではないかという説が一般的になっている。
そういった経緯を知っているかはさておき、香も蛇が神聖視されていたということは知っていたようで、
「確かに。ギリシア神話でアスクレピオスの持っている杖や、その娘ヒュギエイアが持っている杯はどっちも蛇が巻き付いているけど、それぞれ医学や薬学のシンボルになっているしな」
と即座に例を挙げてきた。
「ギリシア神話で蛇の巻き付いた杖といえばヘルメスの持つカドゥケウスもあるよ。あれは商業のシンボルだけどね」
香にあわせて僕の方もギリシア神話の例を挙げる。
「商業か。それはそれで頭が良さそうなイメージではあるな」
ちなみに、カドゥケウスとアスクレピオスの杖はどちらも蛇の巻き付いた杖なので、ごっちゃにされることがあるが、前者は二匹、後者は一匹の蛇が巻き付いた杖である。
まあ、それはともかく。
「自分の尾を飲み込んでいる蛇、ウロボロスは死と再生のイメージが強いけど、全知全能って意味もあるし。無限を現す記号『∞』はこのウロボロスが元であるという説もあるよね」
ただし、「∞」の由来についてはローマ数字が変形したという説の方が有力ではあるけれど。
「アステカのケツァルコアトルやマヤのククルカンは人類に文明を授けた神として描かれているな」
「エジプトでは王権のシンボルだったし、古代中国の神話では創造神は蛇の身体を持っているし」
「インドでも蛇の身体を持つ神のナーガは重要な存在だしな」
「神といえば日本も蛇は信仰の対象だったはずだよ」
他にもアフリカやアボリジニの神話に登場する虹蛇など、例を挙げればきりがないほど蛇が重要でかつ神聖な存在とされている例は多い。
これだけ世界中に蛇の伝説や神話が残っているのは古代のラミア属が、あちこちに移住していき、自分たちの技術や文化を広めたためだといわれている。
実際、現在ラミア属が多く住んでいる地域は、他のソキウスに比べるとかなり広範囲に広がっており、それはこの古代ラミア属が世界各地に移り住んだ名残といわれているのだ。
ここまで話して香は「なるほど、確かに」と納得した。だが、
「でも、智恵といえば聖書でイヴとアダムに知恵の実を食べさせたのは蛇だろう?」
と再び蛇が悪い者として描かれている例を挙げてきた。
「まあ、その辺りは色々と難しい問題なんだよね。そもそも何で知恵をつけるのが悪なのかって話になるし」
「知恵がつくと悪いことを考えたり、神を疑ったりするからじゃないか?」
「あるいは自分たちには制御できない技術を手に入れると、ろくなことにならないということを現しているのかもね」
もし、そうだとしたら知恵の実を食べるように勧めた蛇というのは、やはり高度な技術を持ったラミア属の比喩なのだろうか? そしてその技術によって何か問題が起きたとか……。
聖書の解釈については、これはこれで色々意見があるから中々難しい話になるな。
僕みたいな素人としては、神学者とかそういう専門に研究をしている人の意見を伺いたいところなのだが。
と、また話が逸れそうだ。
「まあ、聖書の話はともかく。神話や伝説上の蛇から考えるとラミア属って知的なイメージがあると思うんだけど」
「でも、賢いっていうのもまた偏見だろう? 別に実際のラミア属がみんな頭が良いってわけじゃねえだろうし」
「まあ……そうかもね」
とはいえ、噂だとラミア属の平均的な学力は、ヒトの平均を上回っているという話もある。
ただ、これは「ラミア属は伝統的に学問を重視するので結果、彼らの学力は高くなった」だけで「生まれつき頭が良いから学力が高くなった」というわけではない可能性が結構高いともされている。
まあ、そもそも単に学力の高い低いだけでは、頭が良いか悪いかなんて測れないところがあるからな。勉強できなくても賢いヤツはいるし。
そんなことを考えている僕に対して香は、
「大体、お前がラミア属に対して良いイメージ持っているのってソキウスの女以外に興味がねえからだろ?」
と、いきなり指摘してきた。
「え? いや、そんなことは……」
「お前って、普通の女子に興味ないからなあ。顔もいいし、結構モテるのに。うらやましい」
「いやいや、別に顔は普通だし、別にモテたりはしていないよ」
大体、香だって結構女子に人気で、その上彼女がいるわけで。別に僕のことをうらやましがる必要性はない気がするんだけど。
「嘘つけ。高校になってから三人ぐらいの女子に告られていたじゃねえか」
「あれは……たまたまだって」
「三人フってから女子の間でのお前の評価は『顔がいい男子』から『顔はいい男子』に格下げになったんだぜ? 一体、どんなフり方したんだよ」
「普通に、正直に話して断っただけだけど」
いや、確か「普通の女の子に興味はないんだ」とか言ったんだったかな?
