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隣のダンジョン  作者: 軌条
第一部 地上へ
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深層99階

9、深層99階



 綾にとっては何とも幸運なことに、一〇〇階で怪物と遭遇することはもうなかった。遠くで雄叫びが聞こえたような気もするが、不思議と恐怖は感じず、冷静に行動できた。先ほどの戦闘で肝が据わったのか、それとも投げ遣りになっているのか。闇の中で手探りに進む綾にはそれを判断するだけの材料がなかった。


 カズマが放った光球はいつの間にかどこかへ消えていた。逃げるのに必死で気付かなかったし、綾の目が闇に慣れていた所為もあった。別になくともそれほど困らなかったが、心細かった。しかし霊力を消費するのならむしろ邪魔になったかもしれない。綾は武器やアイテムを利用するのに霊力が重要であると学び始めていた。もっとも、今の綾にはその武器やアイテムが何一つなかったのだが。


 と嘆いていると、足に何かが当たった。先ほど豚の怪物に投げつけた短剣が落ちていた。コウキに没収された槍ほど頼りになるわけではないが、ないよりはマシだろう。初心者にお似合いの武器はこれで確保したわけだ。


 コウキたちと出会った階段に辿り着いた。綾は耳を澄ませてみたが、上階からは一切音が聞こえなかった。


 コウキとユリの会話から察するに、一〇〇階の魔物より九九階より上の魔物のほうが凶暴さは劣るらしい。ここに留まるより一つでも上の階を目指したほうが、安全だろう。あの帰還設備とやらは全く使えないみたいだし……。もっとも、コウキが嘘をついていた可能性もあるわけだが、彼が嘘をつくメリットを考えてみると、やはり彼の言葉は本当だったのだろうと判断できた。


 階段を踏みしめた。洞窟の地面よりも堅固とした造りである。洞窟は天然の迷宮といった趣だが、階段は明らかに人工物であり、それも頻々に手入れが為されているとしか思えないほど小奇麗であり、精霊の仕業か、それとも冒険者の中にボランティアでもいるのか、と一瞬考えてしまった。


 もちろん、今はそんなことどうでもいい。綾は慎重に一段一段上がって行った。そして踊り場から光が漏れていることに驚く。


 誰かいるのか?


 いや、そうではない。九九階全体が光に満ちている。しかももはや洞窟ではない。石造りの壁が連なり、ランタンが等間隔に設置され、床にも石材が使用されている。


 あまりに雰囲気が違うので驚いたが、上を見て更に驚いた。天井がない。夜空が広がっている。星々が瞬き時折流星が空を横切る。少し湿った空気の流れも感じる。まるで屋外だ、いや、きっとここは屋外。でも、地上というわけではあるまい、ダンジョンの内部には違いない。


 全く理解の上を超えていた。遠く、狼の遠吠えのような声を聞き、いつまでも呆けている場合ではないと気持ちを切り替えた。綾はそろそろと石畳の迷宮を進み始めた。


 そのときだった。ポケットが震えた。そして聞き慣れたはずの音――しかし今となっては何とも場違いに思える音……、ケータイの着信音が鳴り響いた。

 綾は自分が携帯電話を所持していた事実をすっかり失念していた。ポケットからそれを取り出すのに時間がかかった。そして液晶画面を見ると、弟の綜太からと表示されている。


「――もしもし?」

『あっ。やっと繋がった! 姉ちゃん、ダンジョンの中にいるの?』

「そ、綜太だよね? うん、そうだよ! ダンジョンの中で独り……」

『独り? 周りに誰もいないの? いくら低層とはいえ、それは危険だなあ……。まさか二階とか三階まで潜ってないよね? 初めての探索なんだから入口付近で待機してないと』


 二階? 三階? 冗談ではない。こちらはもっと深いところにいる。


「綜太、ちょっと待って。私今、九九階にいるの」

『は?』

「九九階。ちょっと迎えに来てくれない?」

『冗談はいいから。今は緊急事態で――』

「冗談だったら良かったのに! とにかく、本当に九九階にいるのよ。一〇〇階スタートでさ……」


 しばしの沈黙。電波が悪くなったんだろうかと疑ったが、そもそもこの不思議空間でどうやって電波が飛んでいるのか、不可解だった。

 電話越しに聞こえてくる綜太の声音は、いささか強張っていた。


『冗談じゃないんだね? 普段だったら笑い飛ばすようなことだけど、今日のダンジョンはどこかおかしいからなあ……。そういう事故が起こっても不思議じゃないね。分かった、信じるよ。でも、九九階……』

