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隣のダンジョン  作者: 軌条
第三部 超深層攻略
91/111

幻霧戦

89、幻霧戦




 236層に進軍しても異常はない。楓はそれを確認すると、ひとまず安堵した。神からの通信には不穏な点が多々あった。通信状況が劣悪だった所為もあるだろうが、神の声に不純物が混じっているように感じられた。


 楓は慎重だった。全部隊を進ませることはなく、攻略組から5名、制圧部隊から5名を選抜し、自分を含め10人の小部隊で236層を探索した。その中には志村も当然のように参加していた。


「幻術とはどのようなものだったんだ、志村」


 楓は既に自分がその幻術に囚われている可能性を考慮し、そう訊ねた。志村は辺りを見回す。


「今、このダンジョンが、岩窟のような地形に見えているのなら、心配はない。幻術にかかると、自分が初めて死んだときと同じダンジョン地形が現れるはず」


 楓は舌打ちした。楓が小学生のときに強制帰還させられたのは、まさしくここと同じ岩窟のフィールド。幻術に囚われたとしてもその変化に気付くことは遅れるだろう。

 志村が楓を睨んでいる。


「神隊長がそんなに信じられないのか。あの方がもう大丈夫だとおっしゃったのだ」

「指揮官はあらゆる状況を想定する。神の奴が敵に操られている可能性も頭に入れておく必要があるものでな」


 志村の睨みはますます厳しくなった。


「神隊長がおめおめと敵の手にかかるものか。それ以上侮辱するようなら」

「するようなら。何なんだ。あの程度の男の下につく人間が、私に生意気な口をきくんじゃない」

「貴様――」


 楓と志村の睨み合いに、同道した同僚たちは慌てて制止しようとした。しかしこの両名は、それぞれの部隊における恐怖の象徴であった。本気で彼女たちを止められる人間など存在しなかった。結局、彼女らの理性の発動に期待するしかなかった。


 先に身を引いたのは楓だった。この状況下で内輪もめを起こしている余裕はないことを理解していた。


「……神の奴め。もっと詳しく状況を報せてくれればいいものを。敵の姿がない以上、さっさと進むべきか」

「……かの高名な佐久間楓でも恐怖に囚われることがあるのね。私は先に行く」


 志村が部下を引き連れて237層への穴に向かって歩み出す。楓はそれを止めようとは思わなかった。神たちとはそう離れているわけでもないようだし、合流してから話を聞けばいい。だが、この何かが引っ掛かる。


 通信で神を呼び出そうとしても、なぜか反応がない。


 神は隣に立っていた銃遣いの竹俣に目配せした。竹俣はゆっくりと頷くと、志村たちについて歩いた。


 得体の知れない敵――レーダーに映らず、不可思議な術を使う。神のような手練れであっても、こうもあっさりと敵の幻術遣いを倒すことができるだろうか。あまり楽観視しないほうがいい、既に神や綾が絶命しているという可能性も考慮に入れるべきだ、通信でそういった疑いを払拭できれば良かったのだが、そうはならなかった。


 楓はしばらく236層を探索してから、237層に向かって進んだ。穴から降りると、志村たちが待っていた。


「こちらは異常ない。……敵が一体もいないから拍子抜けするわ」

「神たちが排除したのか、あるいは元々抗体がいなかったのか」

「戦闘の痕跡は見つかった。けど激しいものではない。つまりはそういうこと」


 志村は淡々と言う。楓たち10人の精鋭は、237層も探索したが、不審な点は見つからない。一同の緊張感が少し緩むのを楓は感じた。


 志村は魔剣を抜き放ち、その剣先でコツコツと壁を叩いて回っていたが、突然、その動きを止めた。そして辺りを見回す。

 楓は顔を顰めて志村の動揺を見ていた。いや、志村だけではない、楓以外の9人全員が狼狽し、その場に立ち尽くしている。

 楓は気付いた。周辺の地形が僅かに変化していくのを。まさかこれは……。


「最初は誰から殺してやろうかな……! あはははは!」


 目の前に矮躯の男が現れる。その下卑た笑みに楓は本能的な嫌悪感を抱いた。カラーズを抜き放ち、素早く銃に変化させる。弾丸を撃ち込んだが命中しなかった、男の躰を透過する。


「おおう、なんという早業。全く躊躇しなかったな。恐ろしい、恐ろしい」


 男の姿が消えた。楓は嘆息した。既に自分も幻術にかかっているらしい。上層への穴を見るが、既に塞がっていた。周りの9人の仲間は武器を振り回しているが、冷静さを失っていた。志村も同様だった。


 こういうときに自分を見失う人間に、冒険者の資質はない。楓は深呼吸した。本当はこうした危険な行為は避けたかったが、仕方ない。状況を打開する方法は、これしかなかった。


