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04. 靴下と一時の恥(1)

 光の中、天使に手を差し伸べられる。

 そんな神秘的でロマンチックな素敵状況を体験していながら、僕はこれっぽっちも幸せを感じていなかった。白色の蛍光灯をバックににゅるりと現れた顔はただのサリー・シェリンガムだし、伸べられた手を掴んで上半身を起こしていると、徐々に自分の置かれている状況がぼんやり思い出せてきたからだ。顔の筋肉がひとりでに渋面を形成していく。

「……おいサリー。ここはどこだ」

「白井百貨店の七階だ」

「なぜ僕は白井百貨店の七階にいる」

「そこのウェイトレスの靴下が好みだったからじゃないのか?」

「う……」

「う?」

「……うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 僕は百貨店を縦横無尽に走りまくった。

 おぼろげに思い出せてきたことが恐らくはすべて現実だった。僕は倉林さんに靴下で叩かれた後、彼女の靴下目当てに部屋の中へ侵入し、芦田とかいう男と出くわして、追いかけて、川妻英里にヒかれて、射水泉にヒかれて、射水の母親にまでヒかれて、そして……やってはならないことをしかけた。

「わああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 階段を降りまくって、降りる階段がなくなって、気付くと僕は1階のファミレスに入って座り込んでいた。テーブルにぐでっと倒れ込む。

 動けないなら置物のようにもなれたが、僕はぜえぜえと呼吸をしている。まるで装置だ。酸素を吸って悲壮感を出す装置。しばらくして、そんな僕にも店員さんは笑顔でメニューを持ってきた。金、無いのに。

「あ。いたいた」

 のこのこ追ってきたサリー・シェリンガムの顔に悲壮感を吹きつける。ふーっ。

「わ! なんだやめろ!」

「……僕はいま傷心中なんだよ。何しにきた」

「何しにって、もちろん魚崎の監視だ。靴下フェチの衝動こそ刈り取ったが、魚崎が食べた種はまだまだある。いつ発現するかわからぬのだから、常に近くにおらねば!」

 サリーは向かいに座って偉そうに反っくり返る。例の大鎌はまた縮ませてポケットにでも入れてるのか見当たらない。

「やっぱり僕は靴下フェチ化していたのか」

「うむ。今しがた刈ってやったろう。まさか同じフェチ属性の衝動を同じ場所で刈ることになるとは思わなかったがな」

「……は?」

「靴下フェチ化の衝動を元々持っていた人間のことだ。つい先月、この辺りをパトロールしていたときに見つけて刈ってやったのだ。やはり生まれる衝動が同じであれば、そこに辿りつくフェチ属性も自然と似通ってくるということなのか。あのレストランの制服は今後も要チェックだな」

「へー。確かにあの制服の靴下はめちゃくちゃ可愛かったなあ……はっ!」

「もう立派な変態だなぁ魚崎ぃ」

「うるせえ! ぬわああああああああああああああああ!」

 衝動こそ消え去ったが、気持ちは残ったままだ。僕はあの靴下が愛おしい。

「僕はこれから変態として生きていかないといけないのか……死にたい……」

「まあそうしょぼくれるな。変態なんてーのは世の中うじゃうじゃいるんだし」

「いねーよそんなに」

「いや、いる。あたしは変態性欲狩り特殊課フェチ狩りの天使サリーだぞ? おかしなフェチを持った人間なんて腐るほど見てきたし、だからこそこの仕事をずっと続けているわけだ。貴様ら人間が『健全』とのたまっている性欲対象の線引きなど、所詮はあたしたち天使が作っているに過ぎない。魚崎が思っているほど魚崎は異常な人間ではないから安心しろ」

「安心しろって言われてもな……」

 別に不安に思っているわけじゃない。ただ、それまで慣れ親しんだストライクゾーンの正方形がぐにゃりと捻じ曲がってしまったわけで。言ってみれば、僕は失ってしまった正常な自分を愛惜しているのだ。

