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04. 靴下と一時の恥(2)

 翌日。靴下フェチ化は逃れられたし、空は快晴だし、隣には美人モデルの倉林さんがいるという状況なのに、僕はどんより気分の登校を果たしていた。

 川妻英里が狭山ハイツに現れなかったからだ。昨日一昨日のように倉林さんを迎えに来ること想定して、僕は土下座のウォーミングアップまでしていたのに。どれだけ口汚く罵られても耐えられるように、サリーに小一時間僕を毒づかせたりまでしたのに。

 怖い。僕がしたことが変態的発言だけならまだいい。僕は川妻が作ってくれたプレゼントをめったくそに言って切り捨てたのだ。殺されても文句は言えない。

「何してるんですか魚崎さん?」

「ちょっとね。倉林さんは先いってていいよ……あ」

 あった。

 下駄箱横の不燃ごみボックスにその紙袋はまだあった。中身もちゃんとある。よし。半殺しくらいで済むかもしれないという光明が見えてきた。

 紙袋を抱えて階段を上り教室へ。おそるおそるドアを開け、中を見回すが、川妻の姿は見えない。まだ来てないようだ。

「あ。くそド変態だ」

 入室早々声を掛けてきたのは意外にも射水泉だった。

「お前な。朝の挨拶はおはようって言うんだ。常識だぞ」

「靴下フェチのド変態に常識を説かれたくないっ」

「僕こそあんなボロ靴下に話しかけてるやつに変態扱いされたくないね」

「なんだとっ。私のことは何と言ってくれてもいいが、ソコちゃんとポコちゃんを悪く言うのは許さないぞ。変態はどう考えてもお前の方だ。この靴下魔神めっ。お母さんの靴下まで取ろうとしたらしいじゃないかっ」

「僕のことは何と言ってくれてもいいけど、君のお母さんの靴下を悪く言うのは許さないよ」

「変態だーっ」

 しまった。せっかく軽度の靴下好きで済んだというのに、こんな風にそれを主張していては意味が無い。しかし、幸いにも今のやりとりは誰にも聞かれてなさそうだ。

 僕はこれ以上墓穴を掘らないためにも射水との会話はそこで打ち切った。席に着こうとすると射水が追いかけてくる。

「魚崎っ。ちょ待てよっ」

 月9の帝王みたいな呼び止めだな。こいつ、まだ僕を変態扱いしたりないのだろうか?

「……お、おはよう」

 射水は伏し目がちに、ボソリと、僕に挨拶をした。

 へーと思った。

 射水泉は常に周囲には威嚇するみたいな視線を送って、口を開けば敵愾心をそのまま吐き出すような女だ。攻撃的で他を制する川妻とはまた違った、己を守る刺々しさ。そんな性質をイメージしていたものだから、僕は射水のその柔和なおはように、新鮮さと可笑しさを感じた。

「うん。おはよう」

 僕は笑いを堪えて席に着いた。



 さてラスボス。川妻英里のことだが、始業開始のベルが鳴っても教室に姿を現さなかった。

僕の見解では、これはいわゆる『溜め』だ。一ターン犠牲にすることでバイオレンス濃度を高め、二限開始前に爆発——すなわち僕をボコる気だ!

 毒モの二つ名があるせいで悪口雑言ばかりに目がいきがちだが、川妻英里は身体能力にも瞠目すべきものがある。夕べ芦田を追いかけていたときだって、僕を軽々と追い抜き、あまつさえ走っている人間の背中にドロップキックを決めてみせたのだ。まともに相対しては僕に勝機などない。

 ならば先手必勝。川妻が教室に現れたらすぐに土下座だ。あの鬼とて無抵抗の人間を殺めることはしないはず。とにかく、あの教室の前ドアから目を離さない。あのドアが開いたらすぐに……

「魚崎くん」

 ……?

「ちょっと屋上まで、来てくれるかな?」

 首の後ろにひんやりとした感触。ナイフの刀身かと思ったけど違う。ただの視線だ。鋭く研がれた氷柱のような視線。後ろのドアから入ったのかな?

