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01. 靴下と四日の運命(1)

 黒。白。赤。チャコールグレー。青と白のストライプ。

 ダンボールには色とりどりのそれら、世界中に普及していると言っても過言ではない足を覆うための袋状の布製品——靴下が詰め込まれている。

 もちろん、僕は靴下はすばらしい商品であると思っている。

 保温、汗の吸収、皮膚の保護と様々な仕事を一手に担ってくれる、ある種のユーティリティプレーヤーだ。僕もご多分に漏れず毎日お世話になっている。今だって履いている。

 だけどだからといって、日曜の朝っぱらから大量に送りつけられて喜べるものではなかった。

「仕送りだと思ったんだけどなぁ」

 朝食代わりにヒマワリの種を口に含んで、残り一週間を小銭で乗りきらなくてはならない現実をがじがじ噛みしめる。惨めだ。

「倉林やすお……」

 誰だ。

 送り状に書かれてあったその名前に、僕はさっぱり心当たりがない。

 宛名が書かれていないようだけど、狭山ハイツ一○三号に住んでいるのは僕だけだから、つまりこれは間違いなく間違った配達ということになる。

 普通、宛名の書かれていない荷物なら、受取人に渡すときに正しい荷物かどうか確認くらいしそうなものだけど、どういうわけかこの度の配達員は逆ギレ気味にサインだけ求めて、押しつけるようにして荷物を置いていったのだ。

 言われるがままにサインした僕も中々にアホだが、これをこのまま預かって置くのがまずいことくらいはわかる。僕はケータイを取って、お客様コールセンターの番号を入力した。

『大変お待たせ致しました。こちら花丸運輸お客様コールセンターの山田と申します』

「僕宛じゃない荷物を間違って受け取っちゃったんですけど、どうすればいいでしょうか」

『それは失礼いたしました。伝票番号を教えて頂けますでしょうか?』

 番号を読み上げる。

「……です」

『それはお客様宛のお荷物で間違いないですね。じゃ』ブチッ。

 ツーツーとビジートーンが耳を打つ。え……なんだこれは。

 百歩譲ってこれが僕の荷物だったとして、確認早すぎるだろう。しかもなんだ、最後のあの適当な感じ。じゃ、じゃねえよ。あれでよくお客様コールセンターの山田を名乗れたものだ。ちゃんと面接受けたのかな山田は。

「どうすんだよ。これ……」

 目の前に山積した靴下に向けて、一つため息をつく。

 これが本当に僕宛の荷物だったとして、どういう意図があって届けられたんだ? 僕は靴下の在庫が無くて困ったことなどないし、コレクションをしているわけでもない。

 しかもこの靴下たちはどうみても……古着だ。きれいに畳まれてはいるが、隠しきれない履き慣らされた感がひしひしと伝わってくる。当然、僕は使わなくなった衣類を回収する慈善運動だってしていない。

 となると、やっぱり宛先の間違いなんだろうけれど。

 木造二階建てボロアパート・狭山ハイツは各階三部屋の計六部屋から成っているが、埋まっているのはここ一○三号と、爺さんが一人で住んでいる二○二号だけである。数字を二つ書き間違えたなんてちょっと考えられない。

 ……でもまあ一応、確認してみる価値はあるか。

 僕はダンボールを抱えて玄関へ向かった。引越しで使うような規格のものとはいえ、入っているのは靴下だけだから大した苦労にはならない。靴を引っかけて外に出る。

「お。やっと出てきたな魚崎ぃ。あたしは——」

 四月にしては冷たい風が頬を撫でた。ダンボールで顔をガードするみたいにして、僕は外階段の方へ向かう。

「魚崎こら! 無視してんじゃねーぞ!」

 カンカンと靴音を鳴らしながら鉄骨階段を上る。一段一段の面積が小さくて、これだと爺さんが危ないんじゃないかなーとか思う。そもそも爺さんなんだから、変な見栄を張らずに一階に住めばいいのだ。その方がいいに決まってる。