もしかしてそれが誤解されて、楊貴妃も真っ青になるぐらいの美女とか、小遣いで旅客機を購入するレベルの大富豪とか、フェルマーの最終定理を幼稚園時代に理解した才女とか、そういう人としか付き合う気のない理想の高すぎる男子だと誤解されたのかもしれない。
っていうか。
「……何で女子の間での僕の評価なんて知っているの?」
「それぐらいは知っているさ。更にいえばお前の顔を女子は『息スッキリになるガムのCMに起用されそうなぐらいの爽やかイケメン』って評価していることもな」
「それ褒められているのかなあ?」
確かに、そういうCMに出演する人はイケメンが多いのだろうけれど、顔の善し悪しを表現するときに例えとして出されるのは微妙というか。何とも言えないというか。
「俺なんか『かけるだけで美味しい料理ができる、便利な調味料のCMに起用されそうなぐらいの男前』っていうポジションなんだぜ」
「一体、どこの女子がそんなわけの分からない評価をしているんだい? というか、男前って言われているからいいじゃないか」
「それはあれだ。単にからかっているだけ」
「……そうなのか?」
まあ、香が実際に男前かどうかはともかく。その例えは彼の料理の腕前を考えれば中々上手いことを言っているような気もしないでもないけれど。
「まあ、そんなことはどうでもいいとして……お前ってソキウスなら本当に女に興味あるわけ?」
「あるわけ……とは?」
「いや、実は異性には興味がないってことはないだろうな?」
「いやいや、残念ながらそうでないんだ」
「何が残念なのかわからんが……でも、どちらかと言えば男性的というか。そういうものに惹かれるところはあるんじゃねえの?」
「だから、無いってば」
「いや、これは内面とか文化的な意味で男性的なものを求めているというか。そういう感じの話だぜ?」
「んまあ……確かに。そう言われるとそうかもね」
古来から男性的とされていた「攻撃性」とか「戦闘能力」をソキウスは女性でもヒト以上に持っているわけで。
ソキウスに惹かれる自分は多かれ少なかれ、男性的要素を兼ね備えている女性が好みと言い換えることもできなくはないのかもしれない。
そういえば、性格的な好みでは、気が強かったり、活発だったり、積極的だったりする方が好きだしな。
などと、僕が考えていると。
「それに例えば蛇っていうのは心理学者のフロイトによれば男性のシンボルを現しているっていうじゃねえか。お前って確か、ソキウスの中でも特にラミア属が好きだっただろ?」
香はラミア属の、特に女性に向かって口にしたらセクハラにも取られそうなことを言った。
しかし今度はフロイトか。
ならば、こちらは、
「でも、フロイトの弟子だったユングは男の夢に出てくる蛇は女性だっていっていたよね?」
と返すしかあるまい。
いや、と、いうより僕の持っている知識ではそう言い返すことぐらいしかできないのだが。
「まあ、夢分析に関しては素人がかじった程度の知識で話しても胡散臭くなるだけだけどね」
「同感だ。怪しいオカルト的な話とごっちゃになりかねない」
いい加減な心理学の知識で、あれこれ考えても眉唾物の似非科学みたいになってしまうからな。
て、あれ?
いつの間にか僕の好みがどうかという話になっているな。
「……僕の好みの話じゃなくて、ラミア属の話をしていたんだけど」
「ん? だからそれは〈ラミア属だって人それぞれ〉ってことでまとめただろ?」
「じゃなくて。香はどう思っているかっていうこと。まだ聞いていないんだけど?」
そう。
最初に僕は香がラミア属に対してどう思っているのかと聞いたのだ。
ついつい世間一般の話題に内容がずれていってしまっていたが、僕が知りたいのは香としてはどうなのかということなのである。
「あ? ああ、俺か。俺は……」
訪ねられて香は、何か言い難そうな反応を示した。
これはラミア属に何か嫌な思い出があるとかそういうことなのだろうか? それとも逆に香もラミア属が好きだとか――
などと香の次の言葉が何なのかと僕が気にしていた。その時。
「くしゅん」
という可愛らしいくしゃみが、廊下の、それも生物室の入り口付近から聞こえた。
(続く)
さて、廊下から聞こえたくしゃみは一体何者のなのか。
それは……次回明らかに!! なるのでしょうか?