 なぜかほくほく顔のサリーがメニューを広げている。

「おいサリー。金なら無いぞ。自分で出せよ」

「大丈夫だ。臨時収入が入ったからな。おーい! そこの兄ちゃんカルボナーラ一つぅ!」

「声がでけぇよ! そこに呼び出しボタンあるだろ!」

「まどろっこしいじゃないか。あっ、それと兄ちゃん水きてないよ水! え? セルフ? 水セルフってどういうことだぁ! それでもサービス業かよぉ!」

「僕が取ってくるから静かにしてろ!」

 天使のくせして細かいことにうるさい奴だ。

 ドリンクバースペースに水を取りに行く。注ぎ終えたところでポケットのケータイが震えていることに気づいた。知らない番号からの電話だ。

『もしもし。魚崎さんですか?』

「はい……もしかして倉林さん?」

『そうですー。勝手ながらエリーから番号教えてもらいました。その……私をストーキングしていた男を見つけて追いかけてくださったと聞いてます。ありがとうございました。もう本当に魚崎さんには感謝してもしきれないくらいで』

「い、いやあ、そんな」

 追いかけたのは靴下のためだったし、倉林さんの家に侵入した経緯もある手前、素直にその感謝を受け止められない。どうする……白状した方がいいかな。

『それで犯人はどうなりました?』

「ああ、うん。ちょっと取り逃しちゃったんだけど、自宅は突き止めたから警察に電話すればすぐに動いてくれるんじゃないかな。……あのさ、倉林さん」

『なんですか?』

「…………いや、なんでもない」

 言えない。あなたの家に侵入して綿混ニーハイソックスでモフモフしようとしたことが、犯人の発見に繋がったなんて言えない……。

「ごめんなさい倉林さん」

『え? 何が——』

 通話を切る。悪気は無いのでどうかこれで許してください。

 僕はテーブルへ戻った。水を渡すと、サリーはがぶがぶとそれを飲み始める。

「そういえばサリー。さっき臨時収入って言ってたのは何のことだ?」

「魚崎が一緒に連れていた男がいただろう? あの男も緊急で刈らねばならぬほどの衝動こそ無かったが、邪なエネルギーに満ちていたので一応刈っておいたのだ。すると許してくれーって喚き散らされてな。既にいくつかの悪さをしていて、その後悔が湧きあがってきたのだろう。あたしにお金を差し出してきてな。千円だけ貰っといたのだ」

「貰うのかよ。ひどい天使だな」

「人間が身銭を削って懺悔をしようとしているのだぞ? その気持ちを無碍にしては天使サリーの名が廃るというものだ」

 そのあどけない笑顔からは『お小遣い貰えてラッキー!』くらいの感情しか見えないが。

「これだけの人がいる中であのデカい鎌振り回してて大丈夫なのか?」

「うむ。天白鎌は天使を知る者と、刃を向けられた者にしか知覚できんのでな。カルボナーラまだかなー」

 サリーは箸でカトラリーケースをチャンチャンと叩きはじめる。行儀の悪い天使だ。しかもパスタを箸で食う気らしい。どこまで日本慣れしてやがる。

 それにしても、あの男……芦田の衝動も消え失せたというのは朗報だ。これで僕も芦田も倉林さんをこれ以上苦しめることはないわけだ。しかし……

「サリー。一つ訊くが、その千円をくれた男は昨日うちの学校で盗難事件を起こした犯人なんだが……どうして気づかなかった? 近くに衝動を爆発させようとしている人間がいたらわかるんじゃなかったのか? ましてやあいつは校舎裏で僕たちが話していたときに横を通り過ぎていったんだぜ」

 厳密には通り過ぎていったのは犯行後だから衝動は既に消沈していたのかもしれないが、だからといってノーリアクションでは、こいつの言ってることが信じがたくなってくる。

「ばかもん。気づいていたにきまってるだろうが」

「何だと? じゃあどうして未然に防がなかったんだ。そのためにお前は——」

「気づいていたが、見逃したのだ。あたしは変態性欲狩り特殊課フェチ狩りの天使サリーだが、人間界の犯罪や悪を根絶やしにすることが使命ではない。体育覗きや更衣室の靴下窃盗などの些事をいちいち刈っていては、大局的に見て人間界や人間のためにならぬのでな。衝動が矮小であったり軽度であったりすれば、最後までその者の理性を信じてやるのがあたし達の親心というものなのだ。だから言ったろう? あの男の衝動は緊急で刈り取らねばならぬほどのものではなかったが、一応刈ったと。魚崎のことだって一度は見逃したじゃないか。しおじんの部屋に侵入を試みる魚崎を、あたしはジッと静観していた」

 うんうんと頷くサリー。

 いやいやいやいやいや!

