第一章
どういう訳か、ヒト以外の女性しか恋愛対象に出来ない男子高生・藤若彩。
そんな彼は一年生の学年末試験の終了後、廊下でとある女子と出会うのだが……。
第一章
早く家に帰って、可愛い彼女に巻き付かれたい。
地獄で仏を見つけるぐらいに難易度の高かった学年末試験を何とか切り抜けた僕は、そんなことを考えながら一人、学校の冷たい廊下を歩いていた。
ちなみに、今僕が考えていた「可愛い彼女」というのは現実の女性ではなく、男性向けの恋愛シミュレーションゲーム、いわゆるギャルゲーと呼ばれる作品に出てくるヒロインのことである。
そうでなければ普通、巻き付いてくれる彼女なんているはずがない。
そもそも普通の女性、いや人間は巻き付くなんて動作を取ることはできない。
そんなことができるのは、ヒトではない人達、ソキウスと呼ばれるものぐらいである。
かつて伝説や神話上の存在であった、ヒトではない人、ソキウス。
彼らが世界的にその存在を認められるようになり、法的にも存在を保証されるになってから既に二十八年が経過しているといっても。
また、この国ではそれ以前から文化的背景によりソキウスに対して寛容だったといっても。
まだまだ彼らに対しての偏見が多く残る世の中である。
当然、普通のヒトが通っている高校に所属するソキウスなんて、残念ながら好きな野菜にマコモダケを挙げる小学生ぐらいに少ない。
そんな数少ない女子と知り合い、かつ恋仲になる機会なんて更に少ないわけで。
結果、どういうわけかソキウスの女性にしか異性としての魅力を感じない僕は、ここまでの約一年間の高校生活、異性との付き合いなど皆無であった。
こんな僕が自身の青春にとって、寝坊した朝の時間的余裕ぐらいに足りない恋愛要素をギャルゲーで補っていたとしてもまあ、不自然ではあるまい。
世間には「ギャルゲー、しかもソキウスとの恋愛ものばかりやっているなんて気持ち悪い」という南極の空気並に冷たい視線もあるが、そんなことを気にする僕ではない。
さあて、さっさと家に帰って彼女とぬくぬくとした時間を楽しもう。ここ十日間、勉強ばかりで構ってあげられなかったからな、今日はとことんいちゃついて……。
などと思っている僕の目の前に。
一人の女子が現れた。
彼女……学年ごとに違うスリッパの色が赤であるところを見ると、僕と同じ一年生のようだが、顔を知らないから他クラスの生徒だろう。
目つきがちょっと鋭いが、全体としてみると中々可愛らしい顔をしている。
だが、その顔色はなんか悪そうだ。足取りも気のせいかふらふらとしているし……風邪でも引いているのだろうか?
少し見ただけで具合が悪そうだと分かるぐらいの体調なんだから今日は欠席していれば……ああ、試験だから無理して出てきているのか。
なんか心配だが……まあ、僕には関係ない。帰ろう。
――なんて、いうことができないのが僕である。
「君、大丈夫かい?」
とりあえず僕は女子生徒に近づいて声をかけた。
そして声をかけてから「しまった、余計なお節介だったか?」と気がついた。
何故なら、声をかけられた女子生徒は僕のことを「何? あんた?」とでも言いたげな、不審者を見るような目つきで見てきたからだ。
よく考えると具合が悪い生徒を見かけたとき、「声をかけなければ『冷たい人』と誤解されるかも」なんて思って、親切そうに声をかける生徒なんていうのはかなり少数派。
大抵の生徒は面倒ごとに巻き込まれたりしたくないし、病気の生徒だって自分で何とかするだろうと考えるので放っておくものである。怪しまれて当たり前だ。
とはいえ、もう声をかけてしまった以上、ここでなかったことにするのはよりいっそう怪しいだろう。仕方がない。ここはもう、このまま話を続けるしかない。
「いや、具合が悪そうに見えたから」
「だ……大丈夫よ」
「いや、心配なんだけど」
「べ、別に……平気だから」
「なんかふらふらしているし」
「へ、平気……だってば」
「もし良ければ保健室まで送っていくけど」
「放っておいて!」
いきなり、女子生徒は具合が悪いとは思えないぐらいに強い口調で僕の提案を拒否した。
突然のことに僕は驚いたが、これもよく考えると、見ず知らずの男子に保健室まで付き添われるのは、女子としては抵抗があるのかもしれない。
流石に保健室でよからぬことをなどという妄想は、さっきまでギャルゲーのことを考えていた僕だから頭に浮かぶチープなアイディアだとしても、女子にカッコつけるために保健室まで付き添う男子がいてもおかしくはないしな。
僕もそういう男の一人だと思われた可能性もある。
