ごく普通な女子生徒
次の日、三時間目の体育の時間、外周を走るマラソンがあった。
「マラソンなんて面倒くせぇ…」
「ほら、くうちゃん始まるでぇ」
徹夜がそう言った途端に先生が始まりの合図をした。この瞬間が一番嫌いなんだよな、と空斗はいつも思っている。まだ夏の暑さが残っている学校の外周を三周するのは体育が苦手な空斗にとって地獄なのだ。走った途端に道路に落ちていた蝉の死体を踏んでしまった空斗は、苦い顔をして走り続けた。一周する前にどんどん抜かされていく…前方に目をやると、三つ編みの女子が走っているのが見えた。女子にも抜かされてしまうとは…さすがにやるせない気持ちになっている空斗…しかし、プライドのプの字もない空斗は既に諦めて、開き直っていた。どうせ速く走ったって後が続かなくなって、さらに抜かされてしまうことくらい身にしみるほど彼は知っている。
マイペースに走っていると、空斗を追い抜いて平岡が走っていく姿が目に入った。
(平岡さんも結構早いんだ…俺、ちょっと恥ずかしいな…)
切れで脳に酸素が行き渡っていない頭で空斗はそう思った。
結局、空斗のタイムは15分07秒であった。一方、同じ帰宅部のくせに徹夜は12分台で走っていた。さらに驚くことに、たまたま記録記入の時に見えたのだが平岡は14分35秒で走っていた。だが本当に驚いたのはそこでは無かった。
「今回のマラソンの平均タイムについて、女子15分28秒で男子は13分42秒でした。因みに、全体の平均は14分35秒でした。みなさんよく頑張りましたね」
平均14分35秒とは平岡のタイムとぴったり同じだったのだ。これは単なる偶然なのかと初めの頃、空斗はそう思っていた。
「くうちゃん、タイムなんだったん?ちなみに俺は12分01秒やった。あと少しで11秒台だったのに惜しいんだよな…悔しぃ」
息切れもせずに走り終わった徹夜がドカドカと近寄ってきた。
「俺がお前よりずっと後ろにいたことぐらい分かってんだろ」
「ん、まあ…」
「絶対にタイム教えねぇ」
空斗は自分の恥をわざわざさらすようなことは避ける主義である。
体育の授業が終わると、皆一斉に教室へ走り出した。次の授業が美術のため移動教室ということで、一刻も早く着替えなければいけないのだ。空斗と徹夜も急いで教室へ向かった。
今回の美術の授業内容は果物のデッサンであった。各テーブルに四人組を作って、テーブルの上の果物をデッサンする、という感じらしい。そして、空斗のテーブルには徹夜、桐林、そして平岡が座ることになった。因みに桐林智奈は学年トップの頭脳を持つインテリ女王である。腰まで伸ばした漆黒のストレートヘア、そして黒縁眼鏡の彼女は同じ人間とは思えない程、異彩を放っている。
「さあ皆さん、テーブルの上にある。フルーツを描いてちょうだい」
美術担当の大山先生は若干オカマ気味である。スキンヘッドで筋肉質な容姿を見ると、そのお姉系の言葉遣いに非常に違和感を覚える。
「くうちゃん、これ俺の大好物のバナナやでぇ」
デッサンが始まると隣に座っている徹夜が話しかけてきた。
「それがどうしたんだよ」
「バナナの美さだけは負けないでぇ…」
横から来る何とも言えないオーラを感じ取った空斗は返事はせずにそのまま絵を描き始めた。空斗達が描くことになった果物のサンプルは、バナナとリンゴ、ブドウ、そしてパイナップルであった。先生が予めセッティングしたサンプルはどれもバランスが取れていて、キャンバスの中に綺麗に収まった。
そして、空斗がまだ果物全体の輪郭だけしか描いていない段階の時、先生がある生徒の後ろに立って歓喜の声を上げた。
「素敵だわ。ビューティフルだわ。ナイスだわ。あなたはこんな短時間でここまで描けるなんて天才だわ。ほら、みんなこれ見てちょうだい」
先生がその場で生徒の絵を手に取ってみんなに見せた。その絵の作者は空斗の斜め前に座っている桐林であった。彼女の絵は既に立体的に描けていて、完成といっても差し支えない出来栄えであった。
「先生、その絵。未完成です」
桐林は澄ました顔でそう言うと、先生から絵を受け取って、スラスラと描き始めた。
「あら、ごめんなさいね。ワタシったら感動しちゃってつい…」
ふと、平岡の顔を見ると彼女は青ざめていた。きっと先生と桐林の温度差にドン引いているのであろう、と空斗は心の中で思った。というか、クラス全体が凍りついている気がした。
それから三十分が経ち、描き終わったものを見せ合う時間となった。
「くうちゃん、どうよこの俺の絵」
ドヤ顔で空斗に絵を見せる徹夜、その絵は空斗の予想道理の出来栄えであった。とっても黒かった…バナナだけが。
「お前、どんだけバナナに手を加えたんだよ。てか、他の果物の輪郭、薄すぎるだろ」
この時間のほとんどをバナナを描くことに当てていた彼の絵はバナナだけが真っ黒に塗りつぶされていた。他の果物は輪郭だけうっすらと描かれているだけであった。
「そうか?俺にしては良い出来栄えだと思ったんやけどな…」
溜息をつく徹夜は後回しにして、空斗は前に座っている二人の絵を見た。桐林の絵は言うまでもなく、素晴らしい出来栄えであった。もはや写真であった。
平岡の絵は、上手いと言えば上手い…まあそんな感じであった。ただ、隣に並べられている桐林の絵と見比べると…まぁ、とにかく普通な出来栄えであった。
平凡な日常がその後も続き、隣の席の平岡とも帰宅部同士で仲良くなった。そして数週間後、早くも中間テストが行われ、その結果が返却された。
「有川愛美、井上賢治、江田香織…」
先生が数学のテスト結果を配り始めた。はっきり言ってあんまりできなかったテストだったので空斗は既に開き直っていた。
「土屋空斗…」
テストの結果は案の定、赤い雨が沢山降っていた。要するに丸よりも斜線の方が多かった。
「ああ…」
空斗は隣の平岡に自分の点数が見られないように点数の部分を三回折って隠しておいた。
一方、平岡も点数を見えないように折っていた。しかし一回しか折っていなかったので左側にいる空斗にはその点数が丸見えであった。彼女は76点であった。
「へえ…平岡さんってまあまあ数学出来るんだね…」
え?と点数をいかにも見ました的発言をする空斗をギョッとした顔で見る平岡に、空斗は覗き見はさすがに失礼かな、と思った。
「いっいや…見えちゃって…そういうのはふたつ折り以上にしないと、ね」
平岡は溜息をついて、
「全く…もう見ないでよ」
と釘を指した。なんか、彼女の顔は物凄い形相だった。
テストを全部配り終わった先生は黒板に今回のテストの平均点を書き始めた。
「ええ、今回の平均点はぴったり整数で出ました。それでトップは今回も桐林さんです」
黒板に書かれた数字はAve76、Top98であった。そして空斗の予想していた通り、今回の試験でも桐林智奈が一番であった。桐林の方を見ると相変わらず澄ました顔をしている。
「平均点ぴったりとか、お前すごいな」
小さな声で平岡に言うと、彼女は少し困った顔をして、
「偶然だよ」
と言った。