緒戦優勢
83、緒戦優勢
ダンジョンが人智の範囲に留まる物理法則に縛られているのならば、ダンジョンの底は恐らく3000から4000層あたりになると概算されている。そして人類がその観測に成功したのは200層。ダンジョンを浅層だの深層だのと区分けしているが、全体から見れば人類はまだダンジョンの本当に浅い部分しか知らない。
そして、超深層の壁と呼ばれる第一関門を突破した戦士は、100名余り。これは日本近郊のダンジョンから突入した冒険者に限り、他の地域の冒険者は、超深層の壁を突破すること叶わず敗走及び全滅という結果に戦慄、絶望に打ちひしがれていた。
恐らく瀬山綾というイレギュラーな存在がいなければ、日本も同じような結果に収まっていただろう。瀬山綾の特殊性は、異邦人でありながら、前線に立つことを恐れず、相応の実力を持ち、なおかつ抗体のコアの霊力を引き出す特殊な才能に恵まれていたことだ。
異邦人というだけなら世界中に何人かいる。瀬山綾ほどの実力の冒険者は何万、何十万もいる。抗体のコアの制御をすることができる者も、無数にいるだろう。しかしその三つの要素を兼ね備えた存在は、世界を見渡しても瀬山綾だけだった。
いや、もしかすると、他にもいたのかもしれない。ただその才能に気付いていないというだけで。ただ瀬山綾が異世界に渡ってすぐダンジョンの深層に放り込まれ、抗体戦において極限の局面に立たされたそのとき、抗体のコアを操作することができるその才能に気付いたという経緯を考えると、才能に恵まれることそのものより、それに気付くということのほうがハードルが高いかもしれない。
抗体の懐に忍び込み、木伏が貸してくれた大砲を抗体の群れに向け、撃つ。本来ならその壁を穿つには威力不十分だが、抗体の莫大な霊力を充填すると、その威力は飛躍的に増大、一掃に成功した。
それを間近に見ていた攻略組の面々は、何もかもを分かっているような顔をしていた。神と楓が何か短い会話をして、それから二つの勢力は共闘することを決めたようだった。
「攻略組が第一に掲げた案がこれだったらしい――そしてそれは成功した。異邦人というだけでも希少だが、これだけのことをやってのけられるのなら、事態は案外スムーズに進むかもしれないな」
神が安堵したように言う。綾は自分が役立ったことに安堵していたが、難所がここだけとは思えない。気を引き締め直さなければ。
「一応、地上にいる上層部に連絡を入れておいた。第一関門は突破したと。ただ、ちゃんとメッセージが届いたかは分からん。通信状況が酷くて相手方の返答が聞こえなかった。ここから先は連絡を入れることさえ難しくなるだろうな……、というわけで、瀬山綾、お前はこれからどうする」
神の質問に、綾はどきりとした。
「何がですか。これから、ですか?」
「そうだ。攻略組と一緒に行くというのならそれで構わん。どうせまた難所に遭遇したら異邦人たるお前に頼ることになる。俺たちと一緒に行こうが、攻略組と一緒に行こうが、結果は変わらない」
綾は困惑した。しかし楓たちは自分を受け入れる余裕があるだろうか、足手纏いでは? 近くで抗体の残党を狩っていた池添が、こちらに走り寄ってきた。
「綾さん、お手柄だな! ここから先は攻略組の連中にとっても未知の世界だ、全員昂奮してるぜ!」
「あ、ありがとうございます」
「どうだい、そんな辛気臭い連中より、俺たちと一緒に行かないか。楓さんも歓迎するだろ」
「ええと……」
綾はどうすべきか分からなかった。考えるべきはどちらと一緒に行ったほうが攻略に貢献できるか……。心情的には攻略組と一緒のほうが気が楽だった。黒柳とはかなり打ち解けていると感じていたし……。
だがその黒柳の姿が見えない。綾はそれが気になった。
「あの、黒柳さんはどこです?」
池添はバツが悪そうな顔になった。
「ああ、あの女な……。後発組に編成されたよ。ちょっと楓さんと喧嘩してな」
「喧嘩? どうしてこんなときに」
「そうだよなあ、こんなときに」
池添は随分言い難そうだった。近くで戦闘していた鹿取が必死に抗体の攻撃を避け、池添に叫ぶ。
「何やってるんだ池添! お喋りしてる場合か!」
「おう、鹿取。今行くよ」
池添は苦笑した。そして綾のほうを見ると、決意を固めたように、
「本当は言うべきじゃないかもしれないが、黒柳と楓さんは、綾さんのことで喧嘩したんだよ」
「えっ。私のことで……」
「もっと慎重に運用すべきだと、黒柳が言っていたんだ。まだ綾さんが制圧部隊に掠め取られる前のことだ。もし黒柳が楓さんの邪魔をしていなければ、もしかすると綾さんは最初から攻略組と一緒にここまで来ていたかもしれない。楓さんがこういう駆け引きで相手の遅れを取ることなんて滅多にないからな……。もし黒柳以外から文句を言われても黙殺できただろうが、楓さんにとって黒柳は親友みたいなもんだから、無視できなかったんだろ」