 振り返れば——やつがいる。



「申し訳ございませんでしたああああああああああああああ!」

 屋上の薄汚い床の上。僕は思いきり膝と手をつき、額を擦りつけて謝意を示した。何のレスポンスも無いまま十秒、二十秒と沈黙が流れていく。

 こわごわ顔を上げると、川妻はクールな表情のままジッと僕を見下げていた。びゅんびゅん吹き抜ける春風で長い髪の毛がトリートメントのCMみたいにぶわりと揺れている。

「こ、この通り川妻のプレゼントならちゃんと受け取った。昨日は色々言っちゃったけど、こんな素敵な靴下を貰えてすごく嬉しいと思ってる。や、ほんとに」

 全力で浮かべる媚笑いにも、返ってくるのは無表情のみ。

「魚崎くんってさ。靴下フェチなんだよね?」

「……あの……なんといいいますか、はい。多少、愛好させてもらってます」

「女物で、手触りのいいふんわりふわふわ靴下」

「はい」

 そういえばそんなこと言ったな。寝言で恥ずかしいこと喋ったのを後から思い出してるみたいな気分だ。状況的にはそんなの比じゃないけど。

「どうして……どうして言ってくれなかったの」

「……え」

 靴下フェチであるということを?

「……言っておいた方がよかったの?」

 川妻が顔を歪ませる。いつものごとく怒っているようにも見えるが、なんだか瞳は悲しげに揺れていて、まるで今にも泣き出しそうにも見えて、僕は困惑する。

「当たり前じゃん!」

 クラスを統べるあたしには男子のフェチ属性を把握・管理する責務がある、とでも言い出すかと思うくらいすっぱりと、当然のように、川妻は確言する。

 そう言われても僕が靴下フェチになったのは昨日だし、そうでなくても申告しておかなくてはならない理由がわからなすぎる。

「これ覚えてる?」

 川妻が手にしているのは手製のペンケースだ。見覚えがある。確か一年生の頃、一度だけ僕は川妻と隣の席になったことがあって、そのとき僕は何を血迷ったかそのペンケースを、

「かわいい、って言ってくれたよね」

「い、いやあれは……」

 この氷の毒舌女王の私物に対してかわいいだなんて、ピカソに正統派だねとか言うのと同じだ。その場でぶん殴られるようなことは無かったけど、まさかまだ川妻は根に持って……

「嬉しかった。あたし雑貨デザイナー目指してたから。自分の作ったものに初めて自信が持てたっていうか。魚崎くんのおかげで、あたしは夢を追う決意ができたんだ。毎日何かデザインして、作って、アパレル業界のコネ狙って読モになったり、なんていうか、必死になることができた。だからあたしは、わがままかもしれないけど……もっと魚崎くんに褒めてもらいたいの! あたしの力になってほしいの! そういうわけで、好みがあれば教えてほしかった」

「そ、そういう理由が……」

 それでやたらと僕に手作りグッズを見せびらかしていたのか。川妻のデザインセンスや作る腕は誰の目から見てもきっと凄いし、僕の評価に固執する理由もよくわからないが、とりあえず怒っているわけではないみたいだ。

「そういえば、昨日あたしが履いてた靴下もかわいいって言ってくれたよね。これ、どうかな。今日履いてる靴下」

「えぇっ」

 もう靴下イベントは終わったはずだろ! なんだこの展開は!

 僕はもうこれ以上靴下を好きにはならない。なってはいけない。芦田みたいな人間になるのはごめんなんだ。

「ねえ。かわいい? かわいいかな?」

「か、かわいいよ。うん。だから、あんまり僕の顔に近づけない方がいいよ」

「ふふふ」

 川妻が笑った。それはいつも教室で見る冷酷で冷徹な笑みではない。純粋で純朴で、零れ出るように顔に現れた、笑顔だ。

 昨日の僕の変態的衝動、プラスそれに付随する日曜からの一連の靴下騒動に巻き込まれた三人の女の子たちから、なぜかこれで、もれなく笑顔が見れた。

 ——しかし、おかしなものだな魚崎ぃ——

 本当にそうだと思った。

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