「魚崎ぃ! あたしの言うことを聞かないと、後悔するのはお前なんだからなー!」

 二○二号の前まで行き、護摩堂と書かれたプレートの下にある呼び鈴を鳴らす。

 ……反応は無い。しかしこれはいつものことだった。次に僕は勢いよく木造ドアを叩いた。

「護摩堂さん! 魚崎です! いますかぁ!」

 遠くでおぉ〜と呻くような声がした。しばらく待っていると解錠の音がして、軋みながらドアが開く。

「うおしゃきくんか。ひしゃしぶりじゃのぉ」

「お久しぶりです。あの、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが」

「ほう。いっしゃいどうししゃんじゃ?」

 僕はダンボールの中を開けて見せる。

「実はさっき倉林さんって方からこの荷物が届いたんですけど、僕その人にも荷物にも心当たりが無くって、宛先の間違いかと思——」

「私は知らない。これは君の荷物だろう」

 バタンッ。

「え……?」

 閉ざされた戸の向こうで遠ざかっていく足音が聞こえる。なんだなんだ。

 二千歩譲ってこれが僕の荷物だとして、どうしてそれを護摩堂の爺さんが知ってるんだ。そしてなぜその指摘だけ発音がいいんだ。

 僕は諦めてダンボールを抱え直した。

 帰ろう。この靴下はまあ、半月くらいは預かっておいてやろう。それでも誰も引き取り手が現れないようなら可燃ごみとして捨てちまおう。なんて優しいんだ僕は。

 階段を下りてうちに戻り、水を一杯飲んでからダンボールを押し入れに仕舞い込んだ。それから僕は冷蔵庫で冷やしておいたサイダーを取り出してコップに注ぐ。戸棚からなけなしのポテチも取ってテレビの前へと移動し、座卓に置いておいた漫画でそいつの頭をはたき飛ばした。

「ってえ! なにすんだ魚崎ぃ!」

「不法侵入しといて何を言うか! なんなんだお前は一体。休みの日にまで」

「だから、何度も言ってんだろーがよー」

 その女は、バカっぽい笑顔を浮かべて言う。

「あたしは天使のサリー! サリー・シェリンガムだ!」

「……」

 驚きもしない。笑えもしない。

 もうかれこれ二週間、毎日聞かされている自己紹介だ。

「自分で言ってて、さすがにちょっとこれは胡散臭いなーとか思わないの?」

「まあちょっと」

「思うのかよ。じゃあ反省しろよ」

「でもマジだもんよー」

 ニヒ、と口角を上げる。隙間から八重歯が覗いて見えた。

「……アホくさ」

 僕は座布団の上に胡坐をかいた。

 最初は、確か夕方の本屋だったと思う。漫画を物色していると横からちょんちょんと肘をつつかれ、振り向いたらこの顔があったのだ。天界だの天使だの、わけのわからないことを一方的にあれこれ喋くり倒され、挙句に家までついて来られた。そしてその日以来、大抵は高校からの帰り道なんかにひょこっと現れては、こんな感じでアホっぽい顔でアホみたいなことを言って去っていくのだ。