誤解は早めに解いておいた方がいいだろう。
「いや、別に下心があるわけじゃなくて、普通に心配だから――」
「あんたねえ。普通、そういうこと言ったらかえって警戒されるって分からないわけ?」
もっともな意見をいただいた。
どうも僕には会話をすると余計なことを言ったりしてしまう悪い癖があるようなのだが、今もそれが発動してしまったようだ。これはまずい。
「と、ともかく。君のことが心配だし、保健室、ここから近いし……ええと……」
こうなるともう、何を言っていいものか。
普段、特定の友人としかしゃべらない僕はそもそも会話が苦手だし、その上女子となると興味のある異性がいなかったこともあって今まで接点が少なかったので、どう対応して良いのか分からないのだ。
ど、どうしよう。
何か、言い訳……いや、いい方法? は……
などと僕が慌てていると、女子生徒は業を煮やしたのか、それもナンパな目的で近づいた男子ではないと判断しただけなのか、
「ああもう……話すだけ面倒くさい……保健室行くから……ついて来るなら来なさい……」
と僕が保健室へ付き添うことを許可した。
「ほら……早くして」
一緒に行くと決めたら今度は急かす女子生徒。
まあ、具合が悪いのにこんな寒い廊下にいつまでもいたくはないのだろう。
「あ、はい」
僕はそう返事をして女子生徒の後について保健室に向かった。
彼女の後ろを歩きながら途中で、「あれ? なんかこれだと僕の方が女子に保健室に連れて行かれているみたいじゃないか?」と気がついたのだが。
ここでそんなことを指摘してこの女子と揉めるとまた彼女に余計な時間を取らせてしまい、迷惑がかかると判断したので、黙っておくことにした。
☆ ☆ ☆
保健室に入り、一緒に来た女子生徒が、同学年の女子と勘違いしてしまいそうな見た目の保健の先生に、「なんか風邪気味で、少し楽になるまで横になりたいんですけど」と説明をし、ベッドの設置されているカーテンで仕切られた空間に入って行ってから約十分が経過した時。
僕は保健室で、先生の私物だと思われる、昔の週刊少年誌を眺めていた。
何故、女子生徒を送るという目的を果たした僕がまだ保健室にいるかといえば、それは保健の先生に「私はちょっと用事があるんで、その間に配布用の冊子の束が届いたら受け取っておいてくれる?」と留守番を頼まれ。
その時、先生に「待っている間そこにある漫画とか読んでいていいから」と言われて、いつから置いてあるのか分からない週刊少年誌数冊を示され。
そしてその中に、自分のお気に入りの漫画家の読み切り短編を見つけたからである。
ちなみに、冊子の束の方は先生が部屋から出て行ってから五分後ぐらいに到着し、既に受け取り済みなので、帰ろうと思えばもう帰れるのだが。
気に入った漫画家の作品を途中まで読んでいた僕は、ついついそのまま残って漫画を読み続けているというわけである。
しかし、この漫画。
登場する料理が美味しそうなんだよなあ。
以前、これに出てくるタコとトマトの料理を友人の香のヤツが再現してくれたけど、あれ、本当に美味しかったし。
……なんて考えていたら、なんかお腹が空いてきた。
よく考えるともう昼時。
例えこの漫画を読んでいなくてもお腹が空いて当たり前の時間か。
試験も終わって、時間的には余裕があるし。今日は久しぶりに香と喫茶店巡りでも――いや、あいつは今日遠距離恋愛中の彼女と会うとか言っていたな。
一人で外食っていうのも悪くはないけど……今日は家で軽くパスタか何か適当なものを作ることにしよう。
よし、そうと決まれば――帰るか。
僕は漫画を閉じ、置いてあった場所に戻してから、保健室を後にしようとして、そこで一応、さっきの女子には「もう帰る」と言った方がいいかな? と気がついた。
とはいえ、既にその女子は寝ているかもしれない。
だとしたら起こすようなことをしたら良くないし。
なんて考えながらベッドのある方を見ると、ベッドを囲むカーテンが中が覗ける程度に開いていることに気がついた。
うむ、これは閉めていってあげた方が親切というものだろう。
そう思って僕はベッドのある方へ向かい、カーテンに手を伸ばす。
そして、この場面だけ誰かに見られたらなんか女子が寝ているところを覗いている男子と誤解されそうだなんて思いながらカーテンを閉め……。
「ん?」
僕は思わず声を出してしまった。
何故ならそのカーテンの中、ちらりと見えたベッドに、明らかに普通ではないものが見えたからである。
その普通ではないものというのは、まず掛け布団の膨らみだ。
あれ、どう見てもヒトの身体ではありえないよな?
