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隣のダンジョン  作者: 軌条
第三部 超深層攻略
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かつての百傑

87、かつての百傑




 その男は30年ぶりに目を覚ました。仲間内で最も睡眠を愛するその男は、日本語で言うところの「修羅」を意味する単語で呼ばれていた。それが彼の名前であると彼自身が納得したことはなかったが、他にそう呼ばれている者がいないので、結果的に修羅という言葉はほぼ確実に彼のことを示していた。


 修羅が仲間たちと交信を行うと、7つの欠損領域があった。どうやら30年の間に7人の同胞が自殺したらしい。修羅はそれを悲しいとは思わなかった。ただ、ここ最近は自殺の頻度が増している。この星の霊力の質も段々と低下しているということか。真綿で喉を締め付けられているような感覚。それに耐え切れない者は死を選ぶしかない。


「修羅、目を覚ましたんだね。面白いことが起こっているよ」


 修羅の近くには、颶風ぐふうと呼ばれる少年姿の同胞が立っていた。何かを使ってジャグリングしている。


「仲間が7人も自殺したことが、面白いことか?」

「そうじゃなくって。自殺したのは6人だってところが、面白いのさ」


 修羅は目を見開いた。暗褐色に染まった彼の瞳は闇の中でも颶風の姿をくっきりと捉えることができる。


「――まさか我々の領域に侵入者が?」

「そういうこと。それも相当な手練れだよ。幻霧のおじさんが足止めしてるけど、時間の問題だろうね」


 修羅にとってそれはおぞましい事実だった。地上に住まう人間の文明レベルを確認したのは、200年ほど前のことになる。そのときはダンジョンにさして興味を持っていないようだったのに、修羅たちの領域にまで進出してくるとは。


「手練れか……。俺より強いのか?」

「正直言うと、修羅より強いのがちらほらいるね。人間もしばらく見ない内に強くなったよ……。感慨深いね、うん」


 お前も元々は人間だろう。修羅は呟き、戦闘準備の為に周辺の霊力を取り込み始めた。


「俺たちの家を奪われるわけにはいかん。勝算はあるか、颶風」

「どうだろうね。今、僕たちは50人ほどしかいない。向こうは100人以上いるし、これからも増え続ける。人形を差し向けてもさほど苦戦はしていないようだし」


 傀儡子と呼ばれる男が霊力を練り上げて作り出した人形たち。通常のダンジョンの巣食う魔物と比較しても圧倒的な能力を誇るが、それを人間があっさり倒してしまう、その事実が恐ろしかった。

 もはや安寧の時間は過ぎ去り、終末のときが訪れてしまったのかもしれない。しかしここで座して死を待つというのもありえない。


「颶風、俺たちがこの領域に辿り着いたときは、100人もの同胞がいた。あのときのことを憶えているか」

「うーん、まあね。僕はまだ幼かったから、曖昧だけど」

「理由は様々だが、世界各地で迫害を受け、住むところを失い、ダンジョンに隠れ住み、その大半が魔物に食われて死んだ。そんな中でも深層に潜り続け、たった一人、安住の地を得た者がいた。それが始祖だ」


 修羅は伝説の類を話している。しかしそれは事実であり、遠い昔にあった実際の出来事だった。


 始祖は世界中の、迫害されて住むところを失った人間を大量に深層に招いた。だがダンジョン内には食糧がない。招かれた人間の多くが魔物に食われるか、衰弱死した。しかし始祖と、ごく一部の人間だけは何も食べなくとも平気だった。そうして修羅たち100人の同胞がこの空間に留まった。


 食べ物も何もないこの空間に、唯一豊富に存在した資源があった。それが霊力であり、人間は濃厚な霊力を吸い続けることで劇的な進化を遂げる。今となってはそんな濃厚な霊力は最深部にまで潜らないと存在しないが、彼らは歳を取らなくなり、永遠の命を得た。この安住の地を守る為、彼らは200層あたりに、人形たちの壁を築き、周辺を人形に警護させることにした。傀儡子の造り出した人形は、まさに無敵だった。


 彼らはもはや霊力なしには生きていられない躰になっている。最初いた100人の同胞は、半分に減ってしまった。この歪な生を受け止めきれずに自殺してしまう者が多くいた。


「始祖はどうしている」


 修羅の質問に颶風は笑む。


「いつも通り。ダンジョンの最深層で瞑想してるよ。それより修羅はどうするつもり?」

「俺は戦う。颶風こそどうなんだ。降参しても構わないんだぞ」


 颶風は鼻で笑った。


「仲間を一人殺されて、おめおめと降参なんかできないよ。殺されたのは遊び好きの角觝さんだよ。あんな無邪気で良い人を殺すんだから、僕だってきっと殺されるよ」

 

 角觝が……。きっとあのお調子者のことだから、不用意に接近し過ぎたのだろうが、あっさりやられてしまうような半端な実力ではないはずだった。


「颶風、俺たちは平穏な暮らしを求めてこんな深淵へと迷い込んだ。それなのに自ら死を選ぶ同胞が後を絶たない。結局、俺たちの命は歪んでいるのさ。真っ当に地上で生きている人間を押し退けてまで生きるには、それなりの覚悟が要る」

「そうかな?」

「そうだ。お前、人を殺したことがないだろう……。無理はするなよ」

「そりゃあ、人は殺したことはないけど」


 颶風は不服そうだった。こうして話しているときもジャグリングをやめない。闇の中で目が利く修羅だったが、その手さばきがあまりに速いので、いったい何をくるくる回しているのか分からない。