「迎えに来れる? 深く潜るほど敵が強くなるんでしょ。私って結構やばい状況に立たされてる気がするんだ」

『結構どころじゃないね。僕は今、二三階にいるんだけど、ここでも結構魔物が強く感じる。一〇〇階付近となると、たぶん僕みたいな普通の学生じゃあ辿り着けないと思う』

「えっ。綜太、あんた相当にダンジョンに潜り慣れてるんじゃないの」

『姉ちゃんと比べたら、そうだけど。所詮緑手帳だしね。でも、弱ったな……、九九階なんて、救助隊もそう簡単には手出しできない場所だよ』

「そう、なんだ……」


 綾の不安は増した。絶望というほどではないが、楽観的に物事を考えたがっていた彼女は認識の変更を迫られた。


「あのさ、これからどうすればいいの? 私、初めてのダンジョンで、よく分からなくて」

『そうだよね。まずは周囲に仲間がいないか探して。もしいないのであれば救難信号を出す。でも、今は皆切羽詰まってるから、そんな余裕ないかもしれないけど……』

「救難信号って?」

『学校で習ったでしょ。まさかやり方忘れた?』


 また学校で習ったでしょ、だ。今日だけで何度これを言われたことか。


「あ、うん……。でもさ、言い辛いんだけどさ」

『なに、どうしたの』

「さっき、コウキって人に殺されかけてさ。魔物から逃げる為の囮にされかけたり、弓矢で狙われたり。黒い矢がほんとおっかないってなんの」


 綜太は電話越しに息を呑んだ。


『黒い矢だって? 呪殺武具じゃないか……、やっぱり、深層だとモラルが崩壊しているみたいだね。冒険者同士で略奪や殺人が起こっているってわけだ』

「そういうことなの。だから綜太が迎えに来てくれるとほんとありがたいんだけどさ」

『うーん、ごめん、それは無理かな……。僕も一階を目指してる最中だし、今から僕がそっちに向かうとしたら、たぶん一週間はかかるね』

「げっ、そんなに!」


 綾は仰け反った。逆に言えば綾が地上に出るのにもそれと同じくらい時間がかかるわけだ。それまで人間不信の状態のまま独り行軍を続ける必要がある。


『でも、信頼できる人間を見極める方法はあるよ。バッジだ』

「バッジ?」

『金色のバッジを胸元に着けている人は、政府公認の冒険者だ。まあ、姉ちゃんもそれくらいは知っていると思うけれど、彼らは元々冒険者としての資質十分としてお墨付きを貰った人間性を備えている。バッジにはカメラが埋め込まれていて、冒険の詳細を常時記録しているから彼らは役人から監視されているも同然で、姉ちゃんを害するような行為には出ないだろうね』

「なるほど……。金色のバッジねえ」


 綾は納得した。しかしそう都合良くそんな優秀な人材が目の前に現れるだろうか。


「ねえ、綜太。今って異常な状況なんだよね。帰還できなかったり、魔物が増えてたりするんでしょ」

『うん、そうみたいだね。帰還石が機能しなくて、次々と人が死んでるみたいだ。でも、低層じゃあ元々魔物より冒険者の数のほうが多いくらいだから、ほとんど命の危険はないんだけどね。三〇階より深く潜ると、死のリスクが高まる。今、救援隊が四〇階辺りを探索しているって話だけど』

「四〇階って……! 一〇〇階には来ないのかな」

『うん、でもそれより深くいくと、冒険者の数が激減する。一〇〇階付近となると、せいぜい十人くらいしかいないんじゃないかな。それより人数の多いところから救助に入るのは当然というか』

「まあ、そうなんだけど! ……でも、一〇人もいるのかな。全然気配がしない」

『冒険者と言っても、色々なタイプがいるからね。日帰りが主流だけど、帰還石を使用するまで――つまり死ぬまで帰らないロングラン型とか、特定のレアな魔物を狙って何日も同じところに留まり続ける常駐型とか、日本だとまずいないけれど、精霊の加護が届きにくい深層で待ち伏せして、冒険者を襲い金品を奪い取る山賊型とか』

「犯罪じゃん!」

『ところがそれが許されている国もあるんだよ。精確に言えば、ダンジョン内は完全に無法状態、何をしてもされても国は一切関知しないっていう修羅の国がね。ま、僕たちには関係ないけど』