ぐねぐね曲がっているし。というか、大きさがまずあり得ないし。
正確な長さは分からないけど、伸ばしたら相当な長さがあるんじゃないか?
で、その上その長い身体の先端。
掛け布団からはみ出しているけど。
あれ、尻尾だよな? つやのある鱗で覆われた美しい模様のある尻尾だ。
うん。間違いない。
異様に長く、鱗で覆われた身体。
これはソキウスのうち、腰から下が蛇のようになっているラミア属の特徴だ。
ということは……さっきの女子生徒の正体はソキウスのラミア属だった……のか?
この学校にソキウスがいるなんて聞いたこともないけれど……もしかして単なる見間違いじゃあないのか?
それともあまりに僕がソキウスのことが好き過ぎたせいで自分に都合のいい幻覚を見るようになってしまったのか?
一流の手品師がマジックを失敗した場面を見たぐらいに信じられないものを見た気分になった自分は、女子の寝ているところを覗くなんて変態的だという常識を忘れてもう一度、カーテンの隙間からベッドの方を見る。
するとそこには。
普通に、ここまで一緒に来た女子が寝ていた。
「やっぱり。見間違いだったのか?」
とはいえ、大抵のソキウスは超科学的な方法でヒトに擬態する不思議な力を有しているので、女子生徒がヒトの姿に戻っただけという可能性もあるわけで。
そうなるとやっぱり彼女はソキウスなのか?
ううむ。もう一度確認――
「いやあ、遅くなっちゃった。悪い、悪い」
そのタイミングで、保健の先生が戻ってきた。
これでは流石にじろじろベッドの方を見るわけにはいかない。もう一度確認なんて当然できるわけがない。
というか、今のこの状況。ベッドの近くにいるっていうのも結構怪しまれる状況かもしれない。
「おう、藤若君……だっけ? 留守番ありがとう。もう帰ってもいいよ」
「ええと……」
どうやら先生はただベッドの側にいたというだけで、僕が中を覗いたなんて思ってはいないようだが、それでも女子が寝ている側に男子がうろうろしていたというのは、何か良からぬことを企てていたのではないかと怪しまれるかも――。
「ああ、河勝さんのことなら心配しないでいいって。たぶん少し寝たら普通に帰れるだろうし。無理そうならこっちで色々するからさ」
「河勝さん?」
「え? 君の連れてきたあの娘だよ」
保健室利用者の記録を見ながら不思議そうな顔をして、そう僕に教える先生。
ああ、そうか。
普通、見ず知らずの男子が女子の付き添いで保健室なんかには来ないから、僕のことを彼女の友人か何かだと誤解しているのか。
おそらくベッドの側に僕がいたのも友人を心配して側にいたぐらいにしか思っていないのだろう。
じゃあここは先生の誤解にあわせた方がすんなり帰れそうだな。
「あ、はい。先生、河勝さんのことよろしくお願いします」
「うん。任された」
「それじゃあ僕はこれで帰りますんで」
「おう、さよならー」
「はい、さようならー」
僕は先生に挨拶をして速やかに保健室から出る。
よし、特に不審がられずに済んだ。
とはいえ、これで彼女、河勝さんがソキウスなのか確かめるのは難しくなってしまったな。
本人に直接聞くという手もあるけれど、学校にソキウスの生徒がいるか、一応調べたことがある僕が知らなかったということは普段は正体を隠している可能性が高いわけで。
そうなると僕に正体を知られているというのは河勝さん的にはまずいということになる。
河勝さんが正体を隠している理由が不当な差別から逃れるためだったとすれば、最悪の場合、彼女は転校するかもしれない。
いや、それ以前に。
あの状況で正体を知ったとなればそれは彼女の寝ているところを覗いたと自白しているようなものになるし。
そうなると今度は僕の方が学校に居づらくなってしまう。
ううむ。
ここは何も見ていないということにしてこれからも普通に学校生活を送るのが無難か。
よし、そうすることにしよう。
玄関へ向かって廊下を進みながら、僕はそう決めた。
のだが。
自分の好みであるソキウスの女子が学校にいるかもしれないというのが気にならないわけもなく。
結果、僕は帰宅路を歩きながら「やっぱり正体を確認するべきか」とか「彼女の方から正体を打ち明けるようにするにはどうするべきか」などということを延々と考えてしまったり。
あるいは帰宅後、ソキウスの登場するギャルゲーをやっても、河勝さんのことが頭に浮かんでしまって集中できなかったのはいうまでもない。
そして、その河勝さんが気になるという状況はその後、一ヶ月以上続き。
結局、僕はそのまま二年生となってしまったのであった。
こうして、ヒトではない(かもしれない)女子・河勝隣と出会った彩だが。
しかし、その後しばらくは何の進展もなく……。