「お前いたのかよあの現場に!」

「うむ。貴様が針金を手にニヤニヤ家を出てきたところからはずっと傍におったぞ」

「止めろよ!」

「まあ今思うとそうだったなー。魚崎の場合は既にぱんぱんに膨れ上がった衝動をいきなり得てしまったわけだから、理性でコントロールしろというのは無理な話だった」

「そんな、あっけらかんと……」

 項垂れているとカルボナーラが運ばれてきた。

 サリーは「ごくろー」とそれをふんだくって早速がっつきながら続ける。

「もぐもぐ……まーそういうわけで多少の衝動は見逃していたわけだ。正直なところ、魚崎に関しては《天命の種》を消化した者がどんな風に衝動を芽生えさせるのかってのを観察するためにとりあえず放っておいた感じだがな。わははは」

「この野郎……」

 僕の人生を何だと思ってるんだこいつは。

 さっきから聞いていると、どうもこの天使はフェチ属性や変態行動の一つや二つを何でもないことのように考えている節がある。たった一度の過ちがその後の人間関係をどう変えてしまうのかをちっともわかっちゃいない感じだ。

「ああ……どうすんだよ。川妻にも射水にも気持ち悪いとこ見られちゃったじゃねえか。学校で広められたりでもしたら、靴下マスター魚崎とか呼ばれちゃうよきっと」

「ゴールドマン・ソックス魚崎ってのはどうだ?」

「まあまあカッコいいけど別にあだ名の候補を募ってるわけじゃねえんだよ」

「あだ名はカッコいいに越したことないではないか」

 サリーはちゅるちゅると美味しそうに麺を吸い上げる。口の周りが油でベタベタだ。普段はやたら陳ねこびてるくせに、こういう姿だけはやたら見かけ相応に子どもっぽい。

 はあ。にしても本当にどうする僕。

「魚崎さーん!」

 とりあえず川妻と射水には明日の朝にでも何かしらの言い訳をしておかないと。しかし、弁舌爽やかに変態的発言をしたことを一体どう弁解すればいい。無理すぎる。

「魚崎さんってば!」

「……は? えっ! なんでここに?」

 ファミレスと通路を隔てる磨りガラス塀の上から倉林汐路が顔を覗かせていた。

「サリーちゃんもこんばんは。そっち行っていいですか?」

「んぐ……もちろんだしおじん!」

 ブラウスの襟元をひらひらと揺らしながらぐるりと回って、さすがモデルといった感じの歩き姿でテーブルまでやってくる。倉林さんはサリーの隣に腰かけた。

「それおいしそうね、サリーちゃん」

「うむ。やらんぞ」

 別に倉林さんは物欲しそうな顔などしていない。完璧な笑顔に隙の無いメイク。むしろいつもよりいっそうモデルっぽい。

「それで、なんでここに?」

「ふふ。電話口でこれ、聞こえたんですよ。撮影現場から近かったので、もしかしたらと思って覗いてみたんです」

「ああ。そういうこと……」

 白井百貨店のテーマソングはそこら中のスピーカーから流れている。

「魚崎さん。エリーからどのくらい話を聞いてるのかわかりませんが、この度のこと、本当にありがとうございました。それと、ご迷惑をおかけしてごめんなさい」

「う、うん」

 倉林さんこそ川妻からどのくらい話を聞いてるのか……。

「それで、どうして私をストーカーしていた男のこと知ってらっしゃったんですか?」

「あー……その、知ってたわけじゃないんだけど、倉林さんの部屋に窓から侵入してる男を偶然にも見つけちゃって、それから後を追って僕も部屋に」

 自分でも驚くほど口からぺらぺらと嘘が出る。

「そうだったんですか」

 倉林さんは目を逸らした。いつも快活な彼女が少しだけ、本当に少しだけだけど、悔しそうな表情を見せた気がした。

「倉林さんはなんで、あんなボロアパートに越してきたの? 売れっ子モデルでお金が無いようには見えないし、ストーカーから逃げてたなら尚更セキュリティのしっかりしたとこに行くべきだったと思うんだけど」

「そうですね……でも、私はモデルなので」

「? いや、だからモデルだからこそ、ちゃんとした部屋に」

「ファッションモデルは、常に見てくれる人をファッションによって魅了し続けなくちゃいけないんです。それはたとえ私服のときでも」

 ニコッと微笑みを向けた拍子にイヤリングが揺らぐ。透け感のある水色ブラウス、その下に見えるキャミソール、ネイビー色のフレアスカート、袖口から覗くバングルに至るまで、素人の僕から見ても確かに隙の無いおしゃれさだ。加えてこの可憐さなのだから、世のガーリッシュな悩みを抱える女子たちはそりゃあ魅了されるだろう。