「そうなんだ。……ねえ、ところでダンジョン内って電波が届くんだね」

『どうしたの、いきなり。電波?』

「うん。不思議じゃない?」

『電波って、どういうこと? 意味が分からないんだけど』

「だから、ケータイが繋がるんだねってこと」

『ケータイが繋がる? 通話できるってこと? そんなの当然じゃないか。それと電波がどういう関係が?』


 どうも話が通じない。そうこうしている間に通信状態が悪くなった。綾は不思議に思ったが、液晶画面を再び見て違和感を覚えた。

 画面の隅に表示されている電波の強度表示が存在しない。代わりにあるのは小さな妖精のようなロゴ――ちらちらウインクしている。


 なんだ、これ。綾は凝視した。綾の持っているケータイにはこんなロゴは絶対に存在しなかった。精霊がダンジョンを経営している世界――食料や武器を実績値と引き換えに貰える。もしかするとケータイも実績値と引き換えに入手するものなのだろうか。だとすれば、精霊がケータイの通信状況も管理しているということになる。


 通信に使っているのは電波ではなく、精霊たちが自由自在に利用している、たとえば霊力とか、魔力とか、そういったものなのだろうか。綾は自分の持ち物まで異世界のモノに成り代わっている事実に、今更ながら驚いていた。


 綾が立ち尽くしていると、遠くから金属音が聞こえた。人間のような、しかし人間とは決定的な異質な叫び声。結構距離があったが、綾を震え上がらせるのに十分な迫力があった。


 綾はその場から退避しようと動き始めた。しかし金属音に似た叫び声がみるみるこちらに近付いている。石造りの迷宮を小走りに、やがて走り出したが、叫び声は着実にこちらに近付いている。


 もしかすると――いや、これは確実に、追いかけられている。


 綾はパニックに陥りかけた。一〇〇階にいたトンキは追い返した、しかしあれは竜剣と霊力を回復するギフトがあってのことであり、今短剣一つしかない綾にはとてもじゃないか魔物と戦う術などない。追いつかれたら殺される。綾は曲がり角の多いこの迷宮を懸命に走った。


 やがて辿り着いた場所は行き止まりだった――綾はぎょっとした。慌てて今来た道を戻ろうとしたが、雄叫びがすぐそこまで迫っていた。


 まずい。追い詰められている。


 綾は短剣を引き抜いた。ずっしりと重いこの武器も、霊力を込めれば多少は威力が高まるのだろうか? 試してみる価値はあるのかもしれないが、そもそも霊力ってなんだ。無知な自分もコントロールできるものなのだろうか。


 綾が短剣を構えていると、魔物が姿を現した――身長はせいぜい一八〇センチといったところ。一〇〇階にいた規格外の怪物どもと比べたら随分こぢんまりとしているように思えた。しかし全身を鉄の甲冑で固め、関節部からは黒い炎を噴き出している。持っている大剣は鋭い刃を備え、銀色に輝いている。兜の奥には赤茶色の老人のような貌があり、気色の悪い叫び声を発している。まさしく鎧と黒炎を纏った化け物であり、綾は自らが持つ短剣が心許なく感じた。


 魔物は大剣を構えた状態でじりじりと迫ってきた。綾はその迫力に気圧され、後退した。すぐに背中が壁にぶつかる。息が詰まった。魔物の貌が歪む。愉悦に浸っているのか。か弱い女の子を追い詰めたことがそんなに嬉しいか。

 

「おバカなお嬢さん。救難信号くらい出しなさい」


 声が降ってきた。はっとした次の瞬間、空から何かが降ってきた。


 魔物が大剣を振り回す。しかしその見事な得物がぐにゃりと曲がった。そして魔物の甲冑がべこりとへこむ。血を吐きながら魔物が吹き飛んだ。石造りの壁に激突し、派手に音を立てる。瓦礫の中に埋もれた。


 ぽかんとしている綾の前に、一人の若い女性が立っていた。珍妙な恰好をしていた。なにせほとんど裸――胸部と腰回りに僅かな布を身に着けているだけ、ビキニを着ているようなものだ。


「あっ、あなたは……?」

「流行の最先端に立つわたしを知らないなんて、とんだおバカさんね。コトカチャンネルをよろしく!」


 そう言って女性は綾にウインクした。綾には何が起きたのか全く分からなかった。しかし、胸の谷間に埋もれるようにして布に縫い付けられている金色のバッジを見たとき、綾は自分が救いの天使と出会ったのだと、漸く理解した。











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