綾は未だに黒柳に守られていることを知った。黒柳がそれが原因で前線から下げられたのなら、自分という存在はむしろ攻略組に負担をかけているのではないかと懸念した。
池添が綾のそんな表情を見て首を振っている。
「黒柳は黒柳で、重要な役目を担っているから、別に綾さんがいなくともこうなっていたかもしれない。そんな深刻そうな顔をしないでくれよ」
「でも、池添さん、言い辛そうにしてましたよね。それってつまりそういうことじゃないんですか」
「うっ、まあ、そうかな……。でも、一つだけ言っておく。攻略組と一緒に来ようが、制圧部隊と一緒に来ようが、瀬山綾という存在は人類の存亡に大きな影響力を持つ、ということだ。それこそ、楓さんやそこの神隊長よりも、大きな影響力だ」
「そんなことは……」
「自覚を持つことだ。影響力って言葉は、良い意味でも悪い意味でも使えるんだからな、あんまり卑屈になるなよ」
池添はそう言って抗体戦に戻った。綾は近くに立っていた神に向き直った。神は部下に指示を下していたが、綾の視線を浴びると、真っ直ぐ視線を返してきた。
「どうだ。決まったか」
「あの、攻略組と制圧部隊、一緒に行くことはできないんですか」
「……あんまり大部隊になると、いっぺんに全滅するってこともあり得るからな。ある程度の戦力を維持しつつ、最小単位で挑むというのが理想だ」
ただし、と神は言う。
「瀬山綾、お前はやはり最強の人員と一緒に行くのが望ましい。俺と行くか、佐久間楓と行くか。このどちらかだ。きっと向こうのボスもそれを承知しているだろう」
「……分かりました。楓さんと一緒に超深層に挑みます」
「ふん、そうか。……理由を聞かせてもらっても?」
「楓さん、黒柳さんがいないと暴走しがちなので。心配なんです」
神は一瞬きょとんとし、そして大笑いした。
「そういうことか。まあいい。どうせほとんど同じ道を辿って奥に進むんだ、もしかするとあんまり部隊分けする意味もないかもしれない」
綾は一礼して、その場を走り去った。そして超深層の壁に向かって大砲を撃ち込み続ける。壁は千切れ飛び、人類はその殲滅に熱心に取り組んだ。しかし抗体は次から次へと増え、少し油断するとすぐに壁を形成したので、きりがなかった。区切りの良いところで部隊を奥に進めるしかなかった。
超深層200階。ここで神と楓は再び相談し、下層へと進む為の算段をつけた。地盤の最も安定した地点で地面を爆砕し、スロープを設置する。ここは常識が通用しないダンジョン、下層でいったいどんな環境が待ち受けているのか分からない。少しずつ部隊を送り込み、安全を確保できそうなら更に本部隊を送って地面を爆破する準備を進める。その繰り返し。
「池添、貴様はここに留まり、後続の部隊に作戦の概要を伝えろ。地盤探査装置を預けるから、忘れずに渡せ」
楓の指示に池添は不満そうだったが、もちろん拒否はできなかった。池添は綾の耳に口を近づけた。
「死ぬなよ、異邦人。楓さんを頼んだ」
「池添さんこそ……。後続の人たちが味方とは限りませんよ?」
「敵なんて精霊騎士くらいだろ? まあ、せいぜい楽しむさ」
池添は余裕の笑みを浮かべた。綾は笑みを返したが、少数で同じところに留まることがどれほど危険か知っていた。抗体は冒険者のいるところに突然湧くことがある。闇の中を手探りで進んでいるほうが精神的には楽かもしれない。
「もうここは超深層だ。安全を確保、だなんて言ったが、安全なんてどこにもありやしない。綾さん、警戒を怠らないように」
「警戒しても無駄なこともあるかもしれない。でも、突然何も分からぬまま死ぬのは嫌ですね」
「そうだな。どうせだったら、何が起こったのか理解して、死にたい。それくらいの違いしかないよな、世の中の理不尽に対して個人ができることは」
そうして池添と別れた。楓と神が率いる精鋭部隊。その消耗は極めて少なかった。それは事前の想定よりもかなり好ましい状況だった。事前の検証では、超深層の壁を突破できるのは一人か二人とまで言われていた。それが既に100名ほどの人員を送り込むことに成功し、今後も増えていくはず。
これ以上ないスタート。だがまだ油断はできないし、超深層に侵入した精霊は複数いる。彼らを止めることができなければ、この星の霊力は全て食い潰されてしまう。
これから先、彼らはどこに潜んでいるのだろう。超深層の最奥まで彼らが辿り着く前に叩かなければならない。その中には精霊たちの新たな首魁となった大精霊もいる。彼らを討伐するだけの戦力が揃っているのか……。綾は精霊との戦いではあまり貢献できないだろう。
だから味方を少しでも奥に送り込む為に、抗体との戦いでは綾が大きく貢献しなければならない。精鋭たちに甘えて、守られているだけでは駄目なんだ。力強く前へと踏み出した。