「……ところでさっきから何を持ってる。岩を丸く削ってボールにしたのか」

「いや、ちょうど向こうから来たからさ……」


 颶風はジャグリングを中止し、回していた球状のそれを地面に叩きつけた。それは無残に潰れた。修羅は眉を顰めた。それは精霊の頭部だった。今まで愉快に回していたのは精霊どもの生首……。


「寄生虫は駆除しないとね」

「人間に先駆けて我々の領域に侵入していたのか」

「5体ほど。4体は殺したけど、残りの一体は星の中枢部に向かったよ」


 こともなげに言う颶風が、修羅には信じられなかった。


「お前、正気か……? 精霊がどんな奴らか知っているだろう。奴らは際限なく霊力を喰らい尽くす害悪だ。連中を排斥するのに俺たちがどれだけ苦労したか……」

「契約、ってやつ? でもそれって当時の大精霊と始祖が個人的に交わしたものでしょ」

「始祖は俺たちの代表だ」

「ならますます問題ないね。その精霊を星の中心まで通せって命令したのは、他ならない始祖だから」


 修羅には分からない。同胞の偉大なるリーダーである始祖の考えが。だが始祖が了解しているのなら事態は悪くならないだろう。


「……分かった。我々の領域に進出した精霊は、その一体だけなんだな?」

「今のところはね」

「ならば俺の相手は人間どもだけ。颶風、案内しろ。ただし、戦闘が始まったらすぐに離脱しろ」

「僕も一緒に戦うよ」

「それはお前の自由だが……。降参しても誰も責めない。そこだけは理解しておけ」


 修羅は闇の中を歩き出す。230層付近まで進軍した人間の部隊は皆殺しにする。それしか彼らの生きる道はなかった。もはや彼らは大量の霊力なしには生きていけない身。地上に出て人間を根絶やしにすることができない以上、自分たちの領域で防衛戦をひたすら繰り返すしかない。それがどれだけの難事か、彼は分かっているつもりだった。


「最初の敵は二人組……。239層にいる」

「角觝を殺した奴か」

「ううん、違う。それは別の人かなー。一人は可愛い女の子。もう一人は男前だけどどこか粗暴そうなお兄さん」


 修羅は239層に向かって進み始める。霊力を吸って独自の進化を遂げた彼らは、それぞれ特殊な能力を有していた。角觝の場合は透明化、幻霧の場合は幻術、颶風の場合は空気の成分組成の操作、修羅の場合は身体能力の爆発的向上――


 そして、修羅の前に突如現れた男――暗流。彼の能力は闇を捏ね繰り回してこことは違う異空間を創造することができる。その能力を生かして、異空間に霊力を貯蔵、地上に近いダンジョン浅層まで様子を見に行くこともあるという。


「待て、修羅」


 暗流が立ち塞がる。彼が現れるのはいつも突然であり、修羅は彼とぶつかりそうになった。


「なんだいきなり」

「私が援護する。単独で行って勝てる相手ではない」

「……それはありがたいが。他の同胞たちはどうした。お前の能力なら、俺と組む利点に乏しいと思うが」

「他の仲間たちは待機させている。人間どもの主戦力は別にあるからな……。私が説得した」

「そうか」


 修羅は一旦会話を切ってから、改めて暗流に尋ねた。


「お前、連中を見てきたのだろう。勝てそうか?」

「普通に戦えば、私たちに勝ち目はないな」


 暗流は即答した。


「……そうか」

「ただ、人間どもは時間がないと焦っている。拙速を強要されている状況だ。付け入る隙があるとすれば、そこだろう。私に作戦がある」

「作戦……?」

「幻霧の幻術なら、効率的に連中を処理できる。連中を罠に嵌めるのさ」


 暗流は言い、ふっと笑んだ。


「まずは先遣隊を排除することだ。一応、下準備は済んでいるが」

「下準備?」

「修羅は普通に戦えばいい。後は私の仕事だ」


 修羅は頷くしかない。もとより、修羅の能力では正面から戦うほかはない。颶風がぼやいている。


「なんだか楽しそうだなー。僕も混ぜて欲しいんだけど」

「颶風、お前は降参しろ」

「あっ。修羅と同じことを言うー。ていうか降参するって、僕たちが負ける前提じゃん。勝つつもりでやらないと、勝てるものも勝てないよ」


 確かに颶風の言う通りだ。修羅は自分に言い聞かせる、無駄に長く生き過ぎた自分の限界を、地上で発展を続けてきた人間どもに試す。


 思えばずっと以前から死の覚悟は定まっていたのかもしれない。自殺を選んできた同胞たちの心中を、どこか理解できてしまう自分が恐ろしかった。もしかすると何の抵抗もなく戦闘に赴く自分のこの心境は、自殺を果たした同胞たちのそれと大差ないのかもしれない。


 暗流が何を企んでいるのか。あるいは、始祖がどのような意図をもって精霊を中に招き入れたのか。修羅は段々と関心を失っていった。彼の頭の中にあるのは戦闘のことだけ。修羅は不器用な男だった。目先のことに囚われ、未来のことから目を背ける。それが修羅なりの集中方法だった。


「修羅、怖い顔してるよ」


 颶風の指摘。だがもはや修羅は自分の表情など気にしなかった。目の前に立った敵を切り飛ばす、それだけをイメージして、彼は暗流と共に239層に向かった。









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