「良い部屋に住んだせいでファッションで妥協なんて、かっこ悪いじゃないですか。ましてや一人のストーカーが原因でなんて。沽券に関わるっていうんですかね? そんな感じで」

 倉林さんはハハハ、とわざとらしく笑って見せた。

 要はお金のほとんどは服飾関係に割きたいから、家賃は抑えたということか。狭山ハイツの庭に山積した荷入れのダンボールを思い出すとなるほどと思える。

「そういえば魚崎さん。電話口の『ごめんなさい』って、何のことですか?」

「あ、あーあれね。犯人取り逃がしちゃってごめん的な?」

 僕の方もわざとらしく笑ってごまかしてみる。うまいことごまかされてくれたのか倉林さんは納得するような表情を浮かべたが、その顔はサリーの唐突な言葉によって、驚きの表情に上書きされた。

「しおじんよ。そいつなら七階の喫茶店で多分まだ黄昏れておるぞ」



 喫茶店の椅子に腰かけ背もたれ一杯に上体を預けた状態でぽかんと口を開けたまま呆けている芦田は、なんだか餌を待つ痩せたオットセイのようだった。倉林さんはそこから四メートルほどの距離、喫茶店の出入り口付近で、かれこれ五分近くそわそわしている。

 僕とサリーはそれをエレベーターホールのベンチから眺めている。

「なんだこの状況は」

「まあまあ、見守ってやろうじゃないか」

 仕返しがしたいと言い出したのは倉林さんだ。

 それを聞いたときは、彼女にしては珍しい沸き立つような怒気が見えたこともあり、どんな修羅場になるやらと心配した。いつでも止めに入れるようにとこうして傍で待機もしている。が、先ほどまでの怒りの焔はどこへやら、倉林さんは時折ちらちらと芦田を盗み見てはささっと柱に身を隠すのリピート状態である。

「わかったぞ魚崎ぃ。しおじんのあれは、必殺ストーキング返しだ」

「地味! 仕返しが地味!」

 しかもそれ芦田からするときっと大喜びだ。本人気づいてないが。

「ストーカー目の前にするとあんなに怖がるくせに、よくあのしょぼセキュリティの狭山ハイツを選んだなぁほんと。そこまでしてファッションにこだわるもんかね」

「ふふ、わかってないな魚崎ぃ。多くの内科医が本来は白衣を着る必要が無いのを知っているか? だが彼らはたいてい白衣姿をしている。それは患者を安心させるためなんだ。白衣は医者の象徴。白衣を見て、患者は医者を意識する。モデルだってきっと同じだ。しおじんはおしゃれであり続けることで、世の女子たちを安心させているんだ!」

「僕は黒ジャージしか着ない天使に不安にさせられっぱなしなんだが」

「このジャージはもはやあたしのアイデンティティだろう」

「まあ確かに……あ」

 倉林さんがついに動き出した。くノ一のごとき足捌きで喫茶店に入り込むと、ウェイトレスにも気づかれぬうちに空きテーブルに着く。そこは芦田の真正面だったが、奴は虚ろに天井を仰いだままで彼女に気づく様子はない。

「よーししおじん。ジョーががら空きだ! いけ!」

「ノーガード相手にアッパーかますほど鬼畜じゃないと思うけど……」

 倉林さんは息を整えるように胸に手を当てた後、おもむろに右腕を横に伸ばし肘をピンと張って、大きくスイングし始めた。……え? ラリアット? ラリアットで行く気?

「しおじんの細腕では振り抜くのは厳しいな。ラリアットではなく、ここは標的までの距離を活かしてクローズライン・フロム・ヘルの方が」

 またうちの天使がなんか言い出した。

「ここは思い切ってエルボー・スマッシュでもいいな」

「いや死ぬって」

 僕らが固唾を呑んで見守る中、仕返しはいよいよ始まろうとしていた。倉林さんは決意の表情でそっと立ちあがる。そして腕を伸ばしたまま一歩一歩と間合いを詰めていき、狙いの喉元まであと1メートルと迫ったところで、

 ぐりん——と、芦田の首が前に向き直った。

 気づかれた!