 霓に霊力を集中させる。高純度の霊力を凝集、この小さな万能兵器に詰め込んでいく。


「何をする気だ、地上の人間!」


 矮躯の男が危険を感じ取ったか、叫んだ。楓の目の前に魔物が現れた。小学生だった楓を殺した、あの因縁の魔物――


 だが楓はそれを格別怖いとは思わなかった。巨大な戦槌と変化させた霓を地面に叩きつける。それは杭打ち機よりもよほど効率的に、しかし乱暴に地面を崩落させた。


 しかしそれは小さな穴だったので、下層に落ちたのは楓だけだった。楓は周囲を見渡す。どうやら下層に移動しただけでは幻術は解けないようだった。まだあの忌々しいかつてのダンジョン構造が広がっている。


「がっかりしたかい? 下層に逃げれば、僕の幻術から逃げられるとでも?」


 矮躯の男が地面から生え出る。楓はそれを睨んだ。


「貴様はそこにいるのか」

「いないよ」

「このフロアのどこかには、いるのか」


 楓の質問に矮躯の男はげらげらと笑った。


「まあ、いいか。……いるよ。このフロアのどこかできみを見ている。あてずっぽうで銃を撃ってごらん、もしかすると当たるかもよ。でもまあ、一発くらいじゃ、僕は死なないけどねえ」

「貴様は人間ではないな。何者なんだ」

「これから死んでいく人間に何を言ったって無駄だろうけど、教えてあげよう。きみたち人間の進化体だよ。濃度の高い霊力を吸い、不死の肉体を得た、選ばれし者たちさ。僕はわりと地上の情報を収集するのに熱心なほうでね、現代の戦士は精霊たちの作った武器や霊力設備を利用してダンジョンを探索し、日々の糧を得ているのだろう? 僕からすればそれは何とも中途半端だ。霊力を利用するというのなら、僕たちのように、直接この肉体で霊力を捏ね繰り回し、活用する術を身に着けなければね」


 楓は霓を構える。矮躯の男はおどけた声を発する。


「さて、どこに攻撃を加えるつもりかな。上かな、下かな、右、左? 僕がどこにいるのか分かるのかな」

「分からない」


 楓は目を閉じる。男は甲高い笑い声を発した。


「あひゃひゃひゃひゃ! 本当の本当にあてずっぽうかい? 僕の気配を感じ取ろうとでも? 無駄だよ、無駄ぁ!」

「さっきから不愉快だな、貴様の笑い声」


 楓は霓に再び霊力を込める。


「この場所は良い。霊力の濃度が極めて高い。私の霓もいつもより馬力が出そうだ」

「当たらなければ意味ないだろ、ふふふ」

「なぜ私がわざわざ下層に移動したのか、貴様はまだ理解していないようだな」


 霓が七色に光り輝く。矮躯の男が息を呑む。


「……何をする気だい、高飛車女」

「逃げたければ逃げてもいいぞ。もう無理だろうがな」


 楓の霓が爆散する。光り輝く霓の無数の素子がダンジョンの地面、天井の穴を塞ぎ、壁という壁を埋め尽くす。

 一瞬にして一帯は七色に輝く霓の乱反射に覆われた。楓は頭を振りながらどこにいるともしれない男に大声を張り上げる。


「このフロア全体に霓をばら撒いた。これでフロアの階層移動はできなくなったはずだ」

「……それがどうした? きみはまだ僕の幻術に囚われている。間もなくきみに死が襲いかかるというのに」


 楓の目の前に、再び小学生だった楓を殺したあの低級の魔物の幻影が現れた。楓はそれを笑みを浮かべながら見ていた。


「懐かしいな……、こんなザコに殺されるとは。子供の頃の私は、何とも未熟だった」

「死ね!」


 魔物の幻影が腕を振り上げる。楓は霓ではない、通常の銃を取り出した。


「死ぬのは貴様だ、小汚い男め。せいぜい踊れ」


 銃を撃った。一発、二発。それらは壁に当たり、乾いた音を立てた。


 矮躯の男の笑い声が響き渡る。


「どこを狙ってる! 僕はそんなところにはいないぞ!」

「貴様がどこにいようが関係ない」


 楓は更に撃つ。三発、四発、五発。矮躯の男は笑い転げているようだった。


「結局あてずっぽうか! 惨めなもんだ、いつまでその強気を保てるかな……」


 弾丸を撃ち放つ音。そして弾丸が空を切る音。当然、発射音のほうが耳に強く響く。しかし、時間が経つにつれて、発射音よりも空間を横切る弾丸の音のほうが目立つようになってきた。