 格好は上下揃いの黒ジャージ。頭はぼさぼさなのをごまかすみたいなひっつめ銀髪。見てくれもやっていることもどちらかというと悪魔だ。名前に至っては魔法使いだし。

 小動物のような童顔丸顔だけはまあ、確かにちょっとかわいい。百歩譲って天使のようだと形容できなくもない。けどそれでも、そう呼ぶにはあまりに残念すぎる。色々と。

「……天使さんね。そんで、ヘンタイ狩りとかなんとか言ってたっけ?」

「お! クソみてーな記憶力にもついに成長が見られたな!」

「殴るぞ」

 サリーは嬉しそうな顔をする。

「厳密には変態性欲狩りなんだ。昨今の性犯罪、変態性欲者の増加が問題視されてな、天の方で準備された新しいポストだ。あたしはその中でも特殊な存在で——」

 ぺらぺらぺーらぺらぺーと何か語りだしたみたいなので、僕はこれまでの二週間そうしてきたように、今回も耳の機能をオフにした。漫画を開く。

「おい魚崎! 聞いてるのか!」

「あーへいへい。終わったらさっさと出ていってね。あと呼び鈴連打するのはもう二度とやめてねー」

「聞けって! 犯罪者になってもいいのか?」

「心配しなくても僕はどこにでもいるフツーの男子高校生だよ」

「……何も聞いてないな貴様」

 はぁと溜め息が聞こえた気がしたが、無視して漫画を読む。

「いいか? もう一度言うぞ? 魚崎は二週間前にだな——」

「ほうほう」

 右手でページをめくり、サリーの言葉に反応するフリをしながら、左手でポテチを取り……食べる!

「——というわけでだな……む。おい魚崎」

「あーはいはい」

「何やらご来客のようだぞ?」

 漫画から視線を引き剥がす。サリーは僕の頭上を指差していた。

「げ。なんだよもう」

 鳥が部屋に侵入していた。シジュウカラだ。この辺りではよく見かけるが、窓から入り込んできたのなんて初めてだ。

 シジュウカラは蛍光灯の上の傘にとまって、ツピーツピーと鳴きながら周囲を見回している。仕方ないので僕は立ち上がって傘を揺らした。

「ほら、あっちいけ」

「ツピーツピー」

「そら飛んでけ——って! ぬわっ。何しやがる!」

 飛び立つ間際、シジュウカラは置き土産に糞を放った。反射的に飛びのいたが足先に被弾してしまう。

「ツピー……ケッ!」

 シジュウカラは掛け時計の上へ移動した。かわいくねえ。

「キャハハハハハ!」

 およそ天使っぽいとはいえない笑い声を上げるサリーを無視して、僕は畳と足先をティッシュで拭う。今日はなんだか朝から色々とツイてない。しかもなんていうか……謎だ。ほとんど全部が謎のままだ。

 謎の配達物。謎の山田の応対。謎の爺さんの滑舌。謎の図々しい女。鳥だけはまあ、事故みたいなものだから仕方ないけれど、それでもいい加減にしてほしい日曜日だった。

「あたしが追い出してやろー。そーれ小鳥ちゃーん」

 僕は靴下を脱いで部屋の隅っこへと放り投げた。今から洗濯などする気にはなれない。プラスチックの収納ケースを引っぱり出し、開ける。新たな靴下に手を伸ばした、そのときである。

「ツピー!」

 猛スピードで飛んできたシジュウカラが足で卓上のコップをぶっ倒した。僕と収納ケース内の下着・靴下類はサイダーまみれとなる。

「……」

「キャハハハハハハハハハハ!」

 バカ笑いするサリー。しれっと窓から逃げ出すシジュウカラ。濡れそぼった僕。ひたひたになった下着と靴下。

「っだあああ——もう! なんだってんだクソ!」

「水を得た魚崎だな」

「サイダーだバカヤロー! 帰れ! 鳥と一緒にお前も空へ帰れ!」

 僕は怒りに任せてサリーを玄関まで引きずって、外に閉め出した。

 話はまだ終わってないぞ魚崎ぃ——とかなんとかドアの向こうで叫んでいるのもスルーして、僕は部屋に戻り、服を着替える。タオルで収納ケースに溜まったサイダーを吸い取り、考えるのはアレのこと。

「……」

 押入れに目をやる。服を取るために開け放ってそのままになっているそこから、ダンボールが少しだけ飛び出している。無理やり押し込んだ反動なんだろうけど、さあ開けと言わんばかりだった。

 なにかがおかしい。

 あの靴下が届いてまだ一時間も経っちゃいないが、そう感じずにはいられなかった。

「フン……その手には乗らないぜ」

 一体なんの手なのか自分でもわからなかったが、とりあえずそう呟いて、僕は押入れをしっかりと閉めた。座布団に胡坐をかいて、また漫画を開く。

 僕はその日、素足で過ごした。

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