「きゃああああああああああああああああああああ!」

「ぶへっ」

 結局、ビンタだった。しかし強烈なビンタ。

 悲鳴と快音は恐らく七階フロア全域に響き渡っただろう。そこここで客や店員が何事かと喫茶店に注意を向けている。僕も芦田の苦悶顔が面白くてしばらくそれを眺めていた。

「しかし、おかしなものだな魚崎ぃ」

「何がだ」

「この状況が、だ。魚崎は大量の靴下が届けられたあの時から、靴下フェチの衝動を獲得する運命に導かれてきた。運命の羅針に沿って進もうとせぬ魚崎の抵抗によって、周囲の環境もいささか捻じ曲げられてきただろう」

「……」

「だが、どうだ。誤配や洗濯ハンガーの落下なんかを始めとする靴下イベントを引き起こしたしおじんは、結果的に魚崎の靴下フェチ化が原因で救われた。知ることすらなかったしおじんの抱える問題を、魚崎は運命の力で強引に手繰り寄せ、解決までしてしまったわけだ」

「ただの偶然じゃねえか」

「どうだかな。よくよく考えれば、あの猫っぽい小娘だってそうだ。あやつの靴下が盗まれたという事象は、魚崎の生み出した運命が原因やもしれん。だが」

「結果的に靴下は戻ってきたからOKってか?」

「……貴様は何もわかっとらんな魚崎。あの小娘は古ぼけた靴下人形なんかより、ずっと大切なものを手に入れたのだ。あやつの母親は、それがよくわかっているようだったぞ」

「なんだそれ?」

「『と』から始まる人間には欠かせないものだ」

「と? ……ああ」

 なるほど『倒錯者』か。あの母娘には通報されてもおかしくないレベルの発言しかしてなかったからな。当然といえば当然だ。けど倒錯者はぜんぜん欠かせるな。むしろ身近にはいてほしくないな。どういうことだ?

「ま、そういうわけでおかしいと言ったのだ」

「どう考えたってやっぱり偶然だけどな」

「そうかもしれん。だけどな。天は基本的に人間に優しい。魚崎のそうした理性的行動が生んだハッピーエンドが、この温情を引き入れたのかもしれんぞ?」

「僕の理性的行動?」

「ああそうだ。ストーカー犯に汚されて大して興味がなくなったにも関わらず、その靴下を奪い返すために犯人を追ったり、泣き崩れる小娘をわざわざ自宅までおぶったり、とても衝動に身を支配された人間の行動とは思えなかったぞ」

 ……こいつ、ほんとに間近にいたのな。

「天はそういった誠意をちゃんと見てくれている。だからこそ、魚崎は靴下だけに固執するような本当の変態にはならずに済んだのではないか?」

「え? ……あ」

 今気づいた。僕は……

 僕は靴下フェチじゃない?

 いや、好きは好きだ。ただ、そこまでじゃないっていうか、イメージしていたほどの意識の変化は無いような。

 ——フェチは時として性欲の対象そのものだからな。晴れて靴下フェチになってからは、魚崎は靴下以外に興奮することは無くなる可能性が高い——

 サリーは確かそう言っていた。だが僕は、ファミレスに現れた倉林さんの格好を見て素直におしゃれで可愛いと思ったし、いま喫茶店を飛び出して胸を押さえて息をついている彼女の少し満足げな笑顔も、とても可憐だと思う。

 僕は……完全な靴下フェチにならずに済んだんだ!

「っしゃああああああああああああ!」

「うるさいぞ魚崎」

 エレベーターホールで小躍りしていると倉林さんが駆け寄ってくる。僕に負けず劣らずの嬉々とした表情だ。僕らは謎のハイタッチをかました。いぇーい。

「本当にありがとうございました! 魚崎さん!」

 ビンタをしたのは彼女自身だし、僕は芦田を追いかけ回しただけだ。けどサリーの言う通り、それがこの笑顔に結びついたということであれば、この一連の靴下をめぐる事件にも良い意味があったのだと、思えなくもない。射水だって悪態をつきながらも、最後は笑ってくれていたような気もするし、なんとかこれで一件落着ということにしておこう!

 ……でも、なんか一つ忘れているような。

「そういえば魚崎さん。今回の件を聞いたとき、電話口のエリーがすごく悲しそうだったんですけど、何か知りませんか?」

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