 特徴的なのは、弾丸が壁に当たる音が極めて小さいこと。本当なら、この破壊力抜群の銃弾は壁を破砕し、派手な音をたててもおかしくはなかった。


 その不可思議に矮躯の男がもう少し早く気付けていたら、彼にもまだ勝機はあったのかもしれない。


 楓はなおも弾丸を放つ。六発、七発、八発。やがて楓は銃を懐に仕舞った。


 矮躯の男が笑い過ぎて息を切らしている。


「もう撃たないのかい? 諦めたか? せめて楽に死なせてくださいとでもお願いするのかな?」

「世迷言を……。貴様、本物の阿呆だな」

「なに?」


 そのとき矮躯の男が悲鳴を上げた。そして愕然とした声を発する。


「な、なんだ……、このフロアを飛び交う黒い影は。なんだこれは!」

「私の放った弾丸だよ。やっと気付いたのか」

「なに?」


 フロアの内側全体をコーティングした霓の断片。弾丸が壁ではなく霓に激突することで、その勢いが死ぬことなく跳ね回る。しかも霓の断片は適度な硬度と柔軟性を持ち、自由に動き回る。結果、弾丸は速度を増しつつもフロア全体を飛び回りそこに隠れ潜む敵を探知すると同時に攻撃する。


「貴様がどこにいようと関係ない。いずれ貴様は撃ち抜かれる」

「ふ、ふん。この広いフロアで、たかだか八発の弾丸を飛び回らせたところで、何ということは――」


 しかしそのとき肉が飛び散り骨が砕ける音が聞こえた。瞬間、ダンジョンの構造がほんの微かに変化した。どうやら幻術が解けたようだった。


 楓は壁や天井にへばりつかせていた霓を全て手元に戻した。そして音がしたほうへと歩む。


 矮躯の男が這いつくばっていた。腹に大きな穴が開いている。血を吐き、逃げようと手足を動かしているが、移動もままならない。


「悪いが死んでもらう」


 楓は剣を構えた。男は大量の血を口から噴き出しながらも笑っていた。


「馬鹿め……、勝ったつもりか?」


 楓は瞬間、眩暈がした。視界が暗くなり、何も見えなくなる。これも奴の幻術か。楓は霓に込める霊力を増やして闇雲に攻撃したが視界は回復しなかった。


「僕はここで死ぬなあ……、けどきみも道連れだ。自分の記憶に殺されるがいい」


 闇の中に、小学生の楓を殺したあの魔物が現れた。楓には逃げ場はなかった。もはや霓を握る感覚も消え、裸でこの幻覚空間に放り込まれた感覚だった。


「侮ったか」


 楓は呟いた。魔物が近づいてくる。楓には恐怖はなかった。ただ、この得体の知れない敵たちとの戦いで、楓の部下たちは見事勝利を収めることができるのか、その点だけが不安だった。


 楓はじっと闇の中に浮かぶ魔物を睨んだ。すっかり忘れていた。自分を初めて殺した敵の姿を。じっとよく見てみようと思うが、自分の記憶が曖昧な所為だろうか、輪郭がぼやけていて、どんな魔物なのかはっきりとは分からない。


「……ふん、この佐久間楓が、名も分からぬ魔物に殺されるとはな」


 魔物がなおも近づいてくる。その腕を持ち上げ、楓に狙いを定める。なかなか振り下ろそうとしない。楓は深く息を吐いた。


「やるなら早くやれ。……あまり焦らすな」


 楓の言葉に応じたかのようにその魔物は腕を振り下ろした。しかしその腕が楓に到達する前に、みるみる魔物の躰が罅割れ、砕けていく。

 楓は目を見開いた。闇は晴れ、楓はダンジョンに戻っていた。壁に凭れ、汗をじっとりとかいている。


 足元には絶命した矮躯の男が転がっている。楓を殺す前に、力尽きたのか。


 いや、違う。矮躯の男の胸に短刀が突き刺さっていた。


「楓さーん!」

「佐久間部長~!」


 見ると、綾と菜桜の二人がこちらに駆けてくるところだった。楓は汗を拭い、手に持ったままだった霓を収納した。

 そして二人に向き直る。


「よくやった、菜桜。正直、間一髪だった」


 菜桜は肩を竦めた。


「短刀を投げたのは瀬山さんですよ、部長」

「なに?」


 綾は頷いた。


「すみません。余計でしたか?」

「いや……」


 楓は綾という女を見くびっていた。まさかこれほどあっさりとこの人間によく似た敵を殺せるとは思っていなかった。


 菜桜が楓の反応を見て笑っている。


「部長、瀬山さんもれっきとした攻略組の一人ですよ。なんてったって、私に勝ったくらいですからね、これくらいはやれますよ」

「ああ」


 楓は応じた。そうだ、この異邦人の少女も相応の覚悟をもってこの場に臨んでいるはず。少しは信用してもいいのかもしれない。楓は綾に軽く頭を下げた。綾と菜桜はそれを驚きの眼差しで